だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting vol.26 「保守と革新」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第26回
「保守と革新」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2015年12月19日 東京・中野にて収録

西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の26回になりますね。今日は12月のもう19ですか。押し詰まってきましたが、今日もまたよろしくお願いします。では、カンパーイ!

ヤス と言うことで、いつものように、カンパーイ!

西塚 前回は霊能者の話も出ました。今日もどうなるのかというところですが、時事問題に関しては、ひとつひとつお聞きしていくと大変なので、途中端折るかもしれませんが、アメリカの利上げがありましたね。リーマンショックのゼロ金利以来だと7年ですか?

ヤス 実際は9年ですね。

新興国より実はアメリカ経済が危ない!

西塚 僕は経済オンチですが、ちょっと前のヤスさんとの対談を思い出しまして、新興国から資本が流出してる、逃げてるってことにまた環をかけることになるんじゃないですか?

ヤス まあ、そうですね。基本的にそうなると思いますよ。

西塚 これは、アメリカが景気がいいという判断もあってFRBも利上げを決定したって話なんですが、それはそういう解釈でいいんですか?

ヤス 利上げそのものが大きな影響力をもたらすっていうわけじゃないと思います。利上げの幅は0.25%から0.5%の間で、これから政策金利を変動させるってことですから、さほど大きな影響力はないですね。

それから新興国からの資本流出は、もうかなり前から始まってるんですね。去年ぐらいからどんどん加速化してる。それでアメリカが利上げをしたということで、市場の観測としては、新興国の資本流出の流れがおそらくもっと加速化されるだろうなと読む。そう読んでるので、結果的にそのように自己実現的な行動になって現れるってことなんですね。

だから市場とは何かと言うと、たとえばこういう客観的なことがあったから、したがってこうこうこう動いたのだというよりも、特定のことが多くの人間の観測とか思い込みを作り上げ、その思い込みにしたがって動くがゆえに、自己実現的に実際に当たってしまうという構造になってるんです。

たとえば、別に客観的な材料が全然なくても、ちょっとしたことがひとつの原因になって多くの市場の人が、あ、この銘柄が絶対に上がるだろうと読んだと。上がると読んだ人たちが実際にそれで行動した場合、やはり多くがの人たちがそれに追随するわけですね。そうすると結果的にその銘柄が上がるってことになるわけですよ。

西塚 そうなると、何回も話している預言の話にも近くなってきますよね。

ヤス ええ、そうです。別に僕は相場にすごく詳しいわけじゃないけども、市場というのは、言ってみれば人の思い込みによる自己実現的な行動によって、値動きが変わってくるという面がある。だから、利上げがあったと。0.25%から0.5%。でも実際は、新興国の利子率のほうがまだ高いわけですね。全然ね、利子率としては。

だからまだまだ新興国に投資してたほうが、金利っていうことだけを見てたら有利なはずなんですよ。でも、そうはならない。そうならないのは、やっぱり新興国の経済はだいぶ弱含みだよねと。

西塚 商品価格が下がってるから…

ヤス 商品価格がどんどん下がっていくし、原油がどんどん下がってる。資源の輸出国がすごく多いわけですから、新興国の場合はね。だいぶそれが下がってきて通貨安になってくると。そうしたら、あ、このへんからそろそろ撤退して、資本を引き抜いたほうがいいんではないかって観測が広がる。広まって、実際何人かの人間がそういう行動を起こすと、それが火種となってみんないっせいに動くわけですよね。そうすると実際そのような状況になってしまう。

西塚 そこにきてアメリカの利上げなんで、なおさらちょっとじゃあアメリカに移してみようかと。

ヤス アメリカにということですね。それを加速する行動にはなると思います。

西塚 これからしかも、FRBもしばらく様子を見ながらってことなんでしょうけども、希望的観測で、景気がよくてこれからまた上がっていくっていうことであれば、そっちに移しますもんね、投資としても。

ヤス そうです。今の日本のニュースでたくさん出てるのは、新興国がいかにヤバイかってことなんですね。たとえばブラジルが相当落ち込んでますし…

西塚 あ、出てますか? ヤスさんとの対談で話してたときはまだ出てなかったですよね、あのときは。

ヤス ああ、まだなかった。今はテレビや何かの経済ニュースを見てると出てくるようですね、けっこうね。新興国がいかに減速してるのか。それから中国経済の減速とか、よくニュースになってますけども、だからそれはけっこう知られてることなんですが、意外に知られてないのはアメリカ経済そのものなんですよ。

アメリカの経済に関しては、ネットで情報を集めてる人たち中心にですけれども、よく知られているのは、まったく相矛盾したニュースが流れてくるんですね。一方では日本の主要メディアを中心としたニュース、いわゆるアメリカ経済がいかに堅調でね、力強く伸びてるか。今年の成長率も3%ぐらいだし、日本なんて0.5%ぐらいですけどね、それから見るとアメリカの大国が3%ですから、すごく大きな成長率ですね。

それから個人消費がいかに伸びてるかとか、住宅着工件数も伸びてるし、失業率もですね、どんどん下がってて、アメリカの失業率は5%ですよね。アメリカの失業率が5%って完全雇用に近い状態なんですよ。そういうニュースで、いかにアメリカ経済がいいかってことはどんどん喧伝される。

西塚 アメリカの場合、その失業率が低いと言うのは、その年齢別の失業率で言うとどんな感じなんですか。たとえば20代が10%とかっていうようなことでもないんですか?

