だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting vol.27 「現実を創造する方法」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第27回
「現実を創造する方法」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2015年12月27日 東京・中野にて収録

西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の今日は27回ですね。またヤスさんにおいでいただきました。今日もよろしくお願いします。

ヤス こちらこそ。じゃあ、カンパーイ!

西塚 いやあ、もう27日になりましたね。次にお会いするときはおそらく来年になると思いますが、前回は個人的にはかなり面白いお話であって、保守と革新の両極端と言うか、保守のいき着くもの、革新がいき着くものが、結局は個を棄損する、貶めたり、なくさせる、解体させてしまうということで、やはり個は大事だというお話でした。ヤスさんとの話でずっとそこはテーマでもあるんですけども、保守と革新というところからの視点が面白かった思います。

経済の問題で言えば、前回FRBの利上げの話がありましたが、あれは大した問題じゃないよと。新興国から資本も抜けるだろうけれども、大したことではない。そのことよりも僕が面白いなと思ったのは、投資家にしても何かの現象があって、そこで大変だ、こうなるからこうしようというのではなく、あ、こうなるかもしれないという憶測して、実際にそれを自己実現的に現実化してしまうという話です。そのことのほうが影響力としてはでかい。何かを動かしている原動力であるという。何かがあって経済がこうなっちゃうよ、じゃないんだなというところが面白かったですね。

ヤス だから相場なんて典型的にそうですよ。客観的なメカニズムがあって上がったり下がったりしてるように見えると言うか、そのような説明をつけたがりますけど、基本的に違いますね。

金融資本主義の終焉

西塚 違うんですね。そうなると、いわゆる株の予想とか、ああいうのはどういうことになるんですか?。

ヤス 集合意識がどう動くかでしょう。集合的な感情がどう動くかですね。かなり大多数の人が、たとえば日経平均が下がると予想した場合に、下がるということを前提にした行動をとるわけですよ。下がるからその前に売っとけというような形でね。その行動が一般化すると本当に下がるわけです。

なぜ下がったかということをいろんな説明をつけて解説するわけですね、エコノミストとかね。でも、基本的に何で下がったかと言えば、多くの人間が下がると思ったからってだけの話ですよ(笑)。

西塚 僕はそれはけっこう重要なご指摘だと思います、実は。だって、みんな結果から分析して、こうだろうああだろうと言うんだけど、その前にそういう思いがあって、そのとおりに行動しちゃってるから、そうなったってだけになりますから。今までヤスさんと話してきた、個が現実を創っていくということとものすごくリンクした話になってくる。

ヤス まさにそうです。そのとおりですね。

西塚 いろいろな分析が全部無駄だとは言いませんけども、見方を変えないととんでもないことになると言うか、常に後追いになっていって、何と言うかな、死に体の評論になって、何の意味もないという可能性もある。

ヤス そうです。だから分析者がどういうことをやってるかと言うと、どのような要因であれば人々が反応するのかということを予想するわけですね。たとえば、FRBのちょっと利上げがあった。利上げというのがひとつの大きな要因になると。利上げというのは客観的に見たらね、いわゆるドルがどんどん強くなる流れですから、アメリカに資金が流れることになる。それに対して市場はこう反応するだろうというふうに予想するわけですね。それで分析をするわけです。

ただ今言ったように、じゃあ利上げがあったから実際にそうなったのかと言うと、そういうわけじゃない。ちょっと微妙なところですけどね。多くの人が株価が上がると思ったから、そのように行動して実際に上がったっていうことだと思いますよ。

西塚 前回のお話だと、リーマンショック前ぐらいのアメリカに戻ってるということでしたね。いわゆる景気がいい。でも反面、CLBとかCLOでしたっけ? ドット・フランク法にいろいろ抜け道があって、もう莫大な債権になっている。そうなると、いくつかの予言にもありましたが、2016年の来年ですね。何かクラッシュが起きそうだと…

ヤス シンクタンク系のいろんなレポートを見ると、また僕の友人のシンクタンク系の人たちの話を聞くと、日本のクラッシュということに焦点を当てると、だいたい2016年から2022年という幅を持って見てるわけです。ただ、一番可能性の高い年のひとつの年が2016年だと言われてるんです。

西塚 2016年から2022年というのはけっこう幅がありますけど、スタートが2016年ということは、そのころからヤバくなってくるだろうっていうことですか?

ヤス もうヤバいんですけどね。抑圧されてる矛盾がいつ噴出して、いつ危機に結びつくかってことだと思います。

西塚 来年は経済的にちょっと注視していかないと怖いですね。起こりうるという前提でいろいろ、まあ資産がある方はなるべく考えたほうがいいんじゃないかなってことですね。

ヤス 基本的にわれわれはどういう流れかにいるかと言うと、金融資本主義が終わるんですよ。終わると言うか、現代の先進資本主義国がありますでしょ? 先進資本主義国がどういうやり方で経済成長していたのか、体裁を整えてたかと言うと、これは借金ですよ。

さっき言ったCLOとかCLBという金融商品に重なる部分なんですけども、たとえばね、昨日の勉強会でも言ったんですが、現代のアメリカのいろいろな経済水準はいいことはいいんですね。失業率は下がってるし、住宅をみんなどんどん買ってるしね。消費者マインドもけっこういいんですよ。みんなお金を使いたいという流れなんです。でも賃金を見ると、ものすごい勢いで下がってる。そうすると謎に思いません? 賃金が下がってるのに何で消費者マインドが高いのか。要するに、賃金がどんどん下がりつつあるのに、人々はお金を使ってるってことですよ。

西塚 借金ですね。

ヤス そうです。そのメカニズムは、いわゆるクレジットカードを主体にした、ある意味でリスクをミニマムに見せるようなさまざまなシステム。要するに自分の年収を超える大量の借金ができるシステムですね。

