だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting vol.29 「直感と思考」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第29回
「直感と思考」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2016年1月17日 東京・中野にて収録

西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の29回になります。今日は1月の17日ですね。昨日、ヤスさんの講演会もありました。

ヤス とりあえず、カンパイしましょう。

西塚 そうですね。今日もよろしくお願いします。カンパーイ!

ヤス カンパーイ!

西塚 とりあえず、いろいろあって、小刻みにお聞きすることになるかもしれませんが、ヤスさんはメルマガでも相当書かれてるんで、重複してくる話もあるかもしれませんが、まず北朝鮮ですね。あれも原爆じゃないかって話もありますが、あの意味もですね、ヤスさんのメルマガで…それだけでも1時間終わっちゃうぐらいの話になるんで…やめましょうか、それは。

ヤス いや、いいですよ。

西塚 いえ、やめます。株の下落もそうですが、ちょっと違ったところで…僕の個人的な興味からいくと、ヤスさんにご協力いただいている『五目通信』にも絡んできますが、ジョセフ・ティテルの毎年恒例の予言ですね。ヤスさんのメルマガでガーンともう100何項目、出されました。あれも僕はですね、ヤスさんは具体的じゃないとおっしゃってましたが、ああやって整理されるとかなり実は具体的じゃないかと思います。

ヤス 具体的ですね。整理するとね。

水瓶座の時代とは?

西塚 ものすごく具体的だと思うんですね。あのティテルの予言も、ちょっと気になったことがいくつかあるんですが、ほかの連中というか、ほかのブロガーの人たちも含めて共通するところがいくつかあると思います。ひとつは、ビリー・マイヤーもそうですが、水瓶座の時代ということを言ってます。ティテルは、前にも水瓶座の時代に関して何か言ってたのですか?

ヤス 毎回、言ってたかどうかはわからないけど、だいたいその方向であると…

西塚 ああ、言ってるわけですね。ということは、やっぱり星の運行に基づいている。いわゆる占星術的なものに基礎のひとつをおいてるんですね。

ヤス ジョセフ・ティテルは直感的な人間なので、自分で占星術を用いてどうのこうのではなくてね、ひとつのバイブレーションとか、ひとつの時代を主導する流れが変わったんだと。その流れが変わったということを、人によっては異次元に移動したとかいろんな言い方をするんですが、ティテルの場合は水瓶座に入った、水瓶座の時代なんだといったような象徴的な表現をしますね。

西塚 魚座から水瓶座に移行したというのは、たとえばジョン・ホーグあたりも言いますね。

ヤス ええ、ジョン・ホーグ非常に細かく言ってます。

西塚 いわゆる占星術を基本にした占い師とか予言者の間では、もう水瓶座の時代になってるというのは基本的には当たり前の話ですか?

ヤス 占星術師の間では共通の了解事項ですね。

西塚 それをジョセフ・ティテルが直感的に言っていると。だいたいジョセフ・ティテル自体、僕はヤスさんに紹介されて知ったぐらいで、おそらく読者のみなさんもほとんどがそうだと思うんだけれども、ああいう直感的な人が水瓶座の時代と言ったことに、僕は何となく引っかかったというか、注目したわけですね。改めて水瓶座の時代になったと言うこと自体が、まあ去年もそう言ったのかどうかはわかりませんけども…

ヤス 去年は言ってない、確か。

西塚 それは何なんだろうなと。

ヤス 水瓶座の時代だと、みんながさんざん言いはじめた時期があるんです。2012年以降ですよ。ジョン・ホーグの場合は2014年ぐらいになってからですね。

西塚 じゃあ、わりと最近の傾向ですね。

ヤス 最近です。ジョン・ホーグが言うには、2014年12月が非常に大きな転換点だと。このときに、たとえば金融資本主義を脱するための民衆側の努力が本格的に実らないと、世界は最悪の方向に進展するみたいなことを言ってたんですね。

西塚 (カール・ヨハン・)コルマンさんはどうですか。コルマンインデックスの。

ヤス 水瓶座という言い方はしてない。ただ、タイミング的にはだいたい一致している。

西塚 水瓶座の時代と言えば、フィフス・ディメンションというソウルコーラスグループがいて、『ヘアー』というミュージカルが日本でも…

ヤス 1969年ですね。

西塚 「輝く星座」という日本語のタイトルの歌で、日本でも売れるんですけども。

ヤス 「AQUARIUS」。

西塚 「アクエリアス」ですね。そのくらいの知識はありましたが、あの60年代には、水瓶座の時代に移行してるという認識はあったんでしょうか?

