だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

後日談

いやあ、いい歳こいて、またやったしまった。

前回のブログを書いて、そのまま飲み会に行き、飲んだくれて、2 軒目でスナックで歌ったりしてそれなりに楽しかったわけだが、その後がいけない。

結果から言うと、私はその日、朝まで警察の取調室で過ごしました。明け方にパトカーで駅まで送られて、また居酒屋でひとりで飲んで始発で帰って、あっちゃこっちゃ乗り過ごして、無事打ち合わせをすませたのだが、ったくってヤツですね。
いや、あれですよ、同級生のひとりがまたやらかして、スナックを出たところ、店の前で若者とはじまったわけですな。あれは何だ? 暴走族ではなさそうだったが、バイクに乗ってたむろしてた。14~5 人くらいいたな。こっちはオヤジ 5 人とそのカミさんひとり。問題の友人は、いいから頭出せ!とか凄んでるし、ったくもう高校生じゃないんだから。

いろいろ面白い発見もあったから詳細を書きたいのだが、友人の中にはそれなりの肩書と職業についているヤツもいるので、私のブログで面倒くさいことになってもいけないからやめときます。でも、今の取調室って禁煙なんだね。明け方パトカーで送ってくれたのは楽だったが、自宅の杉並まで送ってくれと言ったらさすがにダメらしい。始発はまだないし、しょうがないからまた飲んだわけだ。で、ふと、そういえば昔もあいつと同じ警察署で取り調べられたなあと思ったら無性に笑えてきた。オーストラリアから帰国してきたヤツは、俺も行こうかと言ってたが、さすがに可哀相なんでお前は帰れとひそかに帰したけど、考えてみたら、昔のときもそいつはうまく逃げて、私と今回のヤツだけが警察に捕まったのだった。なんの繰り返しだこれはと思ったら、さらに笑えた。気持ち悪かったのか、隣のカウンターで飲んでたこれまた若い連中も何気に席を立って帰っていったな。

まあ、オヤジは小料理屋でひっそりと飲んでるほうがよさそうだ。

ともかく、前回の『パピヨン』のことだ。続きを書くって言ったし。と言ってもたいしたことではない。要するに、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンは絶海の孤島に幽閉されるわけだが、ホフマンは菜園を作ったりしてそれなりにそこでの生活を楽しんでるふうなわけだ。マックイーンはいまだにしょうこりもなくその島からの脱出を考えている。ホフマンも一応その気はあるようなそぶりを見せているのだが、どうやらその島でそのまま一生を終えるつもりのようだ。で、前に書いたように、マックイーンは波の法則を発見し、何回目かの波に乗れば、うまく島から脱出できると踏む。喜び勇んでホフマンにそれを告げ、一緒に出ようと誘い、ホフマンも一緒に行くことを約束するが、実際はとどまる。出発の日、自分はとどまることをなかなか言い出せないホフマンに、お前の気持ちはわかってるから的な感じで別れのあいさつをし、マックイーンは海に飛び込むわけだ。かなりのジジイなのに。

一般的には、どこまでも自由を求める男の話って感じなのだろうし、実際その通りなのだが、私は中学生のときに、もうちょっと違う感じで、なぜか微妙にある種の恐さを覚えた。自由を求めて命がけで海に飛び込むマックイーンも島からは出られないがそれなりに豊かでほのぼのとした余生を送れそうな島にとどまるホフマンも、どちらも誰からも責められることのない立場にあるのは当たり前だ。して、どちらが幸せだとかなんてのもわからない。本人がしたいようにしてるだけなのだから、どちらも満足なのだろう。しかし、両者はまったく違うと思ったわけだ。うまく言えないが、決定的に違うと。何が違うかはいまだにうまく言えないのだから、私も中学生から少しも進歩していない。でも、違う。と思う。

でもこれは、勇気があるとかないとかではないとも思う。勇気があるっちゃ、どちらも勇気はあるのだ。とも言える。50過ぎた私が今言えるのは、自分でもあまりに単純でバカバカしいくらい拍子抜けなのだが、要するに、好みの問題だということだ。どっちがいい?って言われて、なんかこっちのほうが好き、ってヤツだ。自分だったらどうする?ってのも意味のない質問だ。何にしても普段から自分の好みがあって、いざ選択するときにどういう行動を起こすかはそのときになってみないとわからないということがどれだけあるか、ということを何回も経験してきてるから、そうした質問は意味がないことがよくわかる。私の場合だけに限らないと思うのだが、どうだろう。私は、いまだに自分で自分の行動が読めないことが多々ある。いまだにだ。こうしてブログ記事を書いていて、このあとまた巣鴨で打ち合わせがあるのだが、まあ打ち合わせはすると思うが(アポも入れてるし)、それでも本音を言えば、本当に打ち合わせに行くかどうかわからない。いきなり面倒くさくなって酒を飲むかもしれない。

しかしこんなことを言えば、誰からも相手にされなくなるだろうな。だって信用できないもんね。自分で言っててそう思うわ。でも、さすがに 50 年生きてきてるから、こんな自分でも自分の好みはなんとなくわかってきた。で、だいたいその好みに添って生きてきたようだし、これからもそうだろう。だから私の場合、自分の好みのままに生きていくのが、一番人にも誠実に接していく方法のような気もしてるわけだ。違うかなあ。実はあんまり自信はないのだ。

まあ、先の『パピヨン』という映画も中学生のときに新宿で見たそれっきりだから、内容やラストも自分の記憶と印象しかないから、実際は違う部分がありそうだ。でも、今自分の記憶の印象ではその通りなので、私にとってはそういう映画だ。そういえばその『パピヨン』も、おととい飲んだ同級生のひとりと行ったのだった。ってのも笑える。

例によってまた何が言いたいのかわからなくなってきたが、人の生き方には極端に言って 2 種類しかないようだってことだ。浜田省吾の歌じゃないが、生きていく方法は100通りもあるかもしれないが、生き方は 2 通りしかない。

あとさっき気がついたが、トリスを飲んで天国へ行こう!みたいなコピーがあったと前回ほざいたが、あれは、ハワイに行こう!だったね、確か。面目ありません。酒飲みしっかくだなどうも。やっぱり推敲は大事なんだね。でも、推敲は仕事だけでいいや。

台風が来るらしいが、被害を最小にするように東に逸れるように祈ってる集団がある。現在。突然、なんの話だって感じだが、たしかにそうだ。

とっちらかってきたぞ。カップ麺でも食って、打ち合わせに行きますわ。取りあえず。

Commentコメント

お気軽にコメントをお寄せください

メールアドレスが公開されることはありません。