すっかりご無沙汰してしまった。
この時期、身過ぎ世過ぎいろいろあり、さらに個人的な探究もある。
定期的な発信も滞っているが、来週早々には何とか更新したいと思う。

いやあ、暑いというか熱い。
40 度といった予報も聞くが、日本は完全に亜熱帯に移行したようだ。
また湿度も高いから、ぬるま湯の中を歩いているような気がする、特にここ 2 日ばかし。

昨日はお声がけもあり、グレゴリー・サリバン氏と我那覇れな氏のトークイベントに出かけた。

グレゴリー・サリバン氏といえば、JCETI (日本地球外知的生命体センター)の代表だ。JCETI といえば、政府が隠ぺいする UFO の機密情報を暴露する『ディスクロージャー・プロジェクト』を主宰しているスティーブン・グリア博士の CSETI (地球外知性研究センター)だが、CETI か CSETI かややこしいが、大もとのグリア博士の CSETI は「Study = 研究」が入ってるわけだ。

なぜ、JCETI には「 Study 」が抜けているのかわからないが、トークイベントの冒頭でも、サリバン氏はもはや宇宙人(地球外知的生命)がいるかどうかという論議は終わっていて、実際に存在するのだが、さあどうするかといった視点でアプローチするというような意味の発言をしていて、そのあたりとも関係している組織名かもしれない。

我那覇れな氏は、私は映画『おつなぎ役』で初めて知ったのだが、我那覇氏のピュアな思念と映像の美しさの融合が印象に残り、あのバリバリのET関係者サリバン氏と御霊への奉仕活動を繰り広げる我那覇氏がどうコラボするのか、興味があったのだ。

話は、九州から西日本へかけての豪雨の意味や、大阪の地震、果てはロズウェル事件まで多岐に及んだが、私が意外だったのは、サリバン氏は憑依などを含むいわゆる霊的な事象にも見識があり、その具体的な対処法などの話もしていたことだった。

我那覇氏は専門分野が違うというのか、宇宙的なことに特化した話はしないが、それでも無関係なものでもなくすべては関連し、会場からの質問に答える形で、たとえば声が聴こえる場合など、その相手の見極め方などをレクチャーしていた。

今回のトークイベントは先の映画『おつなぎ役』の続編というか、新作の映画の一場面ともなっているようだが、監督の宗像耕平氏が締めのコメントでも触れていたように、今回の両者の活動をはじめ、まだまだ世間には知られていない「精神世界の世界」があり、その新たな地平を紹介・提示するようなイベントは、今後ますます増えていくだろう。

また、サリバン氏の言葉を借りれば、今は「第2スピリチュアルブーム」とのことで、先述のように ET の存在も議論の余地のない前提としたムーブメントということらしい。

個人的には『盤』でも主張しているように、たしかにそういう存在を前提にしなければ整合性がとれないのではないかとし、もう「整合性」という言い方もそろそろやめようかとも思っているが、ぶっちゃけ言えば、存在しないとする理由のほうがおそまつになってきているようだ。

とは言え、いろいろまだ世に知られていないテクノロジー情報もあるので、つまるところは我那覇れな氏ではないが、特定の尋常ならざる事象に関しては自分で、あるいは周囲とともに、見極める・見定める・吟味するということが大事だということにつきる。

そうなると、その見極め・見定め・吟味の手段や方法が重要になってくるが、ともかく慎重に冷静に対処していけばそう妙なことにはならないのである。

たとえ、かなりキツめに「揺すられたり」(強請りではない、似たようなものではあるが)、混乱を与えられたりしても、相手の手つきや手の内が「読めて」いれば、つまりはそういうことに対する「知識」さえあれば、対処できるのだ。

ET といえば今、大阪在住のマンガ家氏とコンタクトしているが、彼は『宇宙人 ルルーシャの時間』というマンガをブログで連載していた。

普通に検索してもまだ出てくるが、私はたまたま 1 年くらい前に知り、連絡をとりたいと思ってメールを送っていたのだが、忘れたころというか、6 月末の『盤』を終えた直後にメールがきたので、私はともかく金策に走って大阪へと飛んだ。そのへんのいきさつは以前にちょっと書いた

いずれにしろ、そのマンガ家・cocoaman 氏によれば、いろいろと身の回りでミョーなことが起こっており、マンガに登場するプレアデスのルルーシャの存在をはじめ、最近目撃する赤いUFO 、天使の羽、時間の感覚の話などいろいろあるのである。

ネットで検索して読んでもいいのだが、ある程度見やすく PDF にしたので、興味のある方は下記から DL してください。

内容にはことさら新しい情報があるというわけではないが、私は 1 年前に「これはただならぬこと」だと思ったわけで、みなさんのご意見をお聞きしたく思う。

いまだ cocoaman 氏とは連絡をとり合っているが、私がどうしてただならぬことと思っているのかは、近々に書きます。

あ、ちなみに別に仰々しいことではなく、ああ、やっぱりね、といった類いのことだ。

 

8 thoughts on “ET 現わる!?”

  1. 西塚様
    PDFありがとうございました。

    とあるテレビ番組で、竹田恒泰さんが、崇徳天皇(だったと思います)の事を執筆中に突然パソコンがダメになった、何度やりかえても動かなくなった、と言われていました。
    記述されてはまずいことを執筆したから、怨霊になった天皇の怨念のしわざなのかもしれない、とも。
    ルルーシャの物語も途中でパソコンがにっちもさっちもいかなくなって断念された、というエンディングに、なにかしら竹田さんのエピソードと共通点めいたものを感じましたよ。

    日本の漫画の凄いところは、遠大なテーマの物語もひと目で判るようなカットだったりコマ割りだったりに集約して、見せてくれることでしょうか。
    ダーリンさんことcocoamanさんの見事なパロディに、過去にその本家の漫画を見ていた頃の自分の思い出までが蘇って重なって見えたり。

    そして、cocoamanさんがこれから漫画で語ろうとしていたことは宇宙人の俯瞰を通して、地球や人類の素粒子までも見せることになる展開だったからスパークしたのかな、と思いました。
    「そんな簡単に見せたらあかんねん!」とばかりにジャマしたかな。

    目に見えない力
    想念は肉体を維持できなくなっても残るのでしょうか。
    肉体がなくても存在するのでしょうか。
    それは気配?

    ところで、途中某かまぼこ屋さんのコマーシャルのカットが出てきたのにはほんまに笑いました。
    アレは関西人にしかわからないかなあ。
    西塚様、どのカットかわかります?

