何だか、貴乃花親方も本気モードになってきたな。
と言うか、あの人はいつもマジな感じはあった。
ガチンコなのね。

しかし、相撲協会もいろいろ隠ぺいしているわけだ。
で、その隠ぺいによる恩恵にあずかっている連中によって支持されている。

何で、何とか協会ってのはそういう構造になってしまうのか。

それぞれの協会の成員の「思惑」がひとつの構造体を生み出すからだ。そしてその構造体が今度は成員たちの思考、感情をのっとる。

これはどんな組織でもそうで、人間が3人以上集まるところでは必ず蠢き出すメカニズムなのである。

でも、そのメカニズムに嵌らないというか、やがてはメカニズムを叩き壊しにかかるメカニズムも動き出す。

時間の流れにおいては、叩き壊すメカニズムが作動するほうが遅れてやってくるが、それはもっと大きなタームにわたって働いているメカニズムの一環で、よくないメカニズムが作動するとしばらくは様子を見るが、あ、こりゃダメだとなれば、それが働き出す。

「よくない」という意味は、存在しようとしているものが存在できなくなるということだ。

日本レスリング協会にしても、伊調選手にパワハラ?

前回の話しではないが、本当に何を考えているのかわからない。何なんだろうか。おそらく、伊調選手が何かしら本部長とやらの気に食わないことをしたということだろう。一連の報道からではそれしか考えられない。私には。

オリンピックで4連覇している選手が練習できない、少なくともしにくいなんてことがあっていいのだろうか。東京オリンピックはもう目の前だ。練習できないでどうする。それも、一番、選手を応援、サポートしなければならない立場の人がハラスメントとは。

モリカケ問題も、そうした体質のトップあたりで起きてるということにすぎない。すでに死者まで出ているじゃないか。痛ましい…

いいかげん、もうこういうことはなくさなければならない。
不毛すぎる。

発端はすべて、人の「内面」からくる。「心」でもいいし、「精神」「意識」あるいはこの際「感情」でもいい。その内面の仕組み、傾向、メカニズムとまでいかなくても、どういうときにどういう働き方をするのかを知っていれば、こういうことは起こらない。

いや、起こるかもしれないが、少なくとも起こり方が変わってくる。

内面のことを知る人が多くなればなるほど、たとえば相撲協会の連中や、レスリング協会のいち本部長や、金の亡者たちと接する官僚などが、おかしなことをしようとするそばから、周囲の人がたしなめるだろうからである。

おかしなことの初発からたしなめる人が周囲にいればいるほど、ことは起きにくくなるわけだ。たしなめようとする人が少数派だから、多勢に無勢だから、たしなめようとする人が声を出せなくなっているだけだ。

たしなめようという内面の声を持っている人は、必ずいる。

基本的なことを確認すれば、

「無限」の概念がある限り、宇宙は果てしなく広がっている。
また目の前の空間、真空中には、素粒子がポッと出現しては、パッと消えている。

宇宙の果て、何千億光年、何兆年光年、何京年光年…
素粒子の内部へ、何千億分の1ミクロン、何兆分の1ミクロン、何京分の1ミクロン…

宇宙の内部に立てば、宇宙は永遠にあり、外部に立てば、宇宙は一瞬のことだ。

時間を直線で考えれば、直線の片方には無限の過去があり、もう片方には無限の未来がある。直線上の点の前後には無限の時間がある。

点を前後に移動させてもことは変わらない。

点はどこにあっても、前後には無限の時間がある。

点はどこにあっても時間の中心にある。

宇宙にいるものたちも、外部には永遠があり、内部には一瞬がある。私たちは永遠と一瞬のはざまにいる。つまり永遠と一瞬と同時にある。

人生はこの世限りだ。

前世はあるかもしれないが、あったとしても私たちにはその記憶がない。
来世もあるかもしれないが、死ななければわからないから、やはり今はわからない。
だから、私たちには今のこの人生しかない。この世の記憶しかない。

だとすれば、人間の一番切実な欲求、欲望とは何だと思いますか?

ちなみに、前世の記憶があるという人もいる。未来を見てきた人もいる。私もそういう人を知っているし、仲もよかったりする。

地球外生命や高次元生命の存在を知っている、という人もいる。
世界に大勢いる。

中には、それはちょっと…という人もいる。

そういう情報も精査すればおのずと信ぴょう性の高い順に絞られ、ジャンル分けされ、さらにいくつかのパターンが浮かび上がる。

そういう情報の中に、人間の切実な欲求に関する情報があり、それはなぜか、いまだにきちんと検証されていないのである。

4 thoughts on “きは基本のき”

  1.  西塚裕一様

    「よし!わかった」と「きは基本のき」を拝読し、あるイメージが生まれました。それは、一種荒唐無稽な詩のようなものです。タイトルをつけると「本音からホンネへ」となります。

     遙かな昔。それは、太古と呼ばれる地球時代を遙かに遡る昔。その頃の地球に、宇宙創造プログラム推進会議から派遣された第一次地球創造プログラム推進先発隊の皆様が到着し、物質界とアストラル界の波動域が未分化の地球において、あれも整えないと、これも整えないと、それも整えないと、という状況のもとで、大変なご苦労を乗り越えながら、(多層的な和をコア・システムとする)現在の地球の文化と文明を築く土台を整備していかれた時代。