ヤス 水瓶座の時代への移行だということを公の場ではっきりと言いはじめたのは、彼が最初かどうかはわからないですが、ユングですよ。

西塚 え、ユングなんですか?

ユングが提起した反キリスト教

ヤス 1950年に本に書いてるんです。1950年にユングが書いた『アイオーン』という本があります。

西塚 先日もお話しに出ました。

ヤス 魚座の時代の終わりの本だったんです。魚座の時代から水瓶座の時代に移行するので、約2000年間続いた魚座の時代とは何であったのか。いわゆる魚座の象徴を分析することによって、人間の内部にある非常に深いメンタリティーを分析しようとした本です。

西塚 ユングからなんですね。

ヤス ユングが最初かどうかはわからない。わからないんだけど、ただ『アイオーン』で魚座の時代を分析することによって、水瓶座の時代をある意味で予告してはいるわけです。

魚座の時代に発生した宗教は一神教で、キリスト教であり、イスラム教である。その本の中でユングが強調したテーマはキリスト教の不完全性なんですね。ある意味で徹底したキリスト教批判の本です。われわれは、早いうちにこの魚座の時代のメンタリティーから抜け出ないとヤバいぞって感じの本なんです。

たとえば、キリスト教の中で使われている神の概念は絶対的な善だと。マイナス面をすべて排除している。排除されたマイナス面は存在しないことになるので、それは無意識へととことん抑圧される。人間というのは、当然プラスマイナスの両方があって存在している。そのバランスが問題なんだとユングは言うわけです。

そのバランスを崩壊させる宗教がキリスト教なんだと。絶対善ばかりを強調して、マイナス面を抑圧するがためにね、マイナス面がどんどん極大化してしまう。そのうちお前らは恐ろしい津波のようなマイマスに襲われるぞと。そう言ってキリスト教を批判した。

私がこの世に生まれてきた理由は、ネガティブなマイナスをキリスト教に持ち込むためだと。それが私の使命なのだという本なんです。このネガティビティーを認識して、いかにバランスのよい人格を作り上げるのか。それがいわゆる自己元型というか、本来のモデルとなる人格である。

ユングは仏教を非常に高く評価している。その理由は、マイナス面をうまく取り込んでいるからだと。すべてのマイナス面に意味がある。ただ、マイナス面が暴走しないように、全体的な人格でコントロールして統合するのが一番重要なのだと。マイナス面を取り込んだ一番いいバランスの象徴が、実は曼荼羅なのだという本なんですね。

西塚 マンダラと言うと…

ヤス チベット仏教にあるような曼荼羅ですよ。

西塚 ああ、金剛界曼荼羅とか胎蔵界にこだわらず、いわゆる曼荼羅ってことですね。

ヤス いわゆる曼荼羅。マイナス面を取り込んだうえで、マイナス面がコントロール可能になるような一番バランスのよい人格。その象徴が曼荼羅なんだということを言った。キリスト教は不完全な宗教であると。逆にものすごいマイナス面を生むということで、ある意味キリスト教を批判した。

西塚 曼荼羅はバランスを取ったひとつの象徴としてあるってことですね。たとえばキリスト教的ないわゆるアイコン、イコン的なものとは違う。

ヤス 全然違う。たとえばキリストのイコンは、人類の罪を背負って死んだキリストです。人間に原罪として、罪の思いをトラウマとして刻みつける象徴なんだと。

西塚 ビザンチン系の東ローマ帝国時代のイコンとかを見るといろいろありますが、共通している中のひとつで言うと、ヘンな怪物をですね、上からこう突き刺して押さえつけてるというイコンが多いんですね。あれはある種のバランスだろうと思ってたんです。下から湧き上がってくるというか、抑圧されたものが悪魔的に盛り上がってくるのを押さえつけるという、僕はそのバランスをイコン化したのかなと思ってましたが、ちょっと違うのかな。

ヤス 場合によっては違いますね。キリスト教が強調しているようなマイナスは、とことん自分から削除せねばならない、排除せねばならない、抑圧せねばならない。だからやっぱり抑圧の象徴でしょうね。

西塚 やっぱり抑圧なのか。それがインドネシアあたりまでくるとまた形を変えて、悪魔的なものと、あとオッパイを出したですね(笑)、裸の女性とセットになったりもするんだけども。その対比というか、両方を一緒に象徴的に表わしてるものが多いですね。

ヤス そうですね。だからマイナス面をいかに取り込むか。取り込まない限り、マイナス面の破壊的な作用をコントロールすることができない。マイナスを認めたうえで、それを取り込んで、それを統合できるようなバランスというものを保たなくちゃダメだという。

