昨日、『盤』の第1回目が無事、終了した。
ご参加いただいたみなさまには、本当に感謝しております。

私の拙い熱弁?に時間も押してしまい、
予定のテーマをすべてはこなせず、
飲み会に持ち越すというヘマもあったが、
みなさまの質疑にあらためて私自身、気づかされたことも多く、
大変有意義でしたです。

ちょっと大仰かもしれない『盤』の意義も話しましたが、
参加者みなさんの「思考」が頼みの綱。

もうこれからは、
「個」でありながら個ではなく、
「他」でありながら他ではないという段階に入っていく。

どういうことか?

『盤』で検証していきましょう!

第1回目のレポートの作成にかかります。

8 thoughts on “『盤』第1回終了!”

  1.  西塚裕一様

     第1回『盤』でのご講義、ありがとうございました。

     そこで、感謝を込めて、そのご講義から触発された私の夢想を書かせていただきます。

     バリアント空間をめぐる夢想、あるいは現実化の力学をめぐる夢想。

     ヴァジム・ゼランドが説くバリアント空間。

     可能性を「点」とすると、バリアント空間は、無数の「点」で構成される。
     バリアント空間は、無数の可能性を持つ。

     私の夢想は、バリアント空間に促されて、
     現実化の成り立ちについて、
     私の工夫を通して光を当てる試み。
     その試みもまた、無数の可能性のひとつ。

     無数の可能性とは、

    《バリアント空間全体がひとつの「点」であり(これをAとする)、
     その唯一の「点」を、
     その中心点から360度の方向に裏返すと、
    「点」が無数に存在するバリアント空間が出現する(これをBとする)》

     そのような力学を有する「点」としての存在が、無数の可能性。

     Aは、自らの意思で裏返る。
     これが創造の始まり。
     Aとは、創造の始源。
     裏返ったAとは、Bである。
     唯一の「点」であるAは、
     自分を裏返すことによって、
    「点」が無数に存在するバリアント空間を出現させる。
     これが創造の進展。

     Aは、「外」を持たないで、「内」のみで存在する。

     Aとは、愛である。

     愛に、「外」はない。
     愛には、「内」のみが存在する。
     愛から外れて存在するものは、ない。
     すべては、愛の属性を持って存在する。
     すべては、愛のバリエーションとして存在する。
     また、すべては、愛の中に存在する。

     愛は、二項対立的価値観を超克する。

     それゆえに、
     愛は、
     愛に反発する振る舞いの、
     あらゆる可能性も、
     自分の中に存在させる。

     愛のみが存在する、ということは、
     愛は、自分を映す鏡として存在するということ。

     愛に反発する振る舞いの、
     あらゆる可能性も、
     愛の中で、
     鏡を通して、自分を見る。

     そこでは、
     反発が、反発に直面して、二重否定の試練に晒される。
     試練には、様ざまなスケールがあり、
     原則としては、もっとも小さな試練で、
     最大の反発を捨てるように導かれる。
     そのプロセスを通して、
     反発は、昇華され、
     本来の愛の姿が現れる。
    無数の「点」としての、
     すべての可能性は、
     愛の中の物語として、
     愛から外れることなく、そのエピソードを旅する。

     現実化とは、バリアント空間に働きかけること。

     働きかけるということは、
     バリアント空間に、
     複数の座標軸によって構成された座標系を設定すること。

     それは「思い」をプログラムするということ。

     複数の座標系を、ここでは、シンプルに、x軸とy軸による平面上の直交座標系で考える。

     座標とは、方向の広がり。
     二つの座標軸を設定するということは、
     方向の広がりを定めること。
     自分の「思い」の実現可能性を、方向づけること。

     二つの座標軸は、一点で交わる。
     その一点をゼロ・ポイントとする。
     ゼロ・ポイントとは、Aである。
     創造の始源としてのゼロ・ポイント。
     座標系を設定するということは、
     個の意識の方向性の中にAを見出すこと。

