2018年に入り、三が日も明けた。
今日明日あたりから各会社もはじまるだろう。

しかし、これは書くのはやめようかとも思ったのだが、
やっぱり書く。

新年一発目のNHKのニュースを見た人はいますか?

そりゃ、たくさんいるだろうが、
私は引っくり返りそうになった。

だいたいが、その前まで『ゆく年くる年』などをやっていて、
人それぞれ一年を振り返ったりして悲喜こもごも、
いろいろな思いがあるだろう。

そこにきて、年が明ける寸前のニュースでは、
「2017年の今年は北朝鮮のミサイル攻撃」が何たらかんたらと、
言葉はそのままではないが、
今年を振り返る系のフレーズとして、
いきなり北朝鮮のミサイルを持ってくる。

そして、ピッピッピッ、ポーンッ!と時刻が12時をまわり、
「新年、明けましておめでとうございます…」となり、
「2018年、最初のニュースをお伝えします…」的なことを言ってから、
お伝えしていただいたニュースは何と、
どこぞで起きた殺人事件だった。

ものすごく違和感があった。

本当に殺人事件はあったのだと思う。
それでも日本の殺人事件は、
ここのところ年々減っているはずだ。
年間300件を切ってるだろう。

そうした日本で年明け早々というか、
最初のニュースが殺人事件が起きたという…

他にもっとなごむニュースがあるだろうに。

以前のブログにも書いたことがあるが、
マスコミのニュースの影響力ははかりしれない。

年がら年中ぶっそうなニュースばかり流していれば、
人々のマインドの周波数は、
“恐怖”や“不安”にチューニングされる。

別に、〇〇村の〇〇さんが、
初詣の屋台で酔っぱらって椅子から落ちたとか、
〇〇町の〇〇姉妹の〇〇ちゃんは、
羽子板の勝負で負けて顔に墨を塗られて泣いたとか、
そんなニュースばかりを流せばいいと言ってるわけではない。
(個人的にはそのほうがいいと心底思っているが)

せめて、
初詣に出かけた若者たちが交通事故を起こしたが、
全員無事だったとか、
昨年、事件があった〇〇神社では、
事件の影響なのか初詣客もまばらで、
屋台の売り子も困っているとか、
ギリギリそのあたりにしてほしいものだ。

これは何も私だけの感想でもないだろう。

実際、私の娘も一緒にニュースを見ていて、
「うわ、何これ?」と引いていて、
私が散々いちゃもんをつけていると、
「まあ、KYなんじゃない?」という、
何とも寛大な?意見だったが、
だから私もそれ以上は何も言わなかったが、
KYなんてもんじゃないぞ、あれは。

まあ、あまりにもさもしい話なので、
ちょっとここに書くのはためらわれたが、
共感を得たくて書いてしまった。

前回、重要な映画ということで『マトリックス』をあげたが、
預言者オラクルがネオと会うシーンで次のような会話がある。
(一応、ネタバレにもなるかもしれないので、未鑑賞の人はご注意を)

ネオが救世主かどうか、オラクルが査定するわけだが、
ちょこちょこっとネオを触診すると、

But, you already know what I’m going to tell you.
でも、私が言おうとしていることは、もうわかってるはずよ。

I’m not the One.
僕は救世主じゃない。

Sorry kid. You got the gift, but it looks like you’re waiting for something.
ごめんなさい、坊や。才能はあるのに、あなたは何かを待ってるみたい。

What?
何を?

Your next life, maybe. Who knows?
来世とか。それは誰にもわからない。

そして、ここでネオがちょっと自嘲気味に笑う。

That’s the way these things go. What’s funny?
物ごとはこうして進んでいくものよ。何がおかしいの?

Morpheus. He almost had me convinced.
モーフィアスです。彼はほとんど僕を信じ込ませるところでした。

I know. Poor Morpheus. Without him, we’re lost.
そうね。かわいそうなモーフィアス。彼がいなければ、私たちは負けるわ。

What do you mean, “without him”?
どういう意味ですか、“彼がいなければ”とは?

Are you sure you want to hear this?
本当に聞きたい?

ネオがうなずく。

Morpheus believes in you, Neo. And no one, not you,
モーフィアスはあなたを信じているの、ネオ。そして誰も、あなたも、

not even me, can convince him otherwise.
私でさえ、彼の考えを変えることはできない。

He believes it so blindly,
彼は深く盲信しているから、

that he’s going to sacrifice his life to save yours.
あなたを救うためなら、自分の命だって犠牲にするつもりよ。

What?
何ですって?

You’re going to have to make a choice.
あなたは選択を迫られることになるわね。

In the one hand you’ll have Morpheus’s life,
片方の手にはモーフィアスの命、

and in the other hand you’ll have your own.
もうひとつの手には自分の命。

One of you is going to die.
どちらかが死ぬことになるわ。

Which one will be up to you.
どちらになるかは、あなたしだいよ。

とまあ、こういう会話があるのだが、
重要なのは、モーフィアスがいなければ負ける、
というところだ。

どういうことか。

モーフィアスのような信念を持っている存在がないと、
救世主の物語が成り立たなくなるということだ。

言い方を換えると、
モーフィアスの信念の助けがないと、
ネオは自分の才能を目覚めさせることができない、
という意味だ。

そしてモーフィアスの信念は命がけなのである。
いや、命がけと言うと、
何か大きなものを代償として賭けている、
といったふうになるが、そうではなく、
自己奉仕なのである。

自分の命をかえりみない奉仕とは、
愛だ。

モーフィアスの愛なくしては、
ネオは決して目覚めることはなかったろうし、
また自律的に目覚めようという気にもならなかっただろう。

モーフイアスの愛は渦となって、
しだいに周囲の者たちを動かし、
トリニティーのネオに対する愛をも目覚めさせ、
最終的にネオを覚醒させる。

これは、
よくスピリチュアル系でいうところの、
“ラポール”といったものではなく、
ましてや共依存などでは決してない。

愛としか言いようがないものだ。

こうした“愛”は、
危機的な状況で目覚めたり、
あるいは普段は表に出ていなくても、
極限状況ではからずも浮上してきて、
本人も相手も驚くことがある。

そして本来、
深い愛で結ばれていたことを、
お互いに初めて知ったりするのだ。

これは私自身も個人的に経験があるが、
それはまあいいか。

いずれにしろ、
モーフィアスがいなければ、
救世主の物語は創造されなかった。

自覚的であるにせよ、無意識であるにせよ、
人がどういうことに信念をおいているかは、
かなり重要なことだと思う。

人がどこに“信”をおいているのか、
それを見極めることは、
その人と行動をともにする際にも大事なことであり、
それは意外と簡単にわかることでもある。

そこで重要なカギとなるのが、
やはり“会話”、
ダイアローグなのである。

なぜなら、
そもそも言葉が“世界”を創るからだ。

そして言葉は、
その人の“思い”から出てくるのである。

続く

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