     その頃は、皆様、「本音と建て前」という具合に使い分けを必要とする本音ではなく、純粋に、地球創造プログラムを推進するというホンネをお持ちになっておられたと思います。

     ところで、「本音と建て前」の、絶妙な使い分けは、浮き世の知恵だと思います。表面上、取り繕うことで、ま、そんなとこですかね、と暗黙の合意が生まれて軋轢が縮小されると思います。腹の探り合いは、続きますが。

    「となれば、人はある程度は相手の考えてることがわかったほうが安心するし、自分のこともなるべく相手に伝えたほうがいいということだ。」

     このご指摘に従いまして、ここで、唐突に、今回のコメントの主題が急浮上するのであります。

    「そろそろ、ホンネでいこうじゃないの」という声が、地球各地の皆様の心の中に、集合無意識のネットワークに支えられて「もう、その時期じゃないの」という具合に、(皆様の多種多様な個性に基づく、多種多様な思いとして)生まれ始めているのではないかと感じます。

     第一次地球創造プログラム推進先発隊の皆様が、「よしっ、やるか!」と気合いを入れてプログラムを実行し始めた頃から、現在までの、地球人類の歴史を俯瞰しますと(詳細なデータなど、いっさい持たないままでそれをやるのですから、このコメントは、やはり一種荒唐無稽な詩のようなものです。)

     それは、膨大な時間の集積になるのですが、西塚さんは、実に鋭い直観力で、その膨大な時間の物語を圧縮し、「よし!わかった」というタイトルのもとに(表面上は、現代のお話として)まとめてくださったように感じます。

     いつの間にか、ホンネが忘れられ、「本音と建て前」が交錯する物語が積み重ねられていったと思います。その「本音と建て前」には、地球人類の多種多様な「本音と建て前」もあれば、地球を訪れた、地球外知的生命体の多種多様な「本音と建て前」もあって、それらが交錯していったと思います。

     なので、「そろそろ、ホンネでいこうじゃないの。第一次先発隊のビジョンと、今の地球のありようは、相当ズレているんじゃないの」という声が起こり始めたと思います。

     ホンネでいくためには、「意識=思い」を根本から整備し直さなければなりません。その手がかりは、バラバラに地上に存在するようです。それらを、整理し、検証し、役に立つビジョンとして組み立て直さなければなりません。西塚さんの、次のお言葉は、その必要性を、強く感じておられるようです。

    「そういう情報も精査すればおのずと信ぴょう性の高い順に絞られ、ジャンル分けされ、さらにいくつかのパターンが浮かび上がる。/ そういう情報の中に、人間の切実な欲求に関する情報があり、それはなぜか、いまだにきちんと検証されていないのである。」

    「だとすれば、人間の一番切実な欲求、欲望とは何だと思いますか?」

     それについての答は、複数あると思いますし、また、(多様な個性が調和していくためには)複数の答が、ぜひ必要だとも思うのですが、私の答は、次のようになります。

     ホンネを生きること。

     好本健一

    1. 好本様

      コメントありがとうございます。

      大変、興味深いお話ですね。
      どのようにしてひらめいたのでしょうか?

      ほとんどそのとおりではないでしょうか。

      私も荒唐無稽なことを申せば、
      今は第7次という情報もあります。

      「大変なご苦労を乗り越えながら、(多層的な和をコア・システムとする)現在の地球の文化と文明を築く土台を整備していかれた時代」

      から、

      「いつの間にか、ホンネが忘れられ、「本音と建て前」が交錯する物語が積み重ねられてい」

      き、

      「その「本音と建て前」には、地球人類の多種多様な「本音と建て前」もあれば、地球を訪れた、地球外知的生命体の多種多様な「本音と建て前」もあって、それらが交錯して」

      きた結果、今、

      「そろそろ、ホンネでいこうじゃないの。第一次先発隊のビジョンと、今の地球のありようは、相当ズレているんじゃないの」という声が起こり始めた」

      わけですね。

      まったくもってそのとおりだと思います。

      ずいぶん前から(おそらく2000年に入って)そのような機運が地球上ではせりあがっていて、
      それはそれぞれの内面で「オルタナティブ」、つまり「第3の道」「別の道」という形で志向され、
      今やその流れが社会的インフラにまで「オルト◯◯」として浮上してきたということだと思います。

