だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

『TENET』考 ~ネタバレ注意

記事のアップが滞るにもほどがあるが、「桃太郎伝説~ときどきジョンと炭治郎 2 」からすでに 3 カ月も経過している。

言い訳をすれば、前の記事では、『古事記』の黄泉比良坂(よもつひらさか)におけるイザナギとイザナミとのやりとりの場面は、『古事記』と『日月神示』では違うということを書いて終わったのだが、その論拠となる『日月神示』の文が、数種類ある『日月神示』で一致してないことが遅れている理由の一つなのである。

私は以前から日本弥栄の会が発行している中矢伸一氏監修の『日月神示』を読んでいるが、今回の記事を書くにあたって、「一応、ほかのバージョンもあたってみっぺ」とばかり軽い気持ちで突き合わせてみたら驚いた。

もちろん、『日月神示』は読み方からして「ひつきしんじ」だったり「ひつくしんじ」だったり、ほかにも『ひふみ神示』という呼称もあるし、それぞれの巻の帖の文章も漢字表記もところどころ違っていたりする。

もともと岡本天明に降りた自動書記は数字や記号ばかりだから、なんのこっちゃと最初は誰にもわからなかったくらいで、神道家や神示研究家の努力で解析していくうちに今の形になったわけだが、そもそもそれも絶対的に正しいのかどうかとなると定かではない部分があるが、それでも専門家たちが必死に解読しただけあり、また自分でも何回も読めばわかるように、おおよその意味はとれるようになっている。

しかし、降ろしている艮の金神(うしとらのこんじん)自身が 8 通りの解釈の仕方があると言っているくらいだから、一つの正しい解釈というものはなく、何回も何回も読んでいるうちにある箇所がふとわかったり、そういうことか…と別の解釈ができたり、そんなこんなで、あえて言えば本質的なことは “全体でわかる” しかないようになっており、細部に関しては新たな発見がいまだに継続して見つかっていくってな書なのである。

まあ、だいたい古今東西の “神の啓示” いわゆる “神典” といわれる書はそういったものではあるが。

だから、多少の食い違いがあってもいろいろ読み合わせて解釈すればことはすんでいたのだが、今回の記事に関しては、解釈がまったく逆になってしまうから困っちゃったのである。

それも、ある “一文字” が入るか入らないかの違いだ。

つまり、私が愛読している日本弥栄の会のバージョンにはその一文字が入っているのだが、ほかのバージョンにはない。

日本弥栄の会の『日月神示』の誤植なのか、ほかのバージョンのほうの誤植なのか、わからない。

でも、意味がまったく変わってしまう。

そこは今回の記事の核心にかかわることなので確認しないわけにはいかず、原典を取り寄せることにしたのだが、つまり「一八十ヽヽ十(◯の中にヽが入った記号)ハレ、二二七ヽ(外側から内側へ左巻きの渦巻き記号)三……」といった感じで書かれている墨文字の原文に当たって、問題の箇所がどういうふうに書かれているかを確認するしかないわけだ。

ちなみに上記の「」内の数字・記号の原文は、「岩戸あけたり日本晴れ、富士光るぞ……」と読む。

しかし、そんな原典はもはや巷には売っておらず、図書館で借りるしかないのだが、調べると滋賀県と長崎県の図書館にあったから、取り寄せなくてはならないと思いつつも、いまだ取り寄せてない…(汗)。

んなところでつまずいてしまい、先に進んでないわけだが、早よ取り寄せるようにしますですハイ。

なので、タイトルに「炭治郎」とか「ジョン」とか打っているものの(もちろん竈門炭治郎とジョン・ウィックのこと)、そこまでたどり着けないでいる。

てことで、ここはひとまず映画『 TENET 』に触れてごまかすことにした。

てか、単にこないだ、たまたまケーブル TV で『 TENET 』を観る機会があり、ひえ~~となったからである。

案の定というか、ノーラン特有の「時間」をめぐる物語だが、ちょっとスピ寄りに思いついたことを書いておこうかと。

スピ寄りて言うとアレだが、『おやすぴ』の初期でも言ったが、私はそもそもこの世はすべて人間の精神活動の賜物だと思っており、世界のことごとくは私にとってスピリチュアルなことなのである。

『 TENET 』に関しては、時間の順行・逆行についてや各シーンの時系列的な解釈等々、ものすごい量の解説サイトがありそうだから、今回はスピ寄りに気づいたことを牽強付会に述べるだけにする。

 

 