西塚 そう考えるといわゆる胎蔵界とか金剛界の曼荼羅を見ても、本当に整然としていて、知的なものを感じますね。

ヤス 知的なものですよ。だからそういう意味で言えば、ユングは予言的な本をたくさん書いている。ユングが強調しているのは、このマイナス面をキリスト教はコントロールできないんだと。なぜかというと排除してるから。ただただ抑圧の対象になっている。そうやってマイナス面を抑圧していると、津波のようなマイナスエネルギーとして襲われるぞということですね。それは第一次、第二次世界大戦でキミらが経験したことだろうというわけです。

西塚 前のお話でもユングは大事だという話になりました。水瓶座だ何だというのも、ユングからはじまったかはともかく、歴史に残るような著名な作家なり文化人なり思想家で言うと、どうやらユングが最初らしい。少なくともユングの時代にはすでに言われていた。

ヤス 『アイオーン』は1950年ですよ。戦後5年しか経っていない。やっぱりユングはユングなりに考えて、第二次世界大戦の破壊を招いたのは人間の集合無意識なのではないか。人間の本来の破壊性というものが、まったくコントロールできない形で爆発したのが第二次世界大戦であると。

次の時代に移行するためには、この破壊性をいかにコントロールするかということがポイントになる。そのためには、まず自分自身の内部にマイナスの破壊性があることを認識せねばならない。でも今のキリスト教では全部排除してしまって、抑圧する対象でしかないので認識できないんです。

最終的には、今言ったことの繰り返しですけど、抑圧されたマイナス面は津波として襲ってくる。これを何とかしなきゃダメだというのが、ユングの問題意識だったと思いますよ。

西塚 ある種の予言と言えば予言ですね。

ヤス 予言です。本当にそうです。たとえばヨーロッパはまだいいとして、アメリカはそれをコントロールできてるのか、まったくできてないでしょう。キリスト教原理主義の文化ですよね。むしろ自分のマイナス面に対する抑圧をどんどん強めてるような文化です。

僕は津波のようなマイナスがアメリカを襲うと思いますただ、しょうがないんですよ。自分で引き寄せて自分でもたらしたものなので。そこで初めて気づく。あの国はマイナスの津波に洗われて、一回崩壊しないとわからない。崩壊してもわからないかもしれないけど(笑)。

西塚 たとえば、対談でも何回も出てくるビリー・マイヤーも、水瓶座の時代に移ってる云々と言ってますね。あれはクウェッツァルだったかプターだったか忘れましたが、そういうことを言ってるわけです。水瓶座の時代とはこういうものだと。ユングが言ったようなことを、おそらく1975年前でしたね、50年代に言っている。

だから、そういうある大前提があるような気がするわけです。星なのか、何かの計り知れないエネルギーのサイクルなのかわからないんですが、そういうものがあって、ユングはユングなりにそれを捉えて語る。ビリー・マイヤーとコンタクトしているという地球外知的生命もそんなことを言うし、それから60年代70年代になってきても、まあ占星術師たちなんかもそういうことを言い出す。だから何かがあるんだろうと思うわけですね。

ヤス エネルギーとかバイブレーションのチェンジはある。明らかにね。バイブレーションが変わる時期ってあるんですよ。それはいろんな人がいろんな感性で感じとるし、非常に知的に分析する人もいます。最終的にそれは科学の対象になると思いますね。最終的には解明されていくと思う。

ある一時期に、特定の時期からサイクルとかバイブレーションが変わったのは事実だろうと思います。その変化をある意味で象徴的に水瓶座の時代というふうに呼んでるってことだと思いますよ。

西塚 まだわからないにしてもですね、大きなサイクルが明らかにあって、そういうサイクルに入ったと。要するに古いサイクルのある一部から抜け出て新しいサイクルのところに入っていくというのは、アセンションなんていうのもみんなそういうところから出てくる話だと思いますが、そういうものを知らせるというか、わからせるというのは、これは直感なんでしょうか?

それとも誰かの、たとえばビリー・マイヤー的な話で言えば、地球外知的生命がいわゆるインパスル・テレパシーという形で悟らせるものなのか。本当に実際にコンタクトして、詳しいことを言葉を通じて知らせるということは、ビリー・マイヤーの本を読む限り、地球にはそんなにいないじゃないですか。

ヤス いない。20名ぐらいですね。

「直感」を信じてはならない!

西塚 ヘタれば、あそこまでのコンタクトはビリー・マイヤーひとりかもしれないという感じですね。でもまあ、いろんなお告げがあるという人はいっぱいいるんですが、それはおいといたとしてもですね、やっぱりそこには何かしら意味があって、それに早く気がついて、その流れに則った判断と決断と行動をしなさいってことですね。

ヤス ひとつのインスピレーションを与えるというのは、そういうことだと思います。

西塚 と言うことは、われわれは大きな流れを自覚して、それに則って進むべきなんでしょうか?

