また 2 週間、と。

一回サボリくせがついてダメになっていくできそこないのサラリーマンみたいだな、まったく。

でもあれだね、ブログもいったん途切れるとそれまでのテンションというかノリというか、勢いみたいなものが損なわれるというかくじかれるというか、要するにそれまで何をどう思ってどんなふうに伝えたかったのかということを忘れるね、ぶっちゃけ。

ブログを書こうとしてることじたい表現欲求があるからだろう。しかも不特定多数というか、わかってくれるだろうと想定している相手に対してだ。そりゃそうだわな。はなこちゃんやたろうくんに対して伝えたいことがあれば、今日び携帯でもメールでもなんでもあるんだから直接伝えりゃあいい。となれば、こんだけブログが氾濫してるってことは、それだけみんなが漠然とあるいは明確に何かを伝えたがってるわけだ。わかってくれるだろう相手に対して。

これはやはりいいことだ。問題は伝えたいってことの中身なんだが、どんな中身でもいろんな人がいろんな取り方をして好きずきに反応もできるし、そのやりとり自体もネット上で検証できる。当たり前だが、ネットはマスコミュニケーションだ。いわゆるこれまでのマスコミはマスに対する大量伝達ではあるけれど、あまりにも一方的にすぎてもはやカルトというか、まともに聞いちゃいない大衆がほとんどだとすればもはやミニコミだろ、悪いけど。昨今の原発、オザワ、日中・日韓関係、最近の選挙がらみの報道を見てもほんと呆れるというか、あんたバカッ?とアスカ・ラングレーばりにののしりたくもなる。

選挙と言えば、公職選挙法違反とかなんとかで、ネットでもツイッターでもハギレの悪いというかやりにくそうなものが多いね。でも、そこらへんをちゃかしたものもあって笑える。とにかく日本の「未来」を考えよう、とか、日本の「未来」にかけるしかない、とか(笑)。私は杉並8区だが、小選挙区の候補者は民主、自民、共産、山本太郎の 4 人。しかも自民は石原伸晃。こりゃ消去法から考えてもひとりしかいないわな。比例にはやはり、日本の行く末、日本の「未来」に期待するしかない。

おっと、また話がつまらないというか、いつもつまらないかもしれないが、今回の選挙は極めて重要だと思われるので、ちびっと触れてみたのです。まあある種楽しみでもある。

前回何を書いたっけと覗いてみると、ウィングメーカーだ。言葉と DNA と現実創造だ。ってもその三つに関しては何も書いてない。今日も詳しくは書けない。まあ、なにしろ言葉は振動で振動が現実を創造している。それは DNA にまで働きかけ、ジャンク DNA とかたわけたことを言われてきた 97 %の DNA をオンにし、体の組成まで変える可能性を秘めてる。元素転換ですな。してみりゃ今後、放射能の影響も受けない方法もあるかもしれない。これは『日月神示』言うところの半霊半物資の肉体にも通じるってなわけで。

あれはいつだったか、今年の初めだったか、なんだったっけか、なにかのきっかけでこれまで考えてきたことをもう一度紡ぎ直さなきゃと思ったのだったが、そのへんから妙にアトランティスが気になりはじめた。アトランティスに関してはご多分に漏れずガキのころかなじみがあるわけだが、なぜかいきなり思い出したように気になりだした。もっと言えば、さらにそれ以前、レムリア以前の地球のこと。さらにその前の・・・と続くわけだが、とりあえず。

ゲリー・ボーネルやジョン・ミッチェルなどによれば、「アトランティスでは地球のエーテル体の質量から、言葉による指令を下すことで物質を生み出してい」た、と。言葉ですよ。キリスト教で言うところの三位一体、父と子と聖霊は、アトランティスで言えば、意識とエネルギーと指令、だ。イエスとマリアは、レムリア、アトランティスから伝わる叡智を正確に伝えた人物だというし、それは地下に潜りながらも脈々と薔薇十字団などによって現代にまでも伝えられているらしい。その技術を持ってすればピラミッド建設などに見られる運搬不可能な巨石の移動もわけない。つまり、

 

人間のすべての意図は声とともに地球のエーテル体に付置されます。ピラミッド形が人間の声に権威を与えて、対象となる物が意図を実践できるようにするわけです。声の調和波動(ハーモニクス)の範囲でエーテルフィールドを増幅させることでこれを行います。

アトランティスではこのエネルギーを利用して、重量のある物を移動させていました。移動させたい物体の周りに声のエネルギーを集め、物体自身ではなくそのエーテルエネルギーを集めて動かすのです。

(『アトランティスの叡智』ゲリー・ボーネル)

 