    漫画家が本職ではないそうですが、いえいえcocoamanさんの腕前は大したものです。
    またの会う日を楽しみに。
    それでは皆様、さ〜よ〜お〜な〜ら〜〜

  2. たき様

    ポストありがとうございます。

    私の名前の部分が違っていましたので、
    そこだけ修正してあります。

    竹田氏の話は知りませんでした。
    しかし、このテの話はよく聞きますね。
    とても偶然とは思われませんので、
    何かしらの理由があります。

    小学生同士の会話で自分の都合のわるいこと、
    人に知られたら恥ずかしいことを友だちが話し出したら、
    それ言っちゃダメ!
    と相手の口を塞ごうとしますね。
    それと同じものでしょう。

    >目に見えない力
    >想念は肉体を維持できなくなっても残るのでしょうか。
    >肉体がなくても存在するのでしょうか。
    >それは気配?

    まさしく。
    思考のエネルギーはこの世で「物理的」に働きます。
    1900年にすでに発表されている論考であり、
    まさに科学と信仰の接点でもあるのですが、
    100年以上経っても遅々として研究が「メジャー」にはなりませんでした。

    でも、もうそれも終わるでしょう。

    ご感想ありがとうございます。
    cocoaman氏も喜んで、
    ますます張り切ってくれるでしょう。
    実際、実は彼は初めて漫画を描いたのです。
    どうしても描かなければならなかったんですね。

    あと、かまぼこ屋さんの件はわかりませんでした。
    今度、cocoaman氏に聞いてみようかとも思いますが、
    くやしいので(笑)、
    もう一度読んで探して見当をつけてみます。
    でも、たきさんの最後らへんのごあいさつがミョーに気になりますね…

    西塚

  3. 西塚様
    お名前を間違えて記入していたなんて!
    大変失礼致しました。
    ごめんなさい!

    これからもよろしくお願い申し上げます。

    さ〜よ〜お〜な〜ら〜〜
    (コレ、音楽付きなんですよ。かしましく終わります、がヒント)

  4.  西塚裕一様

    「彼ら」のことは、「地球外知的生命体」と表記されますから、地球人類は「地球内知的生命体」ということになります。

     彼らについて、いろんな情報があるようですが、自分の修行で手一杯なので読む時間がありませんので、思いつくままに、そして文章をシンプルにするために多くの場合「言い切り」の形で類推していきます。
    (cocoaman 氏のビジョンについては、西塚さんのお考えを学ばせていただこうと思います。)

    「地球内知的生命体」にも、実に多様な意志と意図を持って動く人びとがいらっしゃいますから、当然、「地球外知的生命体」の皆様も多種多様な意志と意図を持って動いておられるようです。

    「宇宙の広さ」をもとにして、どのような皆様が地球を訪れておられるのか、単純に考えてみます。
     この「広さ」には、精神性が絡み、それゆえに「宇宙の広さ」について語ることも、「宇宙人」について語ることも、「意識の営み」について語ることになります。

     しばらくは、「宇宙の広さ」についてシンプルに類推し、それから訪問者を大別します。

    「宇宙の広さ」とは、「多層多重宇宙の広さ」ということになります。
    「多層」も「多重」も似たような意味を持ちますが、明確に使い分けます。

     まず、多層宇宙について。宇宙は、三層構造宇宙です。
     A 超越意識系宇宙。
     B 潜在意識系宇宙。
     C 顕在意識系宇宙。

     精神宇宙が、物質宇宙を生み出しますから、そして宇宙は、相似、という視点から、
     A1は、精神系宇宙、A2は、物質系宇宙。
     B1は、精神系宇宙、B2は、物質系宇宙。
     C1は、精神系宇宙、C2は、物質系宇宙。
     になります。

     A1の精神系においても、B1の精神系においても、C1の精神系においても、「思いは実現する」という法則が働きます。

     A2とB2とC2の「物質」を構成する要素は、それぞれ異なりますので、A2の物理法則と、B2の物理法則と、C2の物理法則も、それぞれ異なります。

     三層において密接なつながりを持つ精神系の法則と、三層においては相違点を持つ物理法則が絡み合って宇宙活動は営まれます。

     しかし、物理法則は、三層においては異なる力学で作用するのに、「思いは実現する」という精神系の法則は、三層を貫いて作用するのですから、これはやはり「思いは実現する」という意識の働きは、すごい、と思います。

     それに「地球外知的生命体」も「地球内知的生命体」も、共に「知的意識生命体」ということでは共通します。

     そうしてみますと「思いは実現する」という法則は、三層の物理法則との関連性はもちろんありながらも、しかし層が異なると法則も変わる三層の物理法則とは別の次元で(それらとの関連性を一部超越して)機能しているという意味で、あらゆる並行宇宙の(地球人類系の物理法則とは異なる)物理法則とも別の次元で働くのかなと思いました。

     A、B、Cの宇宙は、それぞれ、複数の波動域に別れています。たとえば、ドレミファソラシ、という具合に7つに別れていると仮定します。

     AもBもCも7重構造宇宙です。(この規定に意味はありませんが、その仮定を踏まえて展開する論旨に意味があります。)「ドレミファソラシ」は、それぞれ波動域が異なりますから、Cの「ドレミファソラシ」のつぎの「ド」は、Bの「ドレミファソラシ」の「ド」にシフトします。

     個が、Cの宇宙からBの宇宙へのシフトを体験するに当たっては、条件が整えられて、肉体と幽体の接続部分がすべて解除され、そして肉体と幽体をつなぐシルバーコードが心臓から切り離されるとナチュラルに(もちろん各種プロセスがありますが)シフトが可能になります。

     Bの宇宙からAの宇宙へシフトするためには、Aの宇宙の知的生命体たちの指導に基づく修行が必要です。
     Bの宇宙の「シ」の波動域と、Aの宇宙の「ド」の波動域との間には、決定的な隔たりがあり、B&Cの宇宙だけの、どのような知恵と力を駆使しても、その隔たりを越えることは不可能です。

     Aの宇宙では、絶対調和の「音楽」が、多層的に、多重的に奏でられています。
    (「音楽」とは、多層多重宇宙の、あらゆる営みをシンボリックに表現したものです。)
     B&Cの宇宙では、美しい調べが奏でられたり、不協和音が響いていたりしますが、すべて相対的な「音楽」です。
    (厳密には、B&Cの宇宙においても、すでにAの宇宙とつながるベクトルを内包した「音楽」も様ざまに奏でられていると思いますが、このシンプルな類推は基本的なレベルのもので、それらについて言及することは私の能力を超えています。)