ヤス 進むべきだと思います。ただ、進むべきなんだけど、自分の直感を信じちゃいけない。直感というのは、ある程度論理的な思考というフィルターを通さないと、ごっちゃでグチャグチャなんですね。僕は直感は信じないですよ。

直感は、とことん研ぎ澄まされた理性によって一回ふるいにかけられなければダメだと思います。たとえば水瓶座の時代であるとか、流れが変化したとか、それを自分が直感したならば、直感の源泉が何であるかということをとことん思考するべきだと思います。とことん思考して自分なりの結論を持つべきです。

西塚 それに関して言うと、たとえばゼランドなんかは、一番信用できないのは理性だって言い方をするんですね。

ヤス それはそうですよ。

西塚 だからヤスさんのおっしゃる直感と、ゼランドの場合は魂と言いますが、魂からくるもの。判断の一番簡単な基準は魂の快か不快かだと言うわけです。自分がこういうことをやろうと決めたときに、やったことを結果として思い描いてみて、それが快か不快か。そこに答えがあるというような言い方をする。

逆に、どう考えてもこれはこうやったほうがいいに決まってると。理性で理屈をいろいろ並べてですね、こうするべきだと思っても、ものすごく魂が不快な場合がある。そこに敏感になるべきであって、そうしないといわゆる理性の理屈に従って全然違う方向にいっちゃうことがある。

ヤス それはよくわかる。

西塚 そういった意味で、今ヤスさんがおっしゃったように、直感はとことん疑うべきだし、信じてはいけない。むしろ徹底的に考えて、検証するべきだということは、けっこう危うい部分もありますね。

ヤス 危ういと思います。快か不快かにやっぱり従うべきだと僕は思います。ただ重要なのは、それが純粋な快か不快かじゃなきゃいけないんです。

西塚 そこなんですね。

ヤス 本当に自分の深い直感、魂からやってきた快・不快であればいいんですよ。たいていはそうじゃない。好き嫌いなんですよ。

西塚 ここはですね、かなり核心だと思うんですね。だからおうかがいしたいんですが、ではどうやって、いわゆる直感でもいいです、あるいは魂の快か不快かでもいいですが、それをどう見極めるか。その方法論なり何なり、では、どうするんだというところに入ってくる。ヤスさんはどうお考えでしょうか?

ヤス そのゼランドの言う快か不快かというのは、普通、感情をいっさいともなわない。判断としてやってきますね。これはやめろとかね。こっちのほうがいいとか。

西塚 そうです。知ってるに近い。

ヤス 知ってるに近い。それが本来の直感だと思います。ちょっとでも「イヤぁ~ッ」とかね、「キラい!」という感情的な質感をともなったら、それは全部ウソです。それは直感でもなんでもない。それを判断するのが思考だということです。自分を客観的に見ないと判断できない。ああ、私は直感みたいなものを信じようとしてるけど、好き・嫌いの感情的なノイズが関わっていると。ならば私はこれを無視する、という判断は直感じゃなくて思考なんですよ。

西塚 そういうノイズがない本来の、一応魂と言っておきましょう、本来の根源的な魂からくる判断というものを養うと言いますか、そういうものを自分に呼び起こすためにはどうすればいいのか。ヤスさんはどう思われますか?

ヤス たとえば、仏教の修行というのは十分効果をあげると思いますよ。禅の座禅でもそうだし、日蓮系統の題目というのもそうだろうし。

西塚 いわゆるマントラですね。声明というか。

ヤス そうですね。声明もそうだし、トレーニング方法はさまざまあると思います。ただ重要なのは、こいつは私の先生だと、先生を妄信しないことですね。そういうのはだいたいまやかしです。

西塚 今の修行の話に戻ると、いろんなチャンティングというか声明をあげるとか、あるいは瞑想とかありますね。ヤスさんとも話しましたが、ビリー・マイヤーにも『瞑想入門』という分厚い本があって、僕は読んでないんですけども、あれは効果的なものですか?

