どうだろう、世間ではコロナ騒動は少しは収まってきたのかしら。

地元ではそろりそろりと店を開け出している感じである。居酒屋のことだが。

私は相変わらず、溜まっている仕事と沈思黙考と酒飲みに取り組む日々だが、ブログの続きを書こうかとふと思いながらも二の足を踏んでいる。

仕事が最優先ということもあるが、てかこれも重要な仕事なのだが、一度記事を書きはじめると止まらなくなるから、自分で自分が怖いのだというと語弊があるが、あやしうこそ物狂おしけれといった状態になるのは間違いないから、やらなければならないことが多いときは、ついつい記事から遠ざかることになる。

だって、つれづれなるままに日ぐらしパソコンに向かって、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書いていたら、釜のフタがあきまへんがな、あなた。

とはいっても、『ジョン・ウィック』である。

「ネタバレ」なんてタイトルをつけているが、実際、映画を観てない人にとってはこんなハタ迷惑な記事もないから、間違って訪問してうっかり読むといけないから、最初から「ネタバレ」の記事であることを強調しておきたいがためのタイトルであり、他意はない。

しかし、『ジョン・ウィック』のことを書いていくと本当に止まらなくなり、書くことは延々とあるのだが、いいかげん読むほうも疲れるだろうから、端折りながら気楽に書こうかと思う。

前回のモーフィアスじゃなかったバワリー・キングとジョンとの邂逅に戻るが、というか、どうしてもローレンス・フィッシュバーンのことはモーフィアスと言ってしまうなあ。

 

Mr. Wick doesn’t remember, but we met many years ago,
彼は忘れているだろうが、以前、会ってる。

before my ascension…
私が王の座につく前だ。

 

のくだりは前回触れたが、バワリー・キングは続けてこう言った。

 

When I was just a pawn in the game.
私は捨て駒だったが、

We met and you gave me a gift, the gift that would make me a king.
君の贈り物のおかげでキングになれた。

 

「私は捨て駒だった」と字幕にはあるが、たしかに「ポーン」はチェスの駒のことであり、将棋でいえば「歩」だ。

そのほか「 pawn 」には、「人の手先、人に操られるもの、質草」といった意味がある。

だからバワリー・キングは普通に、かつてはどこかのボスの使いッパシリの「ゲームの駒」でしかなかったと言ったのだととれるのだが、どうも引っかかる。

基本的に『ジョン・ウィック』シリーズが、何だかゲームの世界の中というか、どこか “閉じられた” 世界(=マトリックス)の中での出来事のように思われるからだ。

実際、最初の作品でウィレム・デフォーのマーカスが、ロシアのボスを裏切ってジョンを助けたばっかりに、ひどく痛めつけられたあげく殺されるが、ボスが「こいつだけは俺の手で殺す」と言った後、マーカスは、

 

No my good sir,
そうはさせない。

I go out on my own.
自分で始末をつける。

 

と言って、ズタボロの体なのに自分を取り押さえていた両脇の部下ふたりと格闘し、殺す。でもそこまでで、かつて仲間だった女の殺し屋に撃たれ、崩れ落ちたマーカスは虫の息ながらニヤッとボスを見て、

 

See?
見たか?

 

と満足そうに聞く。するとボスは、

 

Well played, old friend.
さすがだ、友よ。

 
と手向けの言葉を贈ってから、マーカスに 6 発の銃弾を撃ち込むのである。

なんてことのない、アクション映画にはよくあるシーンだし、よくあるセリフだが、マーカスの言う「 go out 」は「死ぬ」という意味でも使われるが、本来は「外に出ていく」ことであり、今いるところから別の所へ行くということだ。

また、ボスの言う「 well played 」も、「よくやった、うまくこなした、見事だった」と言うときによく使う言葉だが、やはり本来の意味はスポーツ選手などが「うまくプレイした」、役者が「うまく演じた」ということである。

ちなみにこのセリフは、シリーズ 3 作目「パラベラム」のラスト近く、コンチネンタル・ホテルの支配人ウィンストンがジョンに 5 発の銃弾を浴びせるシーンでも登場し、ウィンストンの部下、ホテルのコンシェルジュ・シャロンは、ジョンが撃たれてホテルのテラスから墜落した後、ウィンストンにこう言うのである。

 

Well played, sir.
お見事でした。

 

つまり、これらのセリフからもなんとなく一連の出来事が “ゲーム” の中のこと、かりそめの世界の中のことで、それぞれが何ごとかを演じ合っているかのように思われてくるのである。

