今日は朝から天気がいい。気温は、ちょっと低かったのかな?

明日は『おやすぴ』の収録をする予定。高島氏が掴んでいる最新の情報をお聞きしたいと思う。

また、『宗任問答』のリスナーからメールをいただいた。何でも、宗任さんのエナジーアート「開運」を開いたら、携帯電話がぶっ壊れたというのだ。

その方にも事情があり、ご本人の言葉で言えば、“スピリチュアル難民” 気味でもあったことなど、『宗任問答』に出くわすまでの経過を併せてご報告いただいた。

携帯がぶっ壊れるなんて、ちょっと穏やかではないので、ご本人の許可をとり、次回の問答で取り上げることにする。

前回の続きを書こうかと思ったが、ちょっとバシャールについて、もう一度調べたくなったので、「知っているものたち」シリーズ(っても、よく私はエラソーに◯◯シリーズなどとほざくが、『世界の創造~ゼランド編』も ⑰ で中断したままではないか!(←自虐的な心の声)は、また次回に書くことにする。

いや、これまで私は、高次元の存在とか地球外知的生命体などから、コンタクトを受けているとされる人々の検証をしてきているわけだが、またそういう人たちはものすごく多いのだが、個人的な興味の対象としては、いくつかの事例に絞られてくる。

いくつかに絞られると言っても、たかだか私の知識の範囲なので大したことはないし、見逃している情報はゴマンとあるだろうが、それでも私が触れてきた中で、私の経験と直観によって絞ったものがある。

その中にバシャールも入るのだが、絞ったものというよりはペンディングに近い。また、あとでじっくり調べてみようと、そのままにしておいて、もう何年も経っているというわけだ。

それがここにきて、ビリー・マイヤーとかヴァジム・ゼランドとか、ラー文書とかコーリー・グッドなどの検証にあたり、しばしば登場する「密度」という言葉を無視できなくなってきた。

バシャールはダリル・アンカのチャネリングで有名な、エササニという惑星に住む地球外生命体だ。バシャールという名称は、エササニにいる生命体たちの総称である。そして、地球は第 3 密度だが、エササニは第 4 密度だと言うのである。

この「密度」という言葉が、『おやすぴ』で何度も取り上げているコーリー・グッド情報でも、グッドがコンタクトしているとする地球外生命体、ブルー・エイビアンズが第6密度の存在ということで登場してくる。

そして第 6 密度と言えば、『ラー文書』のラーも第6密度の存在なのだ。

だから、バシャールの言う「密度」と、グッドやラー文書の言う「密度」が、同じものを指しているのかどうかが気になるわけだ。

まだ、はっきりわからないが、いずれも「density」と表現しているので、密度は密度なのだろう。

だから、ちょっと調べる気になっているのだが、実はちょっと気が重い。

バシャールが説いている、例の “わくわくすること” をしようとといった主張は、当時は私はかなり共感した覚えがある。

しかし、同時にどこかしら “スローガン” っぽいというか、“キャンペーン” っぽいというか、何とも引っかかるものを感じたこともたしかなのである。

またバシャールは、「モンロー研究所」の坂本政道氏も関係していたのではなかったか。関連の書籍を出していただけかな? 

ちょっと調べなくてはわからないが、てか、今ネットでも何でも調べろということだが、性格というか性分として、調べるときは集中して、ネットとか蔵書に首っ引きで取り組まなければならないので、今はヘタに手を出せない。いったんはじめると、ことが落ち着くまで、自分でも収拾がつかなくなるからやれないのだ。

それはともかく、私はロバート・モンローのこともモンロー研のことも詳しくないが、というかひととおりのことしか知らないが、ロバート・モンローに対してはどこかシンパシーを感じたが、モンロー研自体やヘミシンク、坂本氏の書籍に関しては、いまだ保留中というか、ほかに探究したい案件がいくつもあったので、はっきり言えば、後まわしにしていた。

そして数年が経つ。でも、ここにきて、どうやら着手せざるを得なくなったようだ。というわけである。

バシャール絡みの “ポジティブ” 志向は、それ自体はそれでいいのだが、どうもそれをとらえる側のほうに、落とし穴にはまり込んでしまうムキがあるように思う。

バシャールはたしか、今、地球は第 3 密度から第 4 密度に上昇する過程にあり、人類もともに第 4 密度に上昇しいていかなければならないとしている。

「していかなければならない」とは、言ってなかったかもしれないが、人類はこれからネガティブな地球の側に行くか、ポジティブな地球に移行していくかという瀬戸際にいる、みたいなことだったと思う。いわゆる “アセンション” だ。

