だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

よし!わかった

北朝鮮の融和ぶりがすごい。
来月の半島の南北会談からはじまって、5 月には米朝の首脳会談が決まりそうだ。
おまけに今、金正恩が非核化の意思を表明したと携帯がブーブー言って知らせてくれた。

こいつは春から縁起がいいわいってなもんだが、自分の買った馬が第 4 コーナーをトップで回ってきて、そのままゴールしてくれえと祈るように、何ごともないように祈る。私は競馬はやらないけれども。

普通に考えれば、何事か北朝鮮側に魂胆があるか、すでにいくつかの国の間で合意されたシナリオに沿って、ことが進んでいるということだろうが、今は素直に喜ぼう。よい方向へ向かっていると。

たしかに世の中には裏と表がある。
本音もあれば建て前もあるのだ。
そしてだいたいは裏とか本音は隠れている。
あるいは隠されている。

商談でもミーティングでも飲み会でも、やはり本音と建て前があり、それじゃそーゆーことでっても、あとで、まあ、ああは言ったが参ったなあ、こちらが望んでいた7割りにされちゃったよとか、よく先方はあの条件でOKしましたね、そりゃそーだろ、こっちはあれだけ譲ったんだから、あっちもそれがわかってるからさとか何とか、裏ではいろいろあるのである。

飲み会くらいになると、そのお互いに “ わかってる度合い ” がもっと透明になるから楽しくもあるのだが、ときにはびっくりするような裏があったりして、びっくりする場合もある。

いずれにしろ、裏と表や本音や建て前はあるのだが、それもお互いに何となくわかっているのであり、いわば暗黙の了解みたいなところはある。

だから裏とか本音と言っても、基本的にはバレバレであり、バレバレであっても慣習上というか、マナーというか、そういうことが日本の場合にはあって、いえいえ、それは受け取れません、いや、そうおっしゃらずにとか、もっとえぐいパターンもあるが、欲しくても断わってみせたり、あげたくなくても差し上げるという素振りを見せたり、なかなか複雑なのだ。

繰り返して言えば、それはすべてお互いが了解した上でやっていることなのだ。

何だかつまんない話をしているが、要するにバレバレくらいの想定内のことであれば許されるが、とんでもないことをしていたとなると許されないわけだ。

たとえば、サラリーマンが経費を私的に使うことは誰にもあるだろう。
業種にもよるが、打ち合わせと称してお茶を飲んだり酒を飲むなんてことはざらにある。上司や経理の緩さにもよるが、数百円から数万くらいはフツーだと思う。

それが何千万とか億になるからびっくらこいちゃうわけだ。
そしてそういうことを国家だか地方だかはともかく、公務員がやるからもっとおかしくなる。普通なら上司が目を光らせるのだろうが、上司はさらにひどかったりする。

何も金銭的なことじゃなくても、やれ書類がないとか記録がないとか、と言っても結局はお金が絡んでるから隠ぺいするんだろうが、庶民というか世間並みのバレバレくらいのレベルなら誰も気にしないばかりか、あんた公務員なんだからちょっと多めに出しなさいよ、と言うかおごりなさいよ、どうせあたしたちの税金なんだからとやいのやいの言われて、しょうがねえなもう、とか何とかしぶしぶ出すみたいな、そんな感じならむしろ公務員は愛されるだろう。

まあ、田中さんレベルまでいけば、地元のみならず日本列島だから感謝する人も多かっただろうが、ちょっとモンスターだわな。で、外国にやられたわけだが、叩いたのはたしかに国民だった。

だから、日本の場合、本音建て前、裏表が当たり前だから、いや、俺はそういうのはキライだからと、のべつ幕なしに本音だけ言っててもやはり叩かれる。いやあ、あいつはいいヤツだけど、もうちょっと何と言うか、大人になってほしいねとか言われる。
とは言え、建て前ばかりでも、なんかあいつ信用できねーなとなる。
何考えてるかわからんと。

となれば、人はある程度は相手の考えてることがわかったほうが安心するし、自分のこともなるべく相手に伝えたほうがいいということだ。

そんな範囲で人がつき合っていれば、何だお前は意外とセコイんだなとか、へー、そんなこと言ってたの、陰険な人ねとか、『あにいもうと』じゃないが、罵倒してても、本当は愛情を持っていることがわかったりすれば、そんなに大したことは起こらないと思う。

詐欺師でも、イッちゃってる人でも、普通にこの人怪しいとわかればいいわけで、どう考えてもこの人の言ってることはウソだろう、あり得ないだろうとか、あきらかにこの人はヘンだ、何であんなものを本気で信じてるんだろうとか、そういうことがわかればそれなりに対処できる。

でも、まったく普通の人としか思えなかったり、さらには善人としか思えなかったりした人が、とんでもない詐欺師だったり、人殺しだったりするから怖い。

いわゆるサイコパスということだろうが、そう言えばビリー・マイヤーに情報を伝えているプレアデスのプターだったかクウェッツァルだったか忘れたが、地球上のたしか 7 割りだったと思うが、70 %以上の政治家はサイコパスだと言っていた。