また脱線するといけないから、ジョンとバワリー・キングのシーンに戻ろう。バワリー・キングはそのまま次のように語る。

 

You don’t remember, but there I was, standing in an alleyway.
あの時、私は路地に立っていた。

I didn’t even hear you comin’.
足音も聞こえなかった。

You gave me this.
君がくれたのは、これだ(右の首筋の二本の斬り傷跡を見せる)。

 

そのままとれば、ああ、ジョンはその昔、仕事の関係でどこかの路地でバワリー・キングに音もなく忍び寄り、詳細はわからないが首筋を斬りつけて襲ったのだなということになる。

でも、バワリー・キングは本当に「路地」(= alleyway )に立っていたことを語っているのだろうか。

「足音」(= you comin’ )も聞こえなかったと言うが、この「 you 」はジョン・ウィックその人のことだろうか。

「君がくれたのは、これだ」と言って首筋の傷跡を見せるが、その傷は果たしてジョン自身の手でつけられたものだろうか。

そもそも最初に「 You don’t remember 」(=君は覚えていないが)と言ってるのもヘンな気がするが、先述のようにたとえばその他大勢の敵の中にバワリー・キングがいて、ジョンが次々と倒していく中で首を斬りつけたのなら、たしかに覚えてないかもしれないが、バワリー・キングの語りぶりからはそういうシチュエーションは想像しにくい。

となると、この「 you 」はジョンのことではあろうが、ジョン・ウィックその人というよりは、「死」の “象徴” のようなものととらえると腑に落ちるのである。

たとえば同じ「チャプター 2 」で、姉殺しサンティーノ・ダントニオの姉ジアナ・ダントニオが、バスルーム(といってもホールのように広いのだが)にジョンがいることに気づいた場面では、こんなやりとりが交わされる。ジョンはもちろん、サンティーノの「誓印」のためにジアナを殺しにきたのである。

 

G
Do you fear damnation, John?
あなたは天罰が怖い?

J
Yes.
ああ。

G
You know,
私は――

I always thought I could escape it.
死から逃れられると思ってた。

That I’d see it coming.
死が近づいたら――

That I’d see you.
察知できると……

 

実際のセリフと字幕が微妙に合っていないが、だいたいの意味としては通じるからいいだろう。映画の字幕はそういうものだし。

ここでジアナは、そういうセリフもちょっと前にあるのだが、ジョンのことをはっきりと “死の使い” としている。まあ、殺しにきたわけだから、それはそうなのだが。

しかし、「 I always thought I could escape it 」(死から逃れられると思ってた)の「 it 」は前の「 damnation 」のことだから、「死」でもいいっちゃいいが、やはり訳のように「天罰」とか「破滅」と「地獄に落ちること」としたほうがいいだろう。

で、そのときが近づいたら、自分は察知できると思っていたというのだ。つまり、自分を地獄に突き落とす使者の足音に気づくと思っていたと言ってるわけである。そして、ジョン・ウィックはその使者の象徴であり、実際の執行者なのだ。

これは、バワリー・キングが「 I didn’t even hear you comin’ 」(足音も聞こえなかった)と言っていたこととまったく同じで、「 you 」は単にジョンを指しているのではなく、ジアナと同じ意味で使っている。

つまり、この「 you 」は “死の象徴” としてもいいのだが、もう少し厳密にいえば、“不意に”、“出し抜けに”、“思いもかけないときに”、“突然”、やってくる「使者」であり、「執行者」の象徴とはいえないだろうか。

バワリー・キングは続ける。

 

Gift from the boogeyman. Perfect for every occasion.
ブギーマンは、どんな時も完璧な贈り物をするが――

But you also gave me a choice.
君は私に選択肢をくれた。

Pull my gun, shoot you in the back, and die.
君を後ろから撃って死ぬか――

Or keep the pressure on my neck…
首の傷を押さえて――

and live.
生きるか。

 

1 作目では、ジョン・ウィックは「ブギーマン」であることが強調されていた。ロシアンマフィアのボス、ヴィゴ・タラソフがジョンがどういう人物であるか、息子のヨセフに語って聞かせるシーンがあるが、そのときに出てくる呼称だ。

実際のセリフでは、最初はロシア語で「ババヤガ」(= Baba Yaga )と言うが、ヨセフとのやりとりはこうだった。

V
He once was an associate of ours.
以前、我々の仲間だった。

They call him “Baba Yaga”.
別名は “ババヤガ” 。

I
The Boogeyman?
“闇の男”(ブギーマン)?

