だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting vol.28 「他者の存在」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第28回
「他者の存在」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2016年1月3日 東京・中野にて収録

西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の28回です。今日は1月の3日ですね。2016年の最初のミーティングになりますけども、今日もヤスさんにおいでいただきました。ヤスさん、今年もよろしくお願いします。カンパーイ!

ヤス どうもどうも、カンパーイ!

西塚 正月早々、三が日にすみません。もうすでにさっきから飲んでまして。

ヤス いえいえ、いつものことで。酔っぱらいオヤジですから。

西塚 別に去年を振り返るということはないのですが、ひとつだけですね、例の慰安婦関係、いわゆる日韓の合意ですが、あれはどうでしょう、戦後70年ということで安倍政権も早くから決着をつけたいと言ってたみたいですが、駆け込み的な感じもしましたけども、あるいはアメリカのプレッシャーもあったんでしょうが、あれはどう見られますか?

日韓合意はアメリカの脅し

ヤス メルマガにも詳しく書いたんですけど、これは間違いなくアメリカの脅しですね。日韓の合意に向けたひとつのプロセスがありましてね。特に従軍慰安婦問題が大きな問題だったんですが、そのプロセスがいつから始まったかというと、2014年10月21日なんです。

安倍の懐刀で国家安全保障局長の谷内(正太郎)という人がいるんですね。彼が安倍首相の命で韓国に派遣されたのが10月21日なんです。そこで韓国政府と話し合って、日韓関係を改善する糸口を探った。そして22日にニュースになるんですが、パク・クネ政権の安全保障の担当官かな、彼と対話して一応日韓関係を正常化するという合意が得られた。これが今回の日韓関係の正常化にいたる出発点です。

その後、対話のランクがだんだん高くなってくる。最終的には両国の外務大臣ですね、日本の岸田(文雄)外務大臣と韓国のユン・ビョンセだったかな、外務大臣との対話が何回か繰り返されるという形で、徐々に日韓首脳会談の前提条件が整えられる。そして昨年11月の安倍首相とパク・クネ大統領との首脳会談が行なわれるわけです。それで年内ギリギリの従軍慰安問題の解決にいたった、という流れなんですね。

これに関しては基本的にふたつのことが重要だなと思います。外国メディア、特にニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストがそうなんですが、今回の従軍慰安婦問題の解決はよかったと。よかったんですが、そもそも誰が問題をこじらせたのかと言えば、間違いなく安倍のほうだというのが海外の共通了解としてあります。

韓国がかなり強烈に日本に対してNOを突きつけて、日韓の首脳会談ができない状態になったのは安倍の歴史修正主義なんだと。従軍慰安婦が高級娼婦であるとか、戦前の日本の行為が侵略であるかどうかは次の歴史家の判断にまかせたいとか、とにかく戦前の日本軍の行為を肯定的に救いたいといった歴史修正的な価値観がまさに問題なんだというのが、国際的な了解です。

そのような安倍政権に対して強烈な脅しがあった。これは日本ではいっさい報道されてない。さっき言ったように、2014年の10月21日に安倍政権から韓国政府に対して、関係改善をしたいという強い意思表示があった。その前の10月3日にですね、実はアーミテージとかジョセフ・ナイとか、ああいう人たちが結集してるシンクタンクのCSIS(戦略国際問題研究所)というのがあるんですね。そこからレポートが出たんです。

CSISのレポートは日本に対して強烈な意味を持つ、ある意味で指令書ですね。たとえば今回の安保法制がありますでしょ? 集団的自衛権を一部容認した安保法制がありますが、安保法制の内容というのは、2012年の暮ですね、安倍が内閣を継ぐちょっと前くらいに、CSISから日本の安全保障政策はこうあるべきだという「ナイ・アーミテージ第3次レポート」が出るんです。今回、それと同じようなレポートが出ていた。それは、安部の危険な愛国主義といったレポートだったんですね(笑)。

このレポートの内容は、戦後70年間の日本の政治の歴史を総括すると、日本には3つの政治的な機軸があったと。ひとつは保守であり、右翼であり、第2の機軸はリベラルであり、左派であり、第3の機軸は中道派だと。この三極の基軸でバランスよく均衡を保ってきたのが日本の政治である。保守のほうに極端にいきすぎると政権が失速して人気をなくし、左派のリベラルな政権にいく。左派、リベラルな政権にいくためのキャスティングボードの役割を果たすのが中道派という形で、ひとつの極に寄らないようなバランシングがあったと。

われわれは最初、安倍政権もよく現れる右派、中曽根政権のような右派政権であって、最終的には支持が失速して、左派、リベラルなほうに寄るだろうと考えていたと言うんですね。

西塚 そこでおもしろいなと思うんですけど、日本の場合いわゆる55年体制ってありましたよね。今おっしゃったアメリカの見方というのは、55年体制の自民党の中でのバランシングということですね。途中、連立もありましたが、でも民主党政権にいたるまで、左右揺れ動いたところは一応容認してたということですね。

ヤス 容認してた。だから安倍政権に関しても最初は安心してたと言うわけです。どんなに歴史修正主義的な姿勢を出してもね、また憲法改正ということを前面に出したとしても、日本の戦後の歴史の中に内在するバランシングのパワーが働いて、安倍政権は人気をなくし、最終的には自民党内部のいわゆる左派の方向に寄っていくだろうと思ってたと。

そして、そのような振幅を繰り返しながら、保守的な右派政権のときにアメリカの国益にとって一番ベストな選択がなされる場合が多いんだと。だからバランシングが保たれる限りはね、右派政権というのはアメリカにとってプラスに働くという認識があった。ただそのレポートで言ってるのは、安倍の場合違うってことなんです。あの政権はどうもまともなバランシングが働いてないぞと。このままいったら本格的に極右の政権になってしまう。場合によっては中国と戦争を始めるかもしれない。

