前回、「火」が大事だよ、みたいなことを言ったが、これは本当に大事なことだ。

ゾロアスター教は火を崇めたし、『火水伝文』はいかに火が大事かを伝えた文(ふみ)だ。別にゾロアスター教や火水伝文がいいと言ってるわけではないが。

ところで、「大本神喩」「日月神示」「火水伝文」「金神の艮の文」に登場する国常立神(くにとこたちのかみ)、つまり艮(うしとら)の金神(こんじん)は同一の神である。

お互いに、たとえば大本では日月神示の神は同じ国常立ではないとか、あそこの神はどうとか言っているという話も聞くが、テキストを読む限り、35 年以上一応プロの編集者として文章に接してきた私としては、同じ書き手だとしか言いようがない。

いや、お筆先や神託なので、実際に書き表わしている人物は違うが、書き手に伝えている存在は同じだということだ。ちゃんと読めば、それは誰にでもわかるはずだ。

ちなみに、タイトルの「力はそれを知る者に帰属する」という言葉も、古代からの言い伝えであり、ブラヴァツキーの本にも書いてある。

こういう力があると知っている者が、その力を使えるということだ。

何者かにこういう力があると教えられて、実際に自分で試してみたら本当だということで、その力を使うようになる。

あるいは、何かの拍子に自分でこういう力があると気づき、いろいろ試してみたら本当だったということもあるだろう。

だから、何者かにこういう力があると言われたり、または自分でひょっとしたらこういう力があるんじゃね?と気づいても、本当かよ?とか、あり得ないなと疑ったり否定したりすれば、その力は少なくとも意図的には使えない。

何者とは、つまりはそういう力があることを知っており、そういう力を使える存在のことだ。

問題は、そういう力がどのような存在に伝わるかということである。

たとえば、幼稚園児にマッチの扱い方を教えても、おそらくロクなことにはならないだろう。いずれ世界は火の海になる。

でも、実際はそうはならない。

大人が気づいて途中で火を治めるからだ。

しかし、子どもの数が圧倒的に多かったとしたらどうだろうか。

文化大革命時の毛沢東や、カンボジアのポル・ポトが子どもにしたことを考えればわかるはずだ。紅衛兵やクメール・ルージュの子どもたちは、いったい何をしでかしたのか。

子どもたちはそうとは知らずに、あるいは制御できずに、世にもおぞましいことをやり遂げてしまった。

そういう力を子どもに教え、与えたのは誰か?

本当にくだらない復讐心や妬みに基づいた思想、あるいは思想ですらなく、単なる欲望に取り憑かれた大人たちだった。

まさに取り憑かれたのである。

しかし、この取り憑いた「存在」も悪とか何とかではなく、単にそういう存在だというだけだ。

私たちは発「振」していないものは絶対に受「振」しない。

TBS の番組は、テレビの受信機が TBS の電波を少しだけ発信しているから、空中を飛びかっている TBS の強力な電波がそれを見つけて、まっしぐらに取り憑くじゃない、着信するわけだ。

だから、私のように人間ができていない存在には、あまり強力な力は与えないほうがいいし、そもそも情報を発信する側も自分が発信する情報の意味とか、影響力とかをちょっとは考えたほうがいい。

世の中には私のような半チク野郎がゴマンといるからだ。

その私でさえ、何者かに与えられた知識や情報に関しては、これをどういう形で伝えるか、あるいは伝えないか、それなりに考える。

それもただのヘ理屈を根拠にしてもまずいので、その判断の精度というか、検証については、やはりそれなりの方法をとることになる。

そういうことに関しては、知る人は知っている(当たり前だなあ、いつも)有名な研究者が同じことを言っている。

 

本来、「自然の仕組み」は、必要のない情報は、自分が発振しないのですから、入らないわけですが、この文化では何が起きているかと言うと、必要以上の情報が入ってしまいます。

最初にお伝えしたいのはそこです。

何の分野でも同じですけど、業界は、「ニーズに応える」という言い方をします。ニーズに応えるというのは、何にせよ、エゴの文化を築いてしまっている私たち地球人は、相当慎重に対応しませんと、自我と欲を満足するようにしてしまうお手伝いをするという危険が常にあります。

ここが問題なのです。本来はニーズに応えるのではないからです。

エゴの文化というのは、ニーズに応えれば成功するのは当たり前です。圧倒的大多数が、応援してくれるのですから。でもそれは、まさに地球を破壊する方向に向かって、お手伝いしてしまっているのです。

 

また、国常立大神様も同じように私たちを諫める。

 

こ度(たび)タテカエの最後には、
『知恵の蛇の火』もマコトに真釣(まつ)れる様に向かわしめ上ぐるはこの方(ほう)の仕事にてあるが、
今今の汝等(なんじら)がこれをなすは危うき事にてござるから、
くどい程(ほど)に申して置くのぞ。