V
Well John wasn’t exactly the Boogeyman.
彼はブギーマンではない。

He was the one you sent to kill the fucking Boogeyman.
ブギーマンを殺すのが仕事だった。

John is a man of focus,
ジョンは仕事を必ずやり遂げる――

commitment, sheer will…
断固とした強靭な意志で…

something you know very little about.
お前とは全く違う人間だ。

 
 

ここで初めて、ジョンが以前は殺し屋連中の側に所属し、しかもその殺し屋連中ブギーマンを「断固とした強靭な意志で」殺すブギーマンだったことがわかる。

そのブギーマンの最愛の亡妻の贈り物である仔犬を殺し、愛車を奪ったのがヨセフだったわけだ。

ブギーマンは西洋の民間伝説にある暗闇の化け物で、親が子どもに「そんなわるいことをするとブギーマンがさらいにくるゾ」と脅かすものだが、一般に「子取り鬼」とも訳され、スティーブン・キングにも「子取り鬼」という短編があるが、ってあれはよかったね、彼の短編の中でも秀逸だと思っているのだが、それはともかく、ロシアの「ババヤガ」も同じで、これは闇に潜む妖婆のようなことらしい。

まあ、自分の子どもをジョンが殺しにくるのだから、父親のボスにしてもジョンはババヤガのように思われたことだろう。だから第 1 作目では、「ブギーマン=子取り鬼」であることが強調された感もある。

そんなブギーマンであればこそ、バワリー・キングは「どんな時も完璧な贈り物をする」、つまり完璧な仕事をすると言ったのだろうが、そのときさらにブギーマンは自分に「選択肢」をくれたと言うわけだ。

この「選択」(= a choice )は、ご承知の通り、映画『マトリックス』では最大の “キーワード” の一つでもあった。

そもそも、一流コンピュータソフトウェア会社に勤務するネオことトーマス・アンダーソンは、第 1 作目ののっけから「選択」を突きつけられていた。前の夜にクラブでトリニティと落ち合い、翌朝遅刻して出勤したネオに社長のラインハートはこう言う。

 

R
The time has come to make a choice, Mr.Anderson.
選択するんだな、アンダーソン君。

Either you choose to be at your desk on time from this day forth,
今後、時間通りに席につくか、

or you choose to find yourself another job.
別の仕事を見つけるかのどちらかだ。

Do I make myself clear?
私の言うことはわかるね?

T
Yes, Mr.Rhineheart. Perfectly clear.
はい、ラインハートさん。よくわかりました。

 

その実、この時点ではまだアンダーソンはよくわかっていない。

いずれにしろ日々、彼は悶々としていたわけで、この先めくるめく世界へと入っていくハメになるのだが、それまでに何度か厳しい「選択」を強いられるという話であり、『マトリックス』は “選択” をめぐる映画だといってもいい。

初っ端、アンダーソンがクラブでトリニティと会うことができたのも、彼がハッキングして得た不正データを買いにきたチョイと、連れの女ダジュールがアンダーソンを夜遊びに誘ったことがきっかけである。

しかも最初は、明日は会社があるし、面倒くさそうだしってんで断ったのだが、チョイと会う直前、パソコンのモニターに「 Follow the white rabbit 」(白ウサギを追え)との言葉が送られてきており、ダジュールの肩には “白ウサギ” のタトゥーがあったがゆえに、同行することにしたのだ。

このあたりのやりとりもなんとも不思議というか、興味深い。

 

T
You ever have that feeling where you’re not sure if you’re awake or still dreaming?
起きているのか、まだ夢を見ているのか、わからない感じがしたことないか。

C
Mmm, all the time.
んー、いつもだ。

It’s called mescaline. It’s the only way to fly.
メスカリンっていってな。飛ぶにはそれしかない。

Hey, it just sounds to me like, you know, you need to unplug, man.
おい、声がするぜ、お前には息抜きが必要だってな。

Huh? Get some R and R?
どうだ? 休暇をとれ。

What do think, Dujour. Should we take him with us?
ダジュール、こいつも連れてってやろうか、どうする?