本当の歴史修正主義者で、戦前の価値観をすべて復活させることを目標において、中国と韓国に進撃する。特に中国と戦争、紛争を起こしかねない。日米安全保障条約の存在上、アメリカは日本の起こした紛争に巻き込まれることも十分あり得る。だから安倍は調整しろと。安倍に関しては、われわれが説得して調整すべきだと。中国に関する態度も問題だが、特に韓国に対するあの態度はないだろうという論文だった。

だからわれわれは、従軍慰安婦問題も含めて、まず韓国との関係を改善するように安倍を説得するという宣言をした論文なんです。極めて強い調子の論文でした。言ってみれば、日韓関係を改善する最初の一歩を踏まなければ、われわれはお前をどうするかわかってるだろうなぐらいの、ある意味脅しですね、あれね。そのレポートが出たのが10月3日なんですよ。その直後です。21日にバーンと谷内局長を送って、日韓関係を改善しましょうっていうのは。

西塚 緊急ですよね。即座にやった。青くなってビビったんでしょうか。

ヤス 潰されると思ったんでしょう、政権がね。青くなっていった。でも今まであれだけ歴史修正主義的な発言をしてね、いきなり日本側から関係改善しましょうは通用しないわけです。おそらくですね、これは表に出ないんでしょうが、安倍は相当な妥協をしましたね。僕は、全面的に韓国に対して妥協したんじゃないかと思う。それで韓国のほうも、わかった、そこまで言うんだったらやってやろうってことだったと思いますね(笑)。

西塚 妥協のレベルは出てこないんでしょうね。これまでの対談でも安倍さんの話は相当出てきたし、いわゆる安倍さんの幼児性ということでもいろいろ批判しました。安倍さんは、今回の件は相当悔しいと思うんですね。

ヤス でしょうね。

西塚 今年は参院選があります。今取りざたされてるのは衆議院の解散総選挙。要するに夏に一挙に衆参ダブルでやると。安倍さんはそれはないと言ってるようですが、そこで一回ガラガラポンして一気に自民党に持ってくる。

韓国との妥協の件もあるし、それくらいのものがないと安倍さんも個人的に許せないんじゃないんですかね。自民党を大勝させて一気に憲法改正にいかないと腹の虫がおさまらない的なことが、僕は安倍さんの幼児性ということにあえて引きつけて言えばあるんじゃないかなと思うんですが。

ヤス あるかもしれないけど、今回の日韓の合意、特に従軍慰安婦に関する合意は、僕はよかったと思います。でもは安倍政権にとっては極めてマイナスです。チャンネル桜、日本の極右チャンネルですね、あるいは2ちゃんねるのネトウヨだとか、ものすごい反発ですね。

西塚 それは感じました。たとえば三橋貴明さんとかも緊急コメントを出して、もう許せないみたいなことを言ってますからね。そこで僕も、ああこの人はやっぱり右翼なのかなと(笑)。

ヤス あの人は右翼ですよ。

西塚 禍根を残すと。将来に向けて日本政府は重大な禍根を残すだろうというコメントをしてる。そういう人たちが相当いる。

ヤス だから言ってみれば、安倍政権というのは日本のナショナリズムを煽ることによって、どちらかと言うとネトウヨ的なナショナリズムですけどね、そのネトウヨ的なナショナリズムの盛り上がりに乗って支持を拡大してきたという政権ですよ。そうした政権が重要な支持基盤のひとつを失うぐらいのリスクを犯したと思いますね、これは。

西塚 逆に言うと、そこまでやらざるを得なかったくらいの脅しがきたということですね。

ヤス 脅しです、まさに。あのような脅しがなかったらやらなかった。日本では逆のことが報道されてるんです。安倍政権はずっと日韓の問題に関しては、すべての対話が開かれているという立場なんだと。それで韓国に対するアメリカのすごい圧力があってね、パク・クネ政権が妥協してこちらに近づいてきたって感じの報道なんですね。これは嘘です。はっきり言いますが、嘘ですから(笑)。

これは日本の主要メディアが流している実質的にはファンタジーです。調べてみると、今言ったようにまったく逆ですね。まず安倍政権のほうに、危険な安部政権の愛国主義といったCSISのレポートによる、ある意味で脅しみたいなことがあった。それから日韓の関係改善のプロセスがある。

おそらく韓国に対しても圧力はあったと思います。ただ、CSISのレポートもそうだし、今回の従軍慰安婦の問題に関する日韓の合意ができてからのね、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストの発表であるとか、いろんな記事を読んでみてはっきりしてるのは、この問題をこじらせたのは安倍政権のほうであるという基本的な認識があるんですね。これはヨーロッパのメディアも含めて国際的な認識だと思います。それで安倍政権が妥協した。

西塚 歯ぎしりしながら妥協したんでしょうけど。

アメリカは北朝鮮崩壊のスイッチをONにした!?

