身過ぎ世過ぎその他、義理ある支援金返済のための奮闘努力の甲斐もあり、まるで天からの授かりもののような手法を伝授されることにもなったが、このひと月ちょっとは個人的には大わらわであり、ここ 2 週間以上ブログの更新もできないほど没頭していた。

没頭といっても同時に身過ぎ世過ぎってしつこいが、要するに仕事はあるわけで、はたまたどうにも探究・検証しなければならない任務というか思考・熟考の時間も必要なので、さまざまな予定が大幅にずれ込んでしまった。

先月はいろいろなライブや打ち合わせも重なり、それなりに忙しいというか充実してたといえなくもないが、当世ふう現世の処し方からいえばほぼアウトである。

そのライブのバンドも普通のバンドではなく、今度取材する予定なのでまた記事にしたいが、打ち合わせにしてもヌーソロジー関連の川瀬統心氏との会合や、そのときのアニマンダラ氏の想定外の飛び入りもうれしかったが、同席した立ち飲み屋の同好の士の話も含めて、その立ち飲み屋がなくなったので困っているのだが、ともかく個人的には『「盤」レポート 0 号』に続く次のレポートのテーマにすべてが関連してくるので、ちょっと驚いている。

もはや家族からも見放され、夜な夜なパソコン叩いてるっても何を書いているのかいないのか薄気味悪くて見ることも聞くこともできず、まるで『シャイニング』のジャック・ニコルソンのようだと噂をしていると風の便りというか小耳にはさんだが、たしかに薄らハゲっぷりが似てなくもないと得心した。

しかし世の中、知らない間に何とも色めき立つクセがついたというか、これまで SNS の “炎上” あたりで済んでいた “もの” が、まるで貞子のようにネットの世界からリアルの世界へヌーッと顔を突き出しはじめた感がある。

そもそもは日韓両国の外交上の問題だったことが、さまざまな国民感情を巻き込んでシャバにまで降りてきたようだ。

マスコミが国民感情を煽っていることは間違いないだろう。

ホワイト国や軍事協定がどうしたとか、もともと日韓併合とは何たらとか、徴用工問題はこうだったとか、冷静に解説するぶんには何ら問題はないが、だいたいが最近のワイドショーは人気コメンテーターを並べてあーだこーだとやるのが常だから、何を主張するにしても “過激” なほうが視聴者にはウケるってことで多少煽り気味にはなるわけだが、以前からそうした毒舌評論家はいた。

それでも視聴者のほうはスゲエこと言うなコイツは(笑)ってなくらいのことで、過激は過激でも理に適っていれば、うまいこと言うねえとか、一理あるね ♡ みたいなことで評価していたわけだ。

エラソーな経済評論家などがご意見番を気取ってメディアでホザいても、視聴者も一応フムフムと聞きはするが、昨日アイツが◯◯と言ってたがなるほどと思ったよとか、俺はそうは思わないな、間違ってるよアレ、などと酒の肴になるくらいのもので、むしろ世間というか庶民の見識が磨かれていいね!程度のものだった気がする。

実際、藤原弘達や竹村健一などにしてもってエラく古いが、モノマネされたり茶化されたり、タレントっぽく扱われながらもそれなりに一家言を持ち、体制に媚びない気骨が感じられたぶん視聴者からも信頼を獲得していた気がする。

そういえば小室直樹も生出演させてたんだから、当時のワイドショーはすごかった。テレビの生きのいい部分の、いい部分が出てたんじゃないかな。関係ないが、かつては田原総一朗氏だってテレビの取材中に “ホンバン” かましたことがあるんだから、テレビのこういうカゲキな部分はまだまだあっていいんじゃないか。

