今朝、高取英氏の訃報に接した。

先輩でもある、ある出版社の社長から連絡があったのだ。11 月 26 日に亡くなったということだった。知らなかった。

ここ数年で、お世話になった先達諸氏が次々と亡くなっている。

ノンフィクション作家の日高恒太朗氏、カメラマンの中村龍生氏、そして高取英氏だ。

御三方とも1952年生まれだったということも今あらためて気づいたが、それぞれの方にひとかたならぬお世話になり、また一緒に飲んだ。

日高さんは、週刊新潮の名物企画「黒い報告書」の書き手のひとりでもあったが、出版社時代に『日本の女殺人者101』を書いていただいたことがある。

何ともすさまじいタイトルだが、「妲己(だっき)のお百」から「高橋お伝」、阿部定、アナタハンの比嘉和子、永田洋子や福田和子など、江戸期から平成まで、101人の女殺人者を集めて本にした。

日高さんは宗教団体の取材も多く、オカルトものなどにも詳しかったので、私が現代のカストリ誌と銘打って、いわゆる実話誌を立ち上げたとき、執筆も含めいろいろ協力をお願いしたのだが、スクープなども持ってきてくれた。

巻頭カラーグラビアでフリーメーソンの儀式の潜入ルポを記事にしたときは、ある匿名の年配の専門家らしき読者から手紙をいただき、この雑誌の記事を見たときあまりに驚いて椅子から転げ落ちそうになった、編集長のお前は無知なのかバカなのか知らないが、いったい何をしたのかわかっているのか、これはおそらく日本初のことだろう、どうなっても知らないが、まあその勇気だけは尊敬するみたいなことが書かれており、日高さんにこんなん来ましたけど、何かヤバかったスかね?と聞くと、いやあ、そんなことないだろと言いながらも、後日、潜入ルポ取材に協力してくれたメイソンリーが除名された云々ということがわかった、なんてこともあった。

あのころは毎夜、新宿の酒場と言ってもほとんどゴールデン街だが、飲みに行っては記者連中や作家連中と飲み、いろいろな企画やネタを仕込んでいたが、その店のひとつに知る人ぞ知る「骨歌」(こっか)という店があった。

場所は新宿 5 丁目か 7 丁目だったかちょっと思い出せないが、ママのキョウコさんは以前、G 街で「出鱈目」(でたらめ)という店をやっていた。

日高さんには、雑誌でオカルトものも取材するなら、この店を知らなきゃダメだと言われ、いくつかの新宿の店を連れ回されたのだが、そのひとつに骨歌があり、と言っても骨歌とオカルトは関係なく、何だかんだとハシゴしているうちに行くハメになったわけだが、そのうちに私も骨歌のほぼ常連となり、そこで高取さんと知り合ったのである。

私は毎夜、G 街に顔を出していたが、もちろん 1、2 軒ということはなく、5 軒、6 軒、7 軒、8 軒……基本的に覚えてないが、高取さんともあっちゃこっちゃ飲みに行くことになり、その流れで日高さんと飲みに行くときは、高取さんも一緒に飲むようになり、ふたりは同学年ということもあって仲よくなったようである。

そもそも日高さんが亡くなったことを知ったのは、高取さんからの電話だった。

「あ、高取さん、ちょっとご無沙汰してます!(笑)」
「…………」
「…?? 高取さん? 何ですか?」

高取さんが小さく呻くように言う。
「………知らないんだよ……これ」

「はい?……知らない? ……何がですか?」
「これ……知らないんだよ……ほんとに」
「何を知らないんでしょう、俺? 何かありました?」
「日高さんが死んだ……」
「!!!………」
「日高さんが死んだよ!」

そのあとわかったが、その日のニュースで何社かが日高さんの訃報を報じていた。

中村龍生氏と言えば、ヤクザの写真も多く撮っているので、ヤクザ界隈では知らない人はいないんじゃないかと思うが、森山大道ばりの強烈なコントラストのきいたモノクロ写真を撮り、また焼いた。

風景、特に女を撮ったが、観る者の五感すべてを震わせるような作品だった。

竹書房の仕事も多く、麻雀新選組などの写真も撮っており、あの写真嫌いで有名な阿左田哲也が唯一許したのが龍生さんだ。

龍生さんともよく飲んだ。

ある日、龍生さんと飲んでいると急に、西塚くんはさあ、阿左田さんに似ているよ…と言われて複雑な気持ちになったことを覚えているが、どうもハゲ具合のことだったように思う。

龍生さんには、私の武術の稽古の大(おお)先生の書籍を作ったときに、大先生の写真をお願いした。足の裏まで撮る龍生さんに大先生も、足の裏を撮られたことはないですねえ、とニコニコしていた。

私が出版社を辞めて独立し、さらに仕事を絞っていくうちに手元不如意となって、G街のハシゴもできなくなり、御三方とも会う機会が減っていた。

高取さんの月蝕歌劇団の芝居にはとうとうお邪魔できなかった。

何度かご招待いただいたのに、無礼な私は一度も顔を出さず、G街で会うたびに非礼を侘びるのが常になっていた。

最後に高取さんに会ったのは、阿佐ヶ谷のキョウコさんの店だ。先の骨歌のキョウコさんである。

日高さんと龍生さんとは仕事もしたが、高取さんとは、実話誌を立ち上げるときにいろいろとご意見をうかがったくらいだった。

仕事はきっかけのひとつなのだろうが、私にとっては三人は何というか、ガキのころで言えば、威勢ばかりがいい若造を面白がってくれ、いろいろと面倒をみてくれる懐の深いお兄さん方という感じだったのだ。

しかし、御三方とも早すぎます!

たしかに、人はいずれは身罷るものだが、まだまだ、ご一緒して遊びたかったなあと思う。

手元不如意だろうが何だろうが、もっと連絡をとっておけばよかったとつくづく思う…

合掌

 

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