     Aの宇宙は、B&Cの宇宙を傍観しているのではまったくなくて、B&Cの宇宙の相対的な「音楽」に、絶対調和の「音楽」を、多層的に、多重的に投影して、その絶対調和を、それぞれの波動域に融け込ませて、そこに反映させようとして、その受け皿となる人びとの意識を、思いを、意志を、意図を、熱い眼差しで見守っています。
    「思いは、実現する」ということは、「思はないことは、実現しない」ということですから、B&Cの宇宙において、自分が奏でる「音楽」が相対的なものであることを、学びや内観を通して自覚し、それを越えるためにAの宇宙からの投影を受け入れる「思い」を持たなければ、Aの宇宙は、「投影は求めない」という、その思いを認め、その思いを尊重する方向で導くことになります。

     このように「多層」と「多重」を使い分けている理由は、A層の宇宙と、B層&C層の宇宙の「広さ」が、根本から異なるからです。

    (繰り返しになりますが)

     Aの宇宙は、B&Cの宇宙を包含しています。
     B&Cの宇宙は、Aの宇宙を、いっさい包含できません。

     Aの宇宙とB&Cの宇宙では、存在概念が、その力学が、根本から異なるからです。

     Aの宇宙は、B&Cの宇宙を包含しているだけではなく、B&Cの宇宙に存在する知的生命体たちを、彼らの自由意志をある枠内で認めながら、彼らの宇宙活動を、見守り、支え、修正し、指導しています。

     B&Cの宇宙に存在する知的生命体たちは、どこまでいっても、Aの宇宙の知的生命体たちから、自分たちの自由な宇宙活動を、見守られ、支えられ、修正され、指導される立場にあります。

     彼らに、その自覚がない、という場合は、ある枠内で行使が許されている自由意志の働きに対する内観を深める意志がないか、あるいはそうする必要性を認めていないからです。

     それは、それで、自由意志による、ひとつの選択です。

    「広さ」=「構造」=「多層多重構造」。

     ただし、この宇宙の構造は、「地球内知的生命体」たちが、魂の向上を目指すロード・マップとしての構造ですから、「地球外知的生命体」たちが属する宇宙は、「地球内知的生命体」たちの存在にシンクロナイズした宇宙であると類推しています。

     やはり、地球外から、これだけ広い多層多重宇宙の中からわざわざ地球を訪れる以上、彼らは、地球人類の営みと多様な「縁」をお持ちの皆様ということになり、そこに何らかのシンクロニシティが働いていることになります。

     そうしますと、地球を訪れる知的生命体たちは、
     Aの宇宙とシンクロナイズした宇宙から訪れる知的生命体たち。
     または、
     B&Cの宇宙とシンクロナイズした宇宙から訪れる知的生命体たち。
     に分かれます。

     彼らは、地球が属する三層の物理法則とは異なる物理法則が作用する並行宇宙から地球に訪れている可能性もありますが、シンクロナイズする宇宙であれば、精神系の情報であれ、物質系の情報であれ、地球人類が応用できる情報に組み替えることは可能だと思います。

     コンタクティーの皆様に第一に望むことは、地球人類全体の調和と進化を、システム的に支援し、多層多重宇宙の力学をそのシステムに多様に投影して、地球人類お一人お一人の課題の達成を、他の皆様の探究との調和のもとに支援する智恵と力に満ちた情報をシェアしてくださることです。

     その情報は、地球人類の末端でドタバタしている私にとっても、極めて有益です。

     岩根先生は、『自分の発見』で展開されている「人間やりなおし」の原理、祈り、自明行(内観)は、宇宙のどこに行っても通用すると述べておられますから、私が第一に望む情報をシェアする姿勢をお持ちの「地球外知的生命体」の皆様は、『自分の発見』の原理、祈り、自明行と響き合う、皆様独自の、多層的な調和を実現する原理、祈り、自明行をマスターしておられる方々だと思います。

     宇宙を旅する基本は、自分の意識の働きに対して、自覚的である、ということで、そのためには、自明行が不可欠です。

     自明行とは、ひとつのように考えられている人間の「思い」を構成する複数の「ベクトル=人格」がバラバラに自己主張して紆余曲折の人生を歩むプロセスを乗り越えて、それらのベクトルを統一させる行です。

     実践する側が、それらの「ベクトル=人格」を位置づけると、その営みを見守るAの宇宙の知的生命体の皆様が、それらを統一してくださいます。

    「原理」も「祈り」も共に、「自明行」の中に実践的に統一され、そこで意識活動が営まれますから、宇宙人について語るということは、自明行について語るということになります。
     Aの宇宙とシンクロナイズした宇宙人は、多層的にとてもクリエイティブだと思いますが、それは複数の「ベクトル=人格」を多層的に統一させて生み出される創造性です。

     多層多重宇宙を旅するには、道に迷わないために、現在位置を自覚する自明行が必要ですが、人は、つまり私は、様ざまな錯覚や嘘を抱えて生きていますから、そのありようを自覚することが必要です。

    (錯覚とは、真実の自己に対する認識がピンボケしたところから生まれる錯覚であり、嘘とは、人に向かってつく嘘ではなく、自分に向かってつく嘘です。要するに、自分が、真実の自己のありようを忘れているために、自分を取り繕って、騙していて、それを錯覚だとは思っていない意識のことで、つまり、私自身のことです。)

    「自明行とは、嘘を正しなさいという事ではなくて、嘘を嘘として位置づけなさいという事である。(中略)嘘は嘘として位置づければ宇宙の中に存在できるのである。」
     岩根和郎著『人類が宇宙人類に成る時』P52

     これは、私自身がしみじみと痛感していることですが、心の現在位置を見つめないで錯覚に引きずられて「明後日」のほうばかり見ていると、今ここの旅が紆余曲折に満ちた旅になります。
     これを「思いは実現する」という視点で書き直すと、心の現在位置である錯覚を見つめて、「こんな思いに引きずられている自分は、いやだ、変わりたい」と思わなければ、「変わりたくない」という思いが実現して「明後日」のほうばかり見つめ続けることになります。

