何だかんだと仕事の作業で記事をアップできないでいた。
『宗任問答』も実は2回収録が終わっているし、『おやすぴ』も終わっている。順番にアップ作業にかかろう。

私は政治経済には疎いが、何でも福田さんとかいう財務省の事務次官が辞任するんだってね、って何だか床屋談義ふうなもの言いでアレだが、セクハラ? Yahoo!のニュースで知ったが、まあ被害者にはわるいが、内容を見る限り中年オヤジによくある程度の話だ。

もちろん女性に不快な思いをさせてはいけないが、その前にその福田さんの辞任って大丈夫なのかよおい、と思ってしまった。

財務省の事務次官と言えば財務省のトップはもちろんだが、いやトップは麻生さんか、でも実質のトップは福田さんであり、ましてや財務省なんだから、各省庁合わせたトップということだろう。

つまり、とんでもなく優秀な人だということだ。基本的には。

そりゃそうだろう、財務省と言えば昔の大蔵省だ。

んなことは当たり前だが、昔は大蔵省と言えば、日本中のエリート中のエリートが集結していたのである。私が中学1年生のときに成績を争っていたヤツも東大法学部に行って大蔵に入省したし、三島由紀夫も大蔵官僚だったろう、初めは。

大蔵省に行く精鋭たちは、みんな日本のことを考え、日本の将来を心配し、日本のためになることだけをするという、信念とプライドを持った連中だったと思っている。

これは冗談ではなく、私は本当にそう思っていたわけだ。

そりゃ、とんでもない優越感を持ったり、傲慢だったり、人を見下すようなヤツも中にはいただろう。そんなのは当たり前だし、どこの役所や企業にもいる。

でも、大蔵省ってば国のお金を配分するところだ。ここがおかしなことになったら国は滅びる。

私はだから大蔵省とか通産省とか外務省というのは、よほど優れた人材が集まっているのだろうと思っていた。

20代のとき芸能界とも縁の深い会社にいて、バブル景気を間接的には享受していたのだろう(自覚症状はなかったが)ころ、六本木で酒を飲んで帰ろうとタクシーに乗ったら、運ちゃんがこう言ったのを今でも覚えている。

運 いや、さっきね、通産省(外務省だったかもしれない:西塚註)のお役人さんを乗せたんですわ、霞が関で。

西 はあ…(酔っぱらってる。眠い。深夜)

運 そうしたらね、どこそこ行ってくれと言ったきり、後ろのシートで横になって寝ちゃってさあ、高速乗ってもそのまんまなの、ずっと。

西 はあ…(俺も寝たいよ)

運 家に着くころに起きてね、いやあ、運転手さんって言うんですよ。

西 はい(ちょっと面白い話かも…)

運 そうしたらね、その人が、俺は通産省(外務省だったかもしれない)というところは、頭脳が勝負だと思っていた。そうしたら、全然違っていた、って言うの。

西 はあ、どういうことでしょう?(察しがわるい。酔ってるせいばかりではないだろう)

運 体力勝負だったということですよ。

西 体力?

運 毎晩毎晩、徹夜だって言うんです。大変らしいスよ、通産省って(外務省だったかもしれない)。ほかの省庁はそうでもないって言ってたけどね(笑)。

西 うーむ…なるほど…

運 お役人さんってのも、私ら庶民にはよくわかりませんがね、いろいろと苦労があるんですね。私らなんかもね…(以下、忘却)

そのとき思ったものだ。やはり官僚というのはすごい人たちの集まりなのだ。日本の頭脳、司令塔なのだと。頑張ってほしいと。

しかし、1991年にソ連が崩壊して冷戦が終わると、93年にビル・クリントンが大統領になり、経済戦争だとか言って日本や中国にキバを剥きはじめた。

日本の頭脳、大蔵省や通産省が狙われた。

日本は大蔵省の主導で興銀や長銀のお金を国策として融資し、日本の企業や産業を支えてきたわけだが、90年代半ばあたりからだんだん日本の中枢もおかしくなり、住専問題に絡んで金融関係の法律が新しくできたり、小選挙区比例代表制に変わったり、山一や拓銀など証券や銀行の破たんが続いたり、官僚のスキャンダルが噴出し、98年にはあろうことか例の大蔵省の「ノーパンシャブシャブ」事件が起きたりした。

