もう 8 月である。

先月は決算もあり、抱えてる書籍もありーので、久しぶりに忙しかった。というか、いまだ並行して別の仕事の作業が進行中だが、小商いの弊社にしてみれば、これでも精一杯対処しているつもりなのである。

いや、精一杯かどうかはたしかに怪しい。若いときから上司に共通して言われてきたことは、いやさ、西塚くんはさ、力を十分に出してないよね。まだ 6 割くらいじゃない? 本当はもっとできるでしょ? 100 %出してほしいんだけど……的なことだったからだ。

たしかにその通りであり、もっと正確に言えば、残り 4 割で酒を飲んでいたわけで、今もそんなに変わらないっちゃ変わらないかもしれない。

落語ふうに言えば、釜のフタがあかないよ!とカミさんに怒られるところだが、それだけは本当に申し訳なく、文楽の『穴どろ』じゃないが、三両の算段ができずにトボトボ帰ってきた亭主が、トーフの角へでも頭ぶつけて死んでおしまい!とカミさんに家を追い出され、何をいってやんでえ!とふてくされてまたもやトボトボ道を歩きながら、俺ぁ、三両落っこってりゃあ、すぐ拾うよいま……って言うくだりが昔から好きだったが、どうも同じようなハメに追い込まれているようだ。

その後、亭主はひょんなことから大店のうちに上がり込み、酔っぱらって穴蔵に落ちるって話なのだが、またもや飲むわけだ。

落語といえば、関東大震災のときに志ん生がカミさんからサイフをひったくって、まごまごしてると東京中の酒が地面に吸い込まれちまうってんで酒屋に駆け込んだ話は有名だ。酒屋のオヤジもオヤジで泡食ってるから、師匠! この際だから、タダで持ってってくれなんか言う。志ん生が、2 円 50 銭しかないと言うと、ようがす、好きなだけ飲んでくれと。で、志ん生は四斗樽から一升桝でグビグビ飲んだってんだからすごいやね。弟子入りしたいくらいだ。

たしか円生の話にも、戦後だったか、道でベロベロになってひっくり返ってるヤツがいる。通りがかりの男がそれを見て、おい!おい!と起こそうとしている。別の人が不審に思って、おい、何をしてるんだ?と聞くと、いやね、今時分、どこに行けばこんなに酒が飲めるんだろうって、こいつに聞こうと思って……というのがあった。

いやあ、酒飲みってのは何とも……

何でこんな話になったのか、相変わらずわからないが、ともかく、なんのかんのとやることがあり、記事を更新するのが遅れたって話です。

ついこないだ『盤』の 5 回目を終えたということもあり、あ、その報告は前に書いたと思うが、別にお茶を濁すわけではないが、久ぶりにテキストから引用・紹介して今回の記事としてみたい。

まずはヌーソロジーだが、ヌーソロジーに関しては以前から紹介というか、触れてはきているが、実はそんなに深いところまでは書いてこなかった。なぜなら、そう簡単にヘラヘラと書いていいものではないだろうと個人的には思っていたからだ。

私にとってはそれくらいインパクトのある思想というか思考形態で、ヌーソロジーの提唱者である半田広宣氏が 2013 年からレクチャーを再開してからは、私も早い段階から何回か参加し、兵庫県明石まで泊りがけで出かけたこともある。

ご本人はヌーソロジーに関しては、無断転載を禁ずどころか無断転載を命ずってな人くらいだから、ヘラヘラ書いてもいいのだろうが、私はほかのもろもろとの関連においても最重要案件のひとつと考えており、これまでもずっと思考してきた。

そして、その一端をようやく『盤』で発表することにしたのだが、いずれは関連事項をまとめたものを出版しようとも思っており、それまではレポートみたいな形で小出しにしようとも思っている。