     地上の「過去・現在・未来」に対比して多層多重宇宙における重要な3つの「位置」を描けば、(ストレートに照応するわけではありませんが)「出発位置・現在位置・到達位置」になり、多層多重宇宙における三つの位置は、文字通り多層的に重なっているために心の「現在位置」を見つめ続ける営みは、錯覚の位置づけが的確になればなるほど(多巣性の連なりを純化された眼差しが貫いて)「出発位置」と「到達位置」を同時に見つめることになって、錯覚を越えて、自己の本質と未来を今ここにおいて見つめることになります。

    「出発位置」を別の言葉に置き換えると、本源的ありよう、になります。
    「到達位置」は、今ここから見れば、目的地ではありますが、到達すれば、その位置は、新しい「出発位置」になり、それは、本源的ありようの展開、になります。

     宇宙が、多層多重宇宙であるということは、相似、の視点から、小宇宙である人間もまた多層多重宇宙であるということになります。
     個における「出発位置」と「到達位置」は、個の多層的な意識の中に、つまり「現在位置」に重なって存在します。
     その重なりを自覚させないものが、錯覚や嘘であり、今ここの旅を、多層性を排除した平面的な、出口のない紆余曲折に導きます。
     自明行は、錯覚や嘘を手がかりにして、その「現在位置」を見つめる眼差しを純化させて「出発位置」と「到達位置」をその中に見出し、それによって、「心の面において修正された望ましい過去」と、「これから到達しようとする未来の自分の素晴らしいありよう」を、「今ここの旅」において、「等時」に生きることを(「現在位置」の自覚の深まりに応じて)可能にします。

     私が、生まれて初めてこの本のタイトルを本屋で見た時、岩根先生に対する知識はゼロでしたが、思うところがあり、この本を手に取って立ち読みして購入することに決め、それ以外の著書も購入して読み、岩根先生が五井先生のもとで学ばれていたことも知り、弟子入りを志願しました。
     私が、生まれて初めて岩根先生の本を手に取った理由は、「タイトルから、五井先生の響きを感じる」と思ったからです。

    「五井先生 宇宙人」で検索したら、下記の文章がヒットしました。宇宙人の女性が語っているビジョンです。

    「私たちは、愛とは神の心から万物に、特に人間を通じてあらゆるものに万遍なく放射された光だと信じています。」
    五井昌久著『神への郷愁』よりhttps://goisensei.net/1032/

    「宇宙人とは、宇宙の星々で物質波動を越えて働いていらっしゃる宇宙天使のことです。
    テレビなどで扱われているものとは違い、キリストや仏陀と同格の存在です。」
    「空飛ぶ円盤と超科学」(村田正雄著 白光出版)より 
     http://www.ictv.ne.jp/~only1/utyujinto.html

     岩根先生の宇宙人に対するビジョンは、厳しい示唆も含まれています。

    「先ず初めは日本がここ数世紀、西欧列強を相手に体験したと同じ意味のことが、今度は近い未来に人類が宇宙人を相手に体験する事になると十分予想される点である。」
    『人類が宇宙人類に成る時』P203

     その対応に自明行を用いて、自己の本質と未来を今ここに見つめることを深めると、(これもまた私の類推による岩根先生のビジョンへのつなげ方になるのですが)

    「私の言う日本の精神文化はこれらの外国から取り入れた分明と文化をむしろ表現の道具として利用し、そこに独自の精神性を創っていくのである。」
    『人類が宇宙人類に成る時』P205

    「人生の勝利者は被害者意識を徹底して「自明行」で浄め、不平不満の意識を決して持たない感謝の蓄積を持った人なのである。自分の体験する事一切を肯定して人生に活かそうとしてきた人である。」
    『人類が宇宙人類に成る時』P43

    「我々が宇宙人より劣っている点を恥じるとするなら、それは地球の科学技術の遅れに関してではなく、彼らが持つ超能力に関してでもない。それはただその高度の超能力を活かし切るほどの「統一人格」としての内面的秩序の完成と、その高度の科学技術を人類の進歩と調和のために使いこなす事が出来るほどの高い文化を構築しているというこの二点である。」
    『人類が宇宙人類に成る時』P337

     好本健一

  5. 好本様

    ポストありがとうございます。
    いつもながらヘビー級の内容ですね。

    しかも、ある人を真剣に師としながら、独学といいますか自力といいますか、
    自己との徹底した対話を経由して登ってくる言葉には力がありますし、
    それが読む者にもわかります。

    そして、ときどき今ふうにあえて言えばゾーンに入りますね。
    なかなかこうした言葉を紡げる人はいないと思います。
    何よりも忍耐力がいります。

    >しかし、物理法則は、三層においては異なる力学で作用するのに、「思いは実現する」という精神系の法則は、三層を貫いて作用するのですから、これはやはり「思いは実現する」という意識の働きは、すごい、と思います。

    すごいと思います。
    本人も気づいていない「思い」まで実現しますからね。
    そのメカニズムをわかりやすく究明したひとりにゼランドがいるわけです。

    >(厳密には、B&Cの宇宙においても、すでにAの宇宙とつながるベクトルを内包した「音楽」も様ざまに奏でられていると思いますが、このシンプルな類推は基本的なレベルのもので、それらについて言及することは私の能力を超えています。)

    そんなことはないと思います。
    その「音楽」を探究している個人なりグループは古今東西ありますし、
    ましてや誰かの能力を超えるというものでもなく、
    人間であればほとんどの人に備わっている「感覚」であり、
    「技能」だと思います。
    あとは気づいて実践するだけだと思います。

    >このように「多層」と「多重」を使い分けている理由は、A層の宇宙と、B層&C層の宇宙の「広さ」が、根本から異なるからです。

    そこですね。
    私たちはどうしても宇宙の「広さ」を思ってしまいがちです。
    ですが、いわゆるミクロの方向にも同じような「広さ」があります。
    両者は反転しているだけで同じものとも言えますが、
    一方の方向だけに「無限」を設定させられているのではないでしょうか。
    それはある意味「視覚」優先の感覚からもたらされているようです。

    >やはり、地球外から、これだけ広い多層多重宇宙の中からわざわざ地球を訪れる以上、彼らは、地球人類の営みと多様な「縁」をお持ちの皆様ということになり、そこに何らかのシンクロニシティが働いていることになります。

    その点も重要ですね。
    シンクロニシティーとは、先のマクロとミクロが反転し出す地点というか、
    交差する地点と人間の意識との接続に関係していると思います。
    つまりその地点を感覚できるようになれば、
    そうした存在とも接触することになるのでしょう。

