だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

桃太郎伝説~ときどきジョンと炭治郎

ここのところちょっと『ジョン・ウィック』に触れているわけだが、というか自分で勝手にシリーズとか言っちゃってはじめたわけだが、何というか、興味深い作品だ。

聖書の事績なども絡んでいるように見えるし、いや間違いなく絡んでいるが、遅れまくっているシリーズの続き云々の前に、『桃太郎』なのである。

そう、あの「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に……」ってやつだ。

で、おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこどんぶらこと大きな桃が流れてきて、家に持って帰っておじいさんと食べようと割ったら中から赤ん坊が出てきて、桃太郎と名づけて育て、やがて桃太郎は鬼ヶ島に鬼を退治しにいくわけだ。

『浦島太郎』や『金太郎』と並び、日本人ならほとんどが知っているおとぎ話である。

細かいストーリーではいろいろなバージョンがあるが、古くは桃を食べた老夫婦が悔悛じゃない回春し、勢い余って赤ん坊ができちゃったってなバージョンもある。

しかし、鬼ヶ島に行って鬼を退治し、宝物をぶんどってくるというパターンは共通している。

桃といえば、やはりイザナギとイザナミを思い出すだろう。

古事記では、イザナギとイザナミはえっちらおっちら国産みをしていき、神産みの段になって、イザナミは “火” の神であるカグツチの神を産むときに火傷で死んでしまう。

嘆き悲しんだイザナギは黄泉(よみ)の国に行って妻と会い、まだ神産みが終わってないんだから帰りましょと言うも、私は黄泉の国のものを食べてしまったのでもう戻れないけれども、やっぱ一緒に帰りたいから、ちょっと黄泉の神と相談してみる、でも私のことは見ないでね、と言ったままなかなか帰ってこないから、イザナギが覗いてみると、イザナミは体にウジがわき、頭だ胸だ腹だ陰部だ手足だに雷が轟いて惨憺たるものだった。

「ひえ~~っ」「見たなあ~~」ってことで、恥をかかされたと思ったイザナミは、黄泉の国とイザナギの国の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)をスタコラサッサと逃げ帰るイザナギに黄泉醜女(よもつしこめ)を差し向けるが、イザナギは髪の蔓(つる)や櫛(くし)の歯を投げて、それらがブドウになったりタケノコになったりして、黄泉醜女が食べてる間に逃げるが、今度は雷の魔の大群が追ってくるので、最後に坂本(黄泉比良坂のもと)になっていた “桃” を3つ投げて撃退したってんだが、ここでようやく桃が出てくるわけだ。

この桃って何だ?

少なくとも魔の大群を追い払うだけの力があるようだ。

黄泉比良坂では、最終的にイザナミ自身が追っかけてきたのだが、千引岩(ちびきいわ)で塞ぎ、イザナミとイザナギは岩を間にして向こうとこっちで別れることになった。

これが最初の “岩戸閉め” である。

ちなみに、岩戸閉めはこれまでに 5 度あり、カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)が自ら人皇を名乗ったときが 4 度目で、最後は “仏魔” が来たときだという。

要は、人の心が荒むというか、いろいろとたとえば妙な思想的な影響を受けておかしくなったとき、天が岩戸を閉じていくのである。

つまり、天との連絡を断っていく。

天と地のある種の秘密を隠していくのである。

で、ここにきて、いよいよこれまでにない 2 度目の岩戸開きの時期となった、というのが神道系でいう “世の立て替え立て直し” につながることであり、隠された秘密の顕現ということになる。

イザナミの姿に現われていたもろもろのケガレは、この地上の世界の状態そのものの象徴であり、それは早い話がイザナミが産んだカグツチの神がもたらしたものだ。

カグツチの神は “火” の神だが、同時に “知” の神でもある。

知恵の神、知識の神、創世記でいえば “蛇の知恵” ということだ。

イザナギは、火の神カグツチはやがてこの地を滅ぼすとして、泣く泣くカグツチの神の首を十拳剣(とつかのつるぎ)で斬り落とすが、さすが古事記、十拳剣にしたたる血からも次々と神が生まれ、斬り殺されたカグツチの神の体からも、頭だ胸だ腹だ陰部だ手足だから神が生まれ、世界をケガしていくことになる。

