おっと、すぐ時間が経ってしまう。

ここのところ原稿関係の仕事に没入しているわけだが、どうも私はただの酒飲みのクセに原稿というか文章の仕事になると厳密になるきらいがあり、結果的にそう大したことではないとしても、事実関係とかその根拠とか裏取りとかいろいろ確認しなくてはならないハメに陥るというかそれが仕事なのだが、そのために本を引っ張り出して読み返したり、場合によっては新しく本を購入しなければならない。

そうした中、『宗任問答』もまだアップしてないぶんが 2 本あり、昨日また収録し、帰りに宗任さんと立ち飲みで軽くやって、そのまま興に乗って地元でまた同好の士と立ち飲みで軽くやって仕事に戻った。

まだ前の 2 本をアップしてないのに宗任問答の収録をするのもどうかと思ったが、例の新元号の話も聞きたかったので遅くなっても何だから収録したわけだが、やはりというか、宗任さんは令和の漢字よりも先に “音” に反応したらしく、“レイワ” という音の意味のような話になった。

まあ、たしかに今後は「令和元年」とか「令和◯年」と、おそらく何十年も “レイワ” といった “音” をいやおうなしに聞かされたり、心の中でつぶやくことになるわけだから、その “音” の振動の影響がないはずもない。

そんな話も含めて、地元の立ち飲みで同好の士とも駄弁っていたが、もちろん私は立ち飲みで飲んでいるばかりではないどころか最近は仕事で酒量が減ってるくらいだが、外で人に会えば飲みに誘わなければ失礼に当るというごく普通の酒飲みでもあるので、部屋にこもって仕事をしていても打ち合わせはあり、出かければたとえ立ち飲み一杯でも、まあ飲むことになる。

それでも、これまでの長年の編集稼業の実体験としてよい企画は飲み屋で決まるというのは証明済みだから、実際、ここ数日でいくつかの企画が突発的に浮上したし、私というか弊社のマンパワー不足その他、もろもろの窮状を見かねた立ち飲みの同好の士が動画編集を手伝ってくれることにもなったので、久しぶりに『おやすぴ』も再開できるのだからやはり飲み屋は偉大である。

ほっとくと私は酒だとか落語の話になるから気をつけなくてはならないが、ひとつ時事問題でも語らなくてはカッコもつかないけれども、だいたいが私は世の中のニュースもスマホのヤフーで知るくらいで、“米朝会談” っても桂米朝の顔が浮かぶくらいだからどうしようもないが、ここのところ宇宙関連の話題で盛り上がったのはさすがに知っている。ヤフーで。

日本のはやぶさ 2 号が小惑星のリュウグウに着陸したという話も知ってるし、あのときはエジプト神話の太陽神ラーの頭がハヤブサあることを思い出して、ハヤブサが竜宮城にお邪魔したというのが何ともおかしく印象に残ったわけだ。

ちなみに、エジプトのラー神は、あの『ラー文書』の第 6 密度の “社会的記憶複合体” といわれる RA であることは自らもはっきりと認めているが、コーリー・グッドがもたらす一連のブルー・エイビアンズの情報に関しても、デイヴィッド・ウィルコックあたりは RA と関係していると踏んでいるようだが、私にはまだわからない。

ここ最近のグッド情報はよく知らないし、これは Qアノン情報も同じだが、そうした情報が世に出はじめたときというのは、それなりの理由というか “力学” が必ずあるわけで、それが人為的なものなのか、あるいは自然発生かということをまず “見る” 必要がある。

ある程度の仮説を立てることもできるが、その後は世の中との関わり合いで情報がどう発展していくかに着目すると、その情報に対してどういう人物がどういう発言をするかがかなり重要な指標にもなる。

また話が逸れそうだが、ひと口にスピ系とかオカルトとかトンデモ系などといわれるが、そうした情報の取り扱い・やりとりに直接あるいは間接的に触れることで動き出す私たちの心のさざめきには、決して冗談ではすまされない人類の “未来” が内包されていたりもするから、実はかなり慎重さが求められる領域なのだ。

人類の未来などと大仰な言い方をしたが、そもそも時間と空間は同じというか、ひとつの “時空” として扱わなくては理解できない側面があって、実際、未来と過去は同時にあり、同時というのは同じ時間というよりは “等時” ということであり、文学的に表現すれば何度も書いたが、数学者の岡潔が言ったように、時間とは “情緒” のようなものだということにもなる。