    >「先ず初めは日本がここ数世紀、西欧列強を相手に体験したと同じ意味のことが、今度は近い未来に人類が宇宙人を相手に体験する事になると十分予想される点である。」『人類が宇宙人類に成る時』P203

    まさに私がビリー・マイヤーや「ラー文書」、
    その他、コーリー・グッドの情報までいろいろ見てきたのは、
    そのあたりに思うことがあるからです。

    >「我々が宇宙人より劣っている点を恥じるとするなら、それは地球の科学技術の遅れに関してではなく、彼らが持つ超能力に関してでもない。それはただその高度の超能力を活かし切るほどの「統一人格」としての内面的秩序の完成と、その高度の科学技術を人類の進歩と調和のために使いこなす事が出来るほどの高い文化を構築しているというこの二点である。」『人類が宇宙人類に成る時』P337

    ほとんど同意します。
    言い換えれば、『「統一人格」としての内面的秩序の完成』と、
    『高度の科学技術を人類の進歩と調和のために使いこなす事が出来るほどの高い文化を構築している』ことは同義であり、お互いに「必要条件」だと思います。

    しかし「十分条件」の模索に、
    人間の進化の理由があるのではないでしょうか。

    西塚

    1. 西塚裕一様

       ご返事、ありがとうございます。

      『本人も気づいていない「思い」まで実現しますからね。』
       そこが問題ですね。
       そこで、足元をすくわれることのないように警鐘を鳴らす人びとの一人がゼランドということになりますね。
       本人が気づいていないのですから、対応のしようがないところを、たとえば、その方がインターネットを楽しもうとしたら何らかのインスピレーションが心にひらめいて五目舎を訪れちゃったとか、あるいは表層においては異なりながらも志においては親しく響き合うビジョンを持つ多様なサイトのどれかを、「訳わかんないけど、何となく心に感じるものがあって気になる項目で検索していたら、このサイトにたどり着いちゃった」という具合に(現代という、一種大いなる仕切り直し的状況において実現を願った、ある過去生において約束し合った再会が実現?)する流れが生み出されてほしいと思います。

       そして、ミクロ、マクロ、反転、無限に対する探究心が、様ざまな角度から促される動きもまた起こってほしいと思います。

      「無限」については、ゼノンのパラドックスがありますが、その影響が、陰に、陽に、様ざまな影響を時空を越えて与えていることをレポートした『無限を読みとく数学入門』に知的興奮を憶えます。
      (私の場合、中学、高校と数学の授業中は居眠りばかりしていたので知的興奮のレベルは低いですが)。

       また、若いがん患者たちのラブ・ストーリーを描いた映画『きっと、星のせいじゃない。』を鑑賞していて、二人をめぐるエピソードで(表面上は「ゼノン」の名前は出てこないのですが)死を見定めて、しかし今を励まし合いながら生きる姿勢をゼノンの問題提起のひとつ(無限小解析)を手がかりにして描いてあるシーンに直面した時には、おおっ、と思いました。
       そこから生み出された「生きることへの励まし」が、主人公たちの心においてだけではなく、(結局、私たちも、「生」と「死」によって限定された、有限のタイム・ライン上を旅していますから)がん患者たちを見守る側の人びとの心にも力を生むものとして、そしてもちろん映画を見る観客の心にも今ここを旅する励ましをもたらすものとして描かれていることを感じて、改めて「無限」とは、実に神妙なテーマだなあと思いました。

       と、書いても「ネタバレ注意」には、ならないと思います。私がポイントとしてまとめた「無限小解析」という言葉も映画には出てきませんし、映画では、数学の話題として、ゼノンが問題提起したことのひとつが取り上げられていて、それが、なぜ「生きることへの励まし」につながるのか、興味津々とした気持ちでそのエピソードを迎え、そのメッセージをじっくり味わえると思います。

       もっとも、原作者がゼノンを意識していたのか、そうでないのか、確認しておきたいと思ってネットで調べてみたら、ある映画好きの方のブログには「ゼノンのパラドックスは勉強していったほうがいいです」と書いてありました。
      http://stk1985.hatenadiary.jp/entry/2015/03/23/005044

      (これもシンクロニシティでしょうか、たまたま『無限を読みとく数学入門』を読んだあとに、ゼノンのビジョンが物語に活かされているとはまったく知らずに、『きっと、星のせいじゃない。』を見たのです。)

       このように数学は、その部分の探究に対して、(あるいは、ひょっとすると、その「形式と機能」の全体において)取り組み方次第では、心を励ますビジョンを生み出す方向で新しい可能性を繰り広げられる学問分野ではないか、と思い、中学、高校を通して居眠りばかりしていないでちゃんと学んでおけばよかったなあ、と深く反省しています。
       私の「居眠り」を擁護するとすれば、中学、高校の数学においては、受験数学の指導ではなくて、数学の考え方、証明、その手順における論理姿勢、解析の方法に付随する意味、哲学などを教えてもらいたかったと思いますが、まあ、しかし、高校生の私が夢中になっていたのは『サイボーグ009』だったので、そのような指導がなされていても、やっぱり居眠りしていただろうなあと思いますが。

       ゼノンのパラドックスについて語るバートランド・ラッセル。
      「ゼノンの論証は詭弁ではなく、まったく正しいのである」。
      「空間と時間は点と瞬間で構成されているが、有限の空間的あるいは時間的区間に含まれる点や瞬間の数は無限である」。
      「このパラドックスは、集合論に於ける無限の定義によって、初めて厳密に解消された」。
       三点共にウィキペディアからの部分引用。

       ここで、ふと気になったので『光の箱舟2013:超時空への旅』をパラパラやってみました。
      『ならば、このイデアの世界を解明するには、物質世界の知すなわち科学的知識をイデア的な知へと逆変換すればよいだけのことではないのか。』P23

       なるほど、と思います。
       地上での探究は、そうとは知らないうちに「イデア的な知へと逆変換」できる貴重な歩みを積み重ねていたのですね。

       プラトンが『国家』で論じたイデア、プラトンに影響を受けたウィリアム・ブレイク、ブレイクとご縁のある西塚さん、さらに、ヌーソロジーが複数の情報との接点を持つことでそのビジョンに関心を継続しておられる西塚さん、そのヌーソロジーに登場するプラトン、時を超えて循環する知の探究、ということを想います。