     Aは、自らの意思で裏返る。
     これが個の意識における創造の始まり。
     それによってゼロ・ポイントは、Bとなる。

     個の意識の中でBとなったゼロ・ポイントには、
     無数の「点」が、可能性として、存在する。

     ここで、
     Bと交わる直線Cを存在させる。
     存在させるということは、
     意識を働かせるということ。
    「思い」によって、Cをプログラムし、
     意識の中にCを存在させるということ。

     Cの存在とは、具体的な現実化を促す方程式のこと。
     実現可能な方向性を、具体的な内容として限定すること。

     Cは、Bを有するが故に、無数のバリエーション化が可能である。
     具体的な現実化を促す方程式を、無数に存在させることができる。

     それは、創造を待機させること。
     待機の時間において、「思い」は練り上げられる。

     Cは、常に特定の方程式としてのみ存在できる。
     現実化とは、無数のバリエーションの中から、特定の方程式を選択すること。
     現実化とは、練り上げられた「思い」を、
     これこそが、私が創造したいものだと内容を限定し、確認すること。

     創造されたものは、
     精神的なものであれ、
     物質的なものであれ、
     Bを限定的に表現したものという意味で、
     大本のAの近似的表現となる。

     無数の「私」を限定し、
     大本の「私」の一側面を表現する、
     妙なる創造。

     限定された創造のプロセスを旅し終わると、
     その旅は、
     多様な個の旅を励まし合う光として輝き、
     同時に自分自身の、
     新しい可能性をも照らし出す。

     ゼロ・ポイントが、そうすることを促し、その振る舞いを支え、導く。
     愛は、バリアント空間として、新しい創造を導く。

     それによって、
     無数の可能性としての「点」に、
     具体的な方程式を結実させる新しい旅が始まる。
     裏返しの力学に支えられて。

     Bにおける、無数の可能性としての「点」。
     その「点」の外部とは、何か?
     それは、「内」しか持たない愛が、
     創造の「場」を設定するために投影したもの。
     無数の可能性とは、その「場」まで含めたもの。

    『バリアントはシナリオ(物質がそれに沿って運動する道筋)と舞台装置(現象の外観と形)から構成』
    『盤』(VAN)第1回配付資料より

     しかし、「内」から投影されたものは、
     創造の過程において、「内」に回収される。
     それも、創造の一側面。

     私の夢想にライプニッツのビジョンを接続する。
    『そこでは内側と外側の間の境界に穴を穿つことによってではなく、内部が外部を表現し、表現することで外部を内部に取り込んでいる構造が見られる。』
     『ライプニッツ―なぜ私は世界にひとりしかいないのか』

     まさしく、

    「私」を裏返すと「あなた」になる。 
    「あなた」を裏返すと「私」になる。

     それでいて、あくまで、
    「あなた」は「あなた」。
    「私」は「私」。

     決して越えられない一人旅の孤独。
     しかし、その「孤独」は、「距離」ではなく、
    「内」しか持たない愛の、
     粋な計らい。 
     
     その裏返しの力学の、
     広大な働きの中には、
     無数の可能性が、「点」として存在する。

     多様な個の方程式が、
     その「点」を、
     お互いの旅を愉快に進める、
     味わいに満ちたプロセスへと創造する。

    『もうこれからは、
    「個」でありながら個ではなく、
    「他」でありながら他ではないという段階に入っていく。』

     好本健一

  2. 好本様

    論考ありがとうございます。
    かなり刺激を受けました。
    『盤』のレポートへ反映させてください。

    >Aは、自らの意思で裏返る。これが創造の始まり。Aとは、創造の始源。

    やっかいなのはその「意思」ですね。
    「何」が意思するのか?
    そして「意思する」とはどういうことか?