これは、エコノミストがかっこよくレバレッジ経済なんて言うんですよ。日本はレバレッジ経済が弱いから、まだイマイチ経済成長が…なんて言うんですけどね。借金して自分の収入を超えた消費をしろって言ってるようなもんです。そのような実質をともなわないような借金経済というのは、いずれ終わる。借金のメカニズムを作らないと経済成長したという体裁を整えることができないというのは、われわれの先進資本主義国が至った限界なわけです。これは必ず破綻する。

西塚 それが早ければ来年ぐらいから始まるだろうと。

ヤス 早ければね。

中産階層が没落した社会がいき着くところ

西塚 わかりました。いずれにしろ、現在の金融を中心とした経済はもうどん詰まりで、あんまりいいことはなさそうですね。

他にいくつか個人的に気になってるのは、プーチンがホドルコフスキーを殺人で国際指名手配した。完全にプーチンの政敵だった人ですね。あれはどういうことなんですか? 要するに、何だかんだ言ってロシアは多少経済も落ちてるみたいだし、来年9月の議会選もあって、プーチンに反対する動きをしているホドルコフスキーを中心にした反政府権力、反体制の輩をちょっとこう押さえつけようってことなんだろうと思うけども。

ヤス まあ、そうですね。基本的な欧米が立てたシナリオがあるわけです。ロシアに経済制裁をする。原油価格がどんどん下がる。また原油価格を下げる誘導をする。そうするとエネルギー大国であるロシアはどんどん経済的に困ってくる。経済的に困ってきたら、やっぱりプーチンに対する支持率は衰える方向にいくだろうと。すると今度は大きな民主化要求運動が起こるだろうと言うか、起こす。

だからその状態は、たとえばカラー革命であるとかね、アラブの春で欧米が仕掛けたように、エージェントを使ってさまざまな民主化要求運動を仕掛けて、プーチン体制を揺さぶるということができやすい環境なわけですね。

おそらくね、今回のホドルコフスキーの国際指名手配というのは、もうそのような動きが始まっていたという証拠だと思いますね。だから、はっきりとそういう動きが出る前に潰しておこうってことだと思いますけどね。

西塚 けっこうプーチンは本気なんですね。本気に対峙すると言うか、立ち向かっている。

ヤス そうです。前にもね、何回か同じことを話したんですけど、ロシア国民の持っているプーチン像、まあプーチンの支持率は80%を超えてますが、その理由は、国家の分裂のトラウマを抱えてる人たちが圧倒的に多いということ。国家の分裂、崩壊がどういうことを意味するのか身にしみているので、国家の統合の基礎となっているプーチンに対する支持率は極端に高い。今はね。だから欧米が言うように、経済制裁で経済が下がって、プーチンに対する支持率が衰えるなんてことは、そう簡単には起こりようがないわけですね。

西塚 起こりようがないですね。それを聞いて思い出すのは、ヤスさんが9月に出されたご本にも書いてありますが、抑圧されたものの噴出ということですね。

さっきチラッとこの収録の前に飲みながら話しましたが、例のチョムスキーですね。ノーム・チョムスキーが9.11のときにアメリカを批判した。あのとき言われていたような、いわゆるアンチグローバリゼーションとかではないと。そんな単純な構図ではなく、要するにグローバリゼーションの名のもとに、やられてしまった中東の人たちの怨念、それがすごく貯蔵されてて、それが噴出してきたんだよってことを言っていた。

そのときはみんなバカにしちゃって、何言ってんだと。ナショナリズムとは言ってなかったかもしれないけど、要するにグローバル化に対するアンチであるという簡単な構図に落とし込めちゃって、真実が見えなくなっていた。今から思えばそう言えるわけです。

だから今のプーチンのお話につなげちゃえば、依然として支持率が80%あるっていうことは、以前のお話にも出たように、怨念ですね。中国もそうですけど、もう二度とごめんだと。欧米にやられちゃって、あんな貧しい暮らしはもうイヤだということが相当根強くある。

しかもヨーロッパとか日本が戦争のトラウマを忘れ去っちゃったような、ずいぶん昔のことではなくて、つい最近のことだというのがまた大きいですね。そこを見ないと、ロシアがいわゆる民主化運動でぶっ壊れるとか何とか、そんな単純な話じゃない(笑)。

ヤス
 単純じゃない。たとえばね、われわれの前の社会では分厚い中産階級があったわけですよ。どの国でも先進国であれば70%パーセント以上の人が中産階級ですね。非常に安定している。安定してる場合は極端なことって起こらないわけですね。過去の歴史にトラウマを持ってるとしてもね、その過去の歴史のトラウマに基づく怨念、その怨念に基づく過激な行動をとるというよりは、現在の生活の安定化ということのほうがプライオリティーがはるかに高いですから。過激な行動とか過激な判断にはいかない。

ただ、今の状況は、そうした中産階級がぶっ壊れてボロボロになってるわけです。今アメリカのですね、この間統計で見たんですが、飢餓人口ってすごいですよ。4600万人です。

西塚 アメリカですか? そんなにいるんですか。

ヤス フードスタンプを受給してる人たち。要するにフードスタンプがなかったら食えない。

西塚 そういう意味か。14%くらいいると言いますからね。

ヤス いる。4600万人(笑)。

西塚 すごいな。フードスタンプがなければ死んじゃう人たち…

ヤス 死んじゃう。この人たちが、何と元中産階級が多いんですよ。今までちゃんと生活してたんだけども、急に職を解雇されたとか。

西塚 あるいは住宅ローンで破綻するとか、いろいろあったんでしょうけど。

ヤス そうそう。

西塚 完全にそれはまあ、いわゆる失政ですよね。要するに何かのミスですね。間違ってるってことですね、社会の運営の仕方が。

ヤス そのぐらい大きな格差がどんどん出てて、中産階級そのものがそれこそ崩壊の危機に瀕してるわけですね。

西塚 そうなると『アトラスシュラッグド』ですね。2016年。あれは、何であんな映画ができたのか。それこそWeb Bot的に言えば、ある恐怖値があの映画を作り出したのかもしれません。

ヤス そうですね。アイルランドのね、あれはイルミナティーの脚本なんではないかというような言い方もされてます。

西塚 へえ、逆にですか?