いや、あろうことかというか普通…じゃないかもしれないが、一応官僚の男どもと銀行のヤツらの接待関係では、そういうこともあるかもしれないではないか。

品があるとは言えないが、民間会社でも普通にあったと思うぞ、そのくらいは。実際、そのころ若造(でもないか)の私でも、近い接待を受けたことがある。

結果だけ見ると、「ノーパンシャブシャブ」接待は週刊誌やテレビでギャーギャー騒がれて、視聴者にしても、官僚ってのはとんでもないヤツらだゾこりゃ、チキショー、うらやましーとは思わなかったかもしれないが、かなり官僚が評判を落としたのは間違いなく、実際当事者たちは逮捕され、三塚大蔵大臣と日銀総裁は辞任した。ちなみに、この年は長銀の経営悪化も月刊誌がスクープしており、結局長銀も破たんしている。

ノーパンシャブシャブのせいかどうかは知らないが、この年の参院選では自民党はボロ負けし、橋本総理は辞任、同じ派閥から小渕総理が出るが、平成おじさんとして名を馳せて晴れて首相にまで登りつめたわけだが2000年に突然死、脳梗塞で倒れて重篤だったはずなのに、後継者として名指しされたとかで森首相が立った。ちなみに安倍さんはこのとき官房副長官だ。

そして2001年、例の小泉内閣が誕生して、大蔵省も通産省もズタズタに解体され、ついでにいろんなもんが民営化されるわけだが、どうもその過程で旧大蔵省・通産省の精鋭とはまた違った人種の連中たちが形成されていった感がある。テキトーな印象だが。

私は政治オンチだからこれまた違ってるかもしれないが、日中国交回復で台湾と気まずくなり、その結果、アメリカの地政学的戦略の意向にも沿わなくなった田中角栄はのちにロッキードでやられ、以降、田中派=経世会系の総理は、竹下はリクルートでやられ、橋本も先の98年に中国人女性とのスキャンダルもあったが、日歯連とかでもやられた。あと、金丸もそうか、首相じゃないが。

してみると何もないのは清和会系で、森以降、小泉、安倍と何にもなく、小沢一郎などの旧田中派は民主党だったがやはりやられてる。

いや、何でこんな不得意なジャンルのことをベラベラと書いているかというと、今回の財務省トップの官僚も女性スキャンダル系でしょ? 前の文科省のトップだった前川さんもそうだった。出会い系がどうしたこうしたとか。

ずいぶん前だが、植草氏もそうだった。小泉‐竹中批判の急先鋒に立っていたが、痴漢事件とやらで社会的信用を失墜させた。

要するに結果的に見ると、アメリカの意向と対立する者はみんな(検察に)やられており、極悪非道なエゲツないもの以外で言えば、女性絡みの破廉恥系の軽犯罪が絡むことが多く、それでも本人の社会的ポジションやパブリックイメージを破壊するには十分であり、しかも必ず雑誌メディアが絡んでいるということだ。

その伝で言えば、今回の官僚たちのスキャンダルもまったく同じだということが気持ちわるいのである。

しょせん男の弱点というか、おふざけというか、ヤルことは誰でもおんなじよと賢明なる女性たちはつぶやくかもしれないが、こういうときこそ何か密かに進行している新法や法律改正関係、叩き出されようとしている官僚なり政治家たちの報道されない言動、たとえば日本に超不利なことに一生懸命反対しているとか、愛国的な言動をしているとか、実際の事件内容以外のことに注目したほうがいいと思うわけなのだ。

じゃあ、お前が調べろと言われるかもしれないが、そういう分析に長けている御仁がしたほうがいいだろうし、すでに誰かがネットで検証しているかもしれない。

あるいは安倍政権自体がどこかの国だか何かに見限られはじめたのかもしれず、だとすれば今進行している事態はどういうことなのか。

またあるいは、単純に対安倍勢力の自民党内のいざこざなのか、モリカケ問題のお茶にごしなのか、本当にスケベな官僚の言動を有名週刊誌の編集部がこれは一大事だと思い、記事にしたのか。

あ、新潟の県知事の辞任も女性絡みだったが、だとすれば、ここのところいろいろ週刊文春に持ってかれてる新潮がマネしてというと失礼だが、週刊誌同士の公務員の女性スキャンダルスクープ合戦みたいなものなのかとか、どうなのだろう。

もちろん粉飾決算やセクハラは、いいこととは言えないわなあ、だけれども、どうも私は天邪鬼というか性格がよくないのか、大多数の意見とか世論とかマスコミとか、何かがいっせいに同じ方向を向きはじめたり、個人であったとしてもいきなり声高に何かを主張しはじめたりすると、ゲゲゲの鬼太郎のように髪の毛がピピッと反応するまではいかないが(髪の毛もないし)、どこか気に食わない。

結果的にダメな官僚が優秀な官僚に替わるならそれでいいのだが、この場合の「優秀」とはもちろん日本の国益を考えることができるという意味だが、その逆にならないことだけは、ただただ願っている。