      『暗号は解読された 般若心経 改訂版』において、岩根先生が、「色不異空 空不異色」
      について『数学的に必要十分条件を満たしている』(P72)と述べられ、その意味を『色と空とは「論理的に完全に同じもの」という意味になる』と解釈された文章を拝読して、では「色即是空 空即是色」における「必要条件、十分条件」とは何だろうか、という問いが生まれ、それについて、多忙のために自分を納得させる言葉を紡ぎ出さないまま過ごしておりましたら、西塚さんがご返事の中で「必要条件、十分条件」という言葉を使用しておられたので、これを機会に、西塚さんからいただいた知的刺激を活かして自分自身を納得させるために考えてみることにしました。

      (とは言っても、あくまでビジョンの実践を大前提にして論理の展開を楽しみました。)

       シンプルに論理を展開するために、「色即是空」を「色は、空である」とし、「空即是色」を「空は、色である」と簡略化して書き進めます。

       まず、
      「色は、空である」を「α」とします。
      「空は、色である」を「β」とします。

       ここで、αについて考えます。
      「色は、空である」について、「主語である色が、色として存在するに当たって、述語である空が、色を規定している」(α1)と受けとめます。

       ここで、述語論理学の初歩を一部援用します。
       もちろん厳密な援用ではなくて、私が般若心経解釈から学んだビジョンをコンパクトに受けとめ直すための援用です。
       あるいは、私の拙いレベルで、これまでの地上での探究の成果を、こちらはプラトンの次に位置して現在に至る論理学を支えてきたアリストテレスに感謝しながら、その論理学を「イデア的な知へと逆変換」する試みです。
       述語論理学において、述語は、ある集合を示し、主語は、その集合のひとつの要素を意味しますので、その視点からα1を変換すると次のようになります。
      「空は、ある集合を示し、色は、その集合のひとつとして存在する」。
       ここでの「集合」とは、空によって運営される「多層多重宇宙」の全体を意味します。
       色は、その多層多重宇宙に位置するひとつの生命体として存在する、と言うことになります。
       ここで、般若心経のビジョンが、すごいなあ、と思うのは、空は、とても奥が深く、色に対して決定的な優位性を確保していますが、それを踏まえた上で、色は、なんと、空と同じ、と(師の解釈によれば)述べられていることです。
       つまり、人間の本質は、宇宙の本質と同じであり、宇宙の本質は、人間の本質と同じ、という具合にその暗号が解読された般若心経のビジョンは、とても素晴らしいと思います。

      般若心経解釈の視点でαを見つめると、(そして、ここでは「色即是空」の色ではなくて、地上を旅する肉体人間としての色を前面に出してみますと)「色である人間は、内観と、天の祝福を得て、空に帰還する」と受けとめることができます。

      「空は、ある集合を示し、色は、その集合のひとつとして存在する」と言うことは、人間は、常に空に包まれて、空の中で、(現実においては、隔たりのある)空との一体化を、「即是」という時間経過を通して実践していくことになります。

       ここで、βについて考えます。
      「空は、色である」について、「主語である空が、空として存在するに当たって、述語である色が、空を規定している」(β1)と受けとめます。

       述語論理学の視点からβ1を変換すると次のようになります。
      「色は、ある集合を示し、空は、その集合のひとつとして存在する」(β2)。
       ここでの「集合」とは、「潜在意識系&顕在意識系宇宙」の全体を意味します。
       ここで、空は、色という集合の中に囚われて存在します。
       空は、すべてのすべてなのに、「空は、その集合のひとつ」となっているからです。
       空とは、すべての人間の本質として、普遍性を持って輝やいているものなのに、その普遍性が、色という集合の中で制約されて存在している姿が、βの表のありようになります。
       ここで「天と地」の視点を導入して、β2を、「地の論理」と要約します。

      (ところで、αを受けとめ直す際に選択した肉体人間としての色の位置づけを離れて、ここで色を「人間の本質」と受けとめると、「色は、ある集合を示し」と述べた部分での「集合」は、空そのものである色の集合を意味することになり、「空は、その集合のひとつとして存在する」と述べた部分は、般若心経解釈によって、文節が解体され組み替えられて次の表現にトランスフォームします。
      「色の集合全体を《ひとつ》と数えると、その《ひとつ》とは、空そのもの」。)

      「表舞台」を支えているのは常に「裏方」ですから、ここで、「地の論理」を離れて「空は、色である」の裏のありようを示すために、βを般若心経解釈の視点で変換すると次のようになります。
      「空は、宇宙の理念を展開するために、自分自身を色に投影する」。

       これは、「天の論理」そのもので、この論理展開が行われるのは、(潜在意識と)地上においてであり、つまり人間の心に向かってであり、そこには今見たように「地の論理」が支配的ですが、それは「天の論理」の進展によってシフトしていくことになります。

       そのシフトが可能になるのは、「色の集合全体を《ひとつ》と数えると、その《ひとつ》とは、空そのもの」だからです。

      (地球の、「地上世界と、それを越えた世界」には、本質存在としての色が複数存在しますが、その全体を記述する場合、主語は、「色たち」とはならずに、常に単数形の「色」になります。
       それらの色は、個においても、全体においても、常に《ひとつ》であり、それは、空そのものです。)

       それによって(肉体人間としての)色の集合の中に囚われた空は、空本来の姿を、なんと、極めて素晴らしいことに「肉体人間」を通して現していきます。
       それによって、「天」と「地」を隔てる「心の距離」は、加速的に短縮される可能性が出てきます。
      (その可能性を現実のものにするために、岩根文化圏においては、自明行が導入されます。もちろん、ほかの文化圏においては、別の取り組み方が為されると思います。)
       ここで思わず襟を正さざるを得ませんが、その「加速」を(試練として、ではなくて)「祝福」として受けとめるためには潜在意識の浄化が切に求められるところとなります。

       βの分析においては、「地の論理」と「天の論理」の二層構造が提示されましたが、αの分析では、空を主体とする「天の論理」しか示されていません。
       αとβにおける論理の対称性を保つには、αに「地の論理」を導入しなければなりませんが、『未完成だった般若心経』によれば、「色即是空」の「色」とは別の「色」について言及が為されています。
      『さて是故空中無として、無を伴って出てくる色と受想行識は《空》の中には無い、と説かれます。』P4
      「色即是空」の「色」とは、「人間の本質としての色」であり、「無を伴って出てくる色」とは、「肉体人間としての色」となり、後者の「色」を用いればαにも「地の論理」を導入できます。
       また、「肉体人間としての色」は《自己》から切り離すべき存在ですが、真理の妙、と言いますか、そうすることによって「人間の本質としての色」と「肉体人間としての色」は本来の結合関係を回復します。(P6~P7)
       そこで次の「必要条件、十分条件」の定義における「色」は、(地上の旅を充実させることを念頭においた、つまり本来の結合関係を秘めた)「肉体人間としての色」です。 