汝は汝の三真釣(みまつ)りをしかり持ち行きて、
汝の蛇を真釣り行くが努めぞ。
天(アマ)が下に仇(あだ)を成す、
大き蛇の火の響きはこの方に任すが善いぞ。

三真釣り持たずに汝等の底底に封印せし蛇を解き放ち、
これを真釣りてマコトに結ぶは、
なまなかの事にありては出来はせんのぞ。

十中八九逆様(さかさま)と成りて、
真釣りた積もりが魔釣られて、
知らぬうちに使われ居る由(ゆえ)、気付けず。

いつの間にか悪神のけん族と成り果てしもうて、
化かされ、
神民に仇成す力ばかり知らず与えられあるから、
一見、善き事のように思え見ゆれども、
やる事成す事、
裏で世を持ち荒らす事に結びつきあるが解からんのじゃ。

汝等の霊性申すは開発するモノにあらず。
真先に心払い清めるが霊性顕現の基(もと)であるぞ。
真釣りを外して霊性を開発なさる申すは、
蛇の封印を解く事にてござるぞ。

神を心底敬う心が無いから身欲(みよく)が先に立ちて、
そが甘き誘いにもすぐにだまされしもうのじゃ。

汝等の念にて汝等も、
汝等の周りも変え行くは叶う事にてあるなれど、
神経綸(けいりん)の神法はちいとも変わりは致しはせんぞ。
この事、特に気を付けて下されよ。

こが悪神のまやかしの手口にござるのぞ。
汝の思いを叶える事もご修行のうちでござるなれば、
それはそれで良いなれど、
真釣り無き思いは、
必ずメグリを育む事になるから申して居るのぞ。

(ふりがな:西塚)

 

それほど悪神は巧妙であり、また悪の仕組みがとことん張りめぐらされ、よほど気をつけないと搦めとられてしまうのだ。

ここでいう悪は、普通一般でいうところの悪でいい。

ちなみに最後のほうの、「汝等の念にて汝等も、汝等の周りも変え行くは叶う事にてあるなれど、神経綸の神法はちいとも変わりは致しはせんぞ」という部分は非常に興味深く、この神様は他のところで「念での操作はしてはならんぞ」ともきつく言っているので、いわゆるスピ系で人気?の「引き寄せの法則」やゼランドと絡めて、現実化の仕組みについてぶち上げたい気にもなるが、またの機会にしよう。

また、国常立大神様のいう「真釣り」や「三真釣り」に関しても、長くなるのでここでくどくど解説しないが、私たちが行なうべき肝心要のことであることは間違いない。

「タテカエ」とは、簡単に言えばこの世の立て替えのことであり、国常立大神によれば、それは「ユダヤ」によってなされ、「スメラ」が「タテナオス」ということになる。

こうした絵図は、いわゆるスピリチュアル系の経綸関係ではおなじみでもあり、国常立大神では、「光ひとつ上ぐる仕組み」を「七つに別けて進み来たり」てきて、今回私たちはその最後の期にいるということになり、また 2 度目の岩戸開き、つまり最後の岩戸開きともなる。

また、ヌーソロジーの OCOT 情報では、私たちは第 7 太陽系におり、次は第 8 太陽系に行くわけで、『ラー文書』の第 6 密度の存在によれば、私たちは約 25000 年周期の 3 回目におり、やはり今回が最後の周期である。

さらに、ある情報によれば、今は 12 回目のビッグバン宇宙であり、やっぱり私たちは最後の周期にいるのである。

そして、数あるこうした文献の中でも、たしかなる骨格というか、まっとうに納まった内容のものとしては限られてきて、あとはまっとうなものを都合よく改ざんしたものか、個人的な妄想によるものか、計画的な策略に基づいた物語か、必要に迫られたプロパガンダにすぎないのだ。もちろん私見だが。

だから、私たちはそうした「情報」の解釈に関しては、特にこれからは慎重になったほうがいいし、紹介するにしても、ひと呼吸おいてから発信する必要があると思われる。

ヘタすりゃ知らずしらずのうちに、トンデモ連中の片棒を担がされてるなんてことにもなりかねない。

そしてとりもなおさず、真っさきにチェックしなければならないのは自分の「我=エゴ」であり、発信者の「我=エゴ」だと思うわけだ。

ゼランドふうに言えば、「振り子」が引っつかみやすい部分も、我=エゴによるもろもろの「重要性」だし、さまよえるオランダ人じゃなくて霊が取り憑きやすいのもそこだ。

でも、自分の中に存在する「火」の由来や、その火を立ち上らせることの知識と理解があれば、妙なことにはならない。

知識と理解なんて言うと、誤解・曲解されそうだ。

言葉はやっかいなものだが、要は「わかる」ということであり、それは「気づく」とほぼ同じことで、単に人に伝えるときに言葉を活用することから「知識」とか「理解」という語句を使わざるを得ないだけで、自分で気づいたり、わかったりすれば、本来、言葉はいらないのである。

ともかく、私たちは自分の「火」を灯そう。

自分の火を灯して、自分の道を歩こう。

少なくとも、妙な連中の「提灯持ち」にだけはなり下がらないように気をつけようではないか。

 

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