      人間の切実な欲求として、

      「ホンネを生きること」

      はまさにそのひとつですね。

      問題は各自の「ホンネ」の内容です。
      これがなかなかややこしいわけです。

      人間に限らず、動物、植物、鉱物、
      この世に生きとし生けるものの切実な欲求は、
      「現実を意のままにしたい」
      ということです。

      この言葉のニュアンスだけでは、
      素直にうなずけないものがどうしても出てきますが、

      とどのつまり、
      この世に存在しているものの欲求は、
      それにつきるようです。

      始祖鳥が飛べるようになったのも、
      生物に視神経が作られたのも、
      角が生えたのも、
      すべてはそこに帰結するようです。

      ダーウィンに限らず、
      科学は目の前の現象を納得しようと、
      ありとあらゆる既存の素材をかき集めて理屈を作ります。

      場合によっては既存の言葉を組み合わせて、
      あたかも新しい概念であるかのように、
      仕立て上げることすらします。

      それでも、
      ダーウィンはキリンの首がなぜ長いのかは説明できないし、
      科学は惑星同士がなぜ引っ張り合っているのか説明できません。

      いくら進化論だ、引力だと言っても、
      理由は説明できないのです。

      理由なんかなくてもいい、
      というのはまた別の話ですね。

      アインシュタインとあともうひとり誰だったか、
      パウリだったかファインマンだったか忘れましたが、
      物理学を学べば学ぶほど、
      宇宙には「意志」のようなものがある、
      と想定せざるを得なくなる、
      というようなことを言っています。

      私もそう思っています。
      今。

      西塚

  2.  西塚裕一様

     ご返事、ありがとうございます。

    「どのようにしてひらめいたのでしょうか?」

     これまで、折にふれて読んできた本の、幾つもの記憶の断片と、
    (たとえば、五井先生の『神と人間』とか、
     バーバラ・マーシニアックの本とか、
     自然生活館の森田峯生先生のビジョンとか、
     出口王仁三郎師の『霊界物語』とか、
     エドガー・ケイシーの本とか、などと、)
     西塚さんの、
     状況に対して、そこから新しい思考環境を築く視点で分析された論考が、
     ひとつになってひらめきました。

    「発端はすべて、人の「内面」からくる。「心」でもいいし、「精神」「意識」あるいはこの際「感情」でもいい。その内面の仕組み、傾向、メカニズムとまでいかなくても、どういうときにどういう働き方をするのかを知っていれば、こういうことは起こらない。/ いや、起こるかもしれないが、少なくとも起こり方が変わってくる。」

     私のすべての発想の核にあるビジョンは、全6分冊で構成された『自分の発見』から学び取ったものです。
     著者は、岩根和郎先生です。
    「思いは実現する」という考え方がありますが、私が17歳の時に、「本当の自分とひとつになりたい」と思って探究を開始して、30年後に、『自分の発見』という著書をお持ちの師にめぐり逢うことができました。
     そして、47歳で、正しい探究の入り口に立つことができました。では、本当の自分と私が、完全にひとつになれるのは、いったい、いつのことでしょうか。

     実は、成就の時が、いつになるのかについて、私は、いっさい気にしていません。類推ですが、本当の自分は、地上を流れる時を超越した存在だと思っています。
     地上の探究に、どれだけ時間がかかろうとも、本当の自分と一体化した、その一瞬に、私は、すべての探究に費やした時間を超越するので、地上の探究に、どれだけ時間がかかろうとも、いっさい気にする必要はないと思っています。
     しかし不器用ですから、真剣に取り組んで、時間を無駄にしないように努めています。

    『この世に生きとし生けるものの切実な欲求は、「現実を意のままにしたい」ということです』

     西塚さんの、問題点の本質を見つめておられる眼差し。

     そして、次の、

    「アインシュタインとあともうひとり誰だったか、パウリだったかファインマンだったか忘れましたが、物理学を学べば学ぶほど、宇宙には「意志」のようなものがある、と想定せざるを得なくなる、というようなことを言っています。/ 私もそう思っています。今。」

     というご心境。

     それらのつながりに関心があります。

     読んではいませんが、桜井邦朋著『宇宙には意志がある―ついに現代物理学は、ここまで解明した』という本もありますね。

     ところで、宇宙の「意志」と、「現実を意のままにしたい」という「切実な欲求」の間にある関係性。

     それを明確にしていきますと、

     自分自身と暮らしを見つめる視野が、地上レベルから、宇宙レベルに拡大されて、

     そこから、自分自身と暮らしを見つめ直すことによって、

     エゴの横暴は、「起こるかもしれないが、少なくとも起こり方が変わってくる」可能性があると思います。

     その関係性に光を当てる情報に関心を持ち続けたいと思います。

     好本健一

    1. 好本様

      コメントありがとうございます。

      「現実を意のままにしたい」という言葉は、
      けっこう誤解を生みやすいとは思ったのですが、
      コメント欄ですのでそのまま記しました。

      これはゼランドの説のひとつでもありまして、
      「現実の操縦」ということに関連しています。

      人は思う通りに現実を創造したい/できるということです。
      そして、その方法論を述べてるわけですね。

      「意のままに」なんて言うと、
      たとえば誰かを操るとか支配するといったイメージも出てきますが、
      そういうことではもちろんなく、
      逆によくない「魂胆」があれば、
      それに見合ったものを必ず受け取ります。

      そういうことも含めて、
      現実は自分の「思う通り」になるわけです。

      ですので本来は、
      「現実を意のままにしいたい」という言葉には、
      いくつもの注釈が必要なのですが、
      とても長くなるので省略しました。

      蛇足ですが、ちょっと自分で気になったので。

      西塚

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