年末だということもあるが、ほっとくとすぐ日にちが経つ。始めたばかりのこのブログも、これまでの傾向からなんとなく週に3回くらいは更新できるなと思っていたが甘かった。私程度の忙しさでも、しかもこの程度のブログでも短期に更新するのが難しいのだから、今まで何気にのぞいていた人気ブロガーさんたちの労力にはあらためて頭が下がる。ある種の使命感とか、あるいは書かずにはおれないアーティスティックな内的衝動とか、おそらくは愛情!とかがなければ続けられるものではないと想像する。すごいなあ。私はただの怠け者のうえに、この時期ほとんど二日酔いだから頭がバカで文章が書けないだけだ。情けないなあ。

もうすぐ2012年だ。天変地異がくる、人類がふた手に分かれていく、選別される、地球がアセンションする、などなど、いろいろ取りざたされてきた2012年がとうとうやってくる。Coming Soon! 

とはいえ、2012年を特別な感慨を持って迎えるのは全人類でみればやはり一部だろう。
かくいう私も、あれはいつだったか、2008年ころだったかな、パワースポット系の本の企画の打ち合せをさる神道研究家としているときに、しきりにアセンションという言葉が出てくるので、アセンションってなんすか? と聞いたのだった。まあ、不勉強だったとはいえ、一応小学生のころから超常現象に興味を持ってきた私のような人間でさえアセンションという言葉は聞いたことがなかったのだから、世のまっとうな人たちのほとんどは今でも知らないに違いない。ウソだと思うなら、電車で隣り合わせた人とか、PTAの保護者会の後ろの席の人とか、スーパーのレジに並んでいる前の奥さんとかに聞いてみるといい。知らないから。

アセンションはともかく、世の中いろいろガタがきてるなあくらいは皆感じている。新聞、雑誌、テレビを見てればそれくらいわかるし、気の効いた人ならその新聞、雑誌、テレビ自体がとっくにヤバイと見抜いてる。2012年以降、これからどうなっちゃうのか? と本気で心配してる人もフツーにたくさんいる中、やはり人類はというか世界はかなり高い確率でヤバイ方向に向かっているらしいとのスピリチュアル系の情報がある。そこで、前にも記事で触れたトランサーフィンシリーズの中から、大惨事などに関する部分をちょっと紹介してみたい。 

(略)最初に、人は、ある事実に遭遇する。それは、その人を不安にさせるかもしれないし、ひょっとしたら不安にさせないかもしれない。このニュースはネガティブな出来事に関するもので、どこかほかの国のこととしよう。これは破壊的振り子からの最初のゆさぶりである

(∞酒林∞注:「振り子」とは、著者ヴァジム・ゼランドが使用する特別な用語。人間が仕えている様々なグループや組織、たとえば家族、クラブ、学校、企業、政党、国家などは、人々が同じ方向で思考したり行動した結果、発生して成長したもの。それらの「構造」は新たなメンバーが加入することで拡大強化され、定められた決まりに従うようにメンバーに強制し、ついには社会の大きな層を服従させるようになる。これをエネルギーレベルでいうと、人々の集団の思考がひとつの方向を向くと「構造」が出現するということだ。つまり思考エネルギーのパラメーターが同一になる。このとき、エネルギーの海の真ん中で、独立したエネルギーの情報体、すなわちエネルギーの「振り子」(ペンジュラム)が生まれる。そしてそれ自身がひとつの生命のように独立し、その中の人々を自分の決まりに服従させる。なぜ「振り子」と呼ぶかというと、その「構造」の「信奉者」たちが自分たちのエネルギーを与えたぶんだけ「振り子」が大きく揺れるからだ。「振り子」はエネルギーを定期的にもらわないと動くことができないから、できるだけ多く長く「信奉者」たちからエネルギーをもらおうとする。「信奉者」は自分の意思で行動しているのではなく、「振り子」が生き延びるために自分の決まりを「信奉者」に押しつけた結果、行動させられている。「信奉者」はそれに気づかない。「信奉者」がいなくなれば「振り子」は消滅する)