ヤス 逆に。こういうことを引き起こしてやるっていう予告。

西塚 あるいは、こうなるんだぞという脅しとか。

ヤス そうですね。予告だという理解の仕方もあるんです。

ちょっと中産階級の話に戻りますと、そのように中産階級がどんどんぶっ壊れてくると、やっぱりその怨念の持ってく場所に困るわけです。そのような怨念の持ってく場所に困るぐらいに不安定化した社会は、ふたつしかいきようがないわけです。

ひとつの道は、今われわれが目にしているような、さまざまな怨念の象徴化した集団が表面に現れてくる。そのような集団によるテロであるとか、抗議運動であるとか、社会をもっと不安定化させる要因がどんどん出てくる。それを放っておくとですね、社会の自己解体みたいなものに結びついてくる。

あともうひとつは、これはもっと強烈なトレンドなんだけども、そのような自己解体のプロセスをストップして、社会というものをもっとタガを締めてまとめるために、国家の力が極端に強化されるという方向です。

西塚 超国家主義、超階級社会の元になるようなシステム。ヤスさんの見立てとしては、そちらのほうに向かってるということですか?

ヤス その流れは強いわけです。明らかにね。

西塚 今そうですね。EUなんかもそうですね。

ヤス EUもそうです。EUは、おそらく国家以上にEUという共同体を全体的に強めるという方向にいくんじゃないかと思います、最終的には。ただ、これはもうパワーゲームとしてですけど、じゃあ怨念だけの塊になった民衆はどうするのか。まあ怨念だけの塊ってことはないですけどね。やっぱり下から経済を再構築する運動が起こってくるはずなんですね。徐々にですけど。

もし、下から経済を再構成してくる、たとえばコミュニティ運動であるとか、いわゆる地域通貨みたいなものを自分たちで作ってね、それで経済を循環させる運動であるとか、下からそういう運動が起こってきた場合、もしその運動が国家の上から統制する力を凌駕するぐらい大きな運動になった場合、それはわれわれが勝ちますよ。

西塚 そうですね。それは予測できないと言うか、われわれしだいと言うしかないんでしょうけれども。

ヤス われわれしだいと言うしかない。だから、何とかしてくれは、もう通用しないということだと思いますね。

とにかくずっとやり続けることが重要

西塚 通用しないということですね。そうすると小さいシステムまで絡んでくる話になってきます。たとえば、サラリーマンであるとか、サラリーマン自体がいいとか悪いとかではなく、やっぱりどうしても給料がもらえるということで安心感はめちゃくちゃあるわけですけど、その安心感を担保にして何かを殺していかなければいけなくなる。

その抑圧していく、殺していく、見なかったことにするということの積み重ねのあげくの果てが今だとも言えるわけです。そうなると蟻の一穴じゃないけど、個人がたとえば脱サラしちゃうとか、好きな趣味でいっときは貧乏になるけど何かやってみるとか、やっぱり失敗したじゃんと思われるかもしれないけど、そういうふうにやっていくしかないと思うんですね。個人的には。

ヤス おっしゃるとおりです。まあ何と言うか、へんな法則だと思うんですが、法則と言うか当たり前のことなんですけど、やり続けるものはたいてい形になって成功するんですよ(笑)。

西塚 継続は力なんですね。

ヤス 継続の力。あとはもう根性だけの問題で。やり続けりゃいいんですよ。日本人ってね、けっこう根性なしが多いんで、途中でやめるんですね、みんなね。

西塚 やめちゃうんですね。今まではやめても、また戻るという場所があったからいいけど、これからはたぶんなくなるんじゃないんですか。会社にしても、戻ろうと思っても会社がなくなったり、業界自体がもう滅んでたりということがどんどん出てくると思います。

ヤス そうするとね、そういう変化に対する対応、変化に対する適応力、それがどの水準から出るのか。会社という組織性の水準から出るのか。または国家とか政府といったようにね、大枠の組織のところから出るのか。はたまたそうではなく、個人のレベルで発揮されるかっていうことなんですけど、一番ここで発揮されねばならないのは、個を中心とした現実に対する適応力ですね。

西塚 そうですね。その適応力と言った場合に、今までも何回もテーマになってるんですけども、やっぱりこれは人によって違いますね。ヤスさんどう思われますか?

ビリー・マイヤーというのがひとつの軸に出てきてますけれども、ビリー・マイヤーと言っても読んでない人もいるだろうし、実際僕なんかも全部は読んでないから、どれをどうしていいかというのもあるんだけども、僕の場合はそういうことを考えていくこと自体が生きることにつながってるんで、また違うかもしれませんけど、何かこう不文律なり何かがあるべきだと思われます? 何かに従っていく、こういう考え方をしていけば、何となく自分の考え方に見合った現実を創り出せるだろうし、そうすべきなんだ、そっちのほうがいいんだというものがあるべきなのか、どうなのか。

ヤス 僕はその原理原則はあると思うんですね。ただ、原理原則はあるんだけれども、それは何か抽象的で深遠な哲学ではない。ある意味、経験値ですね。だからさっき言ったようなこともそうですよ。どんなことでもやり続ければ形になって勝つんです(笑)。それは経験値からそうだ。だから、ある臨界点までやり続けられるかどうかですね。

西塚 そこなんです。また茶々を入れるようなこと言っちゃうかもしれないけど、サラリーマンにしろ何にしろ、ひとつのことをずっとやっていけばいいんだという話にもなりますね。何と言うか、何かをずっとやり続けるということに、自分なりの意義を見出してやっていけばいいのでしょうが、間違った方向というものはないものなのか…