というわけだ。

このへんのことはまだよくわからない。三次元的物体をエーテル体に働きかけて、結果、動かすのか、あるいはエーテル体に働きかけて三次元的物体をそのつど現実化させるのか。ゼランドふうに言えば後者だ。そうすれば、空中を猛スピードで 90 度ターンする UFO も、海に放り投げられても波の上であぐらをかく超能力者も、われわれが無限にスキャンされる現実化を見ているというか認識しているにすぎないと言えば理屈も通る。実際にわれわれの外にある三次元的物体の運動だと思うと、それこそわれわれが考案・発見した三次元的な物理学をあてはめざるをえなくなり、現象によっては理解不能あるいはインチキだ夢だとなる。

実際、中国や西欧にある「龍」の話も、地球の地と天を貫く磁気の流れを古代の人が視覚化したものだという説もある。もはや現代人には感じとられなくなったのだろうが、古代人は地磁気の流れ、それも天体の運行の影響を受けて一年のうちでもさまざまに影響を受ける磁気の動きを読みとることができた。またそれ専門の人がいたらしい。その土地の山とか丘とか河とか森を見て、地磁気の流れを調べ、場合によっては山や丘や河の形を変えたり新しく造ったりしながら磁気を整え、聖堂や王宮や自分たちの家や村を造った。世界中に見られる古代のストーンサークルのなごりは、磁気の流れに絡んだ天体の運行を指し示しているらしいということは多くの証明がある。

ストーンサークルや聖堂や霊山、その他聖なる場所は一直線のライン上にあったりもする。イギリスのワトキンズ博士によってレイラインと名付けられたこういったラインは世界中にあるし、磁気を流すものとして人工的に造られたりもしている。どうして人工的に磁気・エネルギーを流すのか。いろいろ理由はあるのだろうがまだよくわからない。しかし、そうしたレイラインに沿って実はローマの道もあったし、現代の公道もあったりする。でも今はその技術というか叡智がなくなったから、逆に都合や利権で無理やり道路を通すことでかえって地磁気の流れを悪くしてたり、もっと言えば、ひょっとしたらそれら古代からの叡智をよく知ってる連中が、自分たちの利権・支配のために道路を建設してるのかもしれない。

だいたいが、古代人が「龍」として大切にしていた磁気のようなエネルギーを、アトランティスが滅び(それも古代の叡智を悪用した連中が増えたからだが)、世界に二元論がはびこりだしてから、支配宗教となりはじめたキリスト教が古代叡智を異端・悪として二元論的に対置させてしまった。いわゆる聖ミカエルとか聖ジョージがドラゴンを踏みつけたり串刺しに押さえつけてるイコン画がそうだ。いつのまにか「龍」は悪者になってしまった。

ありゃ、なんだこれは。なんかヘンな流れになった。

えーと。ま、あと地震ですね。この前もきたね、ぐらっと。私は 3.11 と同じく会社にいて、またかよ!とあせりながらも、このくらいであと 100 回きてほしいとも思った。そんなに大きくならないことはなんとなくわかったし、これくらいの規模でちょこちょこと分散させてほしいと。のどもと過ぎれば的に安心している私のようなアンポンタンにとっては警告の意味もあってよかったが、天変地異的なデカい地球規模の災害に関しては、意識のありようとしては注意が必要だ、ということは前に書いた(私的には、天変地異に関してはこの記事以上に言うことはない)。さきの話じゃないが、二元論的にとらわれすぎるとのがれられなくなる。なにも災害に限ったことじゃないが、いい・わるい、安心・不安、快・不快、正しい・間違い、などにとらわれると、永遠に回転車を漕いでいるリスのようになってしまう。地震はこないという情報を集めて安心している中で地震にあい、また不安材料を集めだす。あいつはいいヤツだという良好関係の中でたまたまイヤな目にあい、手のひらを返して不快感をムキだす。しばらくして地震がこなかったり、相手と良好関係が再度築ければ、また変わるんだから。永遠と堂々めぐりになってしまう。そういうことはもうクリアしましょうってことなんだろう、きっと。

アトランティス時代は相手とテレパシーで会話したり、筋肉を使わずに物を移動させていたということがほんとうならば、そして自分と他者が明確に分離されはじめて二元論的な思考がはびこった末、滅んだということもほんとうならば、このまま行けば今の世界もちょっとヤバイかもね。ぎりぎりの分岐点。

1 万 3000 年ごとにきているという「分離」と「調和」の大きなエネルギーの波のうねりだが、今はその「調和」のほうの波が押し寄せているわけだ。これは人類というか地球全体に等しなみに押し寄せてきているわけで、あとはその大きな波にうまく乗れるかどうかだあね。不安や恐怖心をなくして楽しむしかないね。幼いころに海で親に抱っこされて、そぉら大きな波がきたゾ、かなんか言われて、はじめはちょっと怖いながらもしまいにはキャッキャッと楽しんで、もっともっととせがむようなもんだろ、きっと。

もっともわれわれはその当時のガキとは違う。もっと大人でもっと智恵もあるし経験もある。つまりガキのころとはまた違った楽しみ方ができるはずだ。私の場合は、愕然とすることに酒飲むことくらいしか思いつかないが、まあいずれにしても、一日一日楽しみましょう。酒飲んだりして。←こればっか。

 

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