いろいろと探究に没頭していたら、いつのまにか時間が経過していた。
『マトリックス』のモーフィアスじゃないが、「 Time is always against us 」、時間というのはいつもわれわれに逆らうね。っても、まったく時間が進まないというか止まることさえあるから、まあイーブンか。

ふとテレビをつければ、何だ、日大のアメフト問題で何やらかまびすしい。視聴者のほうももはや、またかよ、とか、出たよ、って感じだろうが、本当、こういうことはまだまだ当分続きそうだ。

信じられないようなことが、目の前で展開されていく。

でもまだ、それってウソじゃね?ってことや、誰が見ても明々白々なことを、まだごまかせると思ってるのかしら、ってレベルだ。

たとえれば、子どもが幼い頭で一生懸命に考えたウソだったり、ごまかしだったりしても、それで実際に子どものほうではしてやったりとほくそ笑んでいたとしても、大人から見ればバレバレだというのに近い。

信じられないようなことと言ったのは、それでも子どものほうはまだだませると思っていたり、大人が気がついてることに気がつけなかったり、ヘタすればすべてを自分のいいように解釈して、すべてが本当に自分の思うように起こったことだと信じてしまうことである。

これは、たいていのことは人に強要することが可能である権力者だったり、“自分なり”の処世術や思想を構築したと思い込んでいる人によくあるタイプだ。

だから政治家や、企業や組織の重役、独立独歩のフリーランスの人などが陥りやすく、理由は単純なことで、自分が獲得した、あるいは与えられた立場や権威、これまでの自分の思想というほどでもないが、考え方みたいなものに執着して、それを手放せば自分の拠り所がなくなってしまうと思っているところにある。

当たり前だが、そんな外部環境に依存した立場や権威、思想などはいくらでも変更可能というか変わらざるを得ないし、変化しないということはすなわち変化させられるということでもある。

なぜなら世界は動いているからだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です