ヤス 当然、若年層に失業者が集中しやすい傾向にありますね。若年層と高齢層は多い。ただ日本の場合は、非正規社員と正社員との違いってありますでしょ? アメリカはもともとないんですよ。フルタイムとかパートタイムで働くっていうことだけなんですね。基本的には。

西塚 もう契約は契約だと、最初から。

ヤス 契約は契約だということだけなんですよ。だからちょっと日本と同じような枠組みでは見れない部分があるんですけどね。

それで、アメリカの経済に関していい数値がどんどん出ている。それは間違いないんですね。ただ一方ですね、それとまったく相反するような現象がたくさん出てる。要するに中産階層がどんどん没落している。それと現在、アメリカでフードスタンプという食料切符を持ってるのが、それこそ4600万人ぐらいになっている。

西塚 日本で言えば生活保護者ですね。

ヤス そうです。それがアメリカの全人口の14%ぐらいになってると。それから中産階層と言われてるような人々がどんどん没落している。中産階層って今まで一番人口が多かったんですよ。それがそうではなくて、一番最近の発表だと、富裕層と貧困層を合わせた数のほうが中産階層よりもはるかに多いということになった。

それは中産階層がどんどん貧困化してるってことですね。アメリカで格差が拡大してね、今までの中産階層がいかに貧乏な状態になってるのか。たとえば、安定したフルタイムの専門職のいい仕事を持っていたと。それが一回リストラされて仕事がないので、大学院出のちゃんとした30代の人が、それこそマクドナルドの店員をやってるとか。

西塚 ああ、教育のある人たちが技能とか専門知識を活かせないわけですね。

ヤス でもそれは、マクドで働いてるとしても職を持ってるわけだから、失業者にはならないわけです。アメリカの労働省の統計でいくつかの数値があるんですね。日本と同じようなアメリカのハローワークがあって、そのハローワークの求人募集にずっと来ているような人たちを母数とした失業率があって、それが5%なんですよ。

それに対して長期失業者っているわけですね。半年以上仕事をずっと持ってない。でもハローワークにも来ていないというような人ね。その人たちを入れるとですね、アメリカの実際の失業者数というのは、まあだいたい13%前後になるんじゃないかと言われてる。

さらにですね、本当の長期失業者、もう1年以上ハローワークに通ってもいないというような人たち。だからアメリカの労働省もトラッキングをすることをやめてしまったというような人たちを、概算の数値として加えると24%ぐらいなんですね。

そうすると、実際はアメリカの景気は悪いんではないかと。その証拠に個人所得も全然伸びてないだろうと。確かにそうなんですよ。平均給与も伸びてないんですよ、あんまりね。だから景気がいいと言うのは、数値の改ざんによる偽装ではないかと言われてるんです。だからアメリカの景気がいいのか悪いのか、まったく相反する情報が出てきてよくわからないってことになってるんですけど、実態はこうなんです。

簡単に言いますと、アメリカの経済はリーマンショック以前の状態に戻ったってことなんです。リーマンショック以前のアメリカの景気はすごくよかった。年率の成長も3%とか4%、もっと高いときもあったけどすごくよかった。なんでよかったかと言うと、それを進めてたのは個人消費なんですね。バンバンみんな消費する。それがアメリカの巨大な市場になるわけですね。個人消費の豊かさがいわゆる経済成長の牽引力だった。

西塚 そのときの個人消費というのはローンだったんじゃないんですか?

ヤス まさにそうです。どのようにして個人消費を引き上げるローンができたかと言うと、たとえばそこで現れてくるのがサブプライムローンであるとか、いわゆる住宅ローンを証券化して、それを販売すると。それを金融商品としていろんな金融商品とミックスしてね、CDOとして販売する。それが利率が高いもんだから、いろんな金融機関や投資家にもバンバン売れるだとか、まあ債券の証券化という方法がひとつあった。

ほかにミニマムペイメントなんて方法があるんですね。たとえばクレジットで何かを買うでしょ? そうした場合ね、最低限1%かなんか払うとですね、延々と借金の支払いを先延ばしできるんですよ。たとえば自分が100万円借金をしたとすると、その100万円の1%を払うとですね、これ利子にもならないわけだけども、でも100万円の1%さえ払えば利子も支払う必要もないし、当然元本も支払う必要がなくて、それをそのまま翌月に先送りできる。

翌月に先送りしたやつも1%払ってまた翌月に先送りできる。延々と先送りできるシステム、これがミニマムペイメントって言うんですけど、そういうものとか。なぜそれが可能になったかと言うと、そのローンを組んだクレジットカード会社自体が、そのローンを証券化して売り払ってしまってるわけですよ、すでにね(笑)。だからそのローン会社としては痛くもかゆくもない。すでに証券化して売り払っているので元を取ってるわけですね。

西塚 なるほど。頭がこんがらがってきますけどね(笑)。1回ビデオを見せてもらったことがありましたね。僕に言わせればクレイジーなアメリカ人が、次々と豪華な家財道具を買っていく。プールまで作る。それで、これもあれも全部借金だといばっている。でも、目が怖かったです。もうイッてる。狂ってるんですね。あれはミニマムペイメントを使っていろんなものを買ってたんですね…

ヤス そうです。いろんなものを買ってた。それで、ローンがどんどん債券化、証券化されて売れますのでね、担保さえ持ってれば、たとえばローンを払ってても家を持ってるとか、自動車を持っててもね、自動車を担保にしてウチから10万ドル借りませんかと。あなたの家を担保にしてウチから100万ドル借りれますよって来るわけです。

何でそういうふうにローン会社が貸したいかと言うと、そのローンを証券化して売
り払えば、すぐその場で元が取れるわけですね。

西塚 ほお、何かわからないんだけども、皮膚感覚として相当危ない綱渡りと言うか…(笑)

ヤス いや、まさに借金ですよね。ローンの証券化というのは、ローン会社にとっては濡れ手に粟のビジネスだった。金融会社はそれでどうするかと言うと、サブプライムローンと同じように、その証券化したローンをたくさん掻き集めてきて、中身をわからなくして、それで金融商品として発売するわけですよね。平均的な高い利回りをつけて。利回りが高いわけですから、かなり売れると。

西塚 CDOってヤツですよね。

ヤス そうそう。

西塚 誰か評論家が言ってましたけど、その中はいろんなごちゃまぜになってるから、もしかしたら毒饅頭があるかもしれないぞみたいな話ですね。

リーマンショック以上の破綻が目前に!?