       ここで、上記の考察をひとつに融合し、「色即是空、空即是色」の必要条件と十分条件を定義します。

       必要条件。
       色の動きが、空への帰還の流れの中に位置づけられていること。
       十分条件。
       空の動きが、色への、普遍性回復に向けた働きかけの中に位置づけられていること。

       以下、主題を、とことん単純化して示します。
       論理学で、「AならばBである」ときに、Aは、Bの十分条件、Bは、Aの必要条件、となりますから、「空ならば色である」ときに、空は、色の十分条件、色は、空の必要条件、となります。
      「空は、色の十分条件」を次の表現に置き換えます、「色の十分条件は、空」。
       その「空」へ、上記の「十分条件」を代入します。
      「色の十分条件は、空の動きが、色への、普遍性回復に向けた働きかけの中に位置づけられていること」。
      「色は、空の必要条件」を次の表現に置き換えます、「空の必要条件は、色」。
       その「色」へ、上記の「必要条件」を代入します。
      「空の必要条件は、色の動きが、空への帰還の流れの中に位置づけられていること」。

       ここで、
      『「統一人格」としての内面的秩序の完成』と
      『高度の科学技術を人類の進歩と調和のために使いこなす事が出来るほどの高い文化を構築している』における、
       必要条件と十分条件の、関係性について考えます。

       αにおいても、βにおいても、つまり、必要条件においても十分条件においても、主語と述語が存在します。
       ということは、
      『「統一人格」としての内面的秩序の完成』(a)の中にも、
       また、
      『高度の科学技術を人類の進歩と調和のために使いこなす事が出来るほどの高い文化を構築している』(b)の中にも、
       同じように、主語と述語が存在します。

       端的に、結論を述べます。

      (ここで、文章を分ける視点を整理します。
      「Aは、Bである」という文章において、Aは主語、Bは述語、という認識に並行して、Aが展開する行動も、ここでは、B=述語にふくまれるものとして記述します。)

       aとは、ひと言で言えば、すべて述語に位置します。
      aにおける主語とは、全地球人類お一人お一人の皆様、つまり、あなたであり、私です。
       完成に至るプロセスを岩根先生のお言葉で表現すれば、「登る道」になります。
      「登る道」=空への帰還。
       さきほど定義した「必要条件」のことです。
      《人間は、常に空に包まれて、空の中で、(現実においては、隔たりのある)空との一体化を、「即是」という時間経過を通して実践していく》旅人で、その目的地が、『内面的秩序の完成』になります。

       bとは、ひと言で言えば、これもまた、すべて述語に位置します。
      bにおける主語とは、こちらも同じように、全地球人類お一人お一人の皆様、つまり、あなたであり、私です。
       高い文化を構築するプロセスを岩根先生のお言葉で表現すれば、「降りる道」になります。
      「降りる道」=宇宙の理念の展開。
       さきほど定義した「十分条件」のことです。
      《「空は、宇宙の理念を展開するために、自分自身を色に投影している》ので、宇宙の本質とひとつである人間の心の奥からは、『高い文化を構築』する働きが、天の祝福として、多重構造を持つ潜在意識から顕在意識へと、日々、たゆまず展開されています。

      「必要条件、十分条件」は、次のように書き直すことができるように感じます。
      「必要条件を満たすと、十分条件を展開できる」。

       言うまでもなく、AのありようもBのありようも「あなた」への押しつけではなく、個が、魂の類縁性において複数の集合を形成し、それらの集合が個別的に求める複数の世界観のひとつとして、AのありようとBのありようを(つまるところこの考察の全体もそのように)記述しました。

       しかし、この「降りる道」を実践するためには、ます「登る道」をある程度成就しなければなりません。

       私は、愚かな自分を、そこに愛着を持っているために、浅はかにも正当化する錯覚にはまって、また、自分の愚かさに対して、前向きの姿勢を失って、これでいいんじゃない、と手放しでのめり込む自己憐憫に陶酔して、「お偉い山」のてっぺんで胡座をかいていますので、「登る道」のプロセス以前の存在です。
      「お偉い山」から、いかにして地上に降りてくるのか、というのが、今の私の、最大にして緊急の課題です。
       自己弁護しますと、「お偉い山」から降りるプロセスは、「登る道」のプロセスに含まれます。

       まとめます。
      『「統一人格」としての内面的秩序の完成』を成就した全地球人類は、『高度の科学技術を人類の進歩と調和のために使いこなす事が出来るほどの高い文化を構築している』。

       これは、決して夢物語ではあのませんが、ただし、未来のビジョンです。
       この未来のビジョンを、地上の、今ここの旅に投影するために、岩根先生は、ご著書の刊行を通して、その他各種の情報提供活動を通して、その未来のビジョンを地上に根づかせる大構想推進会議を通して、そこに密接につながる株式会社岩根研究所の運営を通して、また、ご自身の会である、やりなおし会における、そのビジョンを現実化するための人材育成を通して、そして、ご自身の全存在を通して「宇宙の理念」を地球に投影する祈りと冥想を通して、日夜、お働きになっておられます。

       今、多層多重宇宙を地上に投影するに当たっては、それはもう様ざまな個性を持つ皆様が、ぶつかり合いを越えて一体化する普遍性を確保する意志を、地上の多様な営みの現場において、それぞれが、過去生による縁を通して選び取った「魂の方法」を用いて貫徹しながら、「等時」的に、その意志を、空間を越えて波動連結するシンクロニシティを多層多重宇宙の様ざまな波動域において役割分担によるシステムへと深化させつつ、その先行的に形成されるベクトル・レベルでの新しい地球システムが、自然に、日々の暮らしの変化を通して、また避けられない軋轢は最小限に抑制するコントロールのもとに未来を志向する皆様の視界に浮上していく(あらゆる和の結集としての)快挙を私は夢見ています。

