だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

善-悪

新しいサイトを作ったのに、更新しなくては意味がない。

とは言え、やることなすことが多くて何かが落ちる。などと言って落ち込んでると、賢者からそれは優先順位の問題であるとの、至極まっとうな教えをいただき、おのれの相変わらずのいたらなさに忸怩たる思いをしている西塚です。

今日はいい天気ですね。東京の中野ですが。

このサイトも知人に超割安のお友だち価格で作ってもらったのだが、どうにもまだ勝手がわからない。以前の ∞酒林∞ 名義で管理していた FC2 のブログも、しばらく経ってからやっと扱えるようになったので、このワールドプレスだっけ?も慣れるでしょう。

もうすぐ月刊ベースで発行する『五目通信(仮)』を発行します。前回も報告したように、人間の新しい意識や精神性、思考について、今後の基軸、指針などを探っていきます。かなりぶっとんだ内容にもなるので、ブログではちょっと厳しい。
ヤスさんこと高島康司氏との共同プロジェクトで進める予定。

語学のエキスパートのヤスさんの多大なご協力もあり、日本ではなかなか紹介されない海外の情報を盛り込みます。差し当たっては、全米で 300 万人の聴取者を持つと言われる、最大のラジオ番組『 Coast to Coast AM 』から、精神世界や最先端科学の最新の潮流、注目すべき人物、理論、仮説などを紹介します。また、クリフ・ハイの Web Bot 発、ALTA レポートも毎月紹介する予定です。

今回の第 1 号だけでも、世界の集合無意識の流れの一端が読み取れるのではないかと思う。もちろん、予言や預言的なものも取り上げるが、これはあくまで素材であり、そこから何を読み取るか、どのようなラインが考えられるか、どの方向へいくべきか、あるいはいかざるべきか。

これらをできるだけ冷厳に、客観的に、検証する。が、私、われわれなりの主観、バイアスがかかるのは当たり前である。

でもそこから、みなさんと考えていきたい。

話しは変わるが、WEEKLY REPORT の、『酔っぱらいオヤジの Spiritual Meeting 』を読んでくれてる人はわかると思うが、よくビリー・マイヤーを取り上げる。

とんでもなく興味深い人で、個人的には非常に重要な人物だと考えている。彼については、今後もいろいろと取り上げるどころか、主軸にすらなるかもしれない。でも、まだわからない。いずれにしろ徹底的に検証されるべき人物だし、少なくとも、書かれた著作に関しては研究していきたい。

いや、そうじゃなく、ちょっと思い出したことがあって、ブログに書こうと思っていたのです。どうも、やはりこのあっちゃこっちゃいくクセは治らないな。アスペルガー? ADHD? アスペルガーと言えば、以前、元自閉症で現在もアスペルガーの吉濱ツトムさんの書籍を手がけた。

全面的に取材し書き起こしたわけだが、彼自身がサイキックで、とてもじゃないが、ここには書けないビックリするようなことを聞かされた。

そうしたことも、実はビリー・マイヤーにつながってる。今度、吉濱さんとも対談し、あるいはヤスさんも含めて鼎談し、どういう形になるかわからないが、紹介したいと思う。

また話が飛んだ。

タイトルに「善-悪」と書いたんだから、早くそっちに行けばいいのに、ったく自分でもわからない。なんかの逃避だろうか。そう言えば、原稿を書かなきゃならないというときに、酒を飲みに行く。娘をからかう。最近はそのへんの私の心理状態を完全に見抜いていて、最初のひと言を発しただけで、あ、原稿を書くのを面倒くさがってるなとわかるらしい。

……善と悪。

こないだ、何とかと言うロシアの映画をたまたま観てたら、要するに神々の戦いのようなシーンがあり、片方が善で片方が悪で、実力が拮抗して勝負がつかない。このまま戦えば両方全滅するのは目に見えている。そりゃそうだ。同じ力なんだから、お互い。