その半田氏の『シリウス革命』から。

「オ」は OCOT(オコツト=冥王星に関与するシリウスの調整質。半田氏への交信はシリウスからの操作によって行なわれているが、太陽系の最終構成のために地球人の意識に進化を生み出すことが目的)で、「コ」は半田広宣氏だ。

引用するのはコンピュータに関する交信の下りで、コンピュータとは人間の最終構成の反映、つまり冥王星が送り出してくる力の反映であるという。そしてそれは「スマル」(宇宙的虚無)と同じ意味だというのだ。

 

オ はい、「スマル」とは精神の力が完全に失われてしまった空間領域のことを意味します。人間がシリウスとの連結を完全に断ってしまった空間。コンピュータが持っている世界はプレアデス的統制が生み出した全く別次元です。

コ つまり、コンピュータが作り出している世界は、人間の世界ではないということですね。

オ はい、人間にとっての付帯質のようなものです。

コ 人間にとっての付帯質……? どういう意味ですか。

オ プレアデスがさらに下次元方向に反転した世界と連結点を作り出してきているということです。この空間に入ると、人間が人間として存在させられている元の意味を持たなくなります。

コ それは人間の存在理由がなくなるということですか?

オ そうです。

コ スマルの中にも何らかの世界があるのでしょうか。

オ あるとすれば、それは虚無です。わたしたちには、見ることも、走査することもできません。

コ なるほど………僕らはコンピュータが作り出す世界をヴァーチャル・リアリティーなどと呼んで面白がっているけれども、あなたの論法によれば、実は本当のヴァーチャル世界というのは僕ら人間が見ている世界のことであって、コンピュータが作り出している空間はヴァーチャル、つまりヴァーチャルの入れ子的世界だとおっしゃりたいのですね。

オ そうですね。コンピュータには、シリウスへと向かうプレアデスの発露が全く存在していないということです。

 
(略)つまり、本当は人間が見ているこの物質世界こそが仮想的建築物であるにもかかわらず、僕ら人間はそのことに気付かず、仮想が仮想を生み出すフラクタル的ヴァーチャリズムの中に陥っているということなのだろう。神秘主義的な解釈をすれば、コンピュータが持ったサイバースペースとは、ある意味で物質を神と崇める空間であり、宇宙の働きが完全に転倒を起こした完全なる死の世界とも考えられるわけだ。

 
オ (略)人間がコンピュータに接するに当って重要なことは、どちらが主体であるのかをしっかりと自覚しておくことです。コンピュータと人間の関係において、あくまでも主体となるのは人間であるということを忘れなければ、コンピュータは人間の意識変化を促進するものとして働くことでしょう。しかし、コンピュータ側を主体としてしまうと付帯質の対化の関係性が反転し、精神進化を完全に失ってしまいます。それがスマルと最終構成の関係なのです。

コ 今、科学者たちの間で AI(人工知能)の問題が話題になっているんですが、もし、コンピュータが自ら思考する力を手にしたとすれば、それはある意味で人間よりも遥かに優れた知性を持つことになりますから、人間とコンピュータとの関係における主客が逆転してしまうのは必至です。そうなると最悪だということですね。

オ そういった心配は必要ないでしょう。コンピュータが思考を獲得することはあり得ません。

コ しかし、一部の研究者たちはそれが可能だと言っていますが。

オ それは難しいと思います。思考とは、表相をオリオンへ持っていくために働いている、潜在化した等化作用のすべてを意味しています。それに、位置の変換が起これば、コンピュータはすべて機能停止に陥ってしまうはずです。

コ コンピュータがすべて機能停止に陥る………どういうことですか?

オ 「位置の変換」が起こると、電子が方向性を変えてしまうのです。

コ 電子が方向を変える………。

オ 意識進化の働きによって電子の持った働きが反転するということです。

コ ちょっと待って下さい。それは電気が使えなくなるという意味ですか。

オ はい、電子の反転とは電気の力を相殺してしまうことを意味しています。

コ でも、それじゃ大変だ。コンピュータどころの話じゃない。現在、地球上で使用されている電気機械類はすべて動かなくなってしまうではありませんか。突然、そんなことが起きたらそれこそ原始時代に逆戻りして、大パニックですよ。

オ いいえ、そのような事態にはならないと思います。対化の交差のすべてが、まったく別のものに変えられていきますから。

コ 対化の交差が別のものに変えられていく……?