ヤス 客観的に見て、間違いとか正しいという方向は僕は言えないし、実際ないと思うんです。ただ、道徳的にこれはあってはいけないって方向はありますけども。たとえば、自分がやり続ける方向が原理主義的なテロを強化するような行動であれば、これは絶対にやっちゃいけないし、倫理的な基準というのは存在してしかるべきだと思うんですね。

しかしながら今言ったように、現実を変える、たとえば世の中が変化する、社会が大きく変化する、その変化に合わせてフレキシブルに自分が適応しなくちゃダメだと。適応するための何かの原理原則みたいなものがあるかどうかということになってくると、経験値としての原理原則しかないってことだ思います。

何か超越的な倫理的なもの、こうこうこういうような行動をとってたから彼はダメで、こういうような行動をとってきたから成功だといった、ハウツーってのはあんまりないんですよ、きっと。だから極端に言えば、現実を変えるってさほど難しくはない。ある特定の方向、目的を目指して、その行動をやり続ければいいわけですね(笑)。そうしたらね、どこかでドアがぶっ壊れて、壁がぶっ壊れるんですよ。そして向こう側に出るんですね、確実に。

西塚 ドアーズじゃないですけど、「Break on Through」ですね。

ヤス Break on Throughです。そこまでやれば、確実にそうなるし。一回その原則をつかんでしまえば、じゃあもう1回やるか、じゃあ2度、3度やるかってことになるわけです。

西塚 最初に目的ありきってことですね。まあ、Break on through to the other sideと歌ってましたね、ドアーズは。好きな歌でしたが。

ヤス ええ。英語で言うとね、Banging the doorって言うんですけど、ドアをぶっ叩く。とにかく繰り返し繰り返しぶっ叩いてたら、カチャッと開くんだと(笑)。そしてother sideに出る。

西塚 これまた違う話になっちゃうかもしれませんけど、引き戻す力ってあるわけですね、日常に。要するに今までの楽なやり方です。ビリー・マイヤーでもさんざん出てくるテーマですけどね。とにかく人間は楽なほうにいくんだと。今までの惰性と言うか、とにかく楽なほうにいく。思考でも何でも。そうするとやっぱり停滞していくから、彼らは、人間は進化していくわけだから、そういう流れには乗っかってはいけないというような言い方をするじゃないですか。

僕はそこにヒントがあるような気がしてます。進化したいなら動かなきゃいけない。辛くてもですね。辛いかどうかというのはまた人にもよるんでしょうけど、それが喜びに変わるのか、使命感なのか、義務なのかというのは、ちょっと人によってわからないところです。少なくとも停滞すると、それなりのものしか待っていない気はします。

ヤス そうですね。とにかく停滞しないで、ひとつの方向に向かってずっとやり続けるってことだと思いますよ。

西塚 昔、よく文学的な比喩として、上流ほど水はきれいで、下流になっていくにしたがって水は汚れるんですが、滔々として、川幅も広くなって、海にも近くなるという文学的な表現がありますけれども、そこで停滞というのは、その川の流れのどこかで分岐して、そこで沼になったりして、それはそれで文化を生むんだと。何か特殊なものを生んで、それはそれでいいじゃないかって言い方があるんですね。

だから、これはいい悪いじゃないですね。自分はどこにいきたいのか。どういうことが心地いいのか、自分は選択するのかという、単純にそういう問題かもしれない。

僕はみんなが同じところを目指さなきゃいけないとは思わないけれども、自分がいいと思ったら、こっちのほうがいいんじゃないかぐらいのことは言いたいというのが、ちょっと強いと思うんですよ。

ヤス いや、言っていいと思うんですね、全然ね。

西塚 言い続けますけどね。たとえばカミさんでも誰でも、子どもでも友人でも、ちょっとウザかったり、熱かったりというのは、昔からけっこう言われました。最近は、ビリー・マイヤーの書籍にもありますが、それはもうしょうがないし、要するに人それぞれの進化の仕方があるんだと。そういう言い方をするんです。

でも僕は個人的には、あんまり感情的になっちゃいけないけど、それは何かさみしい言い方かなっていう(笑)、余計なお世話なんですけどね。言われるほうにしてみれば。

ヤス 話はよくわかりますよ。西塚さんの中に根本的にひとつの大きな欲望があるということですね。それは何かと言うと、たどってきた道を全部俯瞰したいっていうことだと思います。自分が作り上げてきた地図を俯瞰したい。多くの人たちが作り上げてきた地図の俯瞰。やっぱり風景全体を見たいという欲望かなと思いますね。

僕もそうした欲望が強いんだけど、ただ、ある決意にしたがって同じことをどんどんやり続けていって、それで自分が現実をどんどん創り出していく。創り出し続けることによって、それがある程度まででき上がったときに振り返って見ればいいんですよ。そうしたら、何を創り出してきたかが絶対わかりますから。

ダークな力は必要

西塚 ちょっとスピリチュアル的な話になっちゃうかもしれませんけど、こういう言い方もあるんです。いわゆる一瞬一瞬に生きるって言い方があるじゃないですか。ヤスさんなどはまさしくそうかなと思いますが、瞬間瞬間で生きていくわけです。その積み重ねの記憶がおそらく貯蔵されるということなんだろうけども、僕はあまりそういう気がしないんですね。

一瞬一瞬に記憶が書き換えられてる気がするんです。あまり言うとSFっぽくなりますが、書き換えられると言っても過去がなくなるという意味ではなくて、少なくとも過去にあったことが、一瞬一瞬の気分なり、やってることによってちょっと意味を変えると言うか、僕は本当は変わるとまで言いたいんだけれども、何かそういうことがあるような気がします。だから過去の積み重ねを見るというよりは、そのときどきのものによって、過去の感じ方が変わるっていうことに近いのかな。