    それは単純に自分の意志です。
    ゼランドはその意志について語り、
    私たちが現実を操縦する「秘法」の仕組みを明かすわけです。

    そしてさらにビリー・マイヤー、RA文書、日本の古文書等々、
    そこに共通する理念、それらの背後から浮かび上がってくる「宇宙の意志」のようなもの、
    そこを探究していくことも『盤』の目的のひとつです。

    >Aは、「外」を持たないで、「内」のみで存在する。

    ライプニッツですね。
    私も、ニュートン的というかアトム的というか、
    外延があるような対象ではなく、
    世界の根底には何か「実体」があると考えます。

    >現実化とは、バリアント空間に働きかけること。働きかけるということは、バリアント空間に、複数の座標軸によって構成された座標系を設定すること。それは「思い」をプログラムするということ。

    セランドはそのプログラムの仕組みと方法を説くのです。

    >それは、創造を待機させること。待機の時間において、「思い」は練り上げられる。

    「待機」という表現は言い得て妙ですね。
    起動する意志、始動する意志のようなベクトルを併せ持っています。

    >「私」を裏返すと「あなた」になる。「あなた」を裏返すと「私」になる。

    「反転」ですね。
    ガモフの「裏返しの宇宙」のような、
    ある種の思考実験ではなく、
    概念を新たに作り出すことに近いような作業です。
    この「反転」の視点はものすごく重要ですね。
    先の試論や文献たちにも共通したキー概念でもあり、
    武術の奥儀でもあります。

    いずれにしても、
    この世は、マクロとミクロの関係をどう認識するか。

    ドゥルーズが言うところの「潜在的なものが現動化されるような巨大回路」と、
    「潜在的なものが現動的なものと結晶化するような最小回路」との関係です。

    ドゥルーズもライプニッツ側に立っていました。
    そして、まさにニーチェの言う「あまりに人間的な」ものと、
    「超人」がいかに同時に存在できるのか?
    を追求した哲学者かと思います。

    言い換えれば、
    ベルクソンやメルロ=ポンティが認識していた強烈な二項対立、
    見えるものと見えないものの境界をどう生きるのか、
    といった問題を引き継いだのだと思います。

    私はいわゆるニーチェの「力への意志」が、
    ベルクソン的な意味で「持続」されることで、
    それは可能になると思っています。

    そしてゼランドはその「持続」の仕方について述べているのであり、
    持続させる意味についてはあまり語ってはいませんが、
    先の試論や文献を検証していくことで、
    そこに壮大な構造が見えてくることになります。

    西塚

  3.  西塚裕一様

     ご返事、ありがとうございます。

     私の展開途上の論考を『盤』のレポートに反映してくださること、こちらこそ、ありがとうございます。

     私は、ライプニッツと般若心経は、とてもハーモニックな関係のように感じます。

    「愛」について書いていた時、私は、ライプニッツと並行して「空」をイメージしておりましたから。

    (『暗号は解読された 般若心経 改訂版』では、「空」とは、「宇宙の理念」、「宇宙の秩序」と解釈されております。)

    「混乱しているように見える現実世界であっても、五蘊皆空であるから、勝手に動いているのではなく、『宇宙の理念』の下にあって、実は完璧な『宇宙の秩序』のコントロールの下に営まれていることを知ることである。」

    『ゼランドはその意志について語り、私たちが現実を操縦する「秘法」の仕組みを明かすわけです。』

     なるほど。『盤』は、その『「秘法」の仕組みを明かす』セミナーなのですね。さらに、関心が深まりました。

     また、『「宇宙の意志」のようなもの』の探究には、私も、心が躍ります。

    『この「反転」の視点はものすごく重要ですね。』

     そうですね。
    「反転」にもまた極めて奥深い創造の「秘法」が秘められているように感じます。

     私は、単純なので、シンプルに結論しますと、

     宇宙は、エンドレスの多次元反転によって、その生命力を更新している、と思います。

    『マクロとミクロの関係』。

     これも単純に、

     マクロは、多層的に極大化し、その極致において多次元反転してミクロと成り、
     ミクロは、多層的に極小化し、その極致において多次元反転してマクロと成り、
     以下、繰り返し。

     大局的には、「世」は、すべて「事もなし」。

     宇宙の全体の営みは、
     あらゆる次元のドタバタを包み込んで方向づける仕組みが、
     あまりにも壮大すぎて、
     小さな小さな私にとっては、
     限りなく静まりかえっているように感じられます。