ヤス まさにそうです。まさにね。実は、これがリーマンショックで全部破綻した。破綻して、2009年とか2010年になってくると、いわゆるこれによって個人消費を嵩上げしてて、アメリカ経済を引っ張ってきたんだけど、そのメカニズムが全部ぶっ壊れるわけですよ。ぶっ壊れて、2010年にドット・フランク法という金融規制法が導入されるんですね。

ドット・フランク法にボルカー・ルールというのがあって、ローンの証券化そのものを規制したのではなく、ローンを証券化したものを銀行が買うことを規制したんですね。ローンの証券化はえらい利回りのいい金融商品だったので、銀行がみんな買ってたんですよ。銀行が自己資本で買ってたんですね。それで自己勘定取引の禁止ってことをやった。銀行は自分の金でそういうローン債券や証券を買ったらダメだという規制を加えた。

しかし、これが大きなザル法だったんですね。銀行はダメだと。じゃあ、銀行が違う金融機関を別会社で作ればどうなんだと。いいんだと。それで銀行が出資して、ヘッジファンドとかさまざなファンドを作ってね、そのファンドの自己勘定によって買うというシステムを作った。それが始まったとたんにアメリカの景気がクッと上向き始めたんですよ。

それで今どうなってるかと言うと、リーマンショックからすでに7年経ちますが、実はリーマンショック以上の状態に戻ってしまったんですね。フタを開けてみたらリーマンショックを上回るくらいの金額が、そのように証券化したローンのほうにバンバン流されて、それが金融商品として買われてるという状態なんです。

西塚 じゃあ、また同じことを繰り返すんじゃないんですか?

ヤス まったくそうです。それによってアメリカ経済が底上げされてるのが、今だってことですね。生産的なものでは全然ないです。

西塚 それでFRBが利上げしたんですか?

ヤス FRBは利上げせざるを得なかったってことなんですね。純粋に経済的なものです。前にもお話したと思いますが、資本主義経済で一番大きなエンジンになってるのは利益率なんですね。どの企業も。企業は利益率の低い分野から資本を引き抜いて、高い分野に投入するという投資行動をとるわけですよ。それが資本主義の原理になってるわけですね。

そうすると、銀行の利子率が利益率より高かったら、投資は無意味ですね。銀行にお金を寝かしておいたほうがいいということになります。利子率もそうだし、その他の株式によって得られるようなアーニングと言うか、株式の利益であるとか、それはすべて企業の利益率より低くなくちゃいけないという原則があるんですね。

ひとつ怖いのは物価の変動なんですよ。どんどんインフレになって、物価が利益率を上回るような状態になったらどうなるか。投資というのはストップするんですね。物をどんどん買い占めておいて、3カ月後に売ったほうがお金になるっていう状態なんですね。そうすると資本主義経済の循環そのものをストップしてしまうので、これはかなり危険です。

なおかつですね、高いレベルのインフレが起こってくると、労働者は飯を食えないわけですから、賃上げのデモがどんどん起こる。それで賃上げをすると今度は企業の利益が減りますから、当然商品価格に上乗せすると。そうすると商品価格がもっと高くなるというようなメカニズムで、まさに賃金と商品価格がお互いに刺激し合いながら、インフレがコントロールつかなくなるんですね。これは70年代のアメリカ、80年代初期のヨーロッパで、実際に何度も経験したことがある。これを止めるためには早いうちに手を打たなきゃダメだということで、今回のFRBの利上げなんですよ。

では、今のアメリカは実質的に経済が成長してるのかと言うと、おそらくしてないですね。今言ったように、金融操作による嵩上げによって、ただただ成長が維持されてるって状態です。そこで問題になってくるのは、リーマンショックと同じようなことが起こるかどうか。結論を言うと、起こる直前の状態にいるんですよ、われわれ。

リーマンショックのときの大きな引き金になった証券化されたローンは何かと言うと、サブプライムローンだったんですね。住宅ですね。今回は、どうも引き金になるのはシェールオイルのようですね。シェールオイル産業というのがあって、どんどんシェールオイルの掘削量が増えてくるのは、だいたい2010年、2011年ぐらいからなんですね。極端に増えてくる。

なぜ増えたのか。アメリカ産のシェールオイルに対する需要があったから増えたのかと言うと、全然違う。勝手なメカニズムで増えたんですね。どういうことかと言うと、まず2010年とか2011年は、ドット・フランク法が一応適応されてリーマンショックの清算は終わったねと。でもザル法だったから、もとの状態に戻り始めたころなんですね。

シェールオイルを掘削してる会社は中小の会社ばっかりです。中小は資本力がない。資本力がないから銀行からローンを組むわけですね。ふたつの形態があったんです。ひとつは、シェールオイル会社が将来の販売価格をまず決定するわけです。だいたいこのぐらいで売れるだろうと。それで、売れたら返すからねと言って、将来の石油の販売を担保にして銀行からお金を借りたんですね。銀行はどうしたかと言うと、そのローンをすぐ証券化して売り払うわけですよ(笑)。売り払った証券は、他の証券化した債券と一緒になって、別に金融商品として同じく売り出されてるんですね。これはCDOではなくて、CBOって言うんですね、今ね(笑)。

西塚 でも、CDOみたいなものですよね。

ヤス まったくCDOと一緒です。CBOとか確か言うはずなんですよ。同じような証券として、すごい量が出回ってるんですね。あともうひとつやってるのは、これもリーマンのときにあったんですけど、中小の石油会社が社債を出すんですね。社債と株式は違うと。社債と言うのは借金証書なんです。債務です。

だから社債を発行すればするほど、それがちゃんと売れれば現金になるっていうものなんです。そうすると、そういう中小の石油会社が社債をたくさん発行します。その販売を手がけた金融機関はすぐそれを証券化するわけですね。証券化してまた売り払うわけです。売り払って、それに基づいてまた金融商品を作る。確かね、これをCLOとかって言うんですね(笑)。同じことをやってるわけですよ。

西塚 なるほど(笑)。でも、アメリカのシェールオイルの将来性に関しては、これは中東に頼らないっていうこともあって、右肩上がりに上がっていくだろうという希望的観測があったわけですよね。

ヤス そうですね。2010年、11年ぐらいには、そういう希望的観測があってそれをやってたわけですね。どれだけやっても破綻するわけはないって言うんだけど、今どうなったか。32ドルとか30ドル台じゃないですか、原油はね。安くなってる。

