だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

天と地と

今日の東京は肌寒い感じもあって、
街なかの半袖の人を見てもどうも寒そうに見えたりして、
何だかしっくりこない天気だったな。

とか何とか思っても、気をとりなおして心が晴れれば、
空のほうも本当に晴れたりするなどと言うと、
またはじまったよバカのたわごとがと言われそうだ。

天気の話をするといつも思い出すので、ついまた書くわけだが、
水の結晶写真で世界的にも有名な江本勝氏の話に“雲消し”がある。

江本氏のことは知ってる人は知ってるだろうが(当たり前だ)、
水の研究家みたいな人で、
水に向かって「バカ」とか「死ね」みたいなネガティブな言葉や、
反対に「ありがとう」とか「愛してる」といった言葉を語りかけ、
その後、その水の結晶を撮影すると、
ものの見事に語りかけた言葉に対応した結晶ができることを発見した人だ。

ネットで検索すればそういった写真はいくらでも出てくるだろうから、
ここには貼り付けないが、とにかく「愛」のような肯定的な言葉に反応した結晶は、
カットされたダイヤモンドやクリスタルのような、
整然と輝く六角形のきれいな結晶になる。

反対に否定的な言葉だと、それはそれは気持ちのわるいぐにゃっとした、
だらっとした、六角形にもならずにというか結晶にさえならずに、
細胞が溶けたような形や、バラバラに分裂したものになる。

これを最初に見たときは驚いた。
2010年前後だったかと思うが、これが本当だとしたら、
これは由々しきことだと思ったのである。

人間の体は70%くらいが水だとされているわけだから、
言葉しだいで水の結晶が変わってしまうなら、
「お前はバカか!」とか「アンタなんか死んじゃえばいいんだわ」とか、
「これ、明日までにやっとけよ!」と、
絶対にできそうもない仕事を上司に押しつけられるとか、
「だからダメって言ったでしょ!」と叱られまくるとか、
そうしたもろもろのネガティブな言葉を浴びせ続けられている大人や子どもの体は、
やがてぼろぼろになっていくということは明らかではないか。
そして、それはおそらく心にも影響するだろう。
だから、これが本当であればものすごい発見だと思ったわけだ。

というか、江本氏の話ではなかった。
その江本氏が話していた“雲消し”の話である。

これは誰でもできるのだ。
私もできたから、そう言うのである。

こういうことだ。
空を見て、あ、雲があると思う。
実際に雲があるわけだ。
いろいろな雲があるが、その中の適当な雲をひとつ選んで、
その雲に意識を集中させさながら、
「雲が消えました。ありがとうございました」と過去形で感謝する。
言わなくても、心の中で思ってもいい。
するとその雲は消える。

やってみればいい。本当に消えるから。
その理屈に関しては、いろいろなことを言う人がいるだろう。
でも、肝心なことは、実際に消えるということだ。

でも、これは意外と昔から知られていることらしく、
学校で“雲消し”が流行って、みんなが授業中に夢中になってしまって、
“雲消し”が禁止になったという話すらある。
まあ、先生方にとっては“雲消しごっこ”だったのだろうが。

…ちょっと近所の立ち飲み屋で飲んできて、
この記事を書いているので、
興に乗りすぎてるところもあるように思うが、
まあいいだろう。

だから、天気も人の心の中の状態によって変わるということだ。
もっと言えば、変えられる(かもしれない)ということだ。

これはネイティブアメリカン系をはじめアジアの国々、
中国やインドで言い伝えられている話の中でもよくある話のようである。
つまり、気象の変化と人間の心の動静との関連は、
古くからあちこちである種前提とされていたのであり、
そうした文献が数多くあるということだ。

13世紀日本の真言律宗の叡尊にしても、
元寇に対して7、800人の僧を集めて調伏を念じ、
ついには神風を吹かせて、元寇を追っ払ったという史実がある。
日蓮にしても、ネイティブアメリカンのローリングサンダーにしても、
雲を操るというか、操ったとしか思えない記録はいろいろあるわけだ。

だから、私がこれまでも書いてきたように、
優れた実践的哲学書だと思っているゼランドの本でも、
人の心(=マインド、思考、感情、その他それに近いニュアンスのものを多く含むが、その腑分けに関しては近く、ちゃんとやる。というか、その混同自体が実は多くのスピ系問題の根本原因と言ってもいいのだが、ここではコーナー的にも紙幅が足りないので論じない)の“揺れ動き”が、
“気象の擾乱”とのアナロジーとして語られているわけである。

実際、人の心の中の動きを気象変化とのアナロジーで考察するということは、
かなり“いい線”いってると思う。

これも前に書いたが、飛行機に乗ったことがある人ならわかるだろうが、
飛行機の中から外を眺めると、
雲というのはいろいろな階層(レイヤー)でたなびいていて、
そういった階層から外れて、
単独でぽっかり浮いている雲というのはあまりないことを知ってるはずだ。

つまりそれぞれの高度は違うにしても、
雲はそれぞれの高度で、グループとしてひとまとまりになって広がっている。
もちろん気象学的には説明できることなのだろうが、
私は調べてないのでわからないし、またそういうことを言ってるのではない。

ただ、映画『マトリックス』シリーズの最後の作品のシーンにもあったように、
雲の上に出れば、そこはただ太陽の光がふりそそいでいるだけの穏やかな空間なのである。
そしてその雲の下では、雨がそぼ降るくらいならまだしも、
ヘたすりゃ雷鳴轟く大嵐なのだ。
雲の上と下では“天と地”の違いがあるということだ。

だから“雲消し”だ。

そして雲は自分で消せるのだ。
雲が消えれば、太陽が燦々とふりそそぐ。
自分の心の中の雲も同じだ。
というか、見上げた空にある雲も、
自分の中にある雲も同じだ。
というのが言いすぎなら、連動してるくらいでもいい。

そして古代からそうしたことをこと細かく綴っている本があり、
でも、ないがしろにされてきており、
今ではすっかり、おとぎ話ならまだしも、やれオカルトだ、
インチキだ、キチガイだといわれるようになってしまったのである。

しかし、それでも大事なことは、
いまだにちゃんとそうした古代の叡智、
つまり人類の叡智を現在まで引き継いできている流れがあり、
そうしたことを担っている人たちがいるということだ。
世間には知られていなくても。

ちょっと酔ってるな…
この流れでまた次回。

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