     それらの、あらゆるドタバタは、エンドレスの多次元反転に吸収される。
     そして、そのドタバタを構成する、すべてのエネルギー体たちは、
     多層的な配慮のもとに、自己にふさわしい活動場所を与えられる。
     すぐ傍で聞くとドタバタと響いている「調べ」は、
     多次元的なコズミック・ハーモニーに調律し直される。
     それによってドタバタは超越され、
     全体の調和は更新される。
     すべてのエネルギー体たちに、今ここの旅を、(不満はあっても)納得させて歩ませる、
     神妙な和のマジック。

     そのマジックを、浮き世の荒波の中に投影すれば、「平安」として感じられるのではないでしょうか。
     しかも、大いなる平安として。
     局所的にはドタバタではあっても、
     それをコズミック・ハーモニーに調律し直して響かせるのですから。

     どれだけ、浮き世の荒波が逆巻いても、
     それを、超余裕で包み込む「宇宙の全体の営みは、静まりかえっている」、
     というのも、素晴らしいと思います。
     静けさは、いろんな「思い」の営みを見つめ直す、
     フィードバックの余裕を与えてくれますから。

     ところで、西塚流「ドゥルーズ解釈」には、心が唸りました。

     しかも、2018年の、私たちの今ここの旅を支える、
     これまでの哲学者たちの探究を、学のない私に、シンプルに総括してくださる手腕にも、
     改めて唸りました。

     私には、「メルロ=ポンティ」からチラッと思い浮かぶのは「現象学」と「フッサール」だけであり、「ベルグソン」からは、「笑いの哲学」だけです。しかも、彼らのテキストは一冊も読んだことはありませんから。

     でも、時間が取れたら、どのような見取り図で読書すればいいのか、見えてくるところが、ありがたいです。

     そんな私は、

    「強烈な二項対立、見えるものと見えないものの境界をどう生きるのか、といった問題を引き継」ぐ意志が、

    「ベルクソン的な意味で「持続」されることで」、
    「ニーチェの「力への意志」が」可能となった場合、

    (ここからは、俗世間レベルの、愉快さを盛り上げる大道芸人的な私の性格が顔を出して恐縮至極ですが、)

     その「意志」は、

     宇宙の生命活動とシンクロナイズする今ここを旅する大道芸人の、
    「笑いへの意志」を、どのように励ましてくれるのか、
     という具合に気になりました。

     しかし、

     その(もとに戻って、「ベルクソン的な意味で」の)「持続」を視野に含むゼランドの『壮大な構造』には、興味津々です。

     好本健一 

    1. 好本様

      コメントありがとうございます。

      >私には、「メルロ=ポンティ」からチラッと思い浮かぶのは「現象学」と「フッサール」だけであり、「ベルグソン」からは、「笑いの哲学」だけです。しかも、彼らのテキストは一冊も読んだことはありませんから。

      ちなみに、私の哲学の知識など本当に大したことないです。
      普通にオソマツです(笑)。

      でも、フッサールは重要のようですね。
      フッサールに影響を受けたハイデッガーは、
      フーコーもドゥルーズも刺激しています。

      と言いますか、
      どの時代のどの哲学者も、
      先人の哲学者や同時代の哲学者の影響を受けながら、
      みんな思考を続けたということですね。
      その中でも、
      多くの哲学者に影響を与える哲学者が何人か出没するというわけです。

      さらにさかのぼっていくと、
      必然的に哲学者は絞られていき、
      どうしてもギリシャや古代オリエントへと行きつきます。

      私は、
      さらにまたさかぼのっていくと、
      無限遠点が自己の内部を見つめることになるように、
      古代のさまざまな叡智が、
      現代のさまざまな情報にリンクしてくると思ってるわけです。
      また、そう考えざるを得ない情報が、
      この現代にあるということです。

      その理由や内容を『盤』でお話していこうということで、
      なおかつ参加者や読者・視聴者の考察にインスパイアされながら、
      記録を残していこうと思ってるわけでアリマス。

