だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

真実の酒

めっきり寒くなってきた。もう冬だ。だから、つい熱燗が恋しくなって困る。まあ、私は夏でも普通に熱燗をいただいているのでアレだが、やはりこの時期になると熱燗の味わいもひとしおだ。

のっけから酒の話で申しわけないが、『盤』の参加者からアンタ、ブログの更新頻度もっと上げにゃあきまへんがなと叱咤(激励なし)されたので、そうだよな、せめて最低でも 1 週間に 1 回は更新すべきだろうと反省し、こうして仕事の合間にキーボードを叩いているわけだが、さてどうしたものか。それに『宗任問答』、『おやすぴ』のアップにもかからなくては…

日が暮れだすとどうもソワソワして仕方がないというか、ほとんどアル中なのかもしれないが、アル中になれるほど酒に強くないこともわかっている。アル中は酒に強くなければなれるはずがない。

途中でぶっ倒れるだろうし、内臓もやられるだろうし、だいたいものすごく飲みすぎれば次の日に飲めない。そんなヤワなアル中はいないのだ。

アル中と言えば、普段から酒瓶を懐に隠し、朝昼晩と飲み続け、眠くなったら眠り、起きたら飯は食わずに酒を飲み、雨にも負けず風にも負けず、丈夫な肝臓を持ち、一日ホッピーと酒一升と味噌と野菜をつまみにし…って、いつまでもこんな調子で書いてるわけにもいかないな。

いや、ほっとけば、つれづれなるままにどこまでも書いてしまうところがあるから、オツムの中身の程度がバレてしまうが、それにしても酒が飲みたくなってきた。

酒に関することであれば、延々と話していられるような気もするが、今、ああ、酒が飲みたいと思って(熱燗ね)思い出したのは、キューブリックの『シャイニング』のジャック・ニコルソンだ。

例の雪のホテルの誰もいないバーのカウンターで、ああ、酒が飲みたいと言うんだよね、あれ。たしか役の名もジャックだった。

理由があって酒を断っていたのだが、どうしても飲みたい。悪魔に魂を売ってでも飲みたい的なことを言うと、出てくるのだよ、いきなり。バーテンダーが。

あれはよかったなあ。何ともシビレる感じだった、個人的には。『シャイニング』はいわゆるホラーものの映画ではかなり上位に入るね、私の場合。

で、久しぶりに酒と対面したジャックが酒を飲むのだが、そのときのシーンがたまらない。ほんとにたまらない。ぜひ、観てない人は観てください。できれば、酒飲みの人。

んなところに感動するのは、おそらく自分だけだろうという考えがふと今よぎったが、取りあえず無視しよう。

いや、酒なのである。

酒と言えば盃(さかずき)だ。杯だ。

となれば、誰でも「聖杯」を思い浮かべるだろう。私も思い浮かべた。とは言え、私は「聖杯伝説」については詳しくないし、『ハリー・ポッター』シリーズも観たことがない。

待てよ、『ハリー・ポッター』は聖杯伝説とは関係ないんだっけ? 「賢者の石」のほうか。まあいい。私にとってはどちらも似たようなものだ。

聖杯伝説で言えば、というか一応私の理解では、聖杯というのはイエスたちの最後の晩餐で使われた杯ということだったと思うが、それでよろしいでしょうか?

Wikiで調べろよって感じだが、いろいろあっちゃこっちゃに飛んでみたくなるから、こういうときは見ないようにしている。

自分の興味のほうが先走ってきて、ブログをアップするどころではなくなってくるのがいつものパターンだからだ。

だいたいが聖書にしろ神話にしろ昔話にしろ、虚実ないまぜになっているのは間違いないというか、大昔の話なんだから、そりゃあ、いろいろ足したり引いたりしてるわなって感じだろう。

でも、まったくのフィクションということはあり得ないでしょ。普通に考えればというか、読んだり聞いたりすればそれはわかるはずだ。聖書や神話や昔話が、頭のてっぺんからつま先まですべてデタラメということはあり得ないのだ。

何かしらの事象があって、それを見聞する人間がいるから、いろいろと話が今に伝わってきている。

どうも、ちょっと古めの映画にアクセスしやすくなっているが、あの『ブレードランナー』のレプリカントにしたって、その記憶は人間から植えつけられたものだとしても、その記憶の大本自体はやはりちゃんとあるのである。そういうことだ。

また脱線しそうだが、ともかく聖杯でも賢者の石でも、何かの象徴かもしれないし、本当に何かの杯であったり、何かの石なのかもしれないが、私としては何かの象徴というほうに興味があるというか、そうだろうと思っている。