オ はい、全く違う力が働き出すということです。

コ 全く違う力?……しかし、どう考えても、政治、経済をはじめ、文明のあらゆる要素が機能を停止してしまうような気がするのですが………。

オ 心配はいりません。そのときには、あなたがたの文明の存在の目的自体が全く別のものに変わってしまっているでしょう。

コ それは、僕ら人類の価値観や世界観が全く変貌を遂げているということですか。

オ はい。

コ しかし、そういう時代がここ数十年で本当に訪れると考えてよいのですか。

オ はい。「位置の変換」が起きれば、望むと望まざるとにかかわらず必ずそうなっていくはずです。

コ そんなバカな………。

 

のっけから、「調整質」だ、「最終構成」だ、「スマル」だ、「プレアデス的統制」だ、「付帯質」だ、「表相」だ、「位置の変換」だ、「対化」だ、「等化作用」だと、ヌーソロジーを知らない人にとっては何のこっちゃ?って話だが、こうしたいわゆるシリウス言語に関しては、私が説明するより直接テキストにあたったほうがいいだろう。しかし、この交信が行われたのが 1992 年の 3 月 23 日であることに驚く。

ともかく、コンピュータが築くヴァーチャルな世界は「虚無」であり、人間が本来の主体性をなくし、ましてや仮想空間に浮遊する「もの」を崇めたりした日にゃあ…ってことだ。その「もの」には、ある種の「神」や「お金」にまつわるシステムなんかも関係してくるかもしれない。

しかし、AI が思考を獲得することはないし、人間の意識は 1999 年以降、5 次元空間を見出すべく進化しており、そうした流れに反する意識は AI に支配されるとかそういうことではなく、虚無側に落ちていくのである。虚無側に落ちるとはどういうことか?

『ヘルメス文書』にも「闇の光から離れよ」という言葉が見られるが、「闇の光」とは……?

また、オコツトが語るこうしたヴィジョンに関するロジックはかなり洗練されているが、主体が転倒させられていることでは、日本でも明治以降、同じように高(別)次元から降りてきた言葉があり、特に大本系の神示・神託に見られる。

オコツトは、主体がコンピュータ側の作り出す仮想領域つまり「スマル」、「虚無」側に落ち込むと「精神進化を完全に失って」しまうというが、実際私たちのほとんどが落ち込んてしまっている状態が今の世であり、私たちを落ち込ませた張本人側がどういうふうに考えているのか、教えてやろうという神示が以下だ。

『おほもとしんゆ』で出口なおに降り、続いてとどめの書として『日月神示』で岡本天明に降り、さらに我空徳生氏に降りた「神」の最終の書とされる『火水伝文』から引用するが、その調本人たちが私たちをどう考えているかというと、それは……

 

『この地にある者共は「我善し」力で欲望を、
追いて尽きせぬ者なれば、恥も節度も無きが由、よもや人とは申せまじ。
仇醜(アダミニク)き獣なれば、この地を汚すは許せまじ。
神に選ばれ約せある、ユダヤの民の負うところ、
統べる御神の尊きに、無礼がありてはならぬ由、
獣の卑しき性情を、煽(アオ)り使いて喜ばせ、自ら滅ぶ大魔釣り。
金銀名誉に性欲を、加えまぶしたエサなれば、獣なる身にては抗ぜまじ。