もしこのニュースが、視聴者の誰かを動揺させたならば、その人は働きかけに対して反応し始める。自分の姿勢を表明し、気にかけるようになる。つまり、最初のゆさぶりと同じ周波数によるエネルギーを放射することで応答するのだ。その人は、ほかの数千人と同じく、自分の関心を表明して参加するという形で、振り子に反応する。放射したエネルギーは振り子と共鳴し、振り子のエネルギーは増大する。マスメディアは引き続き自分のキャンペーンを行なう。人は関心をもって出来事が展開する様子を追いかけ、振り子はまたエネルギーを摂取する。このようにして振り子は自分の網に信奉者たちをおびき寄せ、彼らからエネルギーを吸い上げる。関心を示した人々は、自分の中にネガティブなエネルギーを取り入れ、当面は傍観者としてゲームに没頭する。

一瞥した限りでは、何ら特別なことは起こらず、よくある出来事のように思える。人が破壊的振り子にエネルギーの一部を与えることについては、どう考えたらよいだろう? これはその人の健康にはほとんど影響を与えない。しかしながら、本当は、その人はネガティブな出来事の周波数でエネルギーを放射しながら似たような出来事がますますその人に近い所で発生するような人生ラインへと移動している。人は発端に関与することで、気がつくとスパイラルの影響域にいる。スパイラルは猛スピードで回転し始め、あたかも漏斗のように、その人を自分の中に引きずり込む。人と振り子との相互作用はどんどん緊密になり、その人は前記のような出来事を、自分の人生にとっては避けて通れないこととして受け入れるようになる。その人の注意力は選択的に働き、様々な国々における新たな事実がいたるところでその耳に入ってくる。こうしたニュースを知人や友人たちと話題にし、彼らから関心や同情という形での反響を受け取る。振り子のエネルギーは増大し、その人は自分の放射周波数によって出来事が本当に発生するラインへとますます接近し、すでに傍観者ではなく直接的な参加者になりつつある。

(中略)ネガティブな情報に関心を寄せる人は、いつもそうしたものを過剰に受け取ることになる。最初は傍観者という当たり障りのない立場で、その人は観客席にでも座って、サッカーの試合を観戦しているような気分だろう。だが、次第に試合に引き込まれていき、熱心なファンになっていく。その後、フィールドに降り立ち、まだボールはパスされないまま、駆け出す。少しずつ知らず知らずのうちに、その人はますますのめり込んでいき、ついにはボールを受け取る。そうして傍観者がプレイヤー、すなわち惨事の犠牲者へと変わっていく。必ずそうなってしまう。なぜなら、惨事はその人の人生の一部となっており、その人自身が自分の層に惨事を取り入れ、いつの間にか犠牲者の運命を受け入れ、不運なバリアント(酒林注:「バリアント」もゼランドの用語。簡単にいうと、あらゆる現象の可能性が詰まった情報フィールドというかデータバンクのような場所にある、起こり得る現象の様々な要因、構成要素のこと)を現実化してしまったからだ。もちろんその人は、犠牲者の役割を引き受けたくはなかっただろう。しかし、それは仕方のないことだ。もし人が振り子のゲームを受け入れたならば、役割を割り振るのは振り子のほうなのだから。その他大勢の犠牲者にとってこの災難は破壊的な悪状況の重なり合った結果であるのに対し、その人にとっては、これは法則に則った論理的帰結ということになる。その主人公にとって、しかるべき時刻にしかるべき場所にいあわせる確率は、すでに平均を上回っているのだ。

もしあなたが破壊的振り子からのゆさぶりを無視したならば、惨事に遭遇することは決してないだろう。その確率はゼロに近いともいえる。では、災害や天変地異のときに、なぜ数千もの人々が命を落とすのか? 犠牲者たちは皆で一斉に災害のことを考えていたとでもいうのか? こうした反論もあるだろう。だが、あなたはこの世界にひとりでいるのではない。破壊的振り子の下で積極的に活動し、こうした振り子のスペクトラムでエネルギーを放射している多くの人々に囲まれている。誰もそのような放射から理想的に遮断されることはできない。放射フィールドはあなたをつかみ取り、あなた自身もそのことを認識しないまま、同じ周波数で放射を始める。
(中略)漏斗の中心からいかに遠くいられるかが肝心だ。これは、惨事や災害に関する情報を自分の中に取り入れず、それらに関心を持たず、思い悩まず、話題にせず、総じて聞き流しておくことを意味する。ここで注意することは、情報から遠ざかりはしないものの、それを自分の中へは取り込まないという点だ。(中略)振り子との遭遇を避けようとするのは、振り子との遭遇を求めるのと同じことである。あなたが何かに抵抗し、それを望まず、または憎悪をあらわにしたりすると、そうすることによって、逃れたいことがらの周波数で活発にエネルギーを放射してしまうことになる。自分の中に取り込まないということは、ネガティブな情報を無視する、反応しない、ということであり、自分の注意を悪気のないテレビや番組や本へと切り替えることなのだ…