夏目漱石の『それから』でも代助の兄は、世の中で一番危険ヤツはよくわからないヤツだというようなことを言っていたし。

いわゆる普通の人が、この人わからないわー、何考えてるんだろうと言う場合は、この人が何も言わないとか、やってることの意味がわからないとか、だからたとえばアイスクリームを味噌汁に入れるみたいなことをしているとか、感情の動きがないとか、まあいろいろある。

これは、わからないわーと言ってる人の理解力と共感力にもよるから、ことはまずます複雑になるからアレだが、逆にじゃあ「わかる」とはどういうことか。

人が言ったことが、あ、それわかるーとか、文章を読んですごく共感したとか、人のとった行動が、その気持ちは痛いほどわかるんだとか、まあ、落語に出てくる霊岸島のおじさん、飲み込みの久太じゃないが、何でも早合点して、人がひと言言っただけで、ああ、飲み込んだ飲み込んだ、みなまで言うなみなまで言うなと二の句を継がせず、とんちんかんな解釈をする人もいるくらいだから、往々に勘違いもあるだろうが、人がわかると言っても本当にわかってるかどうかはわからないが、それでもたしかに「わかる」ということはある。

あのさあ、と言っただけで、どういうわけかこちらの言いたいことがわかったり、電話がかかってきただけで、何の用かわかったり、色っぽい目で見られて何考えてるんだかわかったり(わかるか、これは)、脳がどういう判断をしてるかわからないが、わかったりすることがあるわけだ。

もっと言えば、その人の身に何が起こるかがわかったり、地震がくることがわかったり、ここで殺人事件があったことがわかったり、自分や人の前世がわかったりする人もいる。

地震がくる前は動物が騒いだりするから、天変地異的なことに関する予知能力みたいなものは、人間にも本来備わっている可能性はある。

今、生きている人生のこの時空間につながる現象に関して、おそらくわかる方法はありそうだ。と言うか、少なくともわかる方法を発表している人物はいる。

ヴァジム・ゼランドなどはそのひとりだが、たとえばビリー・マイヤーの情報などは、地球に起こり得る未来の話や、何十億年も前のものだったりする。

これはわかると言うよりも、プレアデス人から教えられたから「知っている」ということだ。

アフリカのドゴン族の神話は有名だが、ドゴン族にしても西洋の近代の知識が入り込んでくるはるか以前から、たとえばシリウスが連星であるとか、土星に環があるとか、19世紀になって発見されたようなことを知っていたわけで、どういうことだ?となった。

答えはふたつしかなくて、ドゴン族ははるか昔から知っていたわけだから、知ることができる立場にあったか、誰かに教えられたかだ。

知ることができる立場にあったという意味は、シリウスを見ることができた環境にあったということだ。誰かに教えられたとは、シリウスを見ることができた立場のものから教えられたということだ。

「見る」というのも厳密に言えば、今の望遠鏡なようなもので見たのか、透視能力で見た(あるいはわかった)のか、シリウスを見るところまで行くことができたかのどちらかだろう。

そして、ドゴン族の神話に限らず、古代の神話にはそういうものがたくさんある。

ソクラテスにしても、というか当時ギリシャにあったデルフォイの神殿にしても、何者かの託宣をしょっちゅう聞いていたわけで、その何者かが巫女の口を通して知識を与えていたのである。

そしてソクラテスも、ダイモニオンとか言って、ときどき「声」を聴いていた。
たしか声が聞こえるときは、どこであろうと動かないでじっと立っていたということではなかったか。

ソクラテスは誰の声を聞いていたのだろう。

幻聴?

まあ、幻聴かもしれないが、そんなこと言えば、聖書に出てくる使徒なりイエスにしても、ずいぶんと幻聴ばかり聞いていますわな。

声ではなくても、たとえばアインシュタインは、数学的なひらめきなどというものは、金輪際、自分の頭で考えつくようなものではないと言っている。まるで誰かが自分の頭の中に吹き込んだようだとも(これはアインシュタインじゃなかったかな、ちょっと自信がない)。

ベンゼン環の構造を発見した何とかさんも夢で見たらしいし、先のゼランドもあれだけの見事な情報というか、方法論を夢で教わったと言っている。絶対に自分の頭では思いつかないと言う。

古代の人々は誰の教えを聞いていたのか。ソクラテスやイエスやパウロに囁いたのは誰なのか。

神ということだろうが、神とは何者か?

あと夢の話も書きたいが、もうキリがなくなる。
てか、あっちゃこっちゃ飛んだ気もするが、何の話からはじまったのか。

3月31日の発表会(何だか学芸会みたいだが)は、ちゃんと整理して話しますので、ひやかしにきてくださいね。

個人的な体験も話すし、参加者のお話にも期待したい。

あ、参加者ひとりでもやります。

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