興にのってここまで書いたが、『おやすぴ』の収録に行かなきゃならない。

本来は最後まで書いてからアップするのだが、いろいろとすぐに間があいてしまうし、「完璧よりも前進を」との教えに従って、アップしておこう。

つづく

Commentコメント

  1. 好本健一 より:

     西塚裕一様

    「“古事記にも、世の中で善と悪との最後の大戦いがあると、善悪の大峠が来るとはっきりと示されているということは大変興味深いことだなと思いますね”」
    【第12回後半/霊界物語のハイライト 2/三千世界の立て替え立て直し・出口王仁三郎の勉強会】
    https://note.com/naoya_f_lce/n/nac818314a47a

    『霊界物語』については、「是は全地球上の出来事に対する御神書」とありますから、今、全地球上の人びとが、黄泉比良坂大峠を、暮らしの全体を通して旅していると思います。
    【第四二章 言霊解四】
    https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0842

     6月、7月、8月は、大きなニュースが出てくる、とルイーズさんが予測していますが、ギャラクシー・アライアンスとアース・アライアンスの多層的な連携で、地球は、目を見張る、新しい地球史の展開を見せてくれるでしょうか。
     日々のニュースで確認したいと思います。「注目すべきニュース」と「そこから目をそらさせるニュース」を選り分けながら。

     mRNAワクチンは、遺伝子レベルで、また血流レベルで、黄泉比良坂大峠を感じさせます。

    意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)である「桃」は、黄泉比良坂大峠を旅する人びとの心と体の中で、どのような働きをするのかな、と考えています。
     私としては、「桃」が、遺伝子レベルで、また血流レベルで、そして顕在意識の拡大という課題のレベルで、そして宇宙経綸と共鳴する肉体レベルで、大活躍してほしいと思います。

     やはり、人は、魂が、意識を次元変換装置として、肉体に入り込んでいますから、魂と心と肉体の統一を、毎日の暮らしの中で稽古する「武」の精神が、黄泉比良坂大峠には求められると思います。
     昨日から、『新版 合気習得への道―佐川幸義先生に就いた二十年』を読み始めたところで、『桃太郎伝説~ときどきジョンと炭治郎』を拝読しましたので、このような感想になりました。

     好本健一

    • nishi より:

      好本様

       
      ポストありがとうござます。

      「桃」に関しては、いろいろな意味があるようです。

      桃に限らず、日本語で表わされた神示では、言葉や文節、文章まで、意味が幾重にも織り込まれているようです。
      日本語ではそれが可能なんですね。

      もちろん外国語でも可能ですが、日本語の比ではないと思います。

      一つだけ例を挙げると、ビリー・マイヤーが伝えているプレアデス/プレヤール人の情報は、すべてスイスドイツ語で伝えられ、FIGU(ビリーたちの活動拠点)本部では、翻訳ものに関してもスイスドイツ語の併記を義務づけています。スイスドイツ語でなくては、本来伝えることのできない内容だからだそうですが、たとえわからなくても、言語を読むことによって、真意は波動となって伝わるということです。

      アルファベットを使用しているドイツ語でもそうなのですから、五十音一つひとつにいくつもの意味がある日本語となれば、同時に何通りの意味を伝えることができるのでしょうか。

      特に、引用されていた『霊界物語』をはじめ『日月神示』、『火水伝文』などの一連の艮の金神のものとされる神示では、そのあたりのことを踏まえないとわからないことだらけになります。そういう意味では、誰もが知る『聖書』にしても同じことで、いまだに一つの表現をめぐって意見がいくつにも分かれています。

      今はもう、モザイクの破片を研究している人たちが集まり、全体に描かれたステンドグラスの絵が何であるのかを語り合う段階にありますね。それを本当にわかろうとする人たちが一定数いれば、それでよいのだと思います。

       
      西塚

好本健一 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。