だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

変容

また 1 ヶ月近く空いた。

絶対速いって。時間経つのが。ラットイヤーどころかビーイヤー。犬の時間感覚は速いらしいが、それが世の中いまやネズミレベルのラットイヤー。でももはやさらにその先、ビーイヤー、蜂の時間だ。とかなんとか毎度言い訳してもただの筆無精。時間は幻想だなどと普段うそぶいていても、ときどきこうして時間に追われる。追われるというか、気づかされるわけで。

あっという間に今日になったのは本当だ。いや、前回記事を書いてからのことね。その間仕事したり韓国行ったり酒飲んだりしていたわけだが、これは誰でも似たりよったりだろう。みんな速く感じてるのかなあ、時間を。去年の今ごろのことを思い出してみても、ええっもう1年かよといった感じだが、反面ついこの間のようにも感じる。特にもっと昔、結婚したてで子どもがまだ可愛いらしいころのこととか、もっと前の、自分が小学生のころのこととかは、その場面場面がついこの間、というよりすぐ隣にある感じがする。もっと言えばそれぞれのそのときの時間というか場面が今同時にある感じ。これはとうとう今朝食った朝メシも忘れてまた飯は?と聞くボケ老人の域に入ったということだろうか。

だから前回の記事からだいぶ経って、時間が速い速いとほざいてるのはちょっと不正確で、ついさっき書いたばかりなはずなのにふと気がつくと前回の記事から「今」の間にいつの間にか大量の時間が挟まっていて、おろ?と驚いてるってのが正確かもしれない。それが時間が速いってことだろと突っ込まれそうな気もするが、私としてはちょっと違うと言うしかない。

実はこれからまた韓国の音楽イベントがお台場であってそれに顔を出すのだが、これがメタル系なのだ。あまりというかかなり気が進まない。メタルってのはねえ。それでもいきがかり上、義理もあるし、まったく興味がないわけでもないので行くことにしてる。ちなみに私はアジアは仲よくしたほうがいいとそれなりにマジに考えていて、自分の仕事上はもちろん、かかわれることはできるだけかかわっていこうと思っている。流れとして今は韓国とのかかわりが濃い。どういうわけか韓国に行こうと思い立ち、ツテを頼りに当てずっぽうに人と会ってるうちにある人と初対面から意気投合し今じゃ酒飲んで歌っての仲だが、アジアの交流というよりたんに飲み友だちを増やしているだけという意見もある。まあ言わせとけばいい。

しかし露骨だねえ、オザワ潰しも。ってちょっと古いネタか。政治のことはあまりのバカバカしさにいっさい関心がないが、というか日本人なので日本の行く末には絶大な関心があるが、マスコミの政治に関する発信に興味がなかったわけだ。でもあまりにも露骨すぎる。今回も。オザワの新党発表の日に石原は都知事をやめる会見をするし、オザワ無罪決定のタイミングに野田は解散を決めるし。こりゃ、アメリカは、というかアメリカを牛耳る連中は相当オザワがコワイというかジャマなのだろうな。オザワというより、オザワから火がつくかもしれない「コト」に対して。これはある程度 12 月の選挙で答えが出るだろう。マスコミは維新だ太陽だみんなだ民自公だとばかり言い、国民の生活云々はヘとも出ないが、果たして中間層はどう出るか。この政局をどう見てるか。個人的にはジャパンハンドラーズにひと泡吹かせたいけどね、たまには。

いかん、話がつまらない。

 

ある老師と弟子の会話

老師 繰り返すが、お前のマインドに影響を与えるものは、外的なヴァイブレーションではなく、それに対するお前の反応だ。

弟子 では、瞑想をもっと成功させるために、どのように私の反応を変えれば宜しいのでしょうか?

老師 その問題は、瞑想にのみ関係することだろうか?

弟子 それを一番感じるのが、瞑想をしているときなのです。

老師 お前は外の世界がお前に恐れとストレスをもたらすと言っているのだな?

