だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

世界の創造~ゼランド編⑪

ゼランドによれば、人は罪悪感によって創り出したエネルギーの偏りを散らすために、ひとつの方法を考案したという。

それは “許しを請う” ことだ。

罪悪感を持っているということは、ネガティブなエネルギーを溜め込んでる状態で、エネルギーの偏りを形成している。許しを請うことで、その偏りが徐々に解消されるという。

自分の過ちを認めること、罪の許しを神に祈ること、懺悔することなど、これらはすべて偏りを解消することなのだ。

都合のいい話に聞こえるが、人は何らかの免罪符を自分で自分に交付することによって、自分で自分にもたらした罪による責めを解消し、気分を楽にすることができる。

ここで重要なのは、過ちに対して許しを請う権利は、一度限りだということだ。

だから、自分の外部や他人に許しを請い、従属関係を築いてはならない。

前回に伝えたようなエナジー・ヴァンパイアのようなヤカラは、意識的か無意識かに関わらず、その機会を待っており、彼らは相手に過ちを何度も思い出させ、罪悪感を維持させようとする。これは、ヤクザや悪徳金貸しなどがよく使う手だ。

彼らの兆発に乗ってはいけない。

また、罪悪感にはふたつの側面がある。それは、“権力” と “勇気” だ。

罪悪感を持っている人は、 罪悪感を持っていない人々の意志に常に従う。

“罪を犯してるかもしれない” という認識を潜在的に持っていると、無意識のうちに罰を受ける準備をしていることになり、つまりいつでも服従への用意があるということになる。

逆に、自分には罪悪感がまったくなく、他人を犠牲にしてでも自己肯定をする欲求がある場合は、前回のようなヤカラと同じ仲間になる準備があるということだ。

ここで断っておかなければならないのは、人間は 2 種類に分かれるということを主張しているのではなく、“罪悪感” のもたらす法則性について検証しているにすぎないということだ。

もひとつの側面の “勇気” は、罪悪感に対する強い味方だ。

“恐怖” の本質は潜在意識にあって、その原因は恐怖する対象だけではなく、罰を受けるという恐怖にもある。

この “罰を受けるという恐怖” のニュアンスは、キリスト教文化圏の人間と日本人では多少隔たりがあるかもしれない。

ゼランドはロシア人だが、ロシア正教を信じてるかどうかはわからない。しかし一般論としても、“罰に対する恐怖” というものへの理解は、西欧人やロシア人のほうが日本人よりははるかに深刻にあると思われる。

だから、この “罰を受ける恐怖” という言い方には、個人的にも若干の違和感を覚えるが、まあわからないわけでもない。日本人にももちろんキリスト教信者がいるが、多くの人にとっては、お天道さまが見てるとかいったたぐいのどちらかと言えば “罰” よりは “ばち” のほうがなじみがあるだろう。そもそも “罪悪感” とか “罰” といったものに対する感覚は、西欧人やロシア人と日本人では大きく異なる。

また話が逸れるので戻すと、要するに自分に “罪がある” と思っていれば、潜在的に罰を受けることに同意していることになるので、それゆえに恐怖するということである。

真に “勇敢” な人々は、良心の呵責に苦しむこともなく罪悪感に苛まれることもない。なぜなら、自分の内なる裁判官が自分は正しいと太鼓判を押してくれるからだ。

一方、臆病な人々は、自分が正しいかどうか自信がないので、非難されればそうかもしれないと思う。

いずれにしろ、罪悪感はどんな些細なものでも、またどんなに心の深みにあっても、罰を受けるために潜在意識の扉を開けることになる。

だから、罪悪感を持っているということは、まったく罪悪感を持たず、他人を踏みにじってでも自己肯定しようとするヤカラ、ならず者、略奪者に対して、自分を襲う権利を与えることに同意しているのだ。

だから、恐怖する。

だから、罪悪感は持ってはいけない。

わたしたちを裁く権利は誰も持っていない。わたしたちはわたしたちでいる権利を持っている。わたしたちがわたしたちでいることをわたしたちが容認できれば、弁明する必要も罰せられる恐怖も吹き飛ぶ。

そうすれば、誰もわたしたちを侮辱しようとはしなくなるだろう、とゼランドはいう。どこにいようとだ。

牢獄、軍隊、強盗団、職場、裏町、酒場などなど、誰かが私たちを暴力で脅すような目に遭うことはまったくなくなるという。なぜなら、潜在意識から罪悪感を追っ払ったからだ。

また、別の言い方をすれば、今いる人生ライン上では、罰を受けるというシナリオが存在しなくなるからなのである。それだけのことだ。

この罪悪感に関しては、まだまだゼランドは興味深い話をしているが、おおよそはそういうことだ。

まだまだ私たちはには、検証すべきことが残っている。

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