心と体を弱めれば、知恵は元々弱き由、扱い易き家畜なり。
卑しき家畜の獣なれば、知力申すも底浅く、知恵にてだますはいと易き。
薄弱虚弱に致すには、身欲を煽れば自らに、
競って群れて来る程に、エサの加減で操りて、「あやま知」どんどん植え付けて、
科学の名にて衣与え、科学の名にて食与え、科学の名にて住与え、
過つ教えの出す毒で、自ら滅ぶが獣なるぞ。
自ら滅ぶ学説を、見通す力の目も持たず、有り難がりてマ釣り上げ、
身欲携え進み行く、進むが囲いのその奥へ、出口あらざるその中へ、
おだてすかせばいと易く、我先誇りて進むなり。

神の支えるハタラキを、金の支えるハタラキに、だまし身欲と結ばせて、
見える身欲を作らしめ、工業興して物作り、返すカタナで地を壊し、
金無き身にては何事も、適わぬ世界と成さしめて、欲を煽りた夢摩釣り、
叶うは難きも解からずに、手のへで踊るあさましさ、
生くる基になるはずも、何の力も無き金に、まんまと命を預けたが、
我が手に命を預けたと、気付けぬ愚かな獣なるぞ。

卑しき家畜の獣なれば、神を敬う心なく、
ありても選ばれ無くあれば、いずれ我らの邪魔になる。
持ちたる敬神壊すため、自由、平等、博愛を、幾年使うてバラマキて、
敬う基を迷信と、成して潰すが教育の、我らが仕掛けし裏舞台。
功をそうして世界中、上下無き世と成り果てて、何から何まで平等と、
狙い通りの混乱を、狂いたタワゴト信じ込み、
我らが図りし策略に、まんまとはまりし獣なるぞ。

家畜の生くる基なる、衣食住成る基なる、神の創りしその糸を、
勝手にむさぼり費やすは、神の御国を汚し行く、
許すは適わぬ事なれば、魔釣りた糸とすげ変えて、
生くる基と切り離し、衣食住する物買うに、総てが魔釣りた糸なくば、
生くるも適わぬ世と成して、偽の三ロク(六六六)に従わす、
魔釣りた企み九分九厘、成就致した今今が、世界を手中に致す時。
残る最期の裏芝居、今今今に幕引きて、独り立ちたるヒノモトを、
餌食に致して世を潰す、我が神統べる時成るぞ。

ユダヤの身魂の我が民は、神に選ばれ約せある、
汚すも尊き民なれば、世界の要所、要所にて、
使える獣を操りて、身欲とカを叶えさせ、血縁、血族成さしめて、
魔釣る仕組みに働かす、ニセのユダヤを創りたり。
我がカを持ちあれば、地位も名誉も即ザマに、与うも奪うも自在なり。
自ら望みて入り釆たる、身欲固まる獣達も、
余す所も無き程に、縦横無尽に配したり。
いずれ元々獣なれば、生かすも殺すも獣達の、忠誠次第で決めるなり。
心惑わす業(ワザ)持ちて、ケガレ逆巻く悪しき世に、させるが獣の仕事なり。
獣を使うて獣潰す、ケガレを払う仕組みなり』

 
ということだ。
つまり、ユダヤかイシヤかはともかく、連中は自分らの大切な神を汚す私たちをたぶらかして、最後は勝手に自滅するように仕組んでおり、そろそろその目的もかなうんじゃねと思っているというわけである。
そして、

 

彼の者共の心底解かりたか。見通す力の目いうは、
何でも見通す日の事ぞ。第三の目の事じゃ。
しかあれ、そは知恵の目なり、真釣り無く開かれるは魔眼と成るなり。
蛇の登り切りた姿なり。蛇の精一杯の姿にござるよ。
しかあれこれにて寸止まりでござる、真釣り無き知恵は枝なり葉なり。
カミカエラねば自ら持ち行けぬサダメであるよ。