そうしたアセンション思想みたいなもの、密度でも次元でもいいが、今より上のレベルへ上がるという考え方は、高次元の存在や地球外知的生命体からもたらされるメッセージとしては、わりと共通しているものだ。

そしてアセンションするためには、自分の意識のレベルも上げなくてはならず、それは “愛” や “調和” など、“分離” ではなく “融合” へとフォーカスする意識だというわけだ。

そのあたりに対してもたいして異論はないが、“わくわく” することだけをしよう的な物言いは、ちょっと無責任というか、危険だと思うのである。

「考えるな、感じろ! とは?」の記事でも触れたが、“わくわく” することって何だ? ということである。

わくわくすることは、自分がわくわくすることだよ! と言うかもしれないが、それはたしかにそのとおりなのだが、自分が何にわくわくしているのか。本当にわくわくしているのか。そういうことをちゃんとわかっていないと、わくわくしながら地獄へと向かっているかもしれない、ということである。

だから、“わくわくする” とか、“魂の声が聞こえる” というものは、けっこう繊細な感覚であり、しかも絶対的な感覚なのである。

そのあたりの表現は、やはりすぐれた作品の中でもよく取り上げられていて、たとえばゼランドの書籍では、

それはあやふやではかない感覚であり、
すぐに消えてしまうものだが、
あなたはそれを捉えなくてはならない。

とある。

またゼランドは、いっときの興奮と本物のインスピレーションの違いについても、次のように述べる。

精神が高揚すると、
不可能が可能に思える瞬間が時々あるものだが、
なぜかすぐに熱情は消え失せ、現実主義に置き換わる。
楽観論という焚き火はすぐに燃え上がるが、
その周りはこれまでどおり、
灰色の世界の陰鬱な光景に支配されているため、
やる気を鼓舞してくれるはずのせっかくのアイデアも
見込みの薄いものに思われるようになる。
空中楼閣を築くことしか能のないインスピレーションに
何の意味があろうか。

実は、これはインスピレーションではなく、
ユーフォリア(陶酔感)なのである。
この状態は、
生体エネルギー特性が低いレベルから
高いレベルへと急激に移行する際に発生する。
強い興奮剤を服用したり、
普段と違う何かの情報が想像力をかき乱してくれるだけでも、
生体エネルギー特性の急激なレベル上昇が起こる。

というわけである。

また、本当の、本物の感覚、魂からくる感覚、確信みたいなものに関しては、映画『マトリックス』でも、オラクル(預言者)のネオに対する言葉がある。

ネオは自分が「One」(救世主)かどうかわからず、自分に自信がないという状況にあるとき、オラクルがこう伝える。

Being the One is just like being in love.
救世主であることは、恋をしていることと同じ。
No one can tell you you’re in love,
あなたが恋をしていることは誰にもわからないけど、
You just know it, through and through, balls to bones.
自分はすべてをわかっている。

だから、わくわくしていること、魂が喜んでいることというのは、自分にしかわからない絶対的な感覚のはずで、間違えようのないものなのだが、お決まりの “理性” がしゃしゃり出てきて、その人を誤まらせるのだ。

これは私がやるべきことだったのよ! だって、こんなにわくわくしているし、このタイミングでこれと出逢うなんて、もう運命としか考えられないわ♡

とか、

いや、私はこれをやりたくてしょうがないのだが、これはおそらく今の仕事から離れたいという、私の現実逃避的な願望に違いない。単なる感情にすぎないのだ。

など、どちらも“理性”の(へ)理屈に頼っていることがわかるだろうか?

前者は、自分が魂から喜んでわくわくしているかどうかがわからないから、ああだこうだと理性で理由を作って自分を納得させている。

後者は、たとえ魂からわくわくしているとしても、理性が水戸黄門のように大仰に登場して、“常識” とか “合理性” といった印籠をハッとかざして、自分で自分にひれ伏すのである。

いずれにしても、本当の自分、つまり魂は置き去りにされ、悪魔?と手を組んだ自分のエゴがこねあげて作った、欲にまみれた幻の自分を自分と思ってしまうのだ。

そしてその幻の自分は、悪魔の指から垂れ下がる糸で、悪魔が生きていくためだけに操られていく。

悪魔の操り人形と化してしまう。

悪魔は人間がいなくては生きていけないが、人間は悪魔がいなくても生きていけるのだ。

悪魔も余興にはいいけどね。でも、あくまで余興に留めておきましょうよ。ということなのである。

そして、自分がわくわくしているのかどうか、それが魂の声かどうかを確かめる方法は、ちゃんとあるのだ。

ゼランド方式はものすごく簡単で、単純である。

続く

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