前回、途中で時間切れになってしまい、打ち合わせに向かったので尻切れトンボになった。

“続く” としたが、考えてみれば、これは『世界の創造~ゼランド編』シリーズにふさわしいことに気がついたので、そうすることにする。

シンクロニシティーの話をした。前回も言ったように、早い話が “偶然の一致” なのだが、普通は “共時性” と訳される。

ユング自身、患者の治療の最中など、自分があまりにもシンクロニシティーに出逢うので、当時としては大胆な試みだったが、“意を決して”「非因果的連関の原理」という論文を発表したわけだ。

なぜ、意を決してなのか。

んな、ただの偶然の一致をさも意味があるような現象として論じるのは、当時としては(今も?)学者にとっては命取りだからだ。いつの世も象牙の塔の住人はパブリックイメージを気にするのである。だから “非因果的連関” などとやたら学術的っぽい、科学的っぽい言い方をしたのだが、それでもやっぱりユングはエラいと思う。

でも、ユングは最後まで(たしか)、人間の精神や心理が外部の現実に直接、影響を及ぼすというようなことは故意に黙っていたはずだ。本当はそういうことを言いたかったのだと思うし、実際ユング自身がそう思っていたと思う(読めばわかる)。でも、公言はしなかった。

あ、フロイトはダメよ。

人間の無意識ということを発見というか、メジャーにした功績は大きいのだろうが、20 世紀以降の文学に限らず、芸術に与えた影響ははかりしれない。

ひょっとしたら悪影響かもしれない。だって、それまで文学や芸術が担っていた領域を、ああ、それは無意識のなせるわざね。コンプレックスね。男根恐怖ね。性的抑圧ね。トラウマね。で、終わらせてしまったんだから。

人間の複雑怪奇な心理現象、それにともなういろいろな創造性、世界認識への探究などなど、もろもろがフロイトのせいで解決されたかのようになり、そのくせ何も解決しておらず、何だかよくわからない現象はとにかく無意識のせいということにして、さあ、先に行ってみよう!となったのだから。

おいおいって感じだ。

これは量子物理学とやらにも言える。これまでの科学では説明できない現象に出逢うと、学者はいろいろな仮説を立ててきながら今はようやく量子物理学まできて、ニュートン物理学や相対性理論の範疇には納まらない現象は、それは量子物理学の世界だよねってことにして、また、先に行ってみよう!だ。

んなもの、いくら先に行ったって、また粒子だ波だヒモだ膜だってことと同じことになるだけで、永遠に終わらないのである。

当たり前だ。ゼランドが言うように、世界をどう定義しようが、世界はオウム返しのようにそのままその定義のとおりに見せるのだから(しばらくは)、これからも新しく定義するぶんだけ世界は発見されるだろう。しかし、またその枠に納まらない現象にでくわす。

以下同。

それよりも、世界は自分の好きなように創造したほうがよくないですか、というのがゼランドの主張なわけだ。

でも、他人や世界を不幸にするのが好きだというヤツがいたらどうするのだ? という向きもあるかもしれないが、それはこれまでのこのシリーズを読んでいただければわかると思うが、というか、やはりわからないかもしれないから、もっときちんと説明しなければならないので、これはこれでひとつのテーマにして書きます。

基本的には原理上、そういうことはできないことになっている。それでもそういう方向に持っていこうとする力学はあるので、無視はできない。でも、それと闘うのではなく、まずはそういうものに対する知識を得て、自分で “調整” していくしかない。

というか、シンクロニシティーの話だった。ほんとに私は底抜け脱線ゲームだからなあ。

とにかくユングはシンクロニシティーという概念を提唱した。

要するに、因果的には無関係だが、同じあるいは似たような意味を持つふたつ、あるいはそれ以上の時間的な一致を持つ現象のことだ。

もっと簡単に言えば、“偶然の一致” でいいのだが、私ふうにくだけて言えば、どう考えても偶然とは思えず、これは何かしら意味があるんじゃね?と思わず思ってしまうような偶然のことだ。

で、これは誰にでも覚えがあるはずだ。今までそういう偶然の一致なんか一回もない! という人は手を挙げてください。

逆にすごい人だ、その人は。それで思い出したが昔の、小松左京だったかな、星新一だったか都筑道夫だったか、ちょっと忘れたが、SF の短編があって、短編ってもほんとに短くて、「超能力」とか何とかのタイトルで、要するに主人公が超能力を信じてないわけだ。

それでそれを証明するとか言って、コイントスの裏表だったか、裏返したトランプの赤黒当てだったか、そのへんも忘れたが、とにかく確率二分の一の実験を延々とやって、“すべて” ハズして、最後にこう言うのである。

「ほらね、超能力なんてないのさ」

またずれたか。

とにかく偶然の一致、つまりシンクロニシティーは誰にでもあるはずだ。

ただ、それにどのくらいの意味というか重きをおくか、そこに程度の差がある。しかも、あまり大したこともないことが実際は多い。でも、頻度が増えるとそれはそれでまた、何じゃこりゃ?ってことにもなる。

それが私は最近、多くなっているのだ。そういう人はけっこういるんじゃないかな。私も大したことはないのだが、ケーブルテレビとか映画関係のセリフ絡みに多いんですわ。

たとえば、居酒屋で娘と小難しい話をしていて、何かの流れで私が、「それは映画の『マイノリティレポート』を見ればいいんじゃないかな」と言うと、家に帰ってテレビを点けるとやっているみたいなことだ。

それがここのところ数回続いていて、映画じゃなくても、私が事務所でひとり本を読んでいて、ちょっとギリシャのペロポネソス戦争のことを調べて、しばらくして疲れたのでケーブルテレビを点けると、イギリスのミステリードラマ『主任警部モース』の再放送をしていて、モースがいきなり「ペロポネソス戦争は…」などと話し出したり、

また、事務所で南朝の天皇を調べていたら、昔の知人(山口敏太郎氏のパーティーで一度会ったのみ)から、珍しく仕事関係のメールが来たので、その人のブログを探して覗いてみると、いきなり南朝天皇の記事であったり、

知り合いの作家さんから携帯に電話が入ったので、打ち合わせながら話の流れで、「その方は何をやっている方ですか?」と私が聞くと、「よくはわからないんだけど、何か獣医関係の仕事とか…」とのことだったが、電話を切って何気にヤフーニュースを覗くと、トップニュースの中に “獣医” が何たら…という記事が出ていたり、

何かしょぼいからもうやめるが、その程度ではあるがそういうことが多いのだ。そしてさっき…

実は事務所でオカルト関係の本を調べていると、その中に作家のロバート・グレイヴズの話が出てきた。それからしばらくして、何気にケーブルテレビを点けたら、『NCIS~ネイビー犯罪捜査班』をやっていたから、近所で買った安売りの鮨をつまみながら観ていたら、犯人のピザ配達人の名前がロバート・グレイヴズだった…

ほんまでっせ。思わず小肌の鮨を吹き出しそうになった。

だから、こういうことはよくある。よくあるのだが、それはトランサーフィンとどう関係あるのかと言うと、これが大ありなのだ。

 

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