ちょっと雨が上がりかけてきたかな。
いろいろと細切れに原稿を書いたりチェックして徹夜してると、
ときどきだが、今日が何日なのかわからなくなる。
さすがに朝だ昼だ、6時だ9時だってのはわかるが、
感覚がずれることはあるね。

『おやすぴ』をアップしたのはいつだったか、
そろそろ先週ぶんに取りかからなくてはいけない。
これがまた面白かったが、これは前回ぶんもそうだが、
一部は『五目通信』にまわしている。

いわゆるスピリチュアル系のことを検証していくうえで、
危険なワナとしては、ミイラ取りがミイラになってしまうことがある。

大きな視点で見れば、それはそれで致し方がない部分がある場合もあれば、
自業自得、あるいは単純に判断的なケアレスミスで起きることもある。
しかし、実はここに最大に重要なポイントがある。
ここにこそ本質があると言ってもいい。
次号の『五目通信』vol.2では、
そのあたりのことがテーマのひとつになるだろう。
ヤスさんとの対談もそうだし、
その他これまで私がわかってきたことも掲載する予定だ。

今アップしている最新の『おやすぴ』で、
ヤスさんがいみじくも指摘しているように、
“スピ系”のほとんどは強固な思い込みによって成立している。
そしてまた私に言わせれば、確かに強固な思い込みなのだが、
自分の思い込みに自信が持てないからこそ、
スピ系の市場ができ上がっている。
言ってみれば、みんなで“思い込み合戦”をしてるわけだ。

FC2で私が∞酒林∞名義で立ち上げたブログ『峠の居酒屋』で、
最初のころに“想念戦争”と言っていたのもそのことだ。
そして、今後はますます“想念戦争”が激しくなってくるだろうと。
またもや弱肉強食の世界が繰り広げられるわけだ。

それはそうと、
そのFC2時代のブログを全部このサイトに移行してもらったのだが、
改行や段落がなくベタな形で流し込まれるんだね。
見にくいわな、これ。
どこかで一回、編集整理しなければ。

まあいい。
思い込み合戦だった。

だからスピ系のサイトは、徹底した世界観を構築して、
その世界だけに住もうとする住人もいれば、
そうした世界観をあちこちから集めてくるコレクターもいる。
そしてだいたい排外的か、誹謗中傷合戦の場になる。

これは何もスピ系に限った話ではない。
ごく一般的な世界にもあてはまるのだが、
人間の精神が関わってることはすべてスピリチュアルだとする私から言わせれば、
すべて同じになる。

いや、誹謗中傷もいいのだが、その内容だ。問題は。
お前のかーさんでーべーそみたいなものから、
威圧的、高圧的な物言いもあるし、
ネチネチした陰湿な恨み節もあろう。

こういうのは、話されるテーマや内容というよりは、
精神性の問題だと思う。
スピ系だ、政治経済の話だ、結婚・離婚問題だ、
将来の夢だ、生まれた環境だの話ではない。
そもそも論だ。

この“そもそも論”って言葉は私はキライなんだよね。
じゃあ使わなきゃいいじゃんってんだが、使わないと語れない。
初めて使ったというか、書いた。

意味はわかる。よく使う人もいる。
実際にこういう言葉があるかどうかわからないが、
少なくとも辞書にはないが、言葉は変わっていくものだし、
造語もOKな私から言わせれば、何でもいいのだが、
そもそも論というのは好きじゃない。

ほかにも、“無理くり”とか、“なるほどですね”とか、
わかるんだけども、
どこかマヌケな感じがする言葉づかいってありませんか?

でも、これも慣れるんだろう。
それこそ80年代に、
“~するかもだけど”という使い方をするのを聞いて、
そんな言葉づかいはない。
~するつもりですけれども、と言いなさい。
と言っていた私だが、今ではどうでもよくなった。
これは日本語を覚え立ての外人がときどき使うパターンだね。

ともかく、精神性だ。
“新しい精神性”とヤスさんは言ったが、そういったもの。
精神、意識に関する態度、心構えといったようなもの。こと。
そういうことは、およそ知的な作業を要する。
“知的”と言うと、どこか傲慢で、高慢で、
ペダンティックな匂いが漂ってくるが、
そういう意味ではない。

感情や情感の靄を可能な限り排除した向こうに見えてくる、
整然、堅牢としたものに至ろうという作業、
仕事のことを言うのである。

そして、ある意味そうした“仕事師”として優秀な人間を、
われわれ人類は少なくともふたりは持ったと思っているわけだ。私は。
言うまでもなく、ロシアのヴァジム・ゼランドと、
スイスのビリー・マイヤーである。

さっき“感情や情感の靄”と言ったが、まさにそうで、
飛行機に乗ったことがある人はわかるだろうが、
というか、
窓際に座って離着陸時にちゃんと窓の外を見られる人はわかるだろうが、
雲の上には本当に太陽しかない。
明るく、澄明な空間が広がっているだけだ。

雲がなければ、明るい日の光の下に、われわれの街や、
山や川や海がくっきりと存在しているのがわかる。
ある層を雲が覆っていると、その下の世界では雨が降ったり、
日が射さなかったりしている。

映画の『マトリックス』のあれは最終版のヤツかな、
ネオが機械連中と闘うシーンで、一瞬、雲の上に出る場面が出てくる。
あの、完璧な明るさ、静けさは、
印象に残った人もいるのではないだろうか。
あれは、本当だ。

そしてAIや2045年問題が一部叫ばれる今、
『マトリックス』や『ブレードランナー』のような映画はまた再評価されるだろう。
それにしても、ウォシャウスキー兄弟は興味深い。
今は姉妹か。
『クラウドアトラス』も好きな映画だ。

何だか話がまたあっちこっちいった。
相似形、フラクタルの話をするつもりが何でこうなるのか。

原稿の合間に書いてるから、ちょっと時間がなくなった。
また次回で。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です