ヤス そうそう。それでね、なぜ年内にやったかってことなんです。年内にやると発表したのは12月24日のクリスマスイブなんですね。

西塚 もっと前に言ってませんでしたっけ? 日韓の問題は年内にクリアすると…

ヤス 岸田外務大臣を派遣すると言ったのは24日なんですよ。岸田外務大臣が28日に韓国にいって、それで妥協を取りつけて帰ってきたという流れなんです。それがですね、実はアメリカの外交政策の奥の院と言われてるCFR、外交問題評議会というのがありますね。そこが12月20日にレポートを出してるんです。日韓はいわゆる従軍慰安婦問題を乗り越えて問題解決を図らねばならないという、これも脅しに近いレポートですね(笑)。おそらくそのレポートが出たからですね。

西塚 泡食ってドタバタでやったって感じですね。

ヤス 20日のCFRのレポートは無料でダンロードして全部読めます。けっこう分厚いレポートなんですが、結論部分というのはある意味で脅しに近いですよ、本当に。絶対に解決させろという感じの命令口調のものですね。

西塚 日本のメディアは知ってるのかな。

ヤス いや報道しません、まったく。だから日本メディアのスタンスは一貫してる。そういう意味でブレない。安倍政権は、韓国に対していつでも対話のチャンネルはオープンであるという姿勢をずっと続けてきたと。韓国のほうから接近したんだと。大嘘ですよ(笑)。このようなCFRのレポートやCSISのレポートが存在するとは、いっさい報道されてない。

問題はもっとある。その裏側にある現実です。なぜアメリカが年内の解決を焦ったかなんですね。それは2014年から始まってるわけです。少なくとも日韓の関係改善は徹底的に行なわれなくてはならないと。

西塚 中国ですか?

ヤス 一番思い浮かべるのは中国なんだけど、アメリカの中国に対するスタンスは敵対的でも何でもない。今回AIIB、アジアインフラ投資銀行ですね、1月中旬に参加表明をしている57カ国が批准して実質的にスタートはするんです。今の段階で17カ国かな? すでに批准した段階なんです。57カ国プラス、フィリピンが入ったんですね。その中にアメリカが世界銀行を通して実質的に入ったような状態なんです。

西塚 そうなんですか。あれはヨーロッパの名だたる国が入ってますよね。実際に批准したかどうかは僕はわからないですけど。小さい国は島国とかも含めておいておくと、やっぱり日本とアメリカは入ってないわけですね。あとはほとんど入ってると言ってもいいんじゃないですか。

ヤス でも実質的にアメリカは入ってるような状態ですよ。国として入ってないだけで、アメリカは世界銀行を通じてAIIBに設立資金の提供までしてます。中国とアメリカは協調関係をどんどん深化させてるという状態です。

西塚 隠し切れなくなった仲のよさということなんでしょうね。ヤスさんも両国を一卵性双生児にたとえて、ガチンコで組んでいるというようなことをおっしゃった。だから戦争もあり得ないと。日本だけが中国の脅威とか何とか、日米安保がどうしたとかやってる。でも、それはわからないわけはないですよね、政府も。

ヤス ただ、われわれ自身が認識しなくちゃならないことがひとつある。われわれの為政者というのは頭のいい人たちではないってことです。

西塚 本当にそうだとしたら、ものすごい不幸というか、いいかげんわれわれは気がつかないとまずいですね。

ヤス もっと言うとね、せいぜい東大クラスですよ。そんなによくないんです、本当に。われわれの一般の公教育で日本で教育を受けてきて、ああ、あいつはクラスで頭がいいっていう程度の連中なんだってことですよ。

西塚 試験問題まで踏み込めないけど、頭いいという基準もどうかと思いますが。

ヤス 現代の日本型の組織の中でどんどん出世するヤツというのは、頭いい悪いというよりも、権力欲が旺盛で他人を押しのけられるヤツだけです。

西塚 既存のシステムに乗るのに長けてる。

ヤス そうそう。ただそれだけですよね。

西塚 その既存のシステムを壊したくないという連中が、官僚を中心にいるということですね。

ヤス まあ、そうですね。決して頭のいい連中ではないということをわれわれはしっかりと認識する必要がある。戦前の指導者と同じレベルだってことです。

西塚 少なくとも現実的じゃないですね。ヤスさんもよくおっしゃいますけど、ファンタジーの世界。ファンタジーを押しつけるなよって感じですね。

ヤス 本当にそうですね。たとえばアメリカ軍の上層部の中にキリスト教原理主義者のファンタジーを信じてる連中がたくさんいますけどね。それと同じようなレベルということです。だから官僚は頭がいいとか、われわれの為政者が頭がいいとか、それは幻想だと。頭のいいのは現場なんだってことですね。

ちょっと話を戻しますが、日韓の合意の話は2014年の10月21日から始まって今回まできたわけですが、問題はアメリカがなぜここまで強烈に安倍政権を脅しながら日韓関係の改善を年内に迫ったかということですね。それにはおそらく裏がある。日韓関係を改善させざるを得ないような理由があった。中国とアメリカはガチの状態ですから、中国ではない。おそらく北朝鮮だと思う。

西塚 ほお…

ヤス アメリカは、北朝鮮を解体させるプロセスのスイッチを押したのではないかと思いますね。これはメルマガに書こうと思ったんですけど、北朝鮮を崩壊させる了解を中国とアメリカはどうもお互いに得てるらしいという情報があったんですね。

今年2016年は、北朝鮮の解体のプロセスのスイッチがオンになった可能性があると思います。だから日韓の関係をとにかく改善させる。日韓がある意味、軍事的に同盟を組めるぐらいまで改善させると。

西塚 北朝鮮を追い込む下地を作っておくということですか?

ヤス そうですね。日韓プラス中国で北朝鮮を追い込むといった、北朝鮮包囲網の形成がアメリカの念頭にはあって、そのための邪魔となるような問題、日韓関係のギクシャクした関係とかね、その修復を迫ってきたということじゃないかと。だとすれば、今年はとんでもないことが起こると思いますよ。

西塚 いろんなことが起きる可能性がありますね。アメリカにとって北朝鮮が邪魔になる最大の理由は何ですか?