それで、シェールオイル会社というのは掘削コストがえらいかかる。今までは、5、60ドルの原油価格がないと破綻すると言われてたんですけど、掘削の技術がどんどん進歩して、採算ラインがどんどん低くなってきたんですね。ただ、今の30ドルだと不可能で、シェールオイル会社の破綻が相次いだ。その結果、今言ったCBOとかCLOのような金融商品が破綻しはじめたんですね。今は特に社債です。証券化された社債。銀行は自分で直接買えないので、銀行が作ったヘッジファンドであるとかノンバンクが大量に買ってるんですね。

西塚 規模はどうなんですか? リーマンショックの場合はサブプライムローンから始まるけど、あれはいわゆる低所得者層のローンの破綻ですね。今のシェール絡みのお話だと、庶民じゃないですよね。規模としてはどういう感じなんだろう。

ヤス 庶民じゃないから逆に怖くて、ひとつのローンの規模がでかいんですよ(笑)。今だいたい、アメリカの最大手6行系のノンバンク、ヘッジファンド、これ実はシャドーバンキングなんですけどね、アメリカのね。影の銀行と言われてる。中国だけじゃないんです。これでですね、3.9兆ドルぐらいあるだろうって言われてるんですよ。これは、リーマンを上回る可能性がある。

この証券化された社債はジャンク債って言うんですね。日本ではジャンク債と位置づけられてますが、実際アメリカではハイイールド債と言います。金利の高い債券という言い方をしてるんだけど、そのジャンク債市場があるわけですよ。今まではすぐ証券化になるんで、みんなジャンク債を買ってたんですね。それが破綻しはじめた。今すでに大手のヘッジファンドがいくつか破綻しはじめた。

西塚 『アトラスシュラッグド』じゃないですけど、来年ですよね。2016年。あの映画はともかく、ひとつのシナリオとして参考にして言えば、アメリカが不況になっていくきっかけになるお話なのかなと。

ヤス そうですよ。今これ、ヤバいんですよ、めちゃくちゃ。何で日本のニュースは報道しないのかと思いますけどね。リーマンの直前の状態に僕はそっくりだと思いますよ。これは実は去年の初めから言われてたんですね。原油価格が60ドルとか50ドルを割るぐらいになったときに、将来これはあるぞと言ってた。何とか技術の改良によってですね、シェールオイルも掘削コストをどんどん下げていった。

それからジャンク債市場に関しても、安易に破綻させたら自分たちが損をするわけじゃないですか。何とかジャンク債市場を破綻させないように、大量の資金を注入して持たせてたんですね。持たせることが可能になったのが、実はゼロ金利政策なんです。

そのゼロ金利政策も終わって、利上げになると。わずかな利上げだったとしてもね、やっぱりほかにもうちょっといい金融商品が出てくる。そうすると、今までのように余ったお金をジャンク債市場にぶち込んで、何とか市場が崩壊するのを防ぐというわけにはいかなくなってきます。だから、来年早々アメリカ発で厳しいことになるんではないか。新興国ではないと思いますね。

西塚 ああ、逆に。世界的な大恐慌がもしあるとすれば、新興国からだろうということで、みんな金融関係者は血眼になって、どこだろう、あの国じゃないか、あのスーパーマーケトが危ないぞという。それも当然あるんでしょうけども、何かが単発で起きてというよりは、いろんなものが絡んでるんでしょうけどね。今のお話を聞くと、シェールオイル絡みの証券の破綻と言いますか。

ヤス それと、それ絡みの金融商品の破綻。実は、そのシェールオイル絡みの社債、ジャンク債を扱ってるふたつの比較的大手のファンドが破綻したんですよ、先週。だから今、ロイターであるとかウォール・ストリート・ジャーナルであるとか、そういうところの記事を見るとですね、ジャンク債市場の破綻がどれほどでかいかっていうニュースばっかりですよね。

西塚 僕は東京新聞だけど、斜め読みしてますけど書いてないですけどね(笑)。

ヤス 日本の新聞は書いてないと思いますよ、あんまり。やっぱり、ロイターとかウォール・ストリート・ジャーナルとかフィナンシャル・タイムズとか、ああいうところにいかないとわかんないんじゃないかと思いますね。だからおそらくですね、あらゆる意味で、次の金融破綻にいくような材料が出そろってきたんではないかなと思いますね。

西塚 日本に対する影響はリーマンの比じゃないんでしょうか? リーマンショックのときは、日本はそんなには影響がなかったですよね。

ヤス そうですね。

西塚 そういった意味では、今回はどうなんですか?

ヤス おそらく、特に今回はリーマンショック以上にね、直接的な影響は少ないんじゃないかと思いますね。ジャンク債絡みのCLOとかCBOであるとか、そういった金融商品を抱えてる日本の金融機関は、かなり少ないかなって感じはします。

西塚 直接の金融的なダメージはないかもしれないけども、破綻によるダメージはあるでしょうから、それによる世界の動きとか、メカニズムの破損なり、歪みなりっていうものの影響のほうがでかそうですね。

ヤス それはそうですね。アメリカは世界第2位のマーケットですから、今ね。

西塚 すみません、ちょっと急ぎでいろいろ聞いてしまうんですが、中国が脱貧国ということで、小康社会ですか、要するに2020年までに経済をよくすると。

シリア問題、夫婦別姓合憲判断

ヤス 習近平のね、新しい目標。

西塚 はい。これはヤスさんがおっしゃったですね、中国は経済が成長している間は安定するんだということにつながる、いい例だと思ったわけですよ。何が言いたいかというと、国にはいろんなこともあるけども、日本の中にも中国の脅威論ありますね。そういうことではなくて、国を持つということ、国を持つがゆえに、その国民とか人民の生活がある程度保障されるということ、そういうことで言えば、中国は必死にそれを求めてたわけで、習近平もとにかく経済の成長というものを第一番においているのだと。ヤスさんもそのことを強調されてた。だから僕は新聞の記事を読んで、本当にそんなんだなとあらためて思ったということを、ちょっと言いたかったんですね。やっぱりそういうことなんだと。