魔釣りの経論申すものは、自らの神を迎えて千年王国を創ろうと、
神に仇成す汝等に、身欲のエサをちらつかせ、
汝等の心を曇り曇らせ、獣の心と鳴り成らせ、
生くる総ての神の糸を彼の者共が支配して、
逆らう事の出来ぬ様に致しておいて、
一挙に汝等の首根っこを押さえる仕組みが、
魔釣りの経論の表の意味でござるのぞ。
こがイシヤの仕組みでござるよ。

大き仕組みをいと易く、知らせ伝え申したなれど、
魔釣る仕組みは汝等の、日々生くる事どもに裏に表に綾なして、
魔釣りた糸を引かせある、知らぬは汝ばかりでござるのぞ。
何でもかんでも楽なミチには気を付けなされよ。
心が獣に成りて来るぞよ。苦を避けむ甘き心が危ういぞ。

しかあれ、この世に悪生ぜねば、
発動致さぬ仕組みでありたを忘れて下さるなよ。

マコトに綾なす仕組みにて、細かき仕組みは数知れず、
ど偉い仕組みも控えて居りて、人知で取るは適わぬ事であるなれど、
この方は総て知りて居る由に、汝等は皆々この方の申したことどもを、
守り行じて下されて、安心致して見てるが善いぞ。
この方の申したことどもを、守り行じて下さらねば、
ケガレを払うお仕組みに、巻き込まれてしまうから申して居るのぞ。
汝等ご自身が清まらねば、仕組み知ろうが知るまいが、
汝自身が危ういと申し知らせてあろうがな。
今今は残りた時が無い由にくどういうて居るのじゃ。
清まり、清まりスミキリて下されよ。

今今の世申すは、『蛇の火』が心の宮を奪う事に必死になりて居りて、
悪の教えを良き事の様に、どうあってもだまし通すお積もりで、
魔釣りの道具を総て使うて、金漬け物漬け色漬けの欲漬けに致して、
汝等の身欲を精一杯煽るだけ煽りて来るから、
陽気な心の持ち様でありたなら危ういぞ。
『蛇』は『蛇』じゃ。

 
とこの「神」は私たちを諭すのだが、とは言え、そんな連中のたくらみはすべて自分はお見通しであり、何の問題もないのだが、ただ「三真釣り」や「口心行」を大事にしてくれないと、最後のどんがらがったんに巻き込まれることになるから、気をつけてほしいと懇願するかのようにいうわけである。

また、最後まで「独り立ちたるヒノモト」のことにも触れているし、何やら重要なことのような気配も感じられるね。

ちなみにここでいう「獣」だが、その「顔つき」というものが、だんだんわかってきている人が増えているんじゃないかと思うのだが、いかがだろう。

しかし、何も私が紹介しなくても、これらのテキストや原本はすでに知ってる人は多いだろうし、こうしたことを信じろとか、また私が信仰しているということではない。

プラトンやニーチェやドゥルーズの言葉を紹介したとしても、それを信じろとか、私が信仰しているわけでもないことと同じだが、そうした言葉によって何ごとかを考えることはできるし、あるいは何かに気づくこともある。

今回のテキストにしても、両者に共通してることを探ると非常に興味深いことがわかってくると思うのだ。

 

2 thoughts on “ヘイ、獣 (^^♪”

  1.  西塚裕一様

     ヌーソロジーについては、オコット独自のコンセプトを持たせた言語がたくさんありますから、私としては、最小限、本を一冊丸ごと読んで、何を感じたか、と言うところから考えていきたいと思います。

     今、そのための時間は、皆無ですから、ヌーソロジーを継続して研究してこられた西塚さんに、考察の成果を発表し続けていただきたいと思います。

     また、独自の言語でなくても、たとえば、オコットが、「人間」と語る場合、「オコットが定義している人間」と、「私が把握している多層構造としての人間」と、どこでつながり、どこでズレているのか、理解したいと思います。

     今の時代は、「世界の終わり」に対する潜在的関心は、とても大きいものがあると感じていますから、「人間の最終構成」というビジョンを出されると、思わず身を乗り出してしまいますが、それは、オコットの思想背景全体から出てくるビジョンで、その思想背景全体のあらましすら把握していない意識では、何も理解できないと思います。