ヤス 北朝鮮というのは、アメリカにとってはかなり都合のいい存在ではあったと思います。北朝鮮の脅威を煽って東アジアにおいて火種を残すことによって、米軍がたとえば日本に駐留する。東アジアに米軍が駐留するための口実ができたってことですね。アメリカの外交評論家は、北朝鮮はアメリカにとって理想的なパートナーだって言い方をするんですね。

西塚 ああ、皮肉っぽく。

ヤス そういう皮肉が成り立つぐらいアメリカは北朝鮮を利用してきたってことです。そういうふうに考えると、北朝鮮という存在がいらなくなるってことは、これから本格的な緊張緩和に向けて進んでいく可能性が高いということです。

西塚 それだけ聞くといいことに聞こえますね。米中はお互い経済的にも共依存みたいな関係になっている。そうすると、そこでヘタなことをしてくれるなよ的な北朝鮮は邪魔になる。

ヤス 邪魔な存在になってくる。だから火種を残したり、緊張感を増大させる必要性がまったくなくなってきたということ。それは東アジア全般にとってはいいことなんですが、しかしながらもうちょっと裏を読むとですね、別のところに脅威が移ったということです(笑)。

アメリカはおそらくロシアを本格的な脅威として見ている。それに全勢力を傾けるために、東アジアの緊張緩和をとにかく急いで進める必要性が出てきたってことかもしれない。

西塚 米中の経済的なつながりもありますが、中国とロシアというのはどうなんですか? 米中の比じゃないんじゃないでしょうか。

ヤス 政治的には仲がいいですね。アメリカ以上に仲がいい。

西塚 経済的にはどうですか。

ヤス 経済的にも仲がいい。

西塚 極端な話、アメリカを切ってロシアとべったりでもいけるのか、ロシアを切ってアメリカと組んだほうがまだ有利なのか。

ヤス 有利不利の関係で見るとどっちも切ることはできないと思うんですけど、ただ中国の国民のメンタリティーから言うと徹底的に反米ですね。むしろロシアに対して親近感を感じている。ロシアのプーチン的なものが提示する価値観に対して、やはり中国は相当納得するところが多いと思うんですね。

西塚 だからなおさらアメリカが焦ってるわけですね。

ヤス 言ってみれば中国がキャスティングボードを握ってるんですよ。中国に敵意を持ったら、確実にロシアのほうに深くいく。それではアメリカは孤立しますから。

西塚 中国がどれだけアメリカに経済的に依存してるかというところですね。

ヤス だから今年は、北朝鮮がひとつのキーワードとして、極めで流動的でわからないものとしてある。場合によっては、今日は1月3日ですけれども、一週間内外で北朝鮮で有事が突発的に起こることは十分にあり得ます。日韓関係を改善したということが極めて大きなメルクマールです。

あともうひとつの指標になってくるのは日中の関係改善です。たとえばCSISのようなところが日中の関係を改善せよと脅しに近いレポートを出してきたらね(笑)、これは北朝鮮問題は本格化する予兆だと僕は思いますよ。

西塚 なるほど。確かに今回の日韓の合意に中国は微妙な反応でしたよね。まあ地域の安定化に期待するみたいなことなんだけども、何となくおもしろくなさそうな感じがあるし、今度は台湾が言ってきてるということを含めると、段階を踏んでるのかなって見方もできますよね。台湾とある程度合意して、中国にいくという流れなのかもしれない。

ヤス 極端に最悪なシナリオから穏当なシナリオまで考えることができますが、極端なシナリオで言えば、アメリカが北朝鮮を潰す決定をしたということ。穏当なシナリオならば、真綿で首を締めるように金正恩体制の内部崩壊を引き起こす。これからさまざまなステップをアメリカ及び中国で踏んでいく可能性がある。

西塚 実際、北朝鮮自体もいろいろ側近が交通事故で死んだり、何が起こってるかわからないですよね。

ヤス ええ、おかしいんですよ。何が起こってるかわからない。

われわれは他者のいない世界に生きている

西塚 それで時事問題以外でも、僕が個人的にお聞きしたいことがありまして、大きなテーマになっちゃうかもしれませんが、われわれはどういう意識でこれから生きていくのかと。たとえば日本人としてでもいいです。あるいは地球に住む人類としてでもいいんですが、去年は右・左、保守・革新という話も出ました。それで間違ってたら言ってください、大雑把に言うと、いわゆる左的なものは結局システム至上主義になって、ある機構のもとに絶対化していく。右は右でGDPを伸ばす方向にいくんだけども、エリーティズムということでは一致しているんだという話がありました。政府が再配分していくことでも一致していると。

アメリカで言うと、右でもティーパーティーのような市場原理主義に加担するような意見もあれば、同じ右でもリバータリアニズムとかコミュニタリアニズムのように小さな政府を求めて、自分たちは自分たちの自治でいくんだというようなことがある。僕はそのあたりはうまく整理できませんが、震災以降、3.11以降の日本は、僕に言わせれば、ある程度良識的な部分というのは、地域分散型の相互扶助という方向の考え方にシフトしていると思うんですよ。しかもベイシックインカムを導入して、再分配ということでもいろいろと掬っていく。

僕はそのとおりだと思うんですけれども、何と言うか、たとえば宮台(真司)さんがですね、僕はリスペクトしてる部分もあるのであえて言うと、顔が見える自治というようなことを言うわけです。それは手段的には正しいかもしれません。地域分散型の相互扶助で小さい政府で再分配もちゃんとやっていく。それを本当に自主的にやっていくには小さいところから始めていくしかないんだと。まず顔が見えるレベルからやっていく。あの人はおそらく世田谷区でやってるんだと思います。

それで、未来に向かってそういう見本を残していく。ある種の模範として、こういうことができた、できるといったものを残していきたいという主旨のことも言ってたと思います。僕はそれはいずれ排外主義にいくと思うんです。なぜかと言うと、身近なものを大事にしていくことは、身近じゃないものに対する違和感とか、自分たちとは違うよね的なもの、そうしたことに敏感になっていくというか、無意識の確認作業をしていくようになるんじゃないかという気がする。そして結局は排外主義になっていく。