ヤス 効果的だと思いますね。あの瞑想は自分との客観的な距離感がとれるんです。まず、自分の感情との距離感がとれる。そうするとね、純粋な思考を自分の中に招き入れる余地ができるんですね。

西塚 それは、場合によっては逆になりませんか? たとえばある修行をして、瞑想でもいいし、滝に打たれるでもいいんですけど、ある精神状態になる、無になるということもあるんだろうけれども、言い方を替えると、思考が入る余地をなくす境地になる。

ヤス それは間違った方向だと思います。

西塚 間違っている。

自分の感情を「思考」で精査する

ヤス 『瞑想入門』が保証するものは、自分に対する恐ろしく冷厳な客観性だと思います。自分の心の動きを距離感を持って観る。非常に客観的にね。それで自分がどういう感情を持っているかという感情の動きが客観的にわかる。それがわかると、感情に左右されない直感とは何か、というのがわかるわけです。

西塚 そうすると、それはある程度そういう修行なり何なりを体験しないとわからない、という話になってきますね。

ヤス わからないんだけども、それが思考を積極的に導入すべき余地だということですね。まず第一に、自分の感情に対してとことん客観的になる。感情ほど信用できないものはない。第二に、客観的になったら、自分が直感と信じているものが感情からきてるのか、そうじゃない部分からきてるのかを判断する。第三に、判断するための基盤になるのは思考です。冷厳な思考です。

西塚 その場合、ヤスさんの言う思考というものはどういうものになりますか?

ヤス 論理性ですね。

西塚 言葉を使ったものですか?

ヤス なるべく言葉を使ったほうがいい。なるべく言葉を使って論理的に表わしたほうが絶対いいですね。そうすると、その思考によってこれはやっぱり感情なんだな、これは直感で大丈夫なんだなって判断ができるようにはなると思いますよ。

西塚 そのへんをもっとわかりやすく言うことはできるでしょうか。たとえば、論理と言いながら、ただの屁理屈だったりする場合もあるじゃないですか。僕のことですけど(笑)。

ヤス 自分の理性を妄信してもダメなんですよ。自分がいかに論理的であるかということを妄信してもダメですね。はっきり言って、信じちゃダメですね、何でも。あらゆるものに対してニュートラルな、中道的な態度をとる。距離感を持たないとダメです。

西塚 信じようとすることはすでにダメですね。同時に疑念が生まれる。本当に、知ってる、に近い感覚ですね。だからその境地にいくことはかなり難しい。ほとんど修行に近いんですよ。合気もそうですが、ある感覚とかある境地にいくためのただの修行なんですね。

それはいわゆる常識にはない感覚なんですけど、じゃあ合気をやるしかないのかって話になっちゃう。そうではない形が何かあるかと言った場合に、ビリー・マイヤーだったら瞑想もそのひとつだろうし、草むしりなのかもしれない。そういうひとつのノウハウというか、ハウツーになっちゃうとまたいけないわけですが…

ヤス 身につけたほうがいいと思う。何かね、自分で。まず、一番スピリチュアル系でヤバいのは、直感に対する妄信ですね。直感は、今言ったように感情というノイズとごっちゃになってる場合がほとんどなんです。

西塚 ということは、これをやればこうなるというよりも、極端な言い方をすれば、まずこれはやるなよ、といったことのほうをあげつらっていったほうがまだ早い(笑)。

ヤス そうです。自分の感情をまず信じるなと。ほとんどノイズだと。それで自分の感情を直感と思い込むな。

西塚 あと、字にこだわっちゃいけませんが、直感の感は感情の感なんですね。観察の観だと哲学的な意味になって、たとえば何かものを読んだりしたときに、もともとアプリオリに備わってる能力によって理解できるというようなこと、それが観察の観の直観なんだと思います。でも感情の感の直感は、本当にパッと理屈じゃないところでわかってしまう。だから直感と言う場合、僕はそっちのほうかなと思っています。

ヤス そうです。理屈じゃなくわかるんですよ。“わかる”であって、それは感情をともわないんですよ、本当に。ものすごく冷厳な判断です。

西塚 本来の直感と感情的なもの、好き嫌いなのかをまず見極める。

ヤス まず見極める。自分に直感的なものが湧いたとしたら、どこまでどの部分が感情で、どの部分が本来の純粋な直感なのかを自分が判断せねばならない。それを判断するのが思考です。

西塚 その判断が正しいかどうかの前に、まず直感か感情かを判断する。

ヤス そうそう。感情的なものはたいていノイズです。

西塚 判断するときには思考が働くわけで、そういう意味で思考とおっしゃったのですか?