だいたいがタイトルの「 TENET 」からして、二つ目の E が左右逆、最後の T は上下逆になっているから、ちょうど両端の T を左右からつまんで真中の N でひねったメビウスの輪のようなイメージを醸し出しており、のっけから時間の円環構造に吸い込まれる感がある。

 

 

“円環” といえば、ボルヘスに「円環の廃墟」というとんでもない短編があったが、たしか文庫で 10 ページにも満たないものだったが、旧約の創世記を “意識” の観点からスピ的に描いたような作品で、ノーランの『メメント』や『インセプション』、今回の『 TENET 』のテーマにも通じると私は思う。ノーランの洗練された作品に比べればもちろん激しく泥くさいが……。

映画の冒頭、ほぼ満席のオペラハウスが映し出され、これからクラシック演奏がはじまるというところだ。

指揮者が指揮棒を振り上げ、各楽器演奏者もまさに音を繰り出そうとした瞬間、テロリストたちがなだれ込んでくる。

会場は一気に恐怖のどん底に突き落とされ、阿鼻叫喚に包まれる。

オペラ劇場といえば、クラシック演奏なり、オペラなり、一夜、何ごとかの作品が演じられ、あらかじめ定まった内容に沿って指揮者の指揮のもと、各演奏者や演者が決められた自分の役割を忠実にまっとうする場所だ。

そうして紡がれる “物語” に観客たちは没入し、作品が奏でる夢の世界に組み込まれていくのである。

まさにその夢物語がはじまろうというときにテロが襲いかかり、会場の観客たちは一挙に “恐怖” に支配され、実際に催眠ガスかなんかで全員本当に “眠らされてしまう” わけだ。

観客の “眠り” の外では、偽装テロリストや偽装特殊部隊などなど、複雑な事情が絡み合った主人公らの銃撃戦が繰り広げられるわけだが、最終的には観客もろとも劇場が吹っ飛ばされるところを主人公らの尽力によって観客が犠牲になることだけはまぬがれることになる……

このオープニングのたたみ込むようなシーンは、物語全体の縮図ともなっている。

なぜなら、自分たちが助かるために何も知らない “過去” の人類すべてを消滅させようとする “未来” に属するものたちと、それを阻止しようとする “現在” を生きるエージェントたちの戦いの物語だからだ。

そもそも、彼らはなぜ過去の人類たちを消滅させようとするのか。

未来の地球ではどうやら終局が避けられないものとして近づいており、それを恐れた未来人たちはひとりの科学者が発明した「アルゴリズム」を起動し、時間を “逆行” させて世界をまるごと “反転” させようとしているのだ。

そうなれば順行している “現在” の世界は消滅する。

しかも、未来人たちには良心の呵責は微塵もない。

そんな未来人の策謀に大金と引き換えに協力するセイターは、最期にスマホ越しで対峙する主人公( J.D.ワシントン)に対してこうつぶやく。

 

私は新しい世界を創るのだ。
I’m creating a new one.

いつか、あるとき、水晶のタワーにいるひとりの人間がスイッチを入れる。

そして、ハルマゲドン(終局)の引き金が引かれると同時に、回避される。
Somewhere, sometime, a man in a crystalline tower throws a switch and Armageddon is both triggered and avoided.

まさに時間自体が方向を替えるのだ。
Now time itself switches direction,

これからは、われわれが浴びている同じ太陽の光は、われわれの子孫たちの頬を暖めるだろう。
The same sunshine we’ve basked in will warm the faces of our descendants generations from now.

 

そのときのセイターの落ち着き払った、ペダンティックな、狂気じみた、傲慢な表情をケネス・ブラナーは見事に演じていたね。

まあ、このテの嫌味な演技はイギリス人役者の真骨頂ともいえる。

しかし、その勝ち誇った顔が我慢ならないとして、自分の妻キャットに撃ち殺されることになるのだが。

それにしてもセイターの妻、キャットことキャサリン役のエリザベス・デビッキという女優は 190cm を超える長身であり、これに見合う高身長の登場人物はセイターの無骨な部下ボルコフくらいなものだ。

実際、『 TENET 』にはビジュアル的にもポジション的にも、主人公のようなどこか朴訥で誠実で情熱的でもあるアフリカ系アメリカ人や、マヤ文明の末裔か!と言いたくなるマヒアや、お前カストロ好きだろ的な部隊長アイブスといった見た目中南米系から、微妙にいけすかないインド人の武器商人のおばちゃんプリヤ、ミステリアス&クールながらも主人公を助けるヒューマンな近未来人的なニール、悪魔と契約したと嘯くロシアの死の商人でニヒリストのセイター、主人公をTENETに勧誘しておきながら、どこか無責任な感じもする飄々とした組織のリアリストおじさん、同組織に関係しているらしいこれまたリアリストのツンデレ女性科学者、シニカルで気取った元英国諜報部員の老紳士クロスビー卿などなど、なんだかクセの強い連中が登場してくる。