何を言いたいかというと、もうちょっと狭めて、かと言って江戸時代の長屋的なものはもう無理というか、そのシステムを復活させて現代に援用するのはちょっと現実的じゃないので、もっと近いところ、地域でもなく本当に近いところ、奥さんとか、何でもいいんですが、子どもでもいいですが、そこからまず他人として始めていく。血筋はあるかもしれませんけど、まったくの他人として接する。そのとき、どうやって付き合っていくのか。お互いにリスペクトして、親だから子どもだからとか、あるいはどっちがお金を持ってるとか、男と女、そういうことは関係なく、対等の他人として、一番近いところから接していく。僕はそこに原点があるような気がしてるんですね。

そうすると、もっと外へつながっていく人たち、世界に透けて見えるような人たちと僕はつながっていくと思うんです。そのときに共有されるもの、何かしら共通の基準とか機軸が必要になってくるとして、それが宗教ではないとするならばいったい何だろうということが、僕の個人的な興味としてある。

共同体的なものは排外的なものになっていくという、ちょっと酔っぱらってうまく伝わってないかもしれませんが。宮台さんというより宮台さんが言ってるようなことに代表されると言いますか、地域でまとまった相互扶助的なもの、顔が見える範囲での相互扶助というより、もっと身近なところから他者として見るということですね。そこに僕はまだ普遍性につながるような人間関係を構築する基礎がある気がしています。そのへんどうですか?

ヤス 顔が見える見えないということがひとつの基準になって、結局は排除型の共同体ができ上がるのではないかということですね。僕なりにちょっと言い換えると、その排除型の共同体ができ上がる根源というのは、顔が見えるということですね。われわれが日常生活の範囲内で接することができる人間関係というのは限界があるわけです。

日々、接し合うことができる人間関係というのは、われわれの生活世界、つまり衣食住を中心として成り立つ営みの中で関わり合えるような人間関係です。数はわからない。50人かもしれないし、200人かもしれないけれども、でも数に限りある人間です。数に限りある身近な人間たちの範囲を越えた人間は、やはり他者になってくる。他者に対してわれわれは、強烈に排外主義的に振るまうということですね。

西塚 僕は一番近い人間をそうした他者として付き合えばいいと思うんです。

ヤス それは身近な人間を他者化することによって、他者一般に対するある意味で耐性というのかな、許容性といったものを獲得してくことができるのではないかという、ひとつの戦略ですね。それはよくわかります。僕は十分納得するし、おそらくそういうようことは可能ではないかと思いますね。

ただ一方、僕らは他者性といったものが消滅しかかってる時期に生きているんじゃないかとも思うんですね。果たして、本格的な他者が今存在しているのかってことなんですよ。たとえば第一次世界大戦がありますね。第一次世界大戦で兵力動員が行なわれる。ロシアでも兵力動員が行なわれる。ドイツでも行なわれる。アメリカでも1917年以降ですが、徴兵制で兵力動員が行なわれますね。

兵力動員が行なわれる場合、今まで共同体から一歩も出たことがないような青少年がですね、兵隊として徴用されて国民軍の中に組み入れられて外国に遠征していくわけです。そういう兵士たちの書いた手記がたくさんあるんですね。村から一歩も出たことのない人間が、いきなり軍隊とともに国外に行く。それでまさに他者に出会うわけです。そうした他者というのは、まず人間ではないんですね。

西塚 異物ですね。

ヤス ある種の異物。1918年から日本でシベリア出兵が始まりますでしょ? 最初はロシア革命を警戒して送られた多国籍軍の一部として出兵するんですが、日本軍だけですね、1921年ぐらいまでずっとシベリアに留まり続ける。そのときの兵士たちの手記が残ってるんですね。これがおもしろい。

第一次世界大戦に出兵したヨーロッパの兵士たちと同じように、今まで村しか知らなかったような日本兵がいきなりロシアに送られるわけです。ロシアで遭遇する人たちというのは、まさに土人だと書いてるんですね。土人とは何か。非人間ということのひとつの象徴ですよ。だから殺してもかまわない。実際、上官の命令によって殺してしまう。すると、夫を殺された女たちや子どもたちが泣き叫ぶわけですね。そこで初めてわかるわけです。土人と言えども人間なんだと、初めて悟るわけですね。

そのくらいですね、自分に与えられた共同体を越えたところでは他者が存在した。その他者は人間ではない。たとえば古代ギリシャのことで言えば、当時の古代ギリシャに外国人を指すギリシャ語があるんですが、それはわけのわからん言葉をしゃべる人間って意味なんです。まさに他者ですね。

またヨーロッパ哲学の中でも、他者をどのようにして認識するか。他者というもの、われわれの認識が通用しない外部というものが、哲学でも極めて重要な問題となった。現象学で言えば、共同主観の外部にあるものということになってくる。

でも僕は、それは20世紀で終わったと思う。今われわれは、他者がいない世界に生きている。本当にいないんですよ。どういうことかと言うと、インターネットの普及によってあらゆる人間が人間化して、いわゆる他者じゃないんですよ、もうすでに。たとえばね、僕らが日ごろ付き合ってるような人たちと共同体を作る。作るんだけれども、共同体を作るためのノウハウ、何をやったらいいのかとか、そういうアイデアが場合によっては、普段は共同体に入ってこない沖縄とか、北海道で共同体を作っているような人たちのネットワークの中からやってくる。SNSやインターネットを通じて。

さらにそれでも足りない場合は、ちょっと英語さえできれば、たとえばシリア難民でヨーロッパに逃れて共同体を作った人たちとね、FaceTimeやスカイプで直に彼らとしゃべってね、われわれは実は大変なところかやってきて、こうして共同体を作ってるんだけど、君たちの参考にならないかなって話になってくるわけです(笑)。そこではね、他者が存在するのかってことです。

西塚 そういうときのヤスさんのおっしゃる他者とはどういう感じでしょうか?