ただ、私たちのほうも報道そのままの色メガネはかけずに、自分の目で見ることが大事だろう。

ホント、頼むよ、わが国の官僚たち…

私がなろうかな 

すぐ逮捕される

4 thoughts on “歴史に学ぼう”

  1. 経世会は日本独立派で清和会は朝鮮系で米国従属派のようです。
    政治経済は、杉並からの情報発信です の山崎康彦氏が詳しいです。毎日、平日の夜にツイキャスで放送しています。

    すごい動画があります。
    鬼塚英昭氏制作の 日本の真相 という動画です。見たことは無いですか?
    1時間ほどです。参考に見てください。
    失礼ですが、高橋信次氏をよくご存じで、親近感を感じています。
    失礼します。  

  2. 松田様

    ポストありがとうございます。

    鬼塚氏とは、ご一緒に新宿で飲み歩いたこともあります。
    ご本人はいたって紳士でお茶目な方でした。
    鋭い洞察力をお持ちで、
    何よりも根底に「詩」があったと思います。

    人を動かすのはいつだってその部分ですね。
    あとはその質と方向です。

    西塚

  3.  西塚裕一様

     私は、政治は、情報収集する時間が取れないので、また今ここの旅の本質と絡めて考える、私の視野が狭いのでよく分かりません。
     自分自身のことも、よく分からなくて、とても長い間、さ迷っていたくらいですから、
    政治についての見方は、国益を考えてほしいという一般的な考え方です。

     しかし、一口で国益と言っても、日本には、いろんな派閥がありますので、その派閥の見解による国益かもしれませんし、様ざまな既得権益の確保という問題も国益に絡むでしょうし、それらの動きが海外の動きとも連動しながら、様ざまな権力の変動によって国益が揺れ動くように思います。「力の論理」の世界も、大変だなあ、と思います。まあ、もっとも、人生、どこでも大変ですね。

     ただし、そのような現状認識を、私は、自分の意識の中で固定させてはいません。無理なく、自然に、最大効率で、「力の論理」が根本からシフトしてほしいと(自分の歩みを見つめ直しながら)常に思っています。

     私が考える国益の核には、「和」があります。
     未来においては、「和」が、一国の多層多重システムとしてと同時に地球各国を調和させる多層多重システムとして、宇宙に向かって開かれたシステムを構築するビジョンを夢見ます。
    「地上」だけが生きる世界であるという認識が、多次元的に拡大されると、肉体を超えた多層多重生命システムによって、肉体界が支えられ、「地上」のすべてが多層多重生命システムによって生かされている実感が広がると思います。
    (私は、師の本をもとに類推しているだけですが、でも、個に可能な実践というレベルで、未熟ながらではありますが、そこに人生のすべてを賭けています。)
     このような「和」を共有する人びとが増えると、たとえば地球環境においては、人びとの心が自然のありように溶け込んで、天変地異の要因を未然に昇華したり、あるいは被害を最小限に食い止める働きも可能になると思います。
    (様ざまな状況において、間に合えば、ということも思いますが。)
     そのような「和」が、国民一人ひとりの利益も、地域の利益も、一国の利益も、国家間の利益も、宇宙間の利益も、多層的に、多重的に、神妙に絡ませて、それら多次元の必要性をシステムの中に取り込んで結んで活かして世の中の動きを(閉じた)「力の論理」を超えた創造性のステージに運ぶと思います。

     私の、政治はよく分からないということを、別の面から見れば、
    「昔の大蔵省」のシステムの機能に、多層多重システムとしての「和」が何パーセント反映されていたのか。
    「今の財務省」のシステムの機能に、多層多重システムとしての「和」が何パーセント反映されているのか。
     私には、それらのパーセンテージは、よく分からないのです。

     ともかく「力の論理」が支配する世の中は続いていますが、

     日本の国力は、落ち続けている、とどこかで読んだ記憶があります。
     また、出生率に関しては、「平成26年7月、我々全国知事会は、少子化の進行が、地方の多くを消滅せし め、やがては国全体の活力を著しく低下させてしまうという事態を憂い、「少子化 非常事態」を宣言した」という情報もあります。

     でも、「力の論理」が支配する世の中が続いているのは、そこから学ばなければならないことがあるからだと思います。

     セクハラ、あるいはハニー・トラップ、などは、大雑把にまとめれば、男尊女卑の論理ではないかと思います。それも、一種の「力の論理」だと思います。

     ささやかな私の旅ではありますが、私個人の中にも、「力の論理」が抜きがたく存在しますので、今ここの旅において、それを、どのように自分から切り離しながら世の中を渡っていくのか、毎日、考えています。