D
Definitely.
もちろんよ。

T
No, I can’t. I have, uh, work tomorrow.
いや、無理だ。明日は…仕事がある。

D
Come on. It’ll be fun. I promise.
来なさいよ、面白いから。約束する(と言って秋波を送る彼女の肩に白ウサギのタトゥーがあった)。

T
Yeah. Sure. I’ll go.
ああ、そうだな。行こうか。

 

いや、20 年も前の映画の詳細を語ろうってんじゃないのだが、ここではアンダーソンがクラブに遊びに行くか行かないかという選択を一瞬迫られて、結果行くことにするのだが、その選択 → 決意までにいろいろな要素が絡んでいることが興味深く、またこれは映画の初っ端の話であり、ストーリーの初めの一部から映画全体のテーマが畳み込まれているのだなあと感心しているのである。

ざっくりいえば、どこからともなく PC を通じて、一流企業とはいえ一介のサラリーマンであるトーマス・アンダーソンにコンタクトしてきた存在があり、「白ウサギを追え」とのメッセージが送られ、その後にチョイと話しているうちに、チョイに何かしらの声というか啓示のようなものがふいに降りて、アンダーソンを外に連れ出す気になり、連れの女の肩には先の PC のメッセージのアイコンがあるってな流れだが、こうしたもろもろの流れはあっという間の短い時間のことなのだが、結局はPCのメッセージの主の仕組んだ流れに従うことになるというところが面白いと思うわけだ。

そして、どこから来るのかわからない “導き手” の誘いに乗って以降、次々とアンダーソンは「選択」を迫られる事態に遭うことになる。

先のラインハート社長の「選択」の後、とぼとぼとデスクに戻ったアンダーソンに携帯電話が届き、エージェント・スミスたちが自分を取っ捕まえにきたことをモーフィアスに知らされ、モーフィアスの指示に従って社内を逃げ回った後に、

 

M
There are two ways out of this building.
このビルから出る方法は二つ。

One is that scaffold. The other is in their custody.
一つはあの足場だ。もう一つは彼らに捕まることだ。

You take a chance either way.
どちらでも選べる。

I leave it to you.
君にまかせる。

 
とまた「選択」を迫られる。

結局、アンダーソンはエージェント・スミスに捕らわれ、取り調べ室に連行され、彼には二つの生活があること、一つは一流のコンピュータソフトウェア会社に勤めるプログラマーであり、社会保証番号もあり、納税もし、大家のゴミ出しも手伝うという立派な人物としての生活、もう一つは「ネオ」という名を持つハッカーとしての生活だと突きつけられる。

そして、一方の生活には将来があるが、もう一方にはないとし、モーフィアスの逮捕に協力することを条件に、ハッカーとしての過去を帳消しにしてやると取り引きを持ちかけられるのだ。

ここでもまた「選択」を強いられるわけだ。

さらにその後、トリニティやスウィッチたちの車に乗せられて、わけもわからないままモーフィアスに会いにいく車中、わけがわからないだけにネオは質問をするが、スウィッチに、

 

We don’t have time for twenty questions.
ごちゃごちゃ質問に答えているヒマはない。

Right now there’s only one rule, our way or the highway.
いいか、ルールは一つ、私たちのやり方か、車を降りるかよ。

 

と、ここでも「選択」を迫られる。

そしてモーフィアスに会ったら会ったで、例の「青いピル」か「赤いピル」かの「選択」を迫られ、赤いピルを飲んだネオはそのまま「マトリックス」の世界へと入っていくのである。

そう、“不思議の国のアリス” が白ウサギの穴に落ちていくように……

ちなみに、『ジョン・ウィック』のチャプター 2 では、バワリー・キングが「 I was just a pawn in the game 」(私は捨て駒だった)と言うわけだが、『不思議の国のアリス』に続く『鏡の国のアリス』では、今度はアリスは “鏡の世界” に入り込み、文字通りチェスのゲームの中の「白い歩(ポーン= pawn )」になるという話だった。

『マトリックス』ではその後、モーフィアスの仲間となったネオはオラクル(予言者)に会うが、そこでもこう言われる。

 

You’re going to have to make a choice.
あなたは選ばねばならなくなる。

In the one hand you’ll have Morpheus’s life,
一方の手にはモーフィアスの命、

and in the other hand you’ll have your own.
もう一方にはあなた自身の命。

One of you is going to die.
二人のうちどちらかが死ぬことになるわ。

Which one will be up to you.
どちらになるかは、あなたしだいよ。

 
なんだかんだで、いくつもの「選択」を乗り越えてきたネオ=救世主は、最後にこう結ぶ。

 

I don’t know the future.
私には未来はわからない。

I don’t come here to tell you how this is going to end.
私はこの世界がどのように終わりを迎えるのかを告げにきたのではない。