       物理的時間は、かかると思います。
       しかし、ここにゼノンの励ましが登場します。
       有限のタイム・ラインの間には、無限が存在しますが、まず、その「有限のタイム・ライン」を「潜在意識系&顕在意識系宇宙」と見立てます。
       そして、その中に存在する「無限」を、「潜在意識系&顕在意識系宇宙」を超越した「超越意識系宇宙」と見立てます。
       そこにおいて、心の旅が、「無限の力」をいただいて、物理的経過時間をどのように短縮させることができるのかを(実践を踏まえて)観察する旅は、有限のタイム・ライン上においても、相当スリリングな楽しさに満ちた旅になるのではないでしょうか。
       その楽しさを満喫するためには、やはり忍耐が必要で、私の場合、考えるまでもなくアタフタすると思いますが。
       私は、有限のタイム・ラインの間の、それこそたくさんの点(スペース)において、また時において、(これまでもそうであったように、これからも)アタフタすると思いますが、それでもありがたいと思うのは、それらすべての「点と時」は、それらを自己の一部とする「無限」によって、「超越意識系宇宙」によって支えられ、見守られ、導かれているということです。

       そのような私個人は、岩根先生のお邪魔にだけはならないように、ということを、常に、第一に願いながら、そして(この考察の読み手が目の当たりにする機会がない私の実人生におい展開している)オッチョコチョイな振る舞いには(宇宙にムダなものはありませんから、なんとかそこに「芸」の趣を持たせようと)磨きをかけながら今ここを旅しています。

       好本健一

      1. 好本様

        ポストありがとうございます。
        返事が遅れて申し訳ありません。

        またもやボリュームのある内容ですね。
        圧倒されました。

        >本人が気づいていないのですから、対応のしようがないところを、たとえば、その方がインターネットを楽しもうとしたら何らかのインスピレーションが心にひらめいて五目舎を訪れちゃったとか、あるいは表層においては異なりながらも志においては親しく響き合うビジョンを持つ多様なサイトのどれかを、「訳わかんないけど、何となく心に感じるものがあって気になる項目で検索していたら、このサイトにたどり着いちゃった」という具合に(現代という、一種大いなる仕切り直し的状況において実現を願った、ある過去生において約束し合った再会が実現?)する流れが生み出されてほしいと思います。

        そこですね。
        実は、わたしたちは「気づく」こと以外、何も重要なことはないとすら言えるかもしれません。
        つまり、気づいていることに気づいてないことから問題が生じるようです。
        よく言われる「気づき」とも関連しますが、どちらかと言えば、
        巷間言われる「気づき」には「悟り」や「覚醒」のように、
        どこか高所に掲げられた「境地」のようなニュアンスがありそうです。
        そうではなく、「気づく」ことは単に「わかる」ということと同じように、
        もともとわたしたち誰にでも備わっている能力だと思います。

        >また、若いがん患者たちのラブ・ストーリーを描いた映画『きっと、星のせいじゃない。』を鑑賞していて、二人をめぐるエピソードで(表面上は「ゼノン」の名前は出てこないのですが)死を見定めて、しかし今を励まし合いながら生きる姿勢をゼノンの問題提起のひとつ(無限小解析)を手がかりにして描いてあるシーンに直面した時には、おおっ、と思いました。

        その映画は知りませんでした。
        ゼノンのパラドックスは多くの人の頭を悩ませました。
        アキレスと亀も同じですが、私もかなり知的刺激を受けました。
        これは無限小点でも無限遠点でもおなじですね。
        どうやってもたどり着けません。
        まあ、だからこそ「無限」なのですが。

        これは私たちの認識の方法が「時空」を主体としているからです。
        時間も空間も無限を孕んでいます。
        だから、どうしても最後は無限の壁にぶち当たります。
        アインシュタインはそこに光速の壁を築きましたが、
        今や量子力学がその壁を崩しています。
        私たちも日常生活のレベルで光速の壁を超える日も近いでしょう。

        それにはまず時空による認識を超える、
        第三の認識(覚知)を知る必要があるかと思います。
        それは古代より秘法や奥義、
        錬金術として伝わっていることの中にも見られますね。
        しかし小声で言えば、そうした「知識」は、
        やたらめったらに公表されるものでもないのかもしれません。

        >地上での探究は、そうとは知らないうちに「イデア的な知へと逆変換」できる貴重な歩みを積み重ねていたのですね。

        まさしく!

        >これは、「天の論理」そのもので、この論理展開が行われるのは、(潜在意識と)地上においてであり、つまり人間の心に向かってであり、そこには今見たように「地の論理」が支配的ですが、それは「天の論理」の進展によってシフトしていくことになります。

        そうですね。
        これはヌーソロジーにも通じます。
        「人間原理」とも関連してます。

        >ここで思わず襟を正さざるを得ませんが、その「加速」を(試練として、ではなくて)「祝福」として受けとめるためには潜在意識の浄化が切に求められるところとなります。

        特定の宗教に属している人や、
        宗教を毛嫌いしている人に誤解されるといけないのですが、
        それは『火水伝文』で言えば「感謝」であり、
        「本来」の「キリスト意識」でもありますね。

        >『「統一人格」としての内面的秩序の完成』を成就した全地球人類は、『高度の科学技術を人類の進歩と調和のために使いこなす事が出来るほどの高い文化を構築している』。

        ここまでに至る論理は見事ですね。
        あと、若干わかりにくいかと思いましたので、
        前回の私の返事のポストの最後を修正しました。

        最後の部分、
        今回好本さんのポストの発端になったかもしれない、

        しかし「十分条件」ではないところに、

        の表現を、

        しかし「十分条件」の模索に、

        としました。
        十分条件ではないとすると、
        限定的かつ断言っぽく聞こえますので、
        このようにしました。

        要は、十分条件の可能性もいろいろあるのではないか、
        ということを言いたかったのですが、
        こちらのほうがより近い表現になるかなと。

        >有限のタイム・ラインの間には、無限が存在しますが、まず、その「有限のタイム・ライン」を「潜在意識系&顕在意識系宇宙」と見立てます。 そして、その中に存在する「無限」を、「潜在意識系&顕在意識系宇宙」を超越した「超越意識系宇宙」と見立てます。

        有限のタイム・ラインというのは、
        先ほどの「時空」に制約を受けている認識のことです。
        潜在意識系と顕在意識系の宇宙を超越した意識の宇宙へアクセスするには、
        どうしたらいいのか、
        ということですね。

        聖書によれば、

        初めにことばありき。
        ことばは神とともにありき。
        ことばは神なりき。

        そして、ことばはいのちであり、
        いのちは人の光というのですから、
        潜在意識も顕在意識も神のことば(光)の中にあります。

        となれば、
        超越意識=神の意識と一体となるには、
        どうすればいいのか、
        ということになります。

        西塚

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