ヤス そうですね。ただね、その過去の感じ方って、意識が急激に変わって行動が変わるみたいな感じで理解してると思うんですけど、僕は逆だと思うんですよ。ある特定の目的を目指した行動をとにかく反復していく。反復することによって意識が変わる。意識が変わることによって、おそらく過去の自分に対する関係が変化するんですね。

西塚 そういうことですね。それは以前うかがったお話でも、『資本論』を読み続けていてパッと開けるとか、武道でもやり続けることによってパッとわかるってことですね。ある種の作業の反復というところに鍵があるのでしょう。

ヤス それがさっき西塚さんがチラッと言った、いわゆる日常に引き戻される、または日常ということで今ちょっと象徴的に言った、ある意味自分の内面の暗い力に引き戻される。それに対する抵抗は何かと言うと、反復作業をやり続けるだけですね。

西塚 その日常ということも反復作業ですね。前提として、日常に引き戻されるのがイヤだとか、これじゃ停滞してるなとか、本当はこういうことをやりたいんだということがないとしょうがないかもしれません。今まで反復している日常から脱したいとか、本当はこういうことを目標にしたい、こういうことを思ってるということが大前提としてないと、ずっと日常でただ快感作業をしていればいいじゃんということになってしまう。

だから、そういう前提は本来はその人なりにあるはずなんだけども、それが埋もれたり、誤魔化されてるということなのかなと思うんです。その人なりのものが出てくるにはどうしたらいいかと言ったときに、たとえばビリー・マイヤーだったら瞑想であるとか、あるいは何かの稽古であるとか、本を読み続けるとか、対話し続けるとかということになるんでしょうけども、きっかけとしては。

ヤス もっと言うとね、日常のダークフォースと言うか、暗い力に勝つためには、日常の中に「やり続ける」という別の行為を取り込むということです。僕なんかは毎週メルマガを書いてる。メルマガは全体で1万字ぐらいです。毎週の行為ですよね。何日も前に準備しますけど、毎週の行為。これをやり続ける。やり続けると読者も増えて、いろんな意見とかをもらって、それはすごく楽しいんだけども、そうすると自分の日常の一部になるわけですね。メルマガの1万字を書くことが快感になるわけですよ、ずっとね。それをやり続けていくと、徐々に現実が変わってくる。

西塚 となると、やはり意識の拡大というのは、行動の拡大かもしれませんね。

ヤス そうです。だから、意識を拡大するように行動せねばならないということですね。だからわれわれが、西塚さんだけじゃなくて僕も含むんですけども、多くの人たちが考えているとおり、何か直感的に覚醒みたいなお告げがあってね、それで一気に意識が変わって、それからビフォーアンドアフターでまったく別の人格になってね、それで新しい人生を歩み出すなんてことはあり得ないんだと。もし、そういうことを誰かが実感しているとしたら、これはヤバいぞと。薬物やってないのか(笑)。

西塚 よくあるじゃないですか。いきなりお告げがきたとか。

ヤス そうそう。だからそれはね、操作されてないのかって(笑)。

西塚 神を見たとか。あまりコアな、ヘビーな話をするつもりはないですけども、たとえばファティマみたいなものでも、あれも操作されてるという話もあるぐらいなんで、やっはり闇雲に信じるべきではないですね。そういう直感なり、幻視なり、幻覚、声が聞こえた(笑)…

ヤス そうですね。そういうものを否定するわけではない。あることはあるんだけれども、もし自分が体験した場合は、まずは疑ってかかったほうがいい。なぜかと言うと、普通に現実が変化するということは、そういう方向ではないんですよ。現実が変化するときは、行動のほうが先に出るわけですね。ずっとその行動を続けていったら、実際に現実が変わって、それに合わせて意識が変わるってことですから。

西塚 そうかもしれません。不思議なのはですね、僕はあまり詳しくはないんですが、ベンジャミン・リベットというですね、これは合気の先生から教えてもらったんですけど、生理学者がいて、この学者が言うには、人間はこうしようと自分で決断して、たとえば手を動かしたりしていると思っていますが、まったく違うんだと。0.5秒ぐらいの差があって、事前にもう行動が決定されている。これは脳内の電位の実験などですでに証明されてる科学的事実らしいんです。

手を動かそうと思った瞬間に、もうすでに反応していて、手を動かす用意ができている。だから脳は、手を動かしたことをあとで認識する。つまり、手をすでに動かした0.5秒あとに脳がようやく認識して、しかも脳は0.5秒戻して認識させて、われわれがリアルタイムに認識してるように錯覚を起こさせていると言うわけです。だからわれわれは、実際の世界を0.5秒後に脳で再構成した世界を認識している。脳が指令を出して、何か行動をしているというのはまったくのまやかしだと。

そうなると人間の理性とか意識というのは、ますます怪しくなってくる。だからそうじゃないものに依拠すると言うか、少なくとも人間の意識とか理性は、感情よりはそちらを恃みしたほうがいいんだろうけども、あまり絶対視しないほうがいいのかなと思うわけです。

僕はそういった意味で、直感とか感情の区分けに関しては今までいいかげんだったかもしれないけども、理屈とか意志とか理性的なものじゃない、もっと内面から出てくるもののほうがはるかに信頼できるって言い方をしてきたんです。僕の言い方が厳密じゃなかったので、ヤスさんとのいろいろな話の中で、感情はダメだということが出ましたが、もっとこみ上げてくるもの、そのときのヤスさんの言い方を僕なりに解釈すれば、もう結論に近い判断として出てくるもの。結果として出てくるようなもの。その感覚というのは、これは確かに実感でしかないんですね。ちょっと言葉ではうまく言えないようなものです。ヤスさんがうまく言ってくれるならいいんですが、僕はちょっとうまく言えない、あの感覚は。