弟子 はい。

老師 その恐れは雑念と似たものではないだろうか?

弟子 おそらく。

老師 恐れがないとしても、お前は自己満足に陥りがちではないだろうか?

弟子 そうは思いません。

老師 恐れや、いわゆるネガティブなすべての感情は雑念と言えるが、同様に行動への触媒ではないだろうか?

弟子 要点は分かりました。しかし、その雑念と恐れが私をスピリチュアルな研究から遠ざけ、スピリチュアルな人物として整合性の取れない行動を私に引き起こします。

老師 では、スピリチュアルな人物とはどんな行動の仕方をするのだろうか?

弟子 泰然自若とし、慈悲深いです。雑念や恐れに直面しても落ち着き払っています。平和を発し、慈悲を体現します。すべてに対して、神聖な愛を表現します。

老師 お前は十分に神話的な聖人を描写したが、スピリチュアルな人物のことを描写してはいない。完全な闇の中でさえ、スピリチュアルな人物は光を発見することができる。彼らは真実の探求者であり、千の異なったパーソナリティという容貌を纏っている。彼らは真実を表現する者ではない。彼らは聖人ではない。彼らは真実の探求者たちだ。

弟子 私の定義はやや観念的でした。私はそれを認めます。しかし、なぜそれが恐れと雑念を議論する上で重要なのでしょうか?

老師 お前の懸念はスピリチュアルな人物の振る舞いを構成するものに対する視点と、そのイメージの中に欠点があることを認識することにあるのではないだろうか?

弟子 すべては、その基本的な誤解に起因すると先生は言っているのでしょうか?

老師 そうだ。これが恐れと雑念に対するお前の反応を生み出す重要な部分なのだよ。これが、外の世界に対するお前の反応を定義する自己判断の形態だ。お前は自分が信じるスピリチュアルな人物が定義するイメージと行動にしがみつくあまり、お前は自分の行いを比較をもって裁き、そしてお前は確実にそれに手が届かないだろう。

弟子 しかし、どのように行うべきかという理想のイメージの結果として私がフラストレーションを感じているのであれば、先生が言わんとすることころは、私はただ自分の期待を和らげるだけで、このフラストレーションが終わるということなのでしょうか?

老師 なぜ、お前のフラストレーションは終わるべきなのだ? 何の目的のために、お前は満足と不満の経験を選択するのだろうか? 心の平静や、王族のような安らぎの目的のためにお前はこの世界に転生したというのだろうか?

弟子 私はただ、何が平和で充足感であるのか、精神的な価値を実践したいと言っているだけです。

老師 精神的な価値とは、平和と充足感と同じくらい、混乱とストレスの中にも存在するものだ。精神的な価値とは、単純でも、生ぬるいものでもない。

弟子 しかし、先生の話し方ですと、精神的な価値とは、漠然としていて、何でも含まれるように思えます。

老師 この対話は、瞑想を妨げる外的な雑念によって、お前がフラストレーションを感じるという意見から始まった。問題は雑念やイライラにあるのではなく、どんな行為がスピリチュアルな行為で、何がそうではないのかに関するお前の狭い認識にあるのだということを私は指摘したいのだ。

弟子 それには同意しますが、それでもスピリチュアルな行動とは、怒りや憎悪や貪欲さではありません。この点ぐらいは先生は同意していただけないのでしょうか?

老師 仮に、どんな行為や行動がスピリチュアルな行いであるのか、余りにも狭く定義した場合、お前は自分だけではなく、すべての他人をも裁くようになるだろう。お前は無意識に「界面領域(インターフェイス・ゾーン)」を閉鎖してしまうことになるだろう。

 

うわぁ、時間がない。お台場に行ってくる。続きはまた帰ってきてから書こう。と思うが、飲んじゃうかなあ。

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  1. まとめ【変容】

    また1ヶ月近く空いた。絶対速いって。時間経つのが。ラットイヤーどころかビーイヤー。犬の時間感覚は速

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