I came here to tell you how it’s going to begin.
どのように始まるかを告げにきたのだ。

I’m going to hang up this phone,
この電話はすぐに切る。

and then I’m going to show these people what you don’t want them to see.
そして、この世界の人たちにお前が見せたくないものを見せようと思う。

I’m going to show them a world without you,
お前のいない世界を見せるのだ。

a world without a rules and controls , without borders or boundaries,
規則も、管理も、国境も境界線もない世界、

a world where anything is possible.
何でも可能な世界だ……

Where we go from there…
その先に待っているものは…

…is a choice I leave to you.
その選択はお前にまかせよう。

 

電話の相手は、ネオの電話をトラッキングしている連中だ。そういうふうにとれる。しかし、このラストシーンの言葉は、映画を観ている者たちに突きつけられているかのようにして、終わるともいえるのである。

あっちゃこっちゃ飛んで忙しいが、再びジョンとバワリー・キングに戻れば、「ブギーマンは、どんな時も完璧な贈り物をするが――」と言った後、バワリー・キングはこう続ける。

 

But you also gave me a choice.
君は私に選択肢をくれた。

Pull my gun, shoot you in the back, and die.
君を後ろから撃って死ぬか――

Or keep the pressure on my neck…
首の傷を押さえて――

and live.
生きるか。

 

ここも実は想像しにくいシーンなのだが、そのままとれば、ジョンに首を斬られたらしきバワリー・キングは、銃で反撃し、ジョンの後ろ姿を撃ちながらそのまま出血多量で死ぬか、首(頸動脈だろう)を手で押さえて、病院で手当てして命びろいするかの選択を迫られた、というふうになる。

しかし、ソリッドでクールがウリのアクション映画にしちゃ、なんともマヌケな話にも聞こえるが、バワリー・キングと会う直前に、ジョンは地下鉄内でジアナの護衛カシアンと死闘を繰り広げ、最後はナイフを動脈に刺し、抜けばそのまま出血多量で死ぬとカシアンに言うシーンがあるから、ひょっとしたら、ジョンはカシアンにもバワリー・キングと同じ「選択肢」を与えたとも考えられるから、先の “マヌケ” なシーンというのもあながち的ハズレでもないのかもしれない。

その証拠といったら何だが、胸に刺さったナイフを握ったまま座席に座ったカシアンをバックに、ジョンが地下鉄のドアから降りてくるシーンがこれ見よがしにある。つまり、ジョンはかなり無防備な後ろ姿をカシアンに晒していることになるわけだが、あの用意周到なジョンが、あのツワモノのカシアンに背中を見せるかね? ゴルゴ 13 ならありあえないが。

実際、『ジョン・ウィック』シリーズでは、「背中から刺す」といったことが妙に強調されている。

映画チャプター 2 のアメリカのキャッチの一つは、「 NEVER STAB THE DEVIL IN THE BACK 」だ。

直訳すれば、「決して悪魔を背中から刺してはいけない」といった意味だが、これはコンチネンタル・ホテルの支配人ウィンストンが、姉殺しのサンティーノ・ダントニオに言った言葉である。

「 stab~in the back 」はイデオムにもなっていて、「~を裏切る」とか「~の悪口、陰口を言う」といった意味もある。

ま、ともかく、バワリー・キングは後ろから撃たなかったので――

 

And so you see, I survived.
おかげで私は生きている。

 

というわけだ。で、

 

No one sneaks up on me anymore, thanks to you.
それ以来、私に忍び寄る者はいない。

I am all‐seeing and all‐knowing.
今の私には、何もかもが見えている。

 

ということだが、これもちょっと話としては飛躍しているキライがある。

会話(といってもバワリー・キングのほぼ独白だが)のちょっと前に、「 We met and you gave me a gift, the gift that would make me a king 」(君の贈り物のおかげでキングになれた)ってのがあったが、この「 king 」もそりゃ “バワリー・キング” というくらいだから、まさしくニューヨーク暗黒街のキングであり、ボスということなのだろうが、ジョンの「選択肢」のおかげで命びろいし、その後の暗躍か努力のせいかどうか、今の地位にまで「アセンション」できたということでもいいのだが、これも先のホテルの支配人ウィンストンとサンティーノとの会話シーンにリンクさせると、また違うニュアンスを帯びるセリフになってくるのだ……。

やはり止まらなくなるのと、仕事に戻るのでここらへんにしてまた次回に続けるが、『ジョン・ウィック』に関するキアヌのインタビューがある。

ジョンはこれからどこへ行くんだ?ってなインタビューで、超あっかるいオヤジとのやりとりだ。

 

(英文)
We wanted to come to a place that John literally had to fight for his life,

and that he’s starting to become a little anti-establishment.