ヤス 冷厳な判断ですよ。そこには感情的な要素は待ったくないです。こうなるというね、確信とともにやってくる冷厳な判断です。

西塚 だから当たり前なんですよね。

ヤス 当たり前のことです。そう。

西塚 そうなったから、ああ、やっぱりそうなった、ということでもないんです。当然という感覚。ゼランドもそういうこと言うわけです。そういうものとしてやってくるんだと。そして、そういうものを自分でも養えると言うか、そういうものを持てば、要するに間違いなく現実化するという言い方をするわけですね。そのへん、難しいんですけどね、言い方が。

ヤス そういった直感が自分に来るのをずっと待ってて、直感が来ない限りは何も活動しない、ということではない。逆に言うと、そのような冷厳な判断としてのクリアな直感がやってくるというのは、行動によるんです。ある目的に向けてずっと歩んでいるときに、必ずやってくるということだと思います。

西塚 それで、ゼランドの話を続けるとですね、冷厳な直感としてやって来て、もうこれしかないと思ってやり続けるじゃないですか。そうすると、間違いなく邪魔もやって来るんですね。僕はその源泉を知りたいんだけど、必ずネガティブなもの、自分の意志をくじけさせるものに出逢うんだと。それでも、なおかつやっていく人が成功していくんだけども、必ずやって来ると言うわけです。

でも、ゼランドはこういう言い方をするんです。僕の好きなフレーズなんですけど、たとえ地獄の底に転げ落ちていくようにしか思えない状態でも、冷静でいて、ポジティブな選択をしていく。そうする限り大丈夫だと言うわけです。これはですね、ビリー・マイヤーの本にも似たことが書いてある。わりと共通しているんですね。だから、その源泉を知りたいんです。悪魔なのか、まあゼランドはそれを振り子、ペンジュラムという言い方をするんですが、ダークな力、引き戻す力、それは意外と単純な作用・反作用なのかもしれないし、僕はちょっとわかりませんけど、必ずやって来る。

ヤス 物事が発展する場合はダークな力は必要なんですよね。

西塚 かもしれないですね。

ヤス 絶対にね。逆にポジティブな力が加速化するためには、ダークな力との絶妙なバランスがないと無理だと思いますよ。

西塚 踏み台がなければジャンプはできない。

ヤス ジャンプはできない。ちょっと卑近な例ですが、『ヤスの備忘録』というブログをやってて、1日のアクセス数が1万とか2万とかある当時ですね、投稿欄を全部オープンにしてたんです。そしてあまり介入しないようにした。そうするとネガティブな投稿が来るわけですよ。ネガティブな投稿がどのようになっていくのかと思って、ちょっと様子を見てたんですね。

ネガティブな投稿が来る。すると、どんどんネガティブな流れに沿う投稿が多くなってくるわけね、オレもそう思うみたいなね。多くなってくるんだけど、逆の反作用としてポジティブな投稿も多くなってくる。そうすると、ネガティブとポジティブのある特定のバランスができたときに、アクセス数が急激に伸びる。だからある程度、自分に対する批判とか、そういうネガティビティというものをむしろ取り入れていくということ。

西塚 実際、どうでしたか? 拮抗するのが一番いいんですけども、どちらかがと言うか、ネガティブなものが増えていく傾向はないですか?

ヤス 増えてく傾向がある。だから僕はいつも意識していたのは、ネガティブが増えないように、ある一定の水準を超えたらネガティブを抑えていく。投稿を消すんです。

西塚 やはり微調整はするんですね。あんまり突拍子もないものは…

ヤス 微調整する。そうすると、ネガティブを取り入れた上でね、ポジティブな発展のサイクルができ上がってくるという感じはしました。

西塚 ビリー・マイヤーの本でもこういうことが書いてありました。野蛮性は必要なんだと。要するに、人間が何かを開発するときに、たとえば動物実験がないとワクチンは作れないだろうし、実際にワクチンで助かった人はいっぱいいるわけなんだけども、それは動物愛護の点から言えばとんでもないことだし、それはその通りだと。でも、そういう野蛮性があるからこそ、進化するんだという言い方をする。全部が全部、要するにキレイキレイで、その野蛮性もイヤだし、人も殺したくないし、傷つけたくないということは、滅びるってことだと思います、おそらく。

ヤス ユングにですね、『アイオーン』という分厚い書物があるんですが、1950年に書かれた本で、これからは水瓶座の時代に入ると。その前の時代、われわれの魚座の時代はどうだったかのか。その時代の区分のことをアイオーンと言うんです。

西塚 水瓶座の時代というのは、ビリー・マイヤーが生まれた1937年から、魚座からの過渡期の後半に入ったんじゃなかったでしたっけ? その過渡期を経て、本格的に水瓶座の真価が発揮されるのが2029年からとか何とか…

ヤス いろんな説があります。2008年から入ったって人もいればね。どこで入ったかということは、比較的アバウトなのかもしれませんけどね。いずれにしろ1950年にですね、ユングが『アイオーン』という本を書いて、徹底的にキリスト教を批判するんですよ。特に最後の部分が面白くて、十字架という象徴の批判なんですね。

あれは、絶対的な善としての神の象徴なんだと。クロスというのは絶対的な善ということで、神のマインド、人間が実現しなくちゃならない理想的な人格を、ユングの目から見るとキリスト教が神としたんだけども、その神からすべての悪を完璧に放逐してしまったと。絶対的な善にしてしまったんだと。

要するにネガティビティを入れることに失敗した。そうすると、そのネガティビティは神の象徴の中に入ることが許されないから、徹底的にただ抑圧されるだけの対象になる。それはどんどん肥大化して必ず人間に復讐することになる。だから、それは強烈なネガティビティによる復讐を引き起こすための象徴なんだと。それがいかに不完全であるか。だから、この世に生まれてきた私の役割というのは、キリスト教にネガティビティを引っ張り込むことだと言ったんですね。

西塚 ユングはそこまで言ってるんですか。やはり重要な人物ですね、ユングも。

ヤス 重要な人物ですよ。それに対して、たとえば仏教のね、まあいろんな仏教の学派がありますけども、仏教は基本的に人間の中にあるネガティビティを認めてるわけです。機能的に必要な部分として認めている。