ヤス その意味で思考と言ってますね。

西塚 なるほど。

ヤス 判断する場合の思考は感情をともわないので、本来はね。だからその思考をベースにして判断の基準にするってことですね。

西塚 それだけでもかなり、パッと何か行動を起こすときのリスクは減るような気がしますね。

ヤス そうですよ。やっぱり感情というのは自分を欺きますから、本当にね。ノイズにもかかわらず、自分の直感で正しい方向だって思い込んじゃうんですね。どんなものでもそうです。イヤな感情でもいいし、ワクワクでもいいし、あらゆる感情はマイナスです。ワクワクした感情で地獄の中に入っていく人もいますから。

西塚 そこで思考が働けば、ワクワクしてるということも、単純にこの前と似たようなシチュエーションだから、同じような感覚が蘇ってきて同じような気持ちになってるだけかもしれないと判断できる。でも、ちょっと考えたらとんでもないと。実は。

ヤス オレというのは、やっぱりこのようなシチュエーションに対してえらくアトラクトされるタイプだと。惹きつけられるようなタイプの人間だよね、とか。

西塚 そこで思考が大事になるんだと。けっこうわかりやすい話ですね。

ヤス いろんなスピリチュアリストの先生がいますが、だいたい自分の直感を妄信してる人が多い。

西塚 基本的に指導者と言われるような立場の方たちでも、やっぱりありますか?

ヤス でも、というか、指導者になればなるほど直感を妄信しますね。

西塚 そうですか(笑)、もっと冷静なのではなくて。

ヤス 全然。思考なんてゼロですよ。ヤバいです。

西塚 そうなのか。そうなると昔の70年代とか80年代初期の議論じゃないけども、声がでかいヤツが勝つみたいな感じで、もう信じ込んじゃってどんどん間違って、たとえ魔物が取りついていても言い切ったヤツの勝ちになる。

ヤス それだけやっぱり意識の識域が低いんですね。自分の感情に対しても100%オープンになってしまってるという人です。まあ、100%感情に対してオープンになってしまっている人でもね、正しい直感はいろいろ入ってきます。ただ、感情的なノイズとごっちゃになって入ってきます。

西塚 僕もわりと100%近くオープンになっちゃうけども(笑)、僕の場合は他愛のないものかもしれませんが、それがある方向、たとえばスピリチュアル的なものだったら話が違ってきますね。

ヤス やっぱりまずいんですよ、それはね。スピリチュアル的に自分の直感とか何とかって妄信してるとヤバいです、絶対。一番妄信してはならないものですね。そういう直感が湧くような人は僕のまわりにもたくさんいるけども、スピリチュアル的な意味での先生とかもたくさんいるけどね、彼らのほとんどはもう妄信してる状態です。

西塚 それに対してヤスさんの立場としてはどうですか? そういう人なんだなというくらいですか?

ヤス そうですね。僕の場合はちょっと距離感を保って、彼ら彼女らの妄信してる直感のどの部分が正しくて、どの部分が信用できないかを判断しようとします。少なくともね。ああ、この部分は確かに面白いな、この部分はノイズだというようにね。

そういう判断ができたら、やはりいろいろと質問をしたり、対話を積み重ねて、正しい部分の情報を自分で引き出すように努力しますね。そういう方向を僕はとります。僕の方向が正しいかどうかの保証はないけれども。

西塚 それは、そういうことを言う人物でも、あるいは書籍でも、全部同じ態度でのぞむということですね。

ヤス そうです。

西塚 ヤスさんは2007年ぐらいから、ずっと予言のことについても書いてらっしゃったけど、予言に対してもそういう態度ですか?

ヤス 全部そういう態度ですね。

西塚 予言として言われたことを自己実現的に、自己現実化していくということについては、また別でつなげていきたいと思います。

ヤス 直感と感情と思考のバランスが絶対に必要です。だから、何が自分にとって理想的なバランシングポイントなのか、ということをつかまなくてはダメだということですね。

「クール・ジャパン」はあと2年!?

ヤス 僕は現在の日本人に対して、日本文化じゃないですよ、日本人に対しては相当ネガティブです。これまで対談でも言い続けてきたようにね。日本は復活のチャンスを自らぶっ潰してるんですね。

なぜ、日本がiPhoneを作らなかったのか。テクノロジー的にはアップルを凌ぐテクノロジーを持ってる会社はたくさんある。なぜ、作れなかったのか。ヒット商品はみんなアメリカ発じゃないですか。なぜ、日本ができないのか。非常に簡単なんですね。

何かヒット商品めいたものを作ると、わあっ!日本はすごいっ!という意識が強すぎるんです。ヒット商品を作るための大前提がある。多様性に対する感性、多様性に対する寛容性ですね。全然違った価値観、全然違った物事の見方をできるような、多様な人間をいかに引き込めるかによるんです。

アメリカのあなどれない優秀さはどこからくるかというと、多民族国家であるということ。インド人の優秀なヤツ、日本人の優秀なヤツ、南アフリカ人の優秀なヤツ、ロシア人の優秀なヤツと、もう本当に多様な価値観を持ってるヤツをかき集めてくるわけです。そのような多様的なプールの中でこそですね、いろんなアイディア、画期的なものが生まれてくるんですよ。