     師のビジョンを学びながら思うのは、「力の論理」の根っこにあるものは、「独善」と「排他」だと思います。それを克服するのが、普遍性の追求だと思います。約2000年の歴史の流れだけを見ても、その結果、地球上の混乱が深刻な状況に陥っているのは、普遍性の追求が不十分だったからではないでしょうか。その歴史の流れをシフトさせるには、やはり時間がかかると思います。多種多様な「力の論理」の切り離しには、何世代もかかるのではないでしょうか。

    「力の論理」が正しいと思っていれば、切り離す、という発想自体も生まれませんし、閉じた、多様な「力の論理」からは、一方的に自己を正当化する情報が拡散されますから、多様な情報を「色メガネ」をかけないで自分の目で見る場合、今、自分は、「色メガネ」を掛けたままでいるのか、外しているのか、見る前に確認できていなければなりませんので、ことは、なかなかやっかいだと思います。

     そこから考えますと、手間暇かかる「力の論理」の切り離しが、2030年代までに飛躍的に進むのかどうかという問題があると思います。もし、進むのなら、それは、どのような要因によるもので、また、どのようなプロセスで進むのか気になります。

     ポジティブな情報もあります。以下、2018年1月11日に発表された情報の抜粋です。
    「私が話してきたこのエネルギーは、国家間紛争の驚くような解決法という形にも反映することが予期できる。分裂がだんだん解消し始め、常識に基づいた解決が見られるようになるだろう。なぜ驚くような、と言ったかと言うと、なぜそういうことになるのかはっきりせず、道理に合わない形だからだ。
    たとえば北朝鮮との軋轢は沈静化するだろうがそれはいかなる政治的努力によるものでもない。反対に、政治的な試みは紛争の火を大きくする。しかし、そうはならないだろう。今年の新しいエネルギーのほうがより強力であるから。」
    2018年のムーラムのメッセージ
    http://www.embodiedsouls.org/MessagesbyMuram-J

     権謀術数逆巻く世の中も、個人も、宇宙のサイクルの中で生かされていると思います。

    (生かされている以上、「権謀術数」も、条件つきで、その存在が認められている、ということになります。ということは、人知を越えた「計らい」によって、権謀術数を駆使する人びとも、「生かされている」現実を認識する状況に(地球全体の波動シフトに伴って)導かれていくことになると思います。私は、日常的に見れば平凡なりに大変な私の旅を、また地球的に見れば大きな危機の中に組み込まれた私の旅を、人知を越えた「計らい」によって「生かされている」ことを常に思い起こして心の平安を保ちながら、その「計らい」が指し示す(個のレベルにおいて危機を好機にシフトさせることに貢献する可能性の)道を手探りしながら未来に進みたいと思います。

    「力の論理」が支配する世の中の全体は、その論理を、根本から超越した、宇宙の調和の力学によってコントロールされ、その働きは、地上における、「力の論理」を切り離す、様ざまな地球上の皆様の歩みの中に投影されると私は信じています。

     しかし、肉体をまとった意識は、宇宙の調和の力学の詳細を把握することは、できないと思います。なぜなら、「肉体をまとった意識」が、言語レベルで、あるいは感情レベルで、充分納得いくように把握できる波動域を超越したレベルから働きかけるものが、宇宙の調和の力学だと思うからです。

     それでも、それを、信じるのか?

     自分の人生のすべてを賭けたチャレンジだと思います。

     大枠の、宇宙のサイクルの進展に思いを馳せながら、そのゆくえに、今ここの着実な歩みを通して心を合わせることで、宇宙的な「計らい」が、「力の論理」のシステムに、多層多重システムとしての「和」を神妙な働きのもとに浸透させて、自分からも世の中からも「力の論理」のシステムを切り離すことを願って歩みを模索する人びとの振る舞いが同時に「和」のシステムをそれぞれ個性的に創造する振る舞いともなって個人の旅を充実させながら世の中のありようをシフトさせることを願っています。

     好本健一

  4. 好本様

    ポストありがとうございます。

    >今ここの旅において、それを、どのように自分から切り離しながら世の中を渡っていくのか、毎日、考えています。

    ゼランドの本や日本のいくつかの書がかなり参考になると思います。

    >権謀術数逆巻く世の中も、個人も、宇宙のサイクルの中で生かされていると思います。

    その通りですね。

    しかし、肉体をまとった意識は、宇宙の調和の力学の詳細を把握することは、できないと思います。

    詳細というのがどこまでかわかりませんが、かなりのところまでわかるのではないでしょうか。
    場合によっては、すべてわかると言ってもいいかもしれません。

    西塚

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