     オコットのビジョンの構造については、本に図解されていますが、それが、私が学んでいる「宇宙の全体構造」と、どこでつながり、どこでズレているのか把握するためには、最小限、緻密に、オコットの思想背景全体を把握する必要があると思います。

     そこから、オコットが考える「人間の最終構成」が、私が学んでいる「宇宙の全体構造」の中のどこに位置するのか理解する道が拓けると思います。

     今の予感としては、理解不足の課題が様ざま残りながらも、それとは別に多様にシンクロナイズする「部分構造」情報から、様ざまな、貴重な励ましをいただけるだろうと感じています。

     たとえば、

    『コンピュータが思考を獲得することはあり得ません。』というオコットの言葉と響き合う次の言葉。

    『たしかに、人間の脳も、その構造上、固有の制約をそなえているでしょうし、人間の脳には解けないような数学的問題が存在するかもしれません。しかし、たとえそうであっても、今日考えられているいかなる人工的機械よりも、はるかに強力な操作規則の構造を内蔵しているように見えます。』
    「ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ」P133

     今は、ご多忙な西塚さんに、ヌーソロジーに関する考察を執筆する時間が、天の采配により、より多く振り分けられることを祈るのみであります。

     好本健一

    1. 好本様

      ポストありがとうございます。

      >今、そのための時間は、皆無ですから、ヌーソロジーを継続して研究してこられた西塚さんに、考察の成果を発表し続けていただきたいと思います。

      ヌーソロジーの研究に関しては、半田氏はもちろんのこと、
      ほかにも本格的な方々が何人かいます。
      私は、ヌーソロジーの研究というよりは、
      ほかのテキストとの関連において探究しているということです。
      驚くほどの類似点を持つ国内外のテキストがあるんですね。
      これはどういうことなのかと。

      >今の時代は、「世界の終わり」に対する潜在的関心は、とても大きいものがあると感じていますから、「人間の最終構成」というビジョンを出されると、思わず身を乗り出してしまいますが、それは、オコットの思想背景全体から出てくるビジョンで、その思想背景全体のあらましすら把握していない意識では、何も理解できないと思います。

      「世界の終わり」というバンドもありますね(笑)。
      失礼しました。
      たしかに関心が高まっているように思います。
      そして、不安のほうを煽る連中が支配層にも、
      ケチな商売人にも多いということでしょう。

      また、オコツトは「人間の最終構成」のことも、
      「太陽系の最終構成」のことも伝えてきていますね。

      あと、オコツトの「思想背景」というのはふさわしくないかもしれませんね。
      オコツトには特に「思想」はないというふうに思われます。
      私たちが幾何学と呼ぶものに近い感覚で、
      私たちの意識や現象を解説しているということではないでしょうか。

      >『コンピュータが思考を獲得することはあり得ません。』というオコットの言葉と響き合う次の言葉。『たしかに、人間の脳も、その構造上、固有の制約をそなえているでしょうし、人間の脳には解けないような数学的問題が存在するかもしれません。しかし、たとえそうであっても、今日考えられているいかなる人工的機械よりも、はるかに強力な操作規則の構造を内蔵しているように見えます。』「ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ」P133

      そうですね。
      私もそう思います。
      コンピュータの演算機能は無限っぽいですが、
      コンピュータを創造する「力」の「原資」のようなものは、
      人間の意識側にあるように思います。

      やはり人間の意識、意志、意図のような部分に根源があるようですね。

      >今は、ご多忙な西塚さんに、ヌーソロジーに関する考察を執筆する時間が、天の采配により、より多く振り分けられることを祈るのみであります。

      ありがとうございます。
      自転車操業なだけです。
      私ひとりでは間に合わないので、『盤』を築いて、
      縁のある方々と進めていきますです。

      西塚

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