ところで、2020年までというのは何か意味あるんでしょうか? 2020年までに小康社会を築くと。脱貧困だと。今は格差がでかいというのもあるんでしょうけど、まあ期待を持たせると言うか、やっぱり人民側にもわれわれは何も恩恵を受けてないよっていうのもあるでしょうから、そう言ったんでしょうけどね。

ヤス そうですね。まさに経済で、この小康社会の宣言は何かと言うと、格差に基づいた貧困、これを2020年までに解消しますよということですね。だから中国人であれば、誰でもそれなりに食える社会を構成しますよと。言ってみれば、社会保障費の増額です。社会保障の制度をきちんとやって、それで誰でも食えていけるような生活水準を保障する社会を作りますよ、という宣言だと思いますよ。

西塚 そうなると、習近平政権は続きそうですね。

ヤス 僕は続くと思う。

西塚 まあ、暗殺とかされない限り。あとふたつくらいあるんですがウィーンでやった和平プロセスがありましたね。外相レベルで始まったみたいですが、要するにロシアとアメリカで、いわゆるシリアのISに関する空爆も含めてちょっとこう、お互いに理解し合えてなかったような関係性があったと思うんだけども、ここにきてロシアが、シリアのアサド政権がこれからどこに向かうのかというのはシリアの問題なんだけども、まあそのへんはアメリカのイニシアチブを尊重するみたいなことを言ったという記事を読んで、ちょっと今までの、オバマ何やってるんだ!とは違ってきたなという印象があるんですけど。

ヤス そうですね。アメリカのほうのアプローチの変化ですね、今は。

西塚 逆にアメリカが軟化したという。

ヤス そう。今までずっと言ってきたのは、アサド政権を打倒することが先なんだと。

西塚 それをちょっと保留にしましたよね。

ヤス 保留にした。だからね、今回はアメリカの態度の変化ですね、一番大きかったのは。むしろISの撲滅にプライオリティーを持ってきましたね、明らかに。

西塚 アサド政権と反アサド政権に対する交渉の場は持ったようですが、もちろんISは排除してますけどね、過激派は排除するんだけども、そこでプーチンは、でも決めるのはシリア国民だと。ちょっと譲歩と言うか、お互いに歩み寄ったという印象があるんです。

ヤス プーチンは前から一貫して同じことを言ってます。要するに、和平プロセスで一番重要なのは、シリア国民が選ぶべきなんだと。アサド政権は、私が擁護すると言うより、これはシリア国民の問題なんだと。外部にある国がですね、ひとつの主権国家の政権を潰すだのどうのこうのと言うこと自体が間違いなんだと。そういう言い方ですね。

西塚 僕は細かいことは言えないので、ただの印象なっちゃって申しわけないんですが、軍産複合体がシリアをぶっ潰したくて、ISを中心に援助してもっと混乱させようとしてたのが、ここでちょっとブレーキがかかってきたっていう印象があったもんですから。もちろん、いいことだなあと。

ヤス ここで、われわれがはっきり認識しておかなくちゃならないのは、オバマ政権は全然一枚岩ではないと。オバマと国務長官のケリーのラインと、国防総省を中心とした軍産複合体というのは真っ向からぶつかり合ってですね、本当に熾烈な闘争をしてるという状態だと思いますよ。

西塚 イニシアチブの取り合いと言うか、アメリカの中でもものすごく分裂してるってことですね。

ヤス 分裂してる。オバマとケリーは本当にISを潰したいんだと思いますよ。それに対して、現場の部隊を握ってる米軍の指揮官レベルとか、国防総省というのはやっぱりそうではないと。イスラム国はアサド政権を倒すような最大のツールであるとしか見てないってことですね。

西塚 前にも出たお話ですが、オバマの心の声としては、プーチンの空爆は、プーチンさんありがとうに近いと思うんですね(笑)。よくぞやってくれたと。これはこれで本当に面白いテーマなんですが、ちょっとおいときます。

あと最後は日本の話なんですが、例の夫婦別姓、あれはまあ民法の解釈として、最高裁の大法廷ですからね、これはもう判例として残っていくことになると思うんですけど、一応合憲としました。まあ、それぞれいろんな立場があり得ますが、女性が旧姓でもね、通称の名前として通るからいいんじゃないかとか言うんですけど、あのへんの話はヤスさん、個人的にはどういうふうにお感じになりました。

ヤス 夫婦別姓、何がダメなの?ってやっぱり思いますよね(笑)、そりゃね。何であんなところに国家権力が入って縛るんだって思いますよ、本当に。

西塚 そうかそうか、たとえば僕で言うとですね、いわゆる姓(かばね)って言うんですかね、今までそういう家族のシステムできたわけですね。だからあれは、僕は最高裁としては、ああいうふうに合憲としか判断できなかっただろうと思うわけですよ。

ヤス ああ、最高裁の判断はそうですね。

西塚 これから国民のコンセンサスとして夫婦別姓のほうがいいとか、別姓じゃないとすごい不都合が起きてきたときに、当然変わるんだろうけども。やっぱりいるんですよ、どうしても自分の名前が好きだから手放したくないと言って、実際に別れて、形式的に離婚して事実婚にしたりとかね。そういうケースがあるんだと、僕は今回のニュースで初めて知ったんですけどね。

そこまで名前にこだわるのはどういうことなのかなあと。これはまた別の問題になるかもしれませんけどね。出産のこととか、またいろんな法律でがんじがらめになってるわけですから、面倒くさいわけですね、あえて自分の名前で突っ張っていくことに関してはですね。たとえば、フランス人の識者が出てきたりして、フランスは夫婦別姓だけど別に問題ないと。別に自分が変わるわけでもないからって人もいればね。

今回、何が言いたいかと言うと、最高裁としてはそう言わざるを得ないだろうなっていうことと、あと個人的に夫婦別姓にこだわるというのもよくわからないってことと、あと今年は最高裁の判断がずいぶんと問われてきた年だなあということですね。今までなあなあで何とかなってきたようなことを自分たちで決めていくと。決定権を自分たちで持つのだという、ヤスさんも以前、民主主義の覚醒という言葉をお使いになってました。例の安保法制のときの話ですね。

