だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

無題(前の続き)

用を済ませて戻ったわけだが、雨がけっこう冷たくなっていた。

「冷たい雨」って曲もあったね。きれいな山本潤子が歌っていて、作ったのはユーミンだ。ユーミンと言えば中島みゆきで、私はこのふたりはいわゆる日本の歌姫の両巨頭であり、日本ではもう誰も超えられない大きなふたつの山のようなものだと思う。

そりゃ、才能とか実績とか売り上げで言えば、100 メートル走のタイムを更新するようなことはあるだろうが、すでにでき上がっているカタチというものは、もう最初から最後まで変わらないのである。

たとえば、ユーミンがプリンセス・プリンセスの奥居香が出てきたときに脅威を覚えたとか、デヴィッド・ボウイがデヴィッド・シルヴィアンを警戒したとか、本人たちが何かしら自分のポジションを脅かされたと感じたといった話は聞く。

でも、そこがまた面白いと言うか、それはまあエゴのなせることで、そういうこととは無関係にやはり超えられないものは超えられず、それでいいのである。

何とかの御三家みたいなのもそうで、日本の歌謡曲で御三家と言えば、橋幸夫と舟木一夫と西郷輝彦と決まっており、そのあとに郷ひろみと西城秀樹と野口五郎が出てきて御三家と呼ばれても言いのだが、それぞれのメンバーは替えられない。

花の中三トリオと言えば、当然、山口百恵と桜田淳子と森昌子であり、今なら今の中三トリオもあるだろうが、カタチは替えられないのだ。

昭和の時代は、まだそういうカタチがあった。

そういうカタチが世界を動かす駆動力にもなっていたし、またカタチ創りがうまかった連中もいろいろいたのだと思う。

世界で言えば、いわゆる陰謀論に登場してくる連中もあるカタチにこだわっているだけだと言ってもいいのだが、一生懸命そのカタチを作り上げようとしており、文字通りカタチであるシンボルや護符のようなものを崇めたりして、それはそれでものすごく力を持って世界を形成していくのだが、平成に入って何かそのカタチの力が失効しはじめ、令和以降どうなっちゃうのだろうという感もある、今。

時代の流れとは言わないが、学校の同じクラスの仲間とか会社とか部署とか、マスコミとか国とか、そういうところで、ああそれいいんじゃね?的に徒党を組んで作られたカタチがもはや通じないと言うか、実は誰もそんなものに興味がなくなりつつあり、何だかこれまでとは次元が違うんじゃないかといった領域で妖しく蠢いているカタチのほうに興味を持ちはじめたと言うか、気がつきはじめているのではないだろうか。

実は、ブラックホールの発見なんてのもそういうことに関連しており、今まではある種の関係妄想とか思い込みとか考えすぎとか言われて、いろいろと跋扈していたカタチに押されて陰に追いやられていたような人たちの、自信がないながらも何となく私はこう思うんだけどなという、私に言わせれば “自分の考えを持っていたまともな人たち” の想いのカタチが連動してくるように思う。

それがブラックホールとどう関連するのだと言われそうだが、一応、宇宙規模で言うところのカタチの可能性の入り口みたいなことが、カタチとして姿を現わしたということだ。

さっきまで小林秀雄の話をしていたよなと今、思い出したが、まあ、一歩外に出れば男には 7 人の敵がいるって話ではなく、用を済ませたついでに一杯しっかければその前のことは忘れるってだけの話だが、自分でもうろ覚えの話をよくもまあ書いたものだと思うが、記憶に多少の自信もあったからだ。

だいたい、強い印象を持ったから記憶に残るのだろうが、そういう記憶は時系列的なものとは関係なく、やはりある種のカタチのようなものとして残っている気がする。

手触りと言うか、ニュアンスのようなもの? それを引っ張り出して、言葉にするとこんなん出ました的なことだ。

だから、同じ場面を体験した複数の人間でもそれぞれの印象が違うと、あとあと記憶から引っ張り出して言語化するときに時系列がそれぞれで違っていたり、ヘタすりゃ日にちや時間や場所やいた人間まで違ってくるからね。

カタチと言えば、艮の金神もカタチのことを言っている。“型示し” ってやつだ。ふりがなを入れて以下、『火水伝文』から引用する。

 

汝(なんじ)は知らず、親のご苦労を土台に致して、踏みつけに致して、なお解からず身欲(みよく)に走りて不平不満を言うて居(お)りたのぞ。子が親を殺すも今世の型示しにござるのじゃ。

今世の人民様の有りザマ申すは、皆々九分九厘取り違え致し居りて、身欲を基の生きザマに逆転致して居るが由(ゆえ)、天地に仇(あだ)成すお子と成り果て居るのじゃ。

今のままにありては天地の御祖(みおや)を殺すがオチぞ。御祖を殺してご自身が在ると思いてか。身欲の所行申しても程(ほど)があろうぞ。神が無くれば何も無い申して居ろうがな。親にお子を殺させる様な惨(むご)き真似、させんで下されよ。神、頼むぞ。

 

先日、元官僚トップが長男を殺めた事件があったが、2000 年に入ってから殺人事件は減少しているものの、親殺し・子殺しといったいわゆる尊属殺人は増えているらしい。殺人事件のたしか 50 %を超えているはずだ。

どういう型示しなのか、これも元となるカタチがわからなければわからない。

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