キリスト教は、独自の非常にアンバランスな精神構造を作り上げた。要するに、キリスト教の倫理観から見て悪と思えるようなもの、たとえば結婚してるのによこしまな欲望を抱くとか、そういうものを徹底的に弾圧する。

西塚 だから数回前のお話で出たアメリカの下院議長のベイナーも、あんな悪いヤツでも号泣するんですね、震えちゃって(笑)。何かを抑圧してたんじゃないですか、おそらく。良心か何かわかりませんけどね。

ヤス おそらくそうでしょうね。だから永遠に自分が罪の意識と良心の呵責を持つように仕向けるわけですよ。

西塚 原罪ですからね、もともとが。僕もあれはひどいと言うか、理解できないんですけど。

ヤス だから、そのネガティビティをどういうふうにうまい具合にね、人間の中に取り込んでいくかということは、少なくとも個ということを考えてみた場合に極めて大きいですよ。

西塚 僕もそれは若いときから、漠然とですけどテーマでした。卑近な言い方をすれば、酸いも甘いもと言うか、清濁あわせ呑むということにわりと真実があるような気がしています。それをまっとうできる力強さ、精神的な強さっていうものがないと、世の中は生きにくいだろうなと思ってたんですね。キレイキレイだけでもダメだし、濁だけだったらやっぱり滅びるだろうし、そのバランスとしか言いようがないんですけど。

セオリーを無視する創業社長

ヤス 「複雑系」って理論があるじゃないですか。「カオスの縁」であるとかね、いろんな秩序のひとつのイメージが出てくるんだけども、自分自身ですごく面白いと思ったのは、そのカオスになってるもの、混乱の要因って言うのかな、本格的なカオスになってるものをいかにシステムの中に取り込むかによって、システムが活性化したり、ダメになったりするんですね。

西塚 たぶんそれは勘で、理論を立てなくても、おそらく中小企業の立派な社長さんなんかはわかってるんでしょうね。

ヤス わかってる。非常によくわかってる。

西塚 こいつはトッポくて不正もするんだけど、こいつがいたほうがいいとか、あるんじゃないでしょうか。

ヤス 中小企業の社長を何人か知っていますけど、それは特に創業社長だけですね。

西塚 やっぱりなあ。それは面白いな。それだけで1冊本書けますよ。

ヤス 二世、三世はないんですけど、創業社長だけですね。本当に直感力がすぐれてますね。本人は人間を見抜く、オレは敏感なんだって言い方をしてますけど、僕の目から見ると本当にね、絶妙な配置をしますよね。このへんと、このへんって配置して。

西塚 そうですね。だいたい創業社長ですよ。前にも申し上げたかもしれませんが、麻雀でですね、中小企業の社長同士の麻雀なんてのはセオリーも何もなくて、あんな連中とは絶対やるべきじゃないってある人に言われたんですね。何でですか?って言ったら、とんでもない、あいつらはと。麻雀はある手がそろって勝ちになるんですけども、一応セオリーみたいなものがあるんです。でも彼らは何も関係なくて、いらないものはどんどん捨てるし、欲しいものは持ってくる。これしかないんだと。それでみんな勝っていくって言うんですね。あれは化け物だって聞いたことがありますね。

だから、普通はちょっとうまいと考えるわけですよ。あいつはこの手をやってるから、これを捨てると当たる、要するに負けちゃう。いろいろそういう緻密なやり取り、計算でやるゲームなんです。だまし合いも含めて。そんなんじゃないんだと。中小企業の社長たちの恐ろしさと言うんですかね、もう直感で動いていく。

ヤス だから、セオリーを求めたらダメなんですよね。理屈でこのようにやればこうなるなんてものはないんですよ。それもさっきの行動の原理で言えば、中小企業の社長というのは、要するにある特定のことをやり続けてるっていうだけですよね(笑)、ずっとね。

西塚 あとそれこそ以前にも出た話で、フレキシビリティーですね。やり続けてダメだったら変えると言うか、簡単に変えてしまってまたやり続けるという。

ヤス そうです。

西塚 そのへんの勘とか直感もあるんじゃないですか。ひとつのことをやっていってもいいんだけども、やっぱり違うぞと思ったら変える勇気というのも必要でしょうね。

言葉ってもどかしいですね。ひとつのことをやり続けるっていうことでも納得するんだけども、ちょっとした変数、変換事項が出てくるとまた言い直さなきゃいけない。言葉自体に危ないものがありますね。

ヤス そう。だからセオリーとか、理屈とかを最初に前提にして、そのとおりマニュアル化しても大抵失敗しますよ。無理です。僕が好きな社長がひとりいるんですよ。今は大きな会社に買収されてしまったんだけど、残念ながら。その社長の社内のニックネームが花咲かじじいっていうんですね。

西塚 へえ。枯れ木に花を咲かせるんだ。

ヤス いえいえ、とにかく営業にいい成績を上げろと。いい成績を上げたら金をばらまくからねって、本当にばらまくんです(笑)。金をワーッて、花咲かじじいが灰をまくようにしてばらまいて、人に与えるので。

西塚 え? 本当に投げて、ばらまくんですか?