特に先のキャットは男性ならともかく女性だけに長身ぶりが余計際立ち、華奢ともいえるほどスレンダーで手足の長い色白な容姿に加え、夫のセイターに冷酷に支配されているあたりは、何か野蛮な地球人に囚われているあきらめ顔のトールホワイト系宇宙人女王のようでもあり、となるとセイターに奪われようとしている息子のマックスもインディゴだかレインボーだかのチルドレンのようにも思え、マヌケな妄想がいちいち広がっていく……

単純にアクションスパイ映画や SF 映画として楽しめばいいし、冒険的な映像にびっくらこいていればいいのだが、どうにもあっちゃこっちゃで興味深いから要点だけでも書きつらねていこうと思うが、記事の冒頭で触れた『日月神示』もそうだが、とかく神の経綸を伝えるものは “数字” が多用されるというか、いろいろと数字で示されるということがまずある。

『日月神示』でいえば、その数字は、0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、が基本となるが、同時に裏に10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0、がある。

つまり、順行する数字のラインと同時に逆行する数字のラインもあるということだ。

そして神の経綸としては、つまり平たくいえば世界の進展としては、「 1 → 2 → 3 」「 3 → 4 → 5 」「 5 → 6 → 7 」「 7 → 8 → 9 」、と進んでいく。

7 以降のこと、「 7 → 8 → 9 → ?」に関しては長い説明が必要なので省略するが、いわゆる古今東西の神典・聖典、高次元からのものとされるチャネリング情報も含め、数字の意味するところは基本的にはすべて共通している。

そして、その中心はいつも「 5 」なのだ。

これは、『日月神示』の流れにある『火水伝文』に「九御座(くみくら)」として明かされてもいるが、正方形をタテ・ヨコ 3 等分に区切って、3 × 3 の 9 つのマスを作り、左から右にタテに上から「 1・2・3 」「 4・5・6 」「 7・8・9 」と数字を入れていくと、中心に 5 がくる。

1 4 7
2 5 8
3 6 9

この数字の並び、形には、国常立大神(くにとこたちのおおかみ)が伝えているこの世の経綸の核心が隠されている。

ちなみに、“時間” は過去から現在、未来へと流れるものとされている。

数字でいえば、1 から 9 へと順番に進むリニアなものということになるが、実は 1 から 9 は初めからあり、中心の 5 が要(かなめ)となっているのだ。

そのあたりのことを『火水伝文』では以下のように伝えている。適宜、ふりがなを入れる。

 

神ご経綸の九つの御座(みくら)申すは、総てが総て初発よりありてあるのぞ。
時の流れにそうて段々にお創りになられたのではござらぬぞ。
初発からありてありたのじゃ。
取り違え致すでないぞ。
ざから初発より九条(くじょう)の御座に真中があるのでござるよ。
時の流れにそうて御座が出くるのであれば、
真中もその都度変わりてしもうではござらぬか。
こは大事なこと由(ゆえ)、くどう申すぞ。
真中申すは初源より万古末代変わらぬ御座じゃ。
いついつにありても五(いつ)の御座にござるを今今今に、ハラに据え立てて下されよ。

 

なぜ、『火水伝文』の 3 × 3 マスの九御座の数字表を持ち出したかというと、『 TENET 』のタイトルの由来でも明かされているように、ラテン語の回文「 SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS 」を見て思い出したからだ。

S A T O R
A R E P O
T E N E T
O P E R A
R O T A S

5 × 5 の 25 文字、左右上下に幾通りか同じように読める回文として古代遺跡から発見された碑文だが、キリスト教以前から伝えられているものとされる。

碑文の中心には「 TENET 」が十字の形をなしている。

Wiki から引用すると、それぞれの文字の意味は下記のようなことらしい。


SATOR

元の単語は serere(種を蒔く)。種まき、プランター、創設者、祖先(祖神)、始祖、あるいは文字通りの “seeder”。

AREPO
意味不明。おそらく固有名詞であり、創作されたものか、エジプト起源のものと見られる。

TENET
元の単語は tenere(保持する)。(彼/彼女/それが)保持する、保管する、理解する、所有する、学ぶ、保存する、維持する。

OPERA
仕事、世話、援助、労働、サービス、努力/トラブル、動作、証書、努力とともに。

ROTAS
ホイール、(あなたが)回す、回転させる。

 