And that’s really where the character starts to develop.

It’s like the rules and world that he lived by,

aren’t starting to work for him, and they’re not working!

There are people who are out to get him because of (his)transgressions.

And we liked that idea because we like John –

when I say ‘we’ I mean the producers, the writer, the director –

we like to see him suffer!

We wanted to put him in another vulnerable…

How’s he going to get out?!
How’s he going to survive?!
What’s it mean?!
What’s he going to do?!’

I don’t know!

We have some ideas.

Maybe he needs to go to Jerusalem!

Or he’s in the middle of the desert.

Or whatever!

 

(直訳・意訳・大意)
私たちはジョンが自分の人生のために戦わなければならない立場におきたかった。そして、彼はちょっと反体制になってきている。

それはキャラクターが発展しはじめるところでもある。

彼が生きてきた世界のルールは、彼には通用しなくなってきている。

その違反行為のため、彼を捕まえようとする人々がいる。

私たちはジョンというキャラクターが好きだから、そのアイデアが気に入った。

「私たち」とは、プロデューサー、作家、監督を意味する。

私たちは彼が苦しむのが見たいんだ。

彼をもろい弱者にしたかった。

彼はどうやって出て行くのか?
どうやって生き残るの?
そこに何の意味があるのか?
彼は何をするつもりなもか?

わからない!

いくつかアイデアはある。

おそらくエルサレムに行かなければならないし、

砂漠の真ん中にいるかもしれない。

何でもあり得る!

 

いやあ、たぶんエルサレムにも行くって言ってるけど、3 作目『パラベラム』ではたしかに砂漠を歩いて「主席連合」の首長に会うシーンがあった。

それも、かつての盟友ソフィア(ハル・ベリー)をともなって主席連合の幹部に会いにいき、危険を冒して居場所を聞き出したのである。

このときのハル・ベリーのアクションもなかなかだったが、身内?の作品でいえば、やはりウォシャウスキー姉妹の『クラウド アトラス』のときがよかったね。

で、主席連合の幹部ベラーダから聞き出して、砂漠を「オリオンの犬の星」をたどってひたすら歩けってなことを言われるわけだが、「オリオンの犬の星」って、それは「シリウス」ということだわな。

ご承知の通り、シリウスは全天で太陽の次に明るい星だが、オリオン座に従うおおいぬ座のアルファ星であり、オリオン座のベテルギウスとこいぬ座のプロキオンと「冬の大三角形」を形成している星だ。

そういえば、ジョンはいつも「犬」を従えているが、ひょっとしてジョンは「オリオン」か?

実際、3 作目『パラベラム』では、ホテルで主席連合が送り込んできた連中とバトルをしにいくジョンと、コンシェルジュのシャロンに対して支配人ウィンストンはこう言う。

 

W
I know you’ll do The Continental proud.
コンチネタルの誇りを見せてやれ。

C
I’ll see you soon, sir.
すぐにご覧にいれます。

W
And you, Jonathan, do what you do best.
で、君はジョナサン、一番得意なことをしろ。

J
What’s that?
それは何だ?

W
Hunt.
狩りだ。

 

オリオンの一番得意なことは狩りだった。

そして、『ジョン・ウィック』では「犬」の存在感が大きい。そもそも亡き妻からの贈り物である「仔犬」を殺されたことから、ことは始まっているのだ。

しかし、『ジョン・ウィック』の 4 はどうなってしまうのだろうか。

ジョンは “エルサレム” に行くのか?(先の映像で「エルサレムだっていくかもしれないよ!」と妙にはしゃぐ彼の目がマジな感じがして、ちょっと気になったりして…)

いずれにしろ、人を殺しまくる単なるアクション映画として楽しんでもいいのだろうが、何やら散りばめられた “意匠” からは重層的に “意味” が立ち上ってくるようで興味深いわけだ。

単なるアクション映画ではないとすれば、じゃあジョン・ウィックはいったい何と戦っているのだろうか……というのが、実はこちらの主旨なのだが、『燃えよドラゴン』か!と突っ込みたくなる例の “鏡の間” の戦闘にまだたどり着いてない。

ここにキモがある。

かもしれない。

てか、たどり着けるのかな……

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です