空間は目に見えるから、ああ野っぱらが広がっているなとか、目の前に葡萄パンがあるなとわかるが、時間は目に見えないし、情緒も見えない。未来は希望でもあるが不安にもなり、過去には後悔やいい思い出がある。ちなみにビリー・マイヤーは、“永遠” とは時間的な概念ではなく、“荘厳” そのものだと言った。

要するに、私たちは時間は過去から未来へと続く線のようなものとしてとらえるのが当たり前になっていて、目に見える空間のようにしてイメージしてしまうのである。

これはヌーソロジーでも “幅” と “奥行き” という概念を使って重要なイメージトレーニングと言っていいのかどうかわからないが、ともかく意識を変革するフックとして考察されている。

だから、いわゆる “今” の自分の思考というか意識の状態にはそれこそ意識的であるべきで、なぜなら今の意識から過去も未来も創出されるからであり、そうした創造行為を“生きる”と呼ぶのだ。

つまり、妙ちくりんな情報に翻弄されれば、せっかくの過去の思い出も妙ちくりんなものになったり、妙ちくりんな現実を創り出してしまうかもしれないということだ。ましてや感情や意識が外部から操作されれば、またその意識操作の規模が大きければ大きいほど、当たり前だが世界への影響も大きい。

そして、人にネガティブなバイアスをかけるには、ネガティブな情報を流してまず反応させ、その反応具合を見定めながら巧妙にサジ加減をほどこし、最終的にカタスロフィーに導いていくということになるが、もしそんなヤカラがいるとすれば、それも可能だということである。

だから、私たちは自分の意識に意識的であらねばならない。そして意識は自分の想いから発する意志によって方向づけられるから、意識的に生きる場合は、自分がどういう想いを持っているのか、そしてどういうふうに生きていきたいのかを知る必要がある。

もし、自分がどういうふうに生きていきたいのかわからないとすれば、おそらく誰かに教わるか命令されるままに誘導されて生きてきたか、無意識に誰かのマネをしているかのどちらかだろう。

たとえばゼランドなどは、意識的に生きるということはどういうことなのか、その構造やメカニズムを詳細に分析し、いかにして自分の望む現実を創造するかを論じたわけだが、意識的であることを忘れ、ついいつものクセというか習慣に戻れば、調子よく築かれていく現実もおかしくなり、ヘタすれば前よりも厳しいことにもなるわけで、このへんのメカニズムは長くなるから本にあたってほしいが、何というか、ある種の “創造の秘密” のようなものを知った者には責任が生じるということだ。

まあ当たり前だ。自分で現実を創るんだから、自分で創ったものには自分の責任がある。っても大臣の失言という話じゃないから、責任とって辞任しろ辞任しますってことではなく、現実をよりよくしていく責任があるということなのだが、これじゃまるで安倍首相の答弁のようで具合がわるいが、たしかにアレも、というのはもちろん桜田義孝五輪相の辞任の件だが、安倍首相には当然、任命責任があるわけで、マスコミや野党が安倍首相にどう責任をとるんだ!と責めるのも当然だ。

ただ、辞めろ辞めろではそれこそヘイトスピーチになってしまうから気をつけるべきだとも思う。

じゃあ具体的にどう責めればいいんだと言われても、私も無責任なことは言えないから控えるしかないが、というかよく吟味したわけではないが、条件反射のように “アベ辞めろ” では能がないことだけはわかる。

というか、この春って時期もあるからか何だか “桜田門外の変” も思い出してしまうが、マスコミも野党も条件反射的に無内容な発言を繰り返せば、桜田大臣と同じことになってしまわないか?ということだ。

何の話だったか……

また、ニュースで言えば、あれもびっくりしたね、ブラックホールを撮影したってやつ。

私はガキのころ、ブルーバックスシリーズだったか何だったかの新書シリーズでブラックホールの本を見つけて、何だ?ブラックホールって?と非常に興味を持って読んだら驚いた。

白色矮星がどうしたという話も面白かったが、恒星が自らの重みで極限まで潰れてしまって、天体でも何でも近づく物質をすべて引き込んでしまう暗闇となり、そこからは光さえも出てこられないという聞いたこともないシロモノに、ヒエーッ!となったのである。

で、宇宙の闇に黒い天体が浮かんでいるイラストだか写真があったと思うが、その後もブラックホールには関心を持っていたが、てっきり今の今まで発見されていたものと思っていたのである。

大人になって、ブラックホールの絵が想像図だってのはわかっていたが、それは詳しい仕組みを説明するための図解だからだと思ってたし、ブラックホール自体ははっきりとはわからなくても、どこかの研究所か何かで存在がとらえられていたと思っていたのである。