それで善の親分が「やめーい!」と叫び、悪の親分を呼んで、ちょっとやめようやと。このままじゃ両方滅んでバカバカしくね?と。休戦にしようやと言うと、悪玉も、そらそうやねと。

もちろん、こんな言い方はしなかったが、まあそんなとこだ。そして休戦になり、しばらく善悪の争いはなかったのだが、そのうち新種が生まれる。

確か「新種」だったと記憶してるが、最近本当にアルチューハイマーなので自信がない。とにかく、それまでの善とか悪ではない、その中間みたいな種が誕生したわけね。それで、その新種は善と悪どちらでも選べて、またどちらかを選ばなくてはならない。それで、みんな悪を選んでいくわけだ。

なぜか?

善つまり光を広げて闇を照らしていくより、悪つまり闇で光を消すほうが楽だからだ。それでこのままだと世の中には悪がはびこるから、新種の中でも善についたヤツらが、悪につこうとする新種を狩る、といった内容だったような気がするが、ちょっと自信がない。

でも、新種がこのまま悪に入っていくと、天秤はかりでもわかるように、悪が重たくなるから、善にも来いということだ。そんな内容だった。と思う。

そこで、善と悪について、ちょっと思ったわけです。

善悪を超えるという言い方もある。善と悪の二項対立的な思考ではなくてさあ、とか、二元論はもうダメだよね、というヤツですね。それを超えてとか言う。ヘタすりゃ、アウフヘーベンして、なんてヤツも出てくる。いまだに。

これも、ある意味そうなんだが、そんな単純じゃないと思うわけだ。世の中、シンプルなんだけど、シンプルに生きるにはそんなに単純じゃない努力とか、いや単純でもいいが、少なくとも作業がいる。

しかも継続するためには、負荷がいる。インテンシティーが必要になってくる。善に生きるにも、悪に生きるにも、同じことが言える。中道を生きることも同じだ。

いや、善悪だ。

たとえば、ビリー・マイヤーがコンタクトする地球外知的生命に言わせれば、悪に見えるけど悪じゃないものがあり、それがなければ人間は滅びるよと。もともと善悪はないということなのだが、たとえば彼ら(地球外知的生命)は、悪ではなく、「野蛮性」とか言う。野蛮性がなければ人間は滅びるらしい。

われわれはそれを必要悪と言うが、この悪とかいう言い方に問題がありそうだ。たとえば、動物実験のために動物を殺す。これは悪だと。殺すこと自体が悪であるという言い方はできる。

でも、それでワクチンができて、不治の病が治り、救われる人が大勢いるならそれは必要悪である。という言い方もできる。しかし、殺すことには変わりはないので、悪だけども目をつむるとか、少なくとも、善のための悪であるといった、どこか言い訳がましいものになる。

これ全部、善悪の概念があるから出てくる葛藤だ。つまり抽象的なわけだ。ビリー・マイヤーの地球外知的生命は、それは悪ではないと言う。善悪はないと言う。そして、人間には「野蛮性」があるから、進化することができるとも言う。

でも、善悪がないという言い方もスピ系ではおなじみの考え方だ。すべてはエネルギーだから、とかね。その通りなのだが、そう言い切ってからどうするのか? 

この、じゃあどうするか、というところからもう一度始めるしかない。

それは、おそらくとてもシンプルなところへ落ち着くと思う。たとえば言葉にすれば、善悪はない、といった紋切り型のようなものね。そういうところへ行き着くとは思うが、シンプルに「生きる」には、これまでのものではない新しい意識、新しい精神性のようなものに掉さしていかなければならないと思うわけです。

ちょっと、長くなりすぎた。また続きを書きます。

どうしてもいったん書き出すと終わらなくなってくるし、くどい。でも、だから、小島信夫が好きなんだろうし、あ、小島信夫はすごい作家ですよ。

また、今度。

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