それがいつからかシロウトがテレビに出るようになり、ヘタすりゃ司会もするようになり、いやシロウトってか一般人がテレビに出るのは別にいいのだが、景気がよくなってますますシロウトがのしてくるようになると、テレビのスポンサーも結局は消費者頼みだから、つまりシロウト様様だから、視聴者のつまりシロウトのクレームなどにも敏感になり、そのうちシロウトに対するところのクロウトまでがシロウトに媚びはじめ、そのへんの構図を長年研究・熟知した “もの” が時の政府や広告代理店に知恵をつけ、挙句の果てにシロウトの相当数は “ B 層 ” と括られてマスコミ全体で操作される対象になってしまった。

まだ、かろうじてテレビ出演していたまともな評論家たちは、つまり自分の頭で冷静に考えてまっとうに話せる評論家たちは徐々にエゲツない方法で排除されていき、マスコミではほぼ体制に媚びた発言が “できる” 評論家しか残らなくなってきた。

あまりワイドショーを見ない私でも、こと今の日韓関係に関してはトーンとしては “嫌韓” 一色であることがわかるし、そうした流れに必死に警鐘を鳴らしているのは、評論家としては青木理氏くらいではないだろうか。

そりゃ、韓国の言いぶんの一部が理不尽であることや、韓国内で起きている反日的言動に対しては個人的には不快に感じたりすることはあるし、青木氏の発言内容にしてもうなずけない部分はあるが、今、この時点で評論家がとる言動としてはまっとうだと思うわけだ。てか、普通だ。

どう見ても、日韓問題に関する今のマスコミの報道の仕方はおかしいし、浮わついている。じゃなければ、意図的にバイアスをかけられている。

またアレなんだよな、近年、増え出したいわゆる YouTuber の影響もでかいんだと思う。YouTube では、どんなバカバカしい個人的な主張でも声を大にして吠えることができる。そもそもがそういうメディアだ。

もちろん、内容によっては Google 側の規制を受けるだろうが、基本的には自由だから、テレビには出られないシロウトからはじまったことが、今やブレイクできない芸人から国会議員までが参入しており、今後は社会的ポジションを超えてますます参入者が増えていくだろう。

そうした環境から、ちょっと前にも書いたが、シロウトでもクロウトでもやたらと安易にスマホやビデオで動画を撮るようになったし、ヘタすりゃそのまんま YouTube にアップされる。

普段の日常でもちょっと気に食わないヤツや場面に出くわしたときに、事態に応じてまっとうにコミュニケーションすればいいだけの話なのに、やおらスマホで録画し出したりする人がいるが、その人が YouTube チャンネルで膨大な登録者数を持っていたり、毎回半端ではないアクセス数を誇っていたりする場合は、巨万の支持者を “バック” に無意識(意図的)に高圧的な態度になり、相手にとっては事実上の暴力にもなる。

そんな状況のもとでは、まともな人と人との関係が生まれるはずもない。

また、初めからまともな関係を築こうという気がなく、非難・糾弾して相手を屈服させることだけが目的だとしたら、これはかなり効果的な手段でもある。

最近目にしたものでは、N コクの立花孝志氏やホリエモンこと堀江貴文氏の動画にそれにあたるものがあった。

人の言動には必ずその動機があり、手段がある。その人が成し遂げたい “想い” がまずあり、言葉や肉体を用いて何らかの手段で表現する。だから、表現されたもの・ことと、その動機に気を向けなければならない。

そういった意味では、動画では人の言動が視覚化されるので、表現する人の動機や想いがわかりやすいともいえる。文字で書かれたものと動画では情報量が圧倒的に違うからだ。

文字でしか、あるいは動画でしか伝わらないものの話はここではしない。それは “芸術” の領域に関係してくる別の話だからだ。

何だか話がまどろっこしくなったが、要するに YouTube において先のシロウトが何でもかんでも大声で表現できる世となり、タレントや国会議員を含めたいわゆるクロウトたちまでが YouTuber となりはじめたことによって、それまで多少 “特別区” 感のあった YouTube の壁も印象的には低くなり、ますますシロウトとクロウトが対等になり、私的なことも含めて事実上無制限に発信できる場が形成されるつつあることになったということだ。