ただ、ここもポイントで、多様性のバランスがある。多様性はカオスなので、どこまでがカオスで、どこまでが秩序なのか、その線の引き方があるんです。スティーブ・ジョブスみたいな連中は、ものすごくその感性が研ぎ澄まされていて、カオスと秩序との絶妙なバランス感覚があります。ビル・ゲイツもそうなんだけど。

日本の場合どうかというと、ちょっとでも何か成功すれば、日本はすごいっ!となって、多様性を全部排除して籠っちゃうんですね。そうすると、将来に成功する種を全部自分で排除することになる。それで最終的にはジリ貧に陥っていくというサイクルですね。

だから、たとえば日本の現在のアニメとかね、クールジャパンとか言ってますでしょ? あれなんて、おそらく2年持たないでしょう。やっぱりクールコリアになってくると思うし、もうすでにクールコリアです。クールタイランドかもしれないし、ほかのところに全部取られていきますよね。

西塚 いきなり時事問題になりますが、台湾と言えば、民進党ですね。いわゆるひとつの中国とか言って共産党と仲よくやってきた国民党を引っくり返した。台湾なんて独立しちゃえばいいと個人的には思いますが、あのパワーと言いますか、僕は知らなかったのですが、対中国との貿易でもものすごく上にいるんですね、香港とかと並んで。あんなに上にいるとは思わなかった。

ヤス そうですよ。だから中国依存ですね、完璧に。ものすごく依存が高い。今、台湾でも香港でもそうなんだけど、問題は何かというと、経済的には中国依存でしか生き残れない。生き残れないんだけども、それは自分の文化的なアイデンティティーとしては拒否したい。だから中国に依存せざるを得ないんだけども、中国に依存した状態で、どうやって自分の文化的なアイデンティティーを確保するかという問題です。中国のほうとしては、もっと長い期間をおいて構えてますので。どっちにしろ吸収すると(笑)。

西塚 そうでしょうね(笑)。強かですからね。向こうのほうがはるかに上。

ヤス だから、たとえば台湾に関して言うと、彼らの民族的なアイデンティティーに対するこだわりですね。中国のほうはゆったりした時間を持って、戦略として経済的に中国に依存させる。台湾経済が中国に依存せざるを得なくなるように包含する。あとは時間をかける。だから最終的に何が問題になってくるかというと、台湾の人たちが自分たちの民族的なアイデンティティーを、まあしょうがないよって言っていつ放棄するかですね。

西塚 ああ、やっぱりそこなんですか…

ヤス そこだと思いますね。放棄したうえで、中国に吸収されて、中国の内部である意味自治区的なもの、今の香港に近いような状態で自分たちの民族的なアイデンティティーを文化的に保っていく。おそらく中国はそれを許容すると思う。ああ、どうぞと。一国二制度でいいっていう国ですからね。それで自分の中に香港型で吸収する。

ちょっと語弊のある言い方かもしれないけども、今回は国民党のほうが現実的だと思います。われわれはやっぱり中国に依存せざるを得ないと。依存せざるを得ないということを前提に、何とかしようと考えるわけですね。今の民進党は、まだ独立できるんだと思っている。僕は幻想だと思います。台湾は独立国家としてやれないことはないんだけども、今の状態から見たら、中国から引き離されたら無理ですよ。そういうふうに僕は思います。

西塚 そうですか。まあ、考えてみれば歴史的に振り返っても、あそこの領土といい、大した年数が経っているわけでもなく、あそこにこだわる必要はないかもしれませんね。民族的にも。

ヤス もともと台湾は、地域として国家意識があって、民族的に独立したという意識はあまりないでしょう。国民党政権が中国共産党に追われて逃げてきた。それからでき上がってくるわけですね。蒋介石以降ですね。自分たちこそが正当な中国であるというのは。

「エコノミスト」の表紙だけを見て判断する愚

西塚 あと、ヤスさんのメルマガでは取り上げてらっしゃらなかったですが、ちまたでは話題になっている例の『エコノミスト』の表紙。あれはあえて無視されたというか、あまり興味を引かれませんでしたか?