このあと、飛行機に乗る前にただならぬ不安を覚えたならば乗らないほうがいいとか、どうしていいかわからないときは、明け方の星々のさざめき(またゼランド特有の表現。これについても解説があるがまたいつか)、に耳を傾けよといった内容が続く。

トランサーフィンシリーズは、超大雑把にその内容をまとめれば、人は魂と理性が一致したものを受け取る、ということだ。その人にとっていいことだろうが悪いことだろうが、魂が望み感じたものが理性と一致すれば、人はそれを受け取る。頭(理性)で、天変地異なんかくるわけがない、資本主義が崩壊するわけがない、会社がつぶれるわけがない、あいつが離婚をしたいなんていうわけがない、などと思っていても、自分でも気がつかない心の奥で実はそれらの不安を常に抱えていれば、徐々にそれらを引き寄せ、あるとき何かの機に理性までがそれを認めたとき、ついにはそれらを受け取ることになるのだ。とはいえ、個々の人間の心の中は一筋縄じゃいかないから、なんであの女のつき合う男はいつもあんな暴力男ばっかりなんだろうっていっても、その女が魂レベルで恐れた結果引き寄せているのか、あるいは魂レベルで望んでいる・必要だから、なのかはハタからはわからない。おそらく本人にもわからない(魂レベルってどういう意味だ?って思った人は、できれば本を読むことをオススメします。私のヘタな説明はかえって誤解を生むかもしれないし、実際、トランサーフィンシリーズは要約することが難しい)。

また、逆にいえば現実とは楽勝だともいえるのではないか。自分が望んでいることが魂レベルから望んでいることであり、理性もそれを承知していれば、望んでいることはすべてかなうということになる。ゼランドが伝えたいことはそういうことではないか。ゼランドはいう。だから、意識的にならないといけない。自分の心の状態を定期的に絶えずチェックしなくてはいけない。それだけで、危険なこと、不快なことを回避できるだけではなく、ちょっとした習慣を加えるだけですべてはよりよい方向に順調に流れていく。

また話が飛んでしまう。要するに、いわゆる2012年以降に関する情報の取り扱いには注意が必要なようだということです。とはいえ、ゼランドがいうようなアホなテレビや本にウツツを抜かしていればいいというものでもないとは思うが。あ、アホとはいってなかったか。とにかく、ポジティブでもネガティブでも、情報を自分の中に取り込まず、客観視しながら、備えあれば憂いなし的に処していくしかないんじゃないか、ということ。なんかたいした話じゃなくなってきたな。

まあ、個人的にはトランサーファーを気取りつつ歩いていきたいと思う。2012年以降のことでいえば、ネガティブなものばかりでもなく、スピリチュアル的には大きな枠ではよき方向に向かっていく可能性もありとの情報もあるし、バカボン山田さんとはそうしていきましょう的な話もしているし、実際そうするしかないでしょ。でも、山田さんとこは小麦ちゃん含め、みんながエスパー一家だから説得力もあるが、私んとこは全員アジャパー一家だから、どうしようもない。私を筆頭に。トホホ。

では今年最後に、私の好きなレイ・ブラッドベリの言葉を紹介して新年を迎えることにします。

「生きているうちは働くのが薬である。人生を意のままに操るためには、明るい色の目でしっかり上を見ることだ。なにがしかの真実を織りまぜつつ、暗い目をした連中とも伍していく。生きているということには、すばらしくも美しい事実があると思いおこそうではないか。それでこそ、家族や友人に差し迫る恐怖にも、新聞やテレビで聞きおよぶ恐怖にも、どうにか渡りあっていけるだろう」
『ブラッドベリはどこへゆく 未来の回廊』より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です