ヤス 非人間ですよね。われわれの共通の同士というか、われわれの日常生活で出会うような親しみやすさを持たない人たちですね。

西塚 SNSがこれだけ普及して、ツイッターなりラインなりでつながってますね、みんな若い人たち。あのときたぶんですね、僕はわからないですが、想像すると他者としてつながってると思うんですよ。〇〇ちゃんとか、あるいは〇〇ちゃんの友だちというラインがきて、ああそうなんだと自己紹介して、という意味での他者というものは僕はあると思うんですね。

そういった意味では、むしろ他者とのつながりは広がりつつあるし、昔に比べれば、まあ電話ぐらいしかなかったときに比べれば、他者とのつながりははるかに広がっているという言い方ができると思うんですね。ヤスさんのいう他者とは違うかもしれませんけども、僕が言ったような意味の他者ということであれば、生身で会わなかったとしても、いわゆる他者として会話ができて、コミュニケーションすることはできるじゃないですか。

そういうものと、さっきの宮台さんの話で顔が見えるという範囲で言うと、お互いに顔が見えて、いろんな事情も知っていて、生身な感じで会えるという共同体、コミュニティーのようなものにいる者と、SNSでつながっている他者、世界ともつながってるような他者と、濃度としてもかなり差別化されてきますよね。生身を知ってる相手とそれ以外で、かなり分かれてくるんじゃないかと思うんです。それを僕は排外主義になるのではないかという意味で言ったわけですが、僕はそれを全部取っ払うというか、自分以外のものは全部他者であるという認識に立てば、共同体もネットの中も同じだろうという(笑)。

ヤス それは同じですよ。それはそうなんだけど、もっと言うとね、身近なものだから他者じゃなくて、身近じゃないから他者だってことは成り立たないってことだと思いますね。場合によっては、身近なものが一番他者であるという可能性があるんです。

西塚 そうそう。そこから始めるしかないと思うんです。

あらゆる価値判断から自由になれ

ヤス 今回、5年前ですね、東日本大震災で証明された事実があった。たとえばですね、行政が全然うまくいかない、インフラがぶっ壊れてると。行政の救済も全然ない。そうすると全国からボランティアが集まってくるわけですね。実際に人がいく場合も多いんですが、たとえばどこかの建設関係の会社がこういう資材があるからこれを寄付するんだと言って、トラックに積んでいきなり被災地に持っていくわけですよ。

そういう人たちって他者なのか。場合によっては3.11で被害にあって、極めて身近な人たち同士で孤立してる。しかしながら遠くの人たちとつながり合ってる人たちもいるわけですね。そうすると身近な人間が実は一番他者であって、一番遠い人たちと一番つながり合っている。彼らから援助を受けているってことも十分あり得るわけですよ。

西塚 そのときのつながりですが、もちろん物資がきたほうがありがたいわけですね。一番身近な他者というのは、おそらく同じように被災してれば慰め合うことぐらいしかできないかもしれません。バッと何かを持ってきてくれたほうが助かります。近親者、仲間、友人とは違う他者が助けてくれるという構図かと思いますが、さきほどの他者の問題とはちょっと違う気がしないでもないんですね。

もっと言えば、ポトラッチではないでしょうが、いわゆる何か災害が起きたときに、われこそはとワッと援助をしたがる。もちろん実際に助かればいいので、援助することはいいんです。競って援助するとしても、結果的によければいいんだけれども、そういうこととですね、いわゆる何もできないんだけれども近場にいる人たち、被災者Aと近場に被災者Bがいて、Cがガンと物資を運んでくれる、そのCとの関係とAとBの関係は、同じ他者でも違うと思うんです。

ヤス おそらく違う。ただね、もっと言うと、考えないということが一番重要だと思う。たとえば困ってたらね、勝手に動くわけですよ、人間って。だから、どのような共同体ができて、その共同体にどのような問題があるかということを事前に予想して、思想化すること自体に無理があると思いますね、僕は。

西塚 対談のかなり初期のときに同じような話がありましたね。そのときも宮台さんの話だったように思いますが、クリント・イーストウッドの映画で『硫黄島からの手紙』の話が出た。あまり覚えてないですが、日米の兵士にはみんなそれぞれ大儀があるわけです。アメリカ人ならアメリカの国のためとか、あるいは町のため、日本もそうですね、場合によっては兄貴のためとかお袋のためとか、みんないろんなものを背負って殺し合いをするんだけども、現場で何が起こったかと言うと、当時一緒に戦っている仲間のために戦う。

そういうものが人間の中にはある。背負っていた大儀が消えて、一番身近なところで苦しんでいるヤツがいれば、ヘタすれば敵でも助ける。そういうことを訴えた映画だと。ちょっと違うかもしれませんが、本当はもっと実存的なテーマがあるのでしょうが、僕はそういうふうに記憶していて、それはわりと共鳴するわけです。

そういったことも照らし合わせると、これは僕の個人的な考えですが、やっぱり一番身近なところだろうと思うわけです。一番身近なところをかけがえのないもの、他とは違うかけがえのないものとして捉えるんじゃなくて、一番身近な他者として接する。その関係性の中に普遍につながるものがあるだろうってことなんですが、伝わりにくいですね。