そこまでの話にいかないにしても、今回も最高裁の判断ですが、何となく伝家の宝刀みたいにみんなが安心して思っていた最高裁自体も、実は裁判官15人ぐらいでやってるわけですから、あてには…

ヤス 今回、まあ5人が反対しましたよね。

西塚 してましたね。そういうものなんだっていうのがあぶり出されてきたと言いますか、そういった意味でも、お上(かみ)まかせじゃないような意識が動き出したと言うか、ここにきて12月のギリギリですけど、ひとつの象徴のようにも思ったわけです。ちっちゃいですけど。無意識のうちに依存しているかもしれない最高裁判所というもののある種の危うさ、いい加減さみたいなものも見えてきたのかなと。夫婦別姓に関してと言うよりも、そういうことをお聞きしたかったんですが(笑)。

保守と革新とは何か?

ヤス ああ、なるほど。たとえばね、意見はいくつかあって当然だと思うんですけど、どの社会、アメリカでもフランスでもね、イランでもドイツでも、世界どこでもそうなんですけど、中国でもね、やっぱり保守層っていますでしょ? 保守層って何だと思います?

西塚 今までの文化を守るという人たちなんじゃないでしょうかね。

ヤス そうですよね。本来の保守、右翼じゃないですよ、本来の保守って何かと言うと、やっぱりわれわれに綿々と続いてきた伝統的な文化は大事なんだと。これは守る。じゃあ、綿々と続いてきた伝統的な文化を守るとはどういう意味なのかと言うと、人間の意志によって簡単に変更してはダメだということなんだと。

それはどういうことかと言うと、われわれの生きてる社会は、実はひとりひとりの人間の意志を超えた超越的な何ものがあるんだという実感ですね。社会全体がね。それが神かもしれないし、何かよくわからないけども、家なのかもしれないし。ただ、やっぱりそれは人間の意志力を超えた超越的な何かの実体があるんだと。それは侵すべからざるものなんだという考え方。それが、保守層といったような人たちに共通したものではないかと思うんですね。

それに対して、保守ではなく、革新とかリベラルな人たちというのは何かと言うと、社会というのは基本的にルールによってでき上がってるものだと。全部ね。だから、ルールというのは社会を構成している人間の意志によって、どうにでも変えられるんだという考え方ですよね。そういうリベラル派の人たちは、社会というのは超越的なものとは思ってないわけですよ。

そうするとリベラルと保守の間、その奥底にあるのは社会の感じ方の違いでしょう。保守層というのは、社会といったものの中にですね、個人から独立した超越的な何かのささやきとか、動きであるとかね、超越的な何かの振る舞いを感じながら生きてるということですね。それに対してリベラルはそうではない。すべての人間の意志に委ねられて、作り上げられる秩序なんだっていうことです

西塚 そうなるとどうしても、僕は中道をいくとしか言いようがなくなるんです。

ヤス 中道としか言いようがないんですけど、言ってみればね。われわれというのは、この議論はほとんど誰もしたことがないと思うんですね。こういう実感の仕方ということに関しては。保守がどうだリベラがどうだってことで、ひとつひとつの個別的な案件に縛られた議論が多いと思う。

たとえば夫婦別姓にしたってね。いいか悪いか、なぜ個人の権利に国家がそこまで介入してくるのかというような話とか、いやいやこれは社会全体の秩序を乱すからとか。社会全体の秩序とは何なのかと。あなたの感じる秩序はどういうものなんですかというとね、それは今言ったように社会の実感の仕方にいき着くと思いますね、ひとつはね。

西塚 そうですね。以前の対談でもですね、かなり初期に社会の感じ方の違いというような話がありました。ヤスさんの新しいご本にもありましたね。そこはまさしく、ある種核心にも触れるんだろうと思います。その感じ方は変わる、あるいは変わり得るということでしょうね。

たとえば、ある種すごく極端な保守と革新があるとして、保守があまりにも硬直するとしますね。国や地域の慣習とか、伝統とか文化といったものにこだわり続ける結果、硬直化していって、現在生きてる人々に合わなくなっていくということが起こり得るわけですね。

逆に革新も、そんなものは違うんだと言ってどんどん壊した結果ですね、今まで何となくうまくスムーズにいってたものまでもぶっ壊して、全部条文化していって規律化していくときに、人間はそんな無限に規律を作っていくわけにもいかないので、どうしてもおかしなことになってきて、場合によってはすごく悲惨なことになるので、やっぱりその真ん中、そういう今までの慣習的なものも尊重しながら、でもニーズとか時代に合わなくなったものは変えていこうよというような、そういうコンセンサスみたいなもの、すごくベタで俗っぽい言い方ですけど、それしかないと思うんですね。

いろんなレベルにおいてそれしかないと思うんですが、それしかないということを保証するものは何かってことなんですね。

そこで僕は、ビリー・マイヤーまで一足飛びにいくわけにはいかないんだけども、それしかないよねと言ったときに、じゃあ何でそれしかないんだと。そのときの説得材料というか、みんなも本当にそれしかないよねと思うための機軸、考える拠りどころでもいいんですけどね、そういうものが必要だろうというところで、ビリー・マイヤーだけではなく、今までスピ系と言われてきた文献なり人物の中にも、いろいろ書かれたり発言されたりしているものがあって、それらを抽出していって、検証していく、話し合っていくというところに意義があるのかなと、個人的には思ってるんですよ。

ただ僕が思ってたって、それは全然違うよということもあるので、ヤスさんなどにもそれは違うよと言ってもらうとか、あるいは読者のみなさんも含めて、それは全然違うよとか、インチキだよという、いや、でもそうじゃないんだよというようなね、その話し合いの中でしか、やっぱり落ち着いていかないような気がするんですね。少なくともそういう作業は絶対に必要だと思うんです。じゃないと誰かが決めるしかなくなってくるじゃないですか。でも楽なんですけどね、それは。だから独裁者とかも出てくるんだろうけども。