Wiki では考えられる翻訳の一つとして、「農民のアレポが仕事として車輪(鋤)を持っている」(鋤で仕事をする)としているが、素朴でいい感じではあるが、どうも私には碑文自体に『エメラルド・タブレット』と似たような匂いを感じる。

つまり、あえてキリスト教以前のグノーシス、太陽神信仰など古代の経典ふうに訳すとすれば、これは「創造主は種まくために車輪を回し続ける」といったような意味になるのではないだろうか。

この「車輪」という言葉は、プレアデス/プレヤール人でも『ラー文書』でも、永劫に維持される円環運動とか、至高の存在対象に対して使用されるものとして登場してくるから、この箴言だか呪文だかの碑文も、古代の叡智に関係したものだと思われる。

ともかく数字に注目すれば、タイトルの「 TENET 」が左右から「 TEN 」つまり「 10 」となるのももちろん偶然ではなく、映画のラストの見せ場の順行組と逆行組の 10 分間の戦闘シーンを象徴しているのだろうし、主人公がニールと初めて会ってサンジェイ・シンへの面会を求めたときも 10 分でいいと言い、オスロ空港のフリーポートの消火用ガスが噴出されるまでの猶予も 10 秒あり、逆行する船上で主人公とニールとキャットが最後の攻防への戦略を練っているときも、スタルスク 12 の決戦の日まであと 10 日だとニールがつぶやくのである。

スタルスク 12 の見せ場の 10 分間にしても、順行で 10 分、逆行でも 10 分というのが、先の『日月神示』の順行のライン「 012345678910 」と逆行のライン「 109876543210 」を私に思わせたが、中心の 5 分の地点で、順行と逆行両方の兵士がほぼ同時にビルを砲撃する場面があるが、あの描写も面白かったね。

逆行側では、破壊されたビルの上半分が元に戻っていく中、下半分を砲撃する。

順行側では、破壊されたビルの下半分が元に戻っていく中、上半分を砲撃する。

逆行側では、ビルの上半分は順行側によって破壊されているので、時間を遡るにつれてだんだんビルの上半分が元に戻っていくところを見るわけだ。

順行側はその逆。

ほんの少しの未来で逆行側によってビルの下半分が破壊されているから、時間が進んでいる順行側では未来に近づくにつれてビルの下半分が元に戻っていく。

言葉で書くとまどろっこしいが、そんな理論上の現象を一瞬で映像化して見せてくれるところが、『 TENET 』の映像の醍醐味であり、混乱するところでもある。

それにしても、“数字の暗示” というと大げさだから、数字の “こじつけ” でもいいが、そもそもオペラ劇場のテロのあと、主人公がロシア人に拘束されて痛めつけられるシーンで時計が出てくるが、最初は夕方 5 時半過ぎ、次にロシア人が「もうすぐ 7 時だ」と言うように 6 時 50 分過ぎ、そしてロシア人が「 1 時間戻そう」と時間を逆行させるのだが、つまり数字的には 5 → 6 → 7 への経過を表わしている。

先に『日月神示』的な数字の進み方として、「 123 」「 345 」「 567 」「 789 」と進むと言ったが、3 番目の「 567 」は「みろく」とも読むことは、このあたりの文献に詳しい人なら知っていると思うが、通常は「みろく」とは「 369 」とか「 666 」を指す。

なぜ、「 567 」を「みろく」というのかについては、仏教でいうところの釈迦入滅後 56 億 7000 万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が下生(げしょう)し、この世の人々を救うとする信仰に基づくものともいわれるし、大本系神道ではまた別の解説があるが、その詳細はともかく、「みろくの世」、キリスト教でいえばイエス再臨後の「千年王国」のような世界へと至る経過、道筋として「 567 」と表わされている。

「 123 」「 345 」と来て、「 567 」となり、「 789 」を経て次なる新しい世界へと入っていくわけだが、その最後の大事な時期として、今は「 567 」の段階にあるとされる。

先に『火水伝文』から九御座について引用したが、その前に続く文は以下である。

 

一(ヒ)の御座(みくら)より始まりて、
九つ統(す)べて十(カミ)結ぶ神経綸の流れから申せば、
今今はカムスサナルの七の御座にかかりて居るのぞ。
今世とミロク代の境目にてあるよ。

 