ヤス まあ、そうですよね。だから思想化するとそういうことになるかもしれないんだけども。

西塚 そうか、思想化しようとするところ無理があるのか。

ヤス 一番重要なのは思想化しないってこと。考えないってこと。必要性、ニーズにおいていかに現実的に動けるかってことだと思うんですね。

西塚 いわゆる脊髄反射とは違いますよね。

ヤス 脊髄反射と違う(笑)。感情的に動くというのではなくて、目の前に必要なものを合理的に判断して、それを解決するためにいかに現実的に動いていくかってことだと思いますよ。その結果、いろんなものができ上がってくる。でき上がってきたものをあとで反芻して、反省してね、それを思想化モデル化すればいいだけの話だと思うんですね。

そうしたならば、そこで思ってもみないものができ上がってくると思いますよ。そこで一番重要なのは、現実のニーズに対してわれわれはいかにフレキシブルであるかということです。一番怖いのは、自分たちの思い込みとかイデオロギーとか宗教的な信仰によってね、現実の必要性を無視するということです。

西塚 そうですね。過去にいろいろとフレキシビリティーを発揮して、ある種のセオリーを培ったとして、現実の現場で今、生で起こってることをそこに当てはめていくことがいかにダメかってことですね(笑)。

ヤス そうそう、そうです。だから現実が提起する問題というのは、本当は予想つかないんですね。予想つかないこと、予想つかないさまざまな人たちと出会うわけですよ。そういうあらゆる可能性に対して自分がオープンであるってことですね。それはあらゆることに対してフラットであるということです。いっさい価値判断をしない。いいとか悪いとかではなくて。

人間としてね、本来普遍的に共有できない殺人であるとか、人を裏切るとか、嘘をつくとか、これは人間としてやってはいけないという基本的な倫理観はありますよ。残りの他のものはバリューフリーであるってことね。

西塚 先ほどの話に戻せば、坂口安吾なんかは仮に裏切ったとしても、すごく下卑たことをやったとしても、それが人間だと。別に堕落したんじゃなくて、それが人間なんだっていう認識がありましたよね。

ヤス そう。だから坂口安吾の『堕落論』とか『続堕落論』は、あれは名著だと思いますよ。われわれは読むべきで、言ってみればイデオロギーとか価値というのは、実はわれわれの現実的なニーズから見ていかに無意味かってことです。彼は闇市みたいなものを賞賛するわけです。そのような現実的なニーズの処理にしたがって人間が生きていくときに、そこから新たな価値観が生まれるだろうし、新たなものができ上がってくるってことなんですね。それは現実の多様性に対してわれわれが開くってことです。フレキシブルということ。

西塚 そうですね。仮に今までの道徳、倫理的に悖るものであっても、とりあえず生きていくためにはそういうことが起こり得るってことですね。

ヤス そうです。本当にそう。現実の提起する多様性に対して、われわれはとことんフレキシブルで開くってことですね。そのような現実の多様性から見たときに、他者は場合によっては存在しないってことです。

創造を感じる、創造を生きる

西塚 そうなると、僕は教養がないからあまり詳しくは言えませんが、本来あるべきアカデミズムというのは、そういうところに開いていく知を養う場であるべきじゃないですか?

ヤス そうです。だからプラトン的なものですよ。アリストテレスじゃなくてね。

西塚 ソクラテス的なものじゃないかな。

ヤス そうそう。

西塚 いっさい書くものを残さなかったソクラテス。僕はそこにロマンチックな思いを抱いてるかもしれないけども、もう本当に生きている。

ヤス 本来の人間に備わっている叡智に身をまかせるということです。

西塚 そこであまり飛んじゃいけませんけど、たとえばいろんな人間が現実に対処していくと。みんながそれぞれ自分なりにやればいいんだけども、なかなかうまく対処できなかったり、仲間同士でもいろいろ議論もあるだろうというときに、何か機軸となるもの、それも本当はいらないかもしれないんですが、あるとすれば少なくともキリスト教ではないだろうし、イスラム教でもないだろう。経典がある限りは何かしらの戒律があるわけで、やっぱりそれはちょっといらなかったりする。

ヤス そうですね。だからヒエラルキーを持った価値観は一番邪魔ですよ。現実の問題を解決していくときに極めてマイナスに働きますね。ソビエトが崩壊したとき、1991年の12月にソビエトが崩壊しますが、国のいっさいの機構がそこでなくなるわけですね。そうするとソビエトの当時の国民は崩壊後、自給自足の自己責任社会になっていくわけです。

その中で彼らはどう生き延びたかというのはね、まさにこれですよ。当時のソビエトの持ってた価値観に拘泥する人間ほど、餓死して生き延びられなくなっていくんですね。それを全部捨てて、現実の本当のニーズ、合理的なニーズに従って行動する者のみが、新しいシステムを使って生き延びていったということです。

西塚 そこでビリー・マイヤーを持ち出せば、思い出すのは、いわゆる高次元からの話ですね。人間には野蛮性が必要だと。善悪じゃない。善悪というのは人間が考え出した観念的なもの、要するに抽象的なものだと言います。たとえば動物実験をする。動物を殺すことは野蛮です。動物を殺すのは悪だとされるんだけど、でもそこでワクチンか何かができて人類が生き延びれば、それはそれでいいじゃないかと言う。

それは、そのこと自体を進めていくという進化の道筋があるとすれば、野蛮性がないとそれは成り立たないよと言うわけです。それは僕は反駁できないわけです、個人的には。だから善とか悪とか観念的なものじゃなくて、ある程度の野蛮性みたいなもの、何かを無視したり、何かをないがしろにしたりするということも必要なんですね。進化の原動力としても。

ヤス 確かにね。言ってみれば、それは生きるという意味での合理性にいかに従うかってことだと思います。そうしたときにですね、意外にヒエラルキー的な価値観って邪魔なんですよ。思想とか学説が邪魔になる。