ヤス いえいえ、おもしろいですよ。ただね、みんなが見てるのは表紙だけなんですね。記事を読んでないんですよ。記事を読んだら、なぜあのような表紙を使ったかというのがわかります。表紙に載ってるひとりひとりは何かというと、エコノミストの記事の内容を象徴しているんですね。

西塚 なるほど。昔からよく陰謀論系のブログで取り上げられていて、ある種陰謀論の格好の材料だったじゃないですか。僕はちょっとついていけなかったので、よくは知らないのですが、今回もまた出てきた。中には多少の真実が含まれてるのかもしれませんが…

ヤス 表紙だけを見て判断するんですよ。たとえば、エコノミストの2015年版の記事を見ると、やっぱり表紙にある象徴のひとつひとつに記事が対応してるのね。実に合理的なんです。

西塚 普通、雑誌の表紙というのはそういう機能があります。

ヤス そうです。要するにデザイナーが記事の内容を読んで、ひとつひとつが記事の内容を一番象徴するようなイラストを考えて載せたってだけですね(笑)。

西塚 今日は時間もないのでそのテーマにいけませんが、雑誌の機能としてもそうですね。それをいろいろとこじつけておもしろがる。それはそれでエンターテインメントとしてはいいんでしょうが、でも本気にしてる人もいるんじゃないかな。

ヤス 表紙だけを見てるから。内容を読めと。実に合理的です。たとえば、2015年版ですけど、東の顔と西の顔が敵対するような感じの地球儀があったんですね。これは、現在の欧米とロシアとの対立を象徴している。そのすぐ下にですね、核爆弾の象徴があるわけですよ。それなんか記事を読むと実に単純ですね。

何を言ってるかというと、欧米とロシアとの敵対関係って修復できないとこまできてるよねと。このまま敵対関係がどんどん進んだ場合、次の紛争とか戦争の危機が高まると。核戦争になることはないとは思うけども、その可能性も否定できないよねって感じの記事なんですよ。

それはそうだろうって話でね(笑)。だから、記事の内容を読まないで議論しても意味がない。陰謀論という自分の思い込みの世界に入るので。

西塚 そういう意味では、色眼鏡をつけて見れば、いろんな表紙のデザインもいろいろ理屈をつけられますね。ストーリーを作れるし。

ヤス そうです。だからひとつひとつの記事の内容をシンボル化して、一堂に集めるとあんな表紙になる。だからやっぱりね、ちょっと深読みしすぎ。

西塚 それは、あえて言ったほうがいいですね。毎年、恒例のようになってるし、どうのこうの言う人も多い。

ヤス たとえば今回、ヒラリー・クリントンがカラーで出てるじゃないですか。僕は2016年版をまだ読んでないんですね。ただ想像するに、ヒラリー・クリントンがカラーで出てきてるってことは、おそらくですね、アメリカの大統領選挙に関する記事なんですよ。2016年予測だから。これはヒラリーだよねっていう記事だと思います。それであれが出てきた。メルケルもカラーで出てきてる。今、ドイツでは問題がいろいろあって、これからドイツはどうするのかっていう特集記事なんですよ、きっと(笑)。

西塚 なるほど(笑)、笑ってはいけませんが、言葉は悪いかもしれないけど、この程度のことはヤスさんのメルマガに書く必要はないですね。読者もそんなことはおいといて、もっとおもしろいというか、有益なものを書いてくれ、それはどうでもいいよわれわれは、と思ってるかもしれないので、この対談くらいでいいかもしれませんが、一度きちんとやりたいですね。

ヤス ただね、ここで問題なのは、何らかのエリートからのメッセージがいっさい含まれていないかと言えば、そうではない。ひとつのやり方としては、記事に対応する象徴を全部抜くんですよ。これはこの記事に対応してる、これはこの記事というふうに。対応してないものが残るのね(笑)。

西塚 イラスト全部が対応してると思うけど、排除していくとちょっとこれはヘンだぞと。

ヤス これとこれと、三つぐらいヘンだと。まったく対応してるものがない。

西塚 そっちのほうがおもしろい話だな。

ヤス そのようなインテリジェンスが必要です。エコノミストそのものはロスチャイルド家が運営しているような経済誌なので、やっぱり彼らの持ってる計画というか、願望というかね、そういうものが象徴化して出てる可能性はあります。

西塚 僕の知る限りは、ヤスさんはそれに関してお書きになったことがないと思いますが、あまり関心もなかったのかもしれないけれども、そっちのほうがはるかにおもしろそうですね。

ヤス 書いてないですね。やっぱり思考でふるいにかけなくちゃダメですね。表紙だけ見て、これは陰謀だって言っても全然ダメです。やっぱりそれなりのインテリジェンスというか、それなりの思考的な…記事読めとまず(笑)。

西塚 本当ですね。非常に興味深いお話でした。時間がきましたので、とりあえず終わりたいと思います。今日はありがとうございました。

ヤス ありがとうございます。どうもどうも。

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