もっと簡単にいえば、よく考えれば取るに足らないことでも、人々が検証もせずに大声で主張することができるようになり、またそのことに対する抵抗がなくなってきたのだ。

ましてや、たとえば “嫌韓” キャンペーンのようなものがマスコミで張られているとすると、それを察したシロウトたちは安心して、個人的な “気分” にまかせて下世話なことを主張したりする。

最近、YouTube がそうした人々の意識を急激に吸引する装置として機能しはじめているように思うのは気のせいだろうか。

いずれにしろ、妙ちくりんな流れにはオイソレとは乗らないようなマインドを保とう。

例の『週刊ポスト』の “断韓” の件にしても今号にはじまったことではなく、ずっと特集を組んでやってきことだ。

上品?といわれる『ポスト』だったから目立ったのかしら。『週刊現代』や実話誌(今もあんのかな)なら普通の特集である。売るための。

でも、やはりそういうことではないだろう。

何となく、かつてナチスのホロコーストはなかったとする記事を掲載して廃刊に追い込まれた『マルコポーロ』を思い出した。

もちろん今回の記事くらいで『ポスト』が廃刊することはないが、何か似てなくもない。

動画の力はすごい。

だからこそ、香港のデモもいっそうの力を得た。

逃亡犯条例の改正案を破棄させるという彼らの動機もはっきりしていたし、その理由としての彼らの想いもよくわかる。

たまったもんじゃないだろう。これまで CCP がチベット人やウィグル人にしてきたことを知っていれば当たり前だ。

当初は民主的なデモだと世界からも賞賛されていたが、途中からデモ隊が荒れ出して流血沙汰が多くなり、デモ隊はただの暴徒なのかもしれないと一瞬みなが思いかけはしたものの、やはりどこぞの策略による偽装デモ隊員の “煽り” だったことがわかることになるわけだが、それも YouTube があればこそである。

とにかく民衆を “煽って” 暴動を起こし、国内を混乱させたいヤカラがいつの時代にも常にいるわけだが、いいかげんそのワンパターンな愚策が通用しないことを私たちは見せつけないとならない。

わが極東でも中東のような複雑な宗教問題はないから、ネタとしては、はるか昔に終わっている戦争自体に関連する事柄を “問題” として蒸し返して、当事者同士をいがみ合わせるしか手はないわけだ。

広告に支えられるいわゆる大マスコミは、これまでの体制を抜本的に改革する必要に急激に迫られることになるだろうが、同時に今後は主流となるだろう YouTuber たちやユーザーたちも、これまで以上におのれの判断力や責任能力が問われてくる時代となる。

それこそ、今後は “カルト” も増えてくる。

私としてはそのことがいちばん気になるところだが、また別に書こう。

そう言えば、あの DaiGo も京アニの被害者の実名報道に対して、自身のチャンネルで珍しく怒りまくっていたが、感情的になっていることをあえて隠さず、どころか宣言までして私的なことも含め想いをぶちまけ、さらには被害者遺族に無理やり取材した記者への制裁というか、はっきりと「潰す!」と息巻いていた。

あのメンタリストでさえ、スイッチが入ればあれほど激昂するのである。

まあ、彼の激昂の動機も理由もわかるからアレだが、100 万オーダーの登録者をバックに「潰す!」といった発言をした構造に関しては、先の立花氏やホリエモンと変わらない。

動画がすごいのは、その構造も含めて “見えて” しまうところなのだが、だからこそ視聴者同士で議論をする余地もできるわけで、たとえ誰であっても、相手の攻撃的・感情的な発言の動機を慮ることはあっても、一緒になって安易に同調することには気をつけたいものだ。

人は人の気持ちがわかれば冷静になれるし、最善の道を探すゆとりもできるのである。

てなことを書いてるそばから、韓国の先輩の知人からラインがあり、何と先の『週刊ポスト』を購入しておいてほしいとして、表紙を添付してきた。

今月、新宿のある文壇バーで落ち合うことになったのだが……

 

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