ヤス いや、実際に投げるんじゃなくて、いい成績だったら、ハイって言ってボーンと渡す。え?ここまでやったら、これだけもらえるのか!ってみんななるわけです。そうしたら、みんな社長に忠誠を尽くしてガンガン働くわけですね。それで会社が大きくなる。彼に話を聞くと簡単なんです。要するに、みんな欲しいのは金なんだよと。それが本質だろう。だったら、努力したらちゃんと金をやる。

西塚 それは理にかなってるし、わかりますよ。僕が行った中小企業の出版社がひとつありますけども、そういう感じでした。売れたヤツはガンと給料なりボーナスを上げる。そうするとまた頑張る。

ヤス だからそれをですね、社長の目線で世の中を見るためにはとかね、経営戦略がどうのこうのとかってぐじゃぐじゃ言うけども、あれは大抵間違っているって言うんです、その社長はね(笑)。

西塚 お金を余計にあげれば、余計に働くと(笑)。

ヤス そうそう。極めてシンプルな論理です。論理なんだけども、本質であることは間違いない。

西塚 確かにそうかもしれない。まあお金は欲しいし、評価でもありますからね。

ヤス だから最初に理屈で武装してしまって、セオリーとおりだってことを前提にして物事を判断するとフレキシビリティーをなくてしまう。

2016年以降、世界の形が変わる!?

西塚 ちょっと言い忘れちゃったんで、戻っちゃいますけど、ひとつだけお聞きしたいんですが、世の中では関係ないって言ってますけど、例の『報道ステーション』の古舘伊知郎が辞めますね。来年3月で降板する。『NEWS23』の岸井(成格)さん、元毎日新聞の、この人も降りると。やっぱり例の古賀(茂明)さん、元経産省の、「アイムノット安倍」の古賀さんですね、あれが尾を引いてるんじゃないかと言われてますが、関係ないと言ってる。たぶん明らかにあると思うんですね。

だからメディア規制がかなりきつくなってきたと。参院選までは相当締めつけてくるんじゃないんですか、安倍さんは。言いたいことは言わせないし、何としても勝ちたいんだと思うんです。あとは憲法改正ですね、おそらく。これはどうなるのか。

ヤス あと治安維持法みたいなものを持ってくると思いますよ。

西塚 持ってくるかもしれないですね。宮台(真司)さんみたいな人に言わせれば、周辺事態法が決まったときから、これは見えてるって話になるんですけどね。盗聴法とかメディア規制もそれはセットなので、いずれはこうなるっていうことをすでに2000年ぐらいに指摘してる。先見の明があったと思いますが、本当にそうなってきたなと。安倍は本気でやるでしょうね、おそらくね。

ヤス やるでしょう。だから、このファシスト政権をどこでぶっ潰すかですよ。

西塚 ぶっ潰すかですね。だから僕もヤスさんにこうして毎週毎週来ていただいて、どこまでできるかわからないですけども、どんどん出していきたいですね、そういうことをね。それしかないんじゃないかと思います。メディアだって、まあアメリカの話もお聞きしましたけども、けっこうオルタナティブメディアがいっぱいあって、それこそ『RT』が視聴率で2位とか、笑っちゃいますけども、ああいうメディアがあってもやられちゃうわけですから。

特に日本の場合なんかは、ちょっとそういうことが言えるメディアがあるだけでも、心ある人はみんな見るだろうし、今求められてるんじゃないかなと思います。昔『噂の真相』って雑誌がありましたよね? あれはロクでもない記事もいっぱいありましたけど、あれがなくなってみんなホッとしたらしいですよ。やっぱり怖がられてたんですね。やられちゃうかもしれないっていう。ああいうものは必要なんですね。

ヤス 確かにね。面白いですね。アメリカの最大の批判勢力がロシアだと、国内でね(笑)。だから、アレックス・ジョーンズの『INFOWARS』なんて巨大なメディアになってますよ、今ね。地上波にもなってますから。ネットだけではなくてね。あれね、よく出てくるのは実はRTのコメンテーターたち(笑)。マックス・カイザーって人なんてよく出てくる。歯に衣着せないアメリカ経済批判なんです(笑)。

西塚 それはやっぱり見習うべきですね。はるかに進んでます。

ヤス そう。あとロシアがはっきり目指しているのは、メディア大国。

西塚 『スプートニク』も僕はあまり知らなかったんですけど、面白いですね。

ヤス 面白いです。あれはやっぱり深読みせねばならないんですね。プーチンが今後何をやりたいのか、どのような方向に持っていきたいのかがわかる。

西塚 30カ国語ぐらいに翻訳されている。国だからできるんでしょうけども、ひとつの企業がやろうとしたら大変ですよね。だからプーチンというのもね、またひとつ僕の中では何なんだろうと。

ヤス 今後、このプーチンのやり方から出てくるのは、実はアメリカの金融資本主義ではないモデルがあるんだぞ、ということです。

西塚 中ロの話でも、いわゆるASEAN以下、これからいろいろな国がどこの国をモデルにするかというときに、このままチャイナモデルが成功する、ロシアが成功するとなれば、もう欧米ではないし、欧米はむしろ資本主義を捨てるしかなくなるだろうって話がありますね。そういった本当に大きな意味で、2015年にきてですね、世界の形が変わっていくってことですね。世界の形というのは、取りも直さず人間の精神の形なので、やっぱり軌を一にして変革しつつあるというところに生きてるんだなと実感します。

ヤス まさにそうですね。目の前で世界と言われている環境が変わってきている。それに対して、われわれも早いうちにフレキシブルに適応せねばならないということです。

西塚 ようやく立ち上がる『五目通信』やこのサイトも、そのひとつのつもりでやるので、今後もおつき合い願いたいのですが、何か最後にありますか?

ヤス 今年は2015年なんですけど、僕は2015年くらいに大きな危機が来るかなと思ってたんですね。シェールオイルバブルの破綻とか、新興国のどこかの破綻であるとか、それは何とか1年もったと思います。

西塚 何とかもった。

ヤス イスラム国の爆発的なテロであるとか、僕はおそらく今年もっとあるかなと思ってたんですよ。ただ1年もった。もったのは今年だけかもしれないってことですね。来年はもっとすごくなる可能性がある。

西塚 なるほど。そういったことも、毎週こうしたことをやってますので、逐一ヤスさんにお聞きして発信していきたいと思います。じゃあ、また来年もよろしくお願いします。ありがとうございました。

ヤス よろしくお願いします。

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