ヤス その話に絡めて言うとね、この保守と革新の対立というのは、いわゆる社会の実感の仕方というところに焦点を当てると、だいたいどこから始まったかと言うとフランス革命ぐらいからだと思うんですね。現代の意味での保守と革新といったものが現われてくる。

たとえばフランス革命で出てきた啓蒙主義とはどういうものか。ルソーであるとかね、ロックもそうですけど、基本的に社会というのは人間の意志によってすべてデザイン可能だって考え方ですよ。多くの人たちが集まって討論をしてルールを決める。そうすることによって社会全体を作ることができるんだと。したがって社会というのは人間の意志によってデザイン可能である。だとすれば、一番理想的な方向で社会をデザインすべきなんだという考え方ですよね。

このような考え方から何が生まれてくるかと言うと、極端な暴力が生まれてくるってことなんですね、ひとつはね。これは、たとえばスターリニズムとかレーニン主義とか、初期のマルク主義にもかなり通ずる考え方です。ポルポトもやっぱりそこから出てくる。社会というのは徹底的に人間の意志と理性によってデザイン可能であると。それで、もしうまくいかなかった場合は、必ずそこにノイズと言うかね、自分たちが設計した理想の社会に楯つくような、よからぬ輩がいるからだと。そいつを排除せねばならない。

それから、デザインしたとおりに人間が動くのが当たり前なんだと。動かなかった人間は動くようにせねばならない。そうした人間はコントロールし、圧力をかけるという強大な暴力が生まれてくるわけですね、基本的にはね。そのような見方、社会を人間の意志によってどうにでもデザイン可能なものとして、抽象化して見る。人間というものをとことん抽象化して見るという見方。これは巨大な暴力を生む源泉になるということ。

保守と革新の中道をいく「個」の確立

西塚 そのとおりだと思いますね。そこで悩ましいのは、似たような話は何回もしてますが、安倍が出てきたときにですね、そんなね、押しつけられた美しい日本だか何だかはごめんだという人も中にはいるわけですよ。われわれは、われわれの好きなように社会を作れるんだと。その力はわれわれの中にあるというのは、それはやはり基本じゃないですか。

ただ今おっしゃったように、とことん抽象化していって、それこそポルポトまでいくような危険性をもちろん持ってるんだけども、だから何が問題かと言うと、革新であったものが保守化していくってことだと思うんです。だからそれは、ある硬直した、動脈硬化を起こしたような保守のアンチとして革新が出てきたにもかかわらず、それがまた保守化していって、硬直化していって、またひどいことになるという。

僕は、本当にそういうことを人間はやりかねないんだから、これは何か考えようねっていうふうに思えばいいだけであって、じゃあそのときの基軸は何かと言ったときに、まあビリー・マイヤーとか何とかという話になるんだけども。だから人間を超えたもの、おそらく革新には革新の、人間の理性とか何とかに対するものすごい傲慢さと言うか…

ヤス 傲慢さじゃなくて理性に対する盲信ですよね。

西塚 盲信がある。しかも保守だったら超越的なものに対する、それこそ同じような盲信があるし、あるいは依存があって、神がこういうふうに言ったんだからこうなんだといったものが同じようにある。その極端さ、両極北と言うか、そこにものすごくおかしなことが起こる原因があるような気がします。

それを中立化する、中道化させる基軸になるものがやはりあるはずだろう。それはそうしたものを超えたものなんだろうし、かと言って保守派が求めてるような超越ではないし、革新派が求めてるような、成文化、条文化されたような言葉でもないという気がするんです。

だから、まだ僕なんかには何もわからないけども、ヤスさんが言ってる社会の実感の仕方にもかかわってくるような気がして、そういう超越的なもの、極端な保守と極端な革新が危ないとしたら、それを超えるものは何のなのかと言った場合に、どうしても実感とか感覚というものが出てくるんですね。でも当然、書いてあると言うか、文章化されたものも必要なんだろうけども、やっぱり体感する、実感するという作業が一致してないと、みんな共感もしないでしょうから、おかしなことになる。僕はそこはですね、ある機軸を打ち立てて、とりあえずですよ、仮定でもいいから。そこで話し合っていくしかないと思うんですね。

しかも、これは語弊ありますかね、良質な話し合いと言ったらヘンですけども、何て言うかな、極端にいくのではなく…僕なんか特にプライベートでヤバいし、ヤスさんに実はバレてるんだけど、そういうものだという、危ない、ほんとに怪しい、いいかげんなものだよと自覚した人間が探っていくという、手探りのもの。その動きの中にしか現われてこないような何かだと思うんです。何か文学的な言い方ですが。

ヤス いえいえ、たとえばレーニンの本がありますね、『帝国主義論』であるとか、レーニンはいっぱい本を書いてますけど、どの本を読んでも人間の感情に関する話、情に関する話はゼロですよ。とことん社会のデザインに関する話ばっかりですよね。言ってみれば、マルクス主義の著作はだいたいそうですね。『資本論』なんてすばらしい本だけれども、ひと言で言えば、社会がどういう機構で成り立っているかというシステムに関する話で、そこでは人間の感情とか感性といったものは、従属変数としてもう切り捨てられてますよね、ほとんどね。

実は感情であるとか、感性であるとか、その従属変数のほうが場合によっては巨大なんだと。歴史を変動させていく巨大な変数なんだというような理解は、基本的にないです。まさに人間というのは社会の産物にしかすぎない。だから、社会のデザインを変えることによって、実は人間も根本的に変えられるんだといった感じですね。それがリベラリズムといったもののいき着く、ひとつの極北なんだと思いますよ。

西塚 そうですね。その結果、もう抑圧されて抑圧されて、ずっと沈殿しているものがあるわけですね。それがあるとき噴出してとんでもないことが起きる。

ヤス とんでもない。それは感情とか情意の世界ですけどね。じゃあ、保守にしたってどうなのかと言うと、すべては超越的なものが作り出した、変えてはならない何かになるわけですよ。そうするとですね、恐ろしい停滞を招きます。停滞を招くと同時に、同じ感性を共有しない者、すなわち超越的なものを感じられない者はどんどん排除していくと。そして感じるようにしてやると(笑)。そういったタイプの暴力が働きます。安倍的な暴力だと思いますよ、これはむしろね。

