だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

知っているものたち①

『宗任問答』の最新版をアップした。

富岡八幡宮の事件には驚愕したが、今後も古来・戦後のしきたり、慣習、システムに絡んだ不祥事が出やすくなると思う。

いわく、談合、賄賂、タブー、ヤクザ、差別問題、官僚制度や免許制度、学校制度、そして皇室制度……

すでに問題が頻出しはじめているが、2019 年 4 月の天皇陛下の退位まで、国内はいろいろと揺れるだろう。

今、今月の 26 日に発売される、角田よしかず氏の書籍に関係したページを作成中だが、
以前にも書いたように
2019 年は日本にとって最大級に警戒しなくてはいけない年なのだ。その前後 1 年間もそうである。

その理由は上記リンクの記事を読んでほしいが、私は「予言」や「預言」は、やはり「警告」なのだと思っている。

これまで、さまざまな霊能者やサイキックと会ってきたが、彼ら彼女らの役割とは、やはり基本的には人に「警告」を与えることなのだ。

「このままだと病気になってしまいますよ」
「事故に遭いますよ」
「離婚することになりますよ」
「死んでしまいますよ」……

もっと大きな話とししては、
 

「このままでは人類は滅亡しますよ」
 

というのがある。

霊能者、預言者、予言者はそれがわかるから、人にあるいは人々に「教えて」いるのだ。

でも、たいがいは人はあるいは人々は聞く耳を持たない。

1 なーに、大丈夫さ。
2 占いなんて当たらないよ。
3 本当にあいつは霊能者なの?

1 の場合、人は自分だけは大丈夫だと思うものだ。

ヘタすれば自分だけは死なないと思ってしまう。これはある意味、そのとおりだともいえるが、そこにはいろいろと込み入った事情が隠されていて、いや、本当は込み入ってるのではなく、とてもシンプルなのだが、複雑にさせられている。

そのあたりの事情を知るためには、かなり込み入った説明が必要だというわけだ。しかしそれも、聞く側の頭の柔軟性によって理解度に差が出る。

単純に頑固な人から、何かしらの宗教、イデオロギーに染まっている人には、なかなか伝わらないし、本人の意識していないところで、そういう話を拒否してしまう自動装置が起動する。

その自動装置のようなものについて解説している本が、改ざんされてるとはいえ、いまだ有効な『聖書』とか、ビリー・マイヤーやヴァジム・ゼランドの一連の著作とか、これはまだ検証中だが、『ラー文書』など、いくつものある種の「警告書」が世の中にはあるわけだ。

もっと言えば、警告どころか、人間原理の真実の探究、世界の原理への知的探究などに関わることが書いてあり、それらはことごとく、「教え」としかいいようがないものでもある。

その「教え」がどのように、たとえばマイヤーに、ゼランドに、エルキンズ博士たちに伝わったのかは、それぞれに違いはあるが、構造としては同じである。

「知っているものたち」から教わったのである。

その「知っているものたち」からいろいろと教わって、この世で人に知らしめている人々を、人は「霊能者」と言ってみたり、「サイキック」「預言者」「予言者」「占い師」などなど、さまざまな呼称で呼んでいるのだ。

厳密に言えば、そうしたことを「ほんまかいな?」と研究している人々から、はからずも「教え」がもたらされることもあったりして、いろいろと整理しなければならない話だが、まあ、そういうことである、

問題は、「知っているものたち」とは何か? ということだし、先の 1 の類いの人間も、どうして自分だけ大丈夫だと思ってしまうのかとか、2 や 3 の人々の意識の構造はどうなっているのかとか、預言者と予言者は違うんじゃないの?とか、いろいろあるだろうが、追々、私見を簡単に述べていこうかと思う。

 

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