いやはや、すっかり更新が滞ってしまった。

更新ってもたいしたことを書くわけでもなく、よしなしごとをそこはかとなく書きつけているわけだが、当たり前だけれども何もせず、飲んだくれていたわけではない。そうしたいのはやまやまなのだが。

どころか、引っ越しの後片づけもそっちのけで、請け負っている仕事と、あるプロジェクトを駆動させるための準備というかいろいろ調べなければならないことがあり、私の困った性分でもあるが、ことが精神世界つまりいわゆるスピリチュアルなことに関しては、徹底的な私なりの調査やそれなりの理解が得られるまでは判断を保留にするところがあり、重要なことに関するほど発表したり発信するには時間がかかるのである。

もちろん、その悪戦苦闘の姿や途中経過をそのままご覧に入れ、読者や視聴者の判断に委ねるという方法もあるが、信じるか信じないかはあなたしだい的なことはどうしてもできず、少なくとも現時点ではこうこうこう考えざるをえないのだ、なぜならばといったものの言い方しかできない。というか、そうあるべきだとも思っている。

いずれにしろ、人には必ずその人の思いや考えというものがあり、何をするにつけても、その思いや考えから発動している。

しかし、何度も書いてきているが、コリン・ウィルソン言うところの「ロボット」も人の中にはいて、ロボットの自動操縦システムにスイッチが入って思考停止状態で行動することもあるわけだ。

ここでコリン・ウィルソンがいうロボットとは、車の運転に慣れてくるといちいちこれがアクセルだ、ここでブレーキを踏まなきゃなどと考えなくても、無意識のうちに働いてくれる自分の中の AI のようなもののことだから、まだわかりやすいというか、それほど生活に支障もなさそうだが、これがヴァジム・ゼランド言うところの「振り子」となるとそうはいかない。

なぜならそのロボットが、次元の異なる領域に潜んでいるというか漂っているエネルギーのようなものの影響を受けることと関連する話になるからだ。

また話がどんどん深みに入っていくとアレなので、アレというのは長く複雑になるので戻すが、一般に精神世界やスピリチュアルといわれる領域の言動には、かなり危なっかしいエネルギーがひっついていることも多く、つまり極めて偏狭な思いや考えの集合体のようなエネルギーに誘導され、操られ、結果的に操られた本人が多くの場合はそれとは知らずに人を同じように誘導・操作するということになる。

古代から「神」と「霊媒」との交信の間に審神者(さにわ)をおくのは、誰が誰と交信しているのかを見定めるためだ。そして、審神がどれほど難しいものであるかはちょっと調べればわかるが、もちろんできないわけではない。

精神世界だスピリチュアルだと言うから、何だかおっかないもののように感じるムキもあるかもしれないが、要は職人と同じで、一軒の家を見て、「おー、これはいいうちだな。あの柱を見ろよ。あれは◯◯の山の◯◯という木で、しかも◯年ものだ。それにあの壁土は◯◯の◯だ。しかもあの塗り方は◯◯流だな。これはよほど腕のいい大工の仕事に違いない」とわかる大工の棟梁もいれば、木造が鉄筋かツーバイフォーかもわからない大工もいるのである。

そしてこれは例外なく、大工に限らずいい腕の職人というのは、いい師匠のもとで修業するということもあるが、仮に独自であっても、その仕事における原理や方法論を知っており、そうした原理や方法論に基づく経験をたっぷりと積んできている。

原理や方法論って何だ?ということだが、それは「自然」が存続・発展・進化していく基となるもののことだ。

また脱線しそうだが、ともかく、世の中のほとんどのことは見る人が見ればわかるのであり、それぞれに応じた「見る目」は誰にでも備わっている。

問題は、自分には見る目がないと思い込まされている/思い込んでいることや、ちゃんと見た人が発していることをそれはウソだインチキだと歪める人たちがいることだ。

しかしそれももうすぐ終わるが、というのは簡単な話で、SNS が普及して久しいが、個人も組織も含めてありとあらゆる情報開示がなされてきた結果、これは相当なインチキが行なわれてきたんだなと相当な人たちが気づきはじめているからで、もはやそうそう安易には引っかからないようになってきたからだ。

でも、さらに問題なのは、そうしたこともひっくるめて、さらに巧妙に狡猾に緻密にしぶとく人々を迷走させるべく画策しているものたちがいるということである。

だから、今後は経済システムでも政治システムでもドンガラガッタンが起きてくるだろうが、そうした現実世界に生活している私たちの精神世界のあり方がますます大事になってくるだろう。