西塚 道徳も邪魔かもしれません。

ヤス 本当にそうなんです。生きる意味で必要になるような合理性から見たときにですね、果たして他者が存在するのかどうかなんですね。僕はないと思う。本当に。フラットになっちゃう。それはどういうことかというと、あらゆる多様的なものに対して自らを開くということが生きるってことです。

西塚 本当に核心に触れてきたと思うんですけども、たとえばビリー・マイヤーの書籍に出てくる存在は、創造と言うわけです。創造に唯一従うと。ヤスさんも依存はダメだとおっしゃる。僕もそう思います。会社に依存する。会社を辞めても、仮に形式的には独立していても、ある会社に依存する。経済的に自立していても、マインド的に何かの宗教に依存している。あるいは奥さん、あるいは誰かに依存している。

要するに依存依存といったものを取っ払ったときに、ビリー・マイヤーの知性体が言うような意味で、最終的に依存するものが創造だとすればですね、僕はそこで言葉遊びじゃないですが、帰依という言葉がありますね。帰依というのは言い得て妙ですが、最終的な依存って意味だと思います。最終的に帰ってくるところ。そうすると、創造というもの、ビリー・マイヤー的な存在が創造しかないと言うときの創造というのは、本来の意味で帰依するところなのかなと。

帰依と言っても、それはいわゆる宗教的なものではないですね。だからそれは仏とか神の、仏はまた別かもしれない。仏教はおいたとしても、いわゆるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の神のようなものではなく、むしろ創造といった何かのエネルギー、あるいは法則のようなものに対して帰依するという言葉を使ってもいいかもしれません。

そのへんをどういう形で、これから媒体を出していくにしても、ヤスさんとのお話にしても、どうやって表現していくかが僕の課題になってくるわけですが。

ヤス ビリー・マイヤー的な創造は何かというと、たとえば創造がこういうものだと初めから与えられて、それを認識してそれに帰依するってものじゃないんですね。そうではなくて、生きるための普通の振るまいから感じるのは当たり前だろうっていうこと。

西塚 そこは僕もテーマになっていて、僕はどうしてもそれを認識したいという思いがあるのと、また別に合気の武道を通じて、今はあまりやってませんけども、体感としてよくわかるわけですよ。そこしかないだろうってこともわかります。もう理屈じゃなくてね。でも、それを言葉で表現する場合、どういう表現方法があり得るか。これは言葉の可能性としてもかなり魅力のあるテーマです。

ヤス 僕の言葉で引き寄せて言うとね、生きるために必要になるような合理性に対して全面的に自分を開いていく。開いてて普通に生きてるなら、これは当たり前に感じるだろうってことなんですよ。

西塚 まあそうなんですが、感じない人もいるじゃないですか。

ヤス なぜ感じないかというと、それは生きるための合理性に対して自分を開かなくてもいいような環境にいるからですよ。たとえばサラリーマンになる。サラリーマンになって辛い思いをしてる人もいるかもしれないし、辛い思いをしてなくてもいいかもしれないけども、要するに与えられたことをやってれば給料が出てくるわけですよね。それは自分の内部に眠っている生きるための合理性といったものに対して、自分を全開にするというか、自分を全面的に開く必然性がないわけですよ。

西塚 自分でフタをしてるわけですね。

ヤス そうすると今言ったビリー・マイヤー的な意味でのね、創造といったものが実は存在するんだってことは覚知できないわけですね、全然ね。じゃあ、何を覚知するかというと、オレにとって会社がいかに重要であるかと理解するわけですよ(笑)。

西塚 往々にして、頭ですよね、基本的に。

ヤス まあそうですよね。そうではなくて、本当にひとりになる。ひとりになって、会社とか所属するものが全然ない。そうすると、いかにサバイブするかという単純な合理性に従って生きざるを得なくなってくる。

西塚 本当にそうです。僕は2013年に独立して本当にそう思ってますから。ヤスさんはそういった意味で大先輩ですけど、そのへんも今度、具体的な細かい普通のわかりやすい例っていっぱいあるじゃないですか、そこからもちょっと話していきたいんですね。

ヤス いいですよ。次回の話につなげる上でひとつだけ例をあげますと、僕はもう自立して20年経つんですけどね、まったく会社とか依存しないで生きている。いろんなことをやってきたわけですけど、ある意味そこにひとつのパターンがあるんですね。自分の言葉で言えば、守られてるという実感が強いんですね。確実に守られている。

生きるための合理性に、ただただ合理的に従って単純にやってるとですね、その合理性に従ったように現実が動くわけです、本当にね。そうすると、なぜ自分がこれだけ安定するのかとやっぱり思う。いつもね。自分を安定させているのはまさに自分自身の努力であるし、生きるための合理性に従った自分の普通の行動なんだけれども、その結果非常に大きな安定を得るわけです。この安定させているものに何か超越的なものを感じるんですね。

西塚 それはやはりお感じになるんですね。

ヤス すごい感じる。

西塚 わかります。

ヤス これは何かあるなと。

西塚 よくわかります。だからまだ安定していない僕がそれを感じるための、これはいいコンビかもしれませんね(笑)。僕ももっとそれを感じるためにもどんどん質問していきます。

ヤス そうそう。何か感じるわけですよ。これは何なんだろうとやっぱり思う。そうすると、ビリー・マイヤーの言う創造ということが一番ぴったりきますね。

西塚 つながってくるわけですね。

ヤス すごいぴったりきますよ。

西塚 では、その何なんだろうということに、今年は早い時期にたどり着きたいので、またおつき合いいただければと思います。ありがとうございました。また来週お願いします。

ヤス また来週。どうもどうも。

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