最近はバカバカしくて見てらんないということもあり、
国会関係には無知だが、無視してるわけではない。
森友問題にしてもかなり根が深く、
マスコミではまず絶対に表には出てこないだろう。

根が深いと言っても、実は単純でもあり、
これまでのマスコミや世間というか、ある種のしきたり、
慣行、常識(非常識)によって表に出てこないわけだ。
それらはここで書くこともできないというか、
書くことで引き起こされるゴタゴタを避けるために書かないわけで、
そのゴタゴタを引き受けて公開するという役目は、
このサイトは持っていない。
別の役目があると思うからであり、
それだけでも全うできるかどうかわからないものだ。

でも、書籍やデジタル文書で発行していくものの中で、
それらの問題自体も包含されて検証されるだろう。
いわく、古代律令制や渡来人関係、同和、天皇、
果ては、キリスト教に限定されるものではない、
広い意味での創世記関係のことだ。

そうしたことがらが、無数の傍流として現代に流れており、
さまざまな習慣、慣習、制度、風俗、宗教、芸能、武術、
伝説、奇跡、秘蹟、タブー、
その他もろもろの中の問題として現われている。

そして、
いろいろな立場の人が、そういうことを意識していなくても、
無意識に書籍で著わしていたり、文献になっていたりする。
現代に生きる私たちは、そうしたものを解読・解釈していき、
これからのあらたな見取り図、
あるいは景色として描き直していく必要がある。
でないと、ロクでもない連中が描いた絵の通りの、
ロクでもない世界がますます確固たるものとして形成されてしまう。

よくヤクザ映画にもあるでしょう。
「誰が絵を描きやがった?」とか、
「おい、重吉、てめえだな、筋書きやがったのは」
ってヤツですね。

その絵や筋に対する知識を持っていないと、
その絵や筋を書き換えられないのだ。
もちろん、絵の中だろうが、筋書きの中のコマだろうが、
楽しければそれでいいという立場はある。

まあ、性分でしょうですね。

すべて自分で描いた絵の通り、
筋書きの通りにやってきたと思ってたら、
お釈迦様の手のひらの上だったという孫悟空ならまだいいが、
相手はお釈迦様ではないのだ。
ひょっとしたら、三島由紀夫が割腹する前に漏らしたという、
緑色の蛇かもしれないのである。

でも、そんな相手はどうでもいいというか、
実は大したことではなく、
一番大事なことは、

「私は誰なのか?」

ということであり、
この世ではまずそれを思い出さなくては、
はじまらないのだ。

だから私たちは、
何度でもやり直さなくてはならないハメになる。

2 thoughts on “だるまさんが転んだ?”

    1. ロク様

      おお、久しぶりのコメントです!
      ありがとうございます。
      今、見てみました。面白いですね、コレ。

      もちろん、そういうことです。
      広い意味で、スキャンダルとはそういう傾向がありますね。
      でも、今回の私の記事は、もうちょっと具体的というか、
      生々しいことを念頭に置いたものです。

      ロクさんが紹介してくれたYouTubeの作品にもあるような、
      大枠のことと、個別の案件の両方を見て、
      大枠を踏まえながら、個別のことに注視することを大事にしたいと思っています。

      今回の森友問題は、安倍政権に対するある種の見切りをつけた勢力と、
      それとは関係なく、普通に金儲けに関する予定調和を崩された側の怒りと、
      超無防備に個人的な交友関係を楽しんでいたファーストレディーの、
      スピ系レクレーションのツケなど、
      いろいろなレイヤーが見て取れる現象です。

      とにかく私たちは、結局そういうことね、という落着は最後まで回避して、
      それぞれのやり方でいいので、見極め続ける、ことが大事です。
      なぜなら、自分の船の梶棒を自分で握っていくには、
      まず、それが前提になるからです。

      そうした意味では、ご紹介のYouTubeも、結局そういうことね、
      という落着に人を導く力があり、
      見極め続ける面倒くささを解除させるものもありますね。
      そこはちょっと注意が必要かなと、少し思いました。

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