      >その(もとに戻って、「ベルクソン的な意味で」の)「持続」を視野に含むゼランドの『壮大な構造』には、興味津々です。

      そうなのです。
      けっこう大きな構造が見えてきてまして、
      その構造の中の部分としてゼランド情報があるようです。

      今、アメリカ発のコーリー・グッドに代表されるような情報なども絡んできているので、
      情報内容の検証はもちろんですが、
      そうした情報が出てくる背景・構造なども、
      大きな視点を設定していないと見えてきません。

      私たちが一番気をつけなくてはいけないのは、
      視野狭窄に陥ることではないでしょうか。

      西塚

  4. 西塚様

    こんにちは。宗任問答で大変お世話になった者です。感謝しても感謝しきれません。改めて
    この場をお借りして御礼申し上げます。

    『盤』とっても参加したかったです。
    西塚様はここ日本で、ゼランドについて的確に語る事のできる本当に貴重な方だと思います。
    講義を受け、参加者の方と学び、また学んだことを個々が実験しそれをフィードバックする。
    インターネットも素晴らしいですが、直接参加する事でエネルギーが生まれる。ブラボー。

    私も西塚様の影響を受けトランサーフィンを実践中で、コンビニにコーヒーを買いに行く
    ような感じで新幹線に乗り『盤』に参加しようと思ったのですが、如何せん重要性の糸に
    しがみついているのがいけないのか?金銭的な問題で躓きまして、、、宗任問答のテーマが
    お金だったので、身につまされる思いで拝聴しました。

    さて、最後にご質問ですが、『盤』のレポートは参加者の方以外でも購入できますでしょうか?
    購入させて頂けたら有り難いです。

    1. スズキシホ様

      コメントありがとうございます。

      応援、感謝します。
      ご無理はなさらないように(笑)。

      『盤』に参加しなきゃ!も「重要性」になりますからね。
      私はおひとりでもやりますし(自分ひとりという意味ではないです)、
      またネットを使う方法も考えています。

      まだスタートしたばかりということもありますが、
      いろいろ試行錯誤していきますので、
      ゆる~く観察してみてください。

      あ、レポートはですね、
      参加者の方へのその日のポイントを記したものなので、
      終了後に内容をまとめたものを発行する予定です。
      そちらのほがいいかもしれません。

      今後とも忌憚なきご意見を!

      西塚

  5. 西塚様

    ありがとうございます。
    まさに西塚様の仰る通り、参加しなければ!というのもトラップですね。
    寛いでゆるーく考えます。
    しかし、ゼランド理論を知っているか否かで全くでもって変わりますね。
    ホント超貴重情報。
    ワオー レポートとても楽しみにしております!!

    あと、カラーチャートですが、⚪の日には必ずある良い事が起きる事に
    気付きました。1月下旬からデータを取りだしたのですが、ほぼ例外ナシです。
    うーむ、凄い。凄すぎる。

    また、ご報告します!

  6. スズキシホ様

    コメントありがとうございます。

    そうですね、ゼランド情報はほぼ間違いなく効きます。
    あとは、その「個人」の抱えている問題というか、テーマというか……
    そこがまた複雑というと語弊がありますが、
    シュ~~とその人の個人的な「ことがら」に収束していくので、
    要するにその人の「意志」次第のところがあります。

    何だかガキっぽい表現をして恐縮ですが、
    正確に表現しようとすると、
    どうしても抽象的な概念を駆使せざるを得なくなるので、
    いろいろと誤解を生んでしまいます。

    でも、誤解も理解の一種だという常套句もあるように、
    言葉と思いは一体なので、極端に言えば、
    思わせぶりな態度、雰囲気、以心伝心、
    なんちゃって直感のようなことよりは、
    誤解を恐れずはっきりと言葉に出したほうが、
    ものごとが進展する場合があります。

    その言葉を起点にまた新たに動き出すからです。

    でも、ゼランドをご存じならご存じのように、
    何でも言葉にすればいいわけではないですね。

    私たちはまだまだ、
    この世では「思い」を隠せると思っているのでアレですが……

    西塚

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