つまり、1 からはじまって 9 へと向かう神の経綸は、すべて 5 を中心として周囲の 1 ~ 9 を治めながら十( 10 のことでもあるが、神示では “カミ=神” とも読む)へと結んでいくが、今は 7 の段階に差し掛かってり、まさに今の世界と新しい世界の境い目にある、ということだ。

だもんだから、最初のほうでロシア人に拘束された主人公がちらちら見る時計の時刻が、「 5 時 → 6 時 → 7 時」へと経過する場面が気になったわけだ。

しかも厳密に言えば、最初にロシア人は「訓練された者でも 18 時間が限度だ」と言い、「だから、仲間は 7 時まではもつ」とし、さらにかたわらの別の拘束者を指して「こいつは 18 分もたなかった」と言う。

そして、5 時半過ぎの時刻は正確には「 5 時 38 分」であり、6 時までにあと 22 分というところで、次は「 6 時 53 分」であり、7 時までにあと 7 分だ。

この「 18 」や「 7 」、「 567 」の流れに関してはくどいのでもうやめとくが、いずれにしろノーラン監督自身がこれらの細かい数字を脚本に書き入れているのである。たまたまかもしれないが。

この際ついでだから言っとけば、「 14 」も気になるところであり、最初のオペラ劇場のテロから 2 週間後、つまり 14 日後に主人公はクロスビー卿に会うことになり、そもそもキエフのオペラ劇場のテロ爆破事件とスタルスク 12 の最後の決戦、ベトナムの海の船上のセイター最期の日は同じ日であり、何月かはわからないが「 14 日」なのである。

そうなるとどうしてもイエスの磔刑の日「ニサンの月の 14 日」を思い出してしまうし、さらにゴルゴダの丘まで 14 カ所を通過する “十字架の道行き” (ヴィア・ドロローサ)も思い起こしてしまう。

いいかげん数字の話はもうよすが、数字の「 5 」を中心とする話は、半田広宣氏が提唱するヌーソロジーでもおなじみ冥王星の OCOT (オコツト)も以下のように同じようにとらえているらしい。

 

彼ら(※オコツトのこと/西塚)は、まず「 5 」という数を無限の象徴として扱う。
妙な言い方になるかもしれないが、彼らは「 1 」よりも「 5 」が先行して存在していると考えるのだ。
そして、この、数以前とも言える至高の「 5 」によって、「 1 」の観念を作り、これを存在が出現するための負荷と定義している。

半田広宣氏『シリウス革命』より

 

このあとには “シリウス言語” が飛び交うので省略するが、簡単にいえば、「 1 」で最初の “負荷” が起き、その反映(反作用でもいいし、分裂の概念でもいい)として「 2 」が起こり、「 1 」と「 2 」の対立を統合するものとして「 3 」が起こる。

しかし、「 3 」の統合作用自体の反映として「 4 」が起き、そして「 3 」の統合作用とその反映の「 4 」という対立を統合するものとして次の「 5 」が起こるが、同時に「 5 」は次なる新しい負荷として「 1 」となる、ということを言っているのだ。

つまり、最初に「5」ありき、ということから「1」~「4」が成り立つ仕組みなのである。

こうした「 5 」を中心とする考え方は、時間の順行・逆行があるにせよ、本質的にはその影響を受けない “位置” を定めることになる。

なんだか、我田引水はいいのだが、数字の話でけっこう引っ張ってしまった。

まだまだあるというか、『 TENET 』には珍しいくらいいろいろと興味深い数字の連関があるのだが、私はもちろん冗談で書き散らしているわけではない。

それでもキリがなくなるから、とりあえずここで区切って、「アルゴリズム」にも絡めた内容に触れる。

続く

Commentコメント

  1. 好本健一 より:

     西塚裕一様

     やはり、西塚さんの、集中力から生まれるエネルギーは、緻密で、奥行き豊かで、素晴らしいですね。
     今、とても忙しくて、西塚さんの論考をじっくり読みこなす時間は皆無なのですが、これから、少しずつ時間をつくってゆっくり読ませていただきます。
    『TENET』をめぐる、西塚さんの知的言語空間を旅する楽しみを、ワクワクしながら楽しませていただきます。
    『TENET』論の展開途中には、『メッセージ』についても言及しておられるようで、さらに興味津々です。

     好本健一

    • nishi より:

      好本様

       
      ポストありがとうございます。

      ここのところ、新しくニコニコ動画ではじめる『盤』の新シーズンの準備や、あれやこれやの仕事にかまけて記事が書けておりません。

      酒飲む時間を削れという話もありますが(笑)。

       
      西塚

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