いや、実は象徴というのも怪しくて、はっきりとした「もの」や「こと」のことだと思うのだ。

これは許可というか、はっきりと書いていいかどうかわからないから多少ボカすが、実際、このあたりが編集者生活が長いせいか、ある種の融通のきかなさがあるわけで、著作権その他に対して敏感になってしまう弊害?というか、そんな感じだが、ともかくスイスのコンタクティーであるビリー・マイヤーに『真実の杯(Kerch der Warhrheit)』という本があるが、邦訳はまだされてなくて、たしかFIGU(ビリーのスイスの拠点)の日本支部で翻訳作業が続けられているはずである。

で、「真実の盃」とは何かということだが、実際この本の内容は、一部翻訳されたところを読む限り、やはりビリーにいろいろな教えを伝えているプレアデス/プレヤール人たちがいつも言っていることでもあるが、いかに地球人がいまだ宗教やカルトに毒され、偶像崇拝というか、自分たちの想念で作り上げている対象(人物でも物質でも何でも)に依存しているか、まあ、はっきり言うとオツムが弱いかということなのだが、肝心の「真実の杯」とは何だとなったときに、私はビリーの関係者(と言っていいだろう)から直接聞いたわけだが、何と「酔っぱらい」のことだと言うのである。

ぶったまげたね。

いや、これは思いっきり我田引水、牽強付会であることは思いっきり認めるが、あながちそうでもないのである。

つまり、早い話が、人は酔っぱらったほうが自分の心にある「真実」を打ち明けやすくなるし、実際みながそうなれば、「真実」にたどりつきやすくなるということの象徴というか、隠喩だということらしいのだ。

私はそれを聞いたときに思わず快哉を上げましたがな。だって、ビリーが直接そう言ったっていうんだから。

もちろん、私なりの解釈というか、今ここでこうして伝えている表現は、私の願望や勘違いも含めてバイアスが無意識にかかっていることはあるだろうが、そんなことは大した問題ではないくらいに、大筋はそういう内容だったのは確かなのである。

だから、みんな酒を飲みましょう、というのではないよ。

また、やっぱ酒やねん!ということでもない。

唐突のようだが、たとえば『古事記』では、黄泉の国までイザナミノミコトを追っかけて行ったイザナギノミコトは、イザナミノミコトの変わり果てた姿を見てドッヒャー!となり、黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)までスタコラサッサと逃げ帰ってくるが、黄泉軍団に追いつかれそうになり、ああヤバいという間一髪で、そばになっていた「桃」の実を投げつけて難を逃れる。

無事に地上に降りたイザナギは、桃の実クンたちにお前はエライと言って褒め、オオカムヅミノミコトと名をつけて、これからお前たちは、地上の人々が苦しんだり、悲しんだりしたときは、私を助けてくれたように人々を助けてやってくれと命じたのだ。

どうやって助けるのか?

これは古事記では改ざんされているのだが(ウソです)、桃は「酒」となって人々を助けることになったとさ。

って、まあ、こういうことにしておきませんか。

「賢者の石」ってのもあったが、いわゆる錬金術に関係しているということだったと思うが、これは神智学協会でもさんざん言われていたが、別に金を作り出す技術がうんたらこうたらではない。

錬金術っていうくらいだから、何かを「練る」のである。

また、「三種の神器」というものもある。

いずれにしろ、こうした何というか、ある種、神秘的でもあり、思わせぶりでもあり、場合によっては、あろうことか本当にそういう杯や石や玉や鏡や剣が物的にあると思い、いやそれこそ象徴的にはそういうこともありうると思うが、その「物」そのものが実際に重要であり、その「物」自体が何かしらの「力」を持っていると本気で信じ、血眼になって探すといった映画なり物語は西洋あたりにはたくさんあるようだ。

論理的に非常にわかりやすい世界の中では、それもまあありだろうし、また面白いかもしれないが、世界に張りめぐらされた論理の網は、もうほとんどすべてのものを掬い上げるところまできているというか、あとはどこまで華麗にバリエーションを演出できるかってだけの話で、個人的にはあまり興味がない。

それよりは、もうこれ以上はどうやっても論理では掬うことのできない「もの」や「こと」のほうに興味がある。

おそらく、聖書でも聖典でも古代の宗教経典でも、その他のいわゆるスピリチュアルな文献でも、そういう観点からもう一度見直さなければならないことになるのではないだろうか。

そして同時に、そうした方向を許さない頑固な人たちと言えばまだいいが、何というか、いろいろと手放したくない人たちが、ますます「論理」で砂上に楼閣を築こうと躍起になると思われるが、おそらくそのうち気勢をそがれることになるだろうし、そういう仲間もしだいに減ってくるのだと思う。

なぜなら、善とか悪とか、儲かるとか儲からないというところではないところで、さて、これからどうしようか…と考えることに「喜び」を感じる人たちが増えてくると思うからである。

どうしてそんなことが言えるのか。

単純なことで、自分の周りにそういう人たちが増えているからである。

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