西塚 まさしく。そこで僕は今思ったんですけど、ヤスさんがずっとおっしゃってきた両方に何が一番欠けているか、あるいは何が一番抑圧されてるか、抑圧されてると言うか、毀損されると言うかなあ、傷つけられるかと言うと、やっぱり個なんですね。

ヤス 個です。そうなんです。

西塚 そう思いました。完全な核心であって、人間であるから情とかいろいろあるはずなんだけど、それを全部排除していって、本当にクリアにクリアに、美しい理論をまとめ上げることもできるんだけども、そのとおり行動せよ的なもの。そこに個はないですね。ある種システマチックなものに個を合わせるしかないし。ましてや安倍的と言うか、ものすごく保守的なもの、わけのわからない超越的なもので世界が成り立ってるんだから、そこに帰依する、あるいは依存するしかない、そこに恃むしかないというふうなものも、やはり個の消滅ですよね。

ヤス そうです。

西塚 となると、やはりどうしても個ですね。個がどう立ち上がるかという。立ち上がらざるを得ないし、立ち上げられるか。その方法論なり、どうやってちゃんと自分の個に、個にしかない力にアクセスするかというところに帰ってくるしかない。

ヤス そうです。やっぱりこのリベラルの流れの極北というのは、今言ったように、社会はすべてデザインできるもので、その中に個を埋め込んでくる。したがってそこには個がなくなるってことですね。その一番先鋭な形で現われた思想というのは、ポスト構造主義とかいうものですね。やっぱり現代思想だと思いますよ。現代思想は端的に言うと、もう人間の脳の中身まで、人間の主体性、私という意識までね、実はこれは社会の言語系が作り出した産物なんだと。

西塚 そうですね。構造とかシステムでしか見ないってことですね。

ヤス とことん個というものを解体していくわけです。じゃあ、それに対して保守と言うか、アンチテーゼになり得たような思想はどういうものがあったかと言うと、アナクロニックな宗教性を持ってきたりするわけですよ。いや、社会全体は実は神様が創り出したものであるとかね。または、人間自身が実は神によって創り出されたものであるとか。それは超越的なものに対して個を解体していくような、別なルートを切り開くわけです。

西塚 いずれにしろ個の消滅であり…

ヤス 個の消滅。だからおそらくですね、これはビリー・マイヤーの話に戻ってくるんだけども、われわれの内面にあるのは、実は現実そのものの構成力を持つような個なんだと。現実そのものを構成する力を持つ個というね、個の内部に潜在的に眠った構成力に焦点を当てた個の捉え方といったものは、今までにあまりなかったんですね。それに基づいた個とはどういうものかということを、もう一度再構成されるべきなんだと思いますよ。

西塚 本当にそうですね。再構成なり、再定義なり、まあ柔らかく言えば、もう一回考え直そうということですね。

ヤス そうです。それから何が見えてくるか。それをひとつの基準としながら、保守の人たちが言ったような超越的なものの実体は、基本的に何だったのか。それをもう一回問い直すという作業はすごく重要だろうと思います。

西塚 重要ですね。実際その極端な革新であれ、保守であれ、みんな基本的には個で生きてるはずですから、その個が作り出した中の産物であって、それはそれで簡単に否定し去るんではなくて、やはり検証なり、どういうメカニズムが働いて、個であったはずなのに、どうしてそういうところへいくんだろうということも含めて、われわれ人類は膨大なサンプルを持ってると思うんですよ。歴史的な事実にせよ、あるいは書かれたものにせよ。それは宗教的なものでも、聖書みたいなものでも神話でもたくさんあると思うんですね。

それを全部取り扱うことはできないかもしれないけども、個を取り戻すということで言えば絞っていけるので、ビリー・マイヤーは今のところその最たるものなんだけども、僕もそのへんもうちょっと具体的に出しながら、照らし合わせてですね、ヤスさんに質問をぶつけながら…

ヤス ええ、僕でよかったら。

西塚 ひとつひとつやっていきたいなあと思うんですね。

ヤス
 個というのは、いわゆる自我ではない。それはユングの言う自己、大文字のセルフに近いものだと思いますね。

西塚 もう一回読み直して勉強しないとなあ。やっぱりユングはちょっと、大事ですね。

ヤス 大事だと思います。やはり非常に大きな原点だと思いますね。ユングは、ヒットラーの狂ったナチズムが荒れ狂うときに、その狂った津波に巻き込まれないようにどうするべきかといったとき、人間の内部にある大文字のセルフに働きかけろと。それで人間ひとりひとりがユニークに生きたいという、個性化というプロセスがあるんだと。その個性化のプロセスに忠実に生きることがひとつのブレーキになるということを言うわけです。この津波の中でね。

西塚 ユングは大事なんだけども、フロイトがいないとたぶんユングも生まれなかったのかもしれない。フロイトは無意識というところで面白い理論を打ち立ててくるんだけども、ちょっとシステマチックと言うんですかね、いわゆるユング的なものにいかないで、どうしても西洋的な近代的合理性と言うか、そっちのほうで解釈して収めたかったようなタイプの人かなあと僕は思うんです。そこにユングが出てきたというね。そこは押さえておきたい気がします。

ヤス だから、やはりその個に働きかける個の超越的な力、現実の構成力がある個といったものをもう一回、文学でも思想でもね、政治学とか経済学とか、そういう分野でもそうだと思うんですけど、いろんな分野の中でもう一回再構成するということはすごく重要なんだと思います。本当に。

西塚 わかりました。次回から、今世界で何が起こってるかということをやりながら、もうちょっと今のお話に結びつけるような形でお話しできたらなあと思うので、おつき合いいただければと思います。今日はありがとうございます。お疲れ様でした。

ヤス こちらこそ、どうもどうも。

Commentコメント

お気軽にコメントをお寄せください

メールアドレスが公開されることはありません。