だから今回、世界で初めてその姿が撮影されたってことにまず驚いた。ああ、初めてだったんかいと。

無知ですねえ。

となると、あの写真も余計に神秘的に思えてきて、あのオレンジの光の輪のようなものは何か色を付けたのだろうが、ちょっとグラデーションになっていて、密度というのか周囲のエネルギーの状態に濃度の変移があることがうかがえる。

そして、オレンジの輪の中央部分がブラックホールの中心なのだろうが、あそこには別次元があるということだ。

ブラックホールは中心に向かって渦のように周囲の物質を吸い込んでいるから、渦の端っこに捕らえられてしまえば、たちまち吸い込まれて別世界へと吐き出されてしまう。

それは、プレアデス/プレヤール人のセミヤーゼがビリー・マイヤーにバミューダ・トライアングルの説明をしたこととも重なる。

セミヤーゼによれば、バミューダ・トライアングルあたりには、次元バリアもしくは次元ゲートがあり、次元バリアは宇宙の “消去変換光線” によって引き起こされるとし、その光線は地球とは別次元の銀河系にあるさまざまな巨大太陽から放射されるという。

その光線が集束し、その光線の中に地球があたったとき、別次元の銀河と地球の次元が光線によってつながり、地球の時間を消去するのだという。

だから、バミューダ諸島の三角形の海域では、昔からよく旅客機や戦闘機が行方不明になった。次元バリアは台風のようなスパイラル状の渦になっているから、そばを通りかかったそれらの乗組員たちはスパイラルの渦の中心へと巻き込まれ、別の時間水準、つまり別の世界、未知なる世界に入り込んでしまったというわけだ。

そしてそこから脱出する機器や装置を持っていなければ、永遠に未知の次元から戻ることはできない。てか、持ってないだろそんな機械、そんときの地球人は。

でも、もうバミューダ・トライアングルの次元バリアはなくなったらしいからいいのだが、その構造が台風と同じということであり、ただ規模が違うだけというから、おそらくブラックホールも同じ構造だろうと思ったわけだ。

しかも、今回発見された M87 銀河はいくつものブラックホールが集まって形成されたものだってから巨大も巨大で、相似象とはいいながら、近ごろ流行りのスーパー台風とはレベルが違うのである。

別次元の入り口としても、太陽系をまるごと吸い込んでしまいそうだ。

また、セミヤーゼはそのとき、

 

この場合、地球がデルン宇宙(私たちの宇宙:西塚註)の時空構造のちょうど最終点であり、そこにこの高度に凝縮された光線が衝突して、次元バリアという効果を生み出すのです。

『プレアデス/プレヤール人とのコンタクト記録( 3 )』(水瓶座時代出版)より

 

とも説明するのだが、ちょっと待てよと。

地球も太陽系もある、セミヤーゼがいうところの私たちのデルン宇宙の時空構造のちょうど最終地点に地球があるとは、どういうことだろうか。

つまり、私たちがいるこの時空構造の最終地点、最終ってくらいだからある種の段階なりレベルがあって、その最終のところに地球があるってことだろうが、どこかヌーソロジーとも関連してきそうだし、マクロ宇宙ミクロ宇宙、ガモフの宇宙の裏返しにも通じそうである……

また、今回のブラックホールが M87 銀河ってのもいいよね。『ウルトラマン』じゃないんだからさってかあれは M78 星雲だが、もともとの企画では M87 星雲だったってんだから、ここにきて昔の世界の(日本の?)事象が私たちの知らないところで何周かまわって、あるいははるかな外側を一周まわって戻ってきたような感じすらしませんか?

出口王仁三郎は霊界で起ったことは現世に転写される、つまり映ってくるといった。まさしく現世(うつしよ)だ。

霊界は天人や精霊の住むところであり、私たちの意識や想いや意志は霊界に通じている。想念の世界のことは現実の世界でも起こってくるのである。

私たちが何を想い、何を考えるのか、つまりどう生きていくのかに従って、現実は創造されていく。

世界の事象に接して一喜一憂するのは当たり前だが、自分の意識にはお互いに注意しよう。妙ちくりんな話に出逢ったら、一度立ち止まって考えようではないか。

てか、お前の記事のほうがよっぽど妙ちくりんだわってことかもしれないが、個人的には『ウルトラマン』的な世界もありかと思うけどね。

正義は勝つし♪

 

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