なぜなら、ドンガラガッタンの規模がどうであれ、人類の未来とは新たな創造のダイナミズムの中にしかなく、それは私たちの精神世界のあり方と関連している。

そして、これまでの「科学的」な法則はこれも当たり前だが絶対ではなく、そもそも科学的発見はそのときどきの仮説でしかないわけだが、その科学的な仮説と表裏一体となって私たちの精神世界があるとすれば、新たな科学的な法則あるいは原理が発見されれば、また私たちの精神世界も変わらざるをえないわけであり、このあたりのことはもっとも重要なポイントで、それは私たちの「見る目」にかかっていると言っていい。

近ぢか、弊社・五目舎の宣言文も含め新装をほどこす予定であるが、私は個人的にも先の精神世界いわゆるスピリチュアルなことに関して、少しでも「審神者」の役に立てるような活動を行なっていくつもりだ。

また、これまでの経験から、それができると自負するところのものでもある。

てか、今、いきなり思い出したが、キューブリックの遺作の『アイズ・ワイド・シャット』で、アリスことニコール・キッドマンとビルことトム・クルーズの夫婦が口喧嘩をする場面があるが、アリスがビルにこう言う。

I’m just trying to find out where you’re coming from.
私はただ、あなたの考えがどこからくるのか知りたいだけよ。

1999 年には、重要な映画が 3 本公開されたと思うとは前にも書いているが、それは『マトリックス』であり『コンタクト』であり、この『アイズ・ワイド・シャット』だ。

名作というのは映画でも小説でも何でもそうだが、繰り返し繰り返し鑑賞されるもので、もはやそれはテキストみたいなものにもなってくる。

繰り返し鑑賞されるのは、鑑賞するごとに新たな発見があり、そうした作品には作者やスタッフたちの与り知らぬ英知がそっと入り込んでいるからだ。

誰が入れ込んでるんだ?という話はともかく、やはり先の映画にもふんだんに盛り込まれており、さすが『 2001 年宇宙の旅』を作ったキューブリックだけのことはあるが、あの映画を作った意図がどこにあるのか、キューブリックは映画の編集途中で急逝したから今となっては聞けないが、一筋縄ではいかない理由もありそうだ。

ちなみに、先の『2001年』でまた思い出したが、あの映画の最初のほうで細かいやりとりは忘れたが、宇宙船と管制塔室との交信の中で、字幕で「 2013 号 受信」「 1930 号 受信」というのがある。

『 2001 年』は 1968 年に公開された映画だが、この「2013」や「1930」にどういう意味があるかわからないが、キューブリックのことだから何かはあるだろう。マザーコンピュータの名前「 HAL 」が、「 IBM 」の次のアルファベットだったように。

ましてや、半田広宣氏の提唱するヌーソロジーでは、冥王星と関連する知的意識体 OCOT (オコツト)が登場するが、冥王星は 1930 年に発見され、半田氏が著わした最初の本は『 2013 年:人類が神を見る日』だ。

なぜ、2013 年に人類が神を見るのかは書籍を当たっていただければと思う。

キューブリックと OCOT の関連はわからないが、本人が意図はしていなくても、数字というのは何かしらのインスピレーションと特に無縁ではなく、いわば宇宙語のようなものであり、岡本天明に降りた『日月神示』もすべて数字と記号だったのである。

だから、デジタル時計の文字盤や車のプレートナンバーなど、ふと目にする数字に注意深く気をつけていると、自分へのメッセージがわかる人もいる。

しかし、これも関係妄想のような精神疾患とも絡んでくるからやっかいだが、そもそも精神疾患というのも精神世界の話であり、単純に精神病の病気の人なのねとすましていい問題ではなく、ひとつひとつの症状にしてもさまざまな示唆に富んでいるのだ。

ありゃ、また脱線しそうだ。

しかし、数字というのはたしかに重要で、先にあげた映画『コンタクト』でも、ヴェガからやってきた地球外と思われる存在からの通信では、素数を使って信号が知性あるものから放たれていることを知らせていた。

となれば、先日の平成最後のジャンボ宝くじの 1 等 7 億円の当選番号が「 96 組 122234 番」であることも、何かの意味があるのだろう。

「神はサイコロは振らない」と言ったアインシュタインは正しいのである。

そこはかとなく書き綴っていきすぎると、怪しい物狂いになりそうだからこのへんでやめとこう。

溜まっている『宗任問答』のアップ作業にもかからなくては。

 

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