梅雨ですねえ。

何とも梅雨であり、去年と違って季節感があっていいなあと私なんかは思うのだが、それでも子どものころに比べれば、どこか時期がずれてる気もする。

梅雨ってばやはり 6 月だったろうと思うが、さてどうだったか、調べるのも何だが、でもどこか梅雨も遅れてやってきた感じがある。何でも、これから台風がくるとか。

まあ、季節感はあったほうが自然だし、いつかの年みたいにいきなり真夏になったり、秋になったりするのは味気ない。

私は雨だろうが曇りだろうが、それなりにいいなあと思う風流な男だがって自分で言ってりゃ世話ないが、それもたとえば新潟出身の人に言わせれば、東京は何がいいって冬に晴れてるもんねということにもなり、冬に晴れの日が続くと何かもの足りないと思う私は、そう言って怒られたりする。

でも、曇り空なんかもなかなかオツなものだし、だからユーミンの「ベルベット・イースター」みたいな歌もそれなりの情景を思い起こさせるわけだし、だいたい雲がなけりゃ空はつまらない。

かつて『 NTV 紅白歌のベストテン』のオープニングの歌でも、紅組キャプテンが「赤! 真っ赤な太陽にぃ~♪ 」と歌えば、白組キャプテンの堺正章が「白! ぽっかり白い雲ぉ~♪ 」と歌ってたわけだから、やはり松には鶴のように空には “雲” なのである。

そして「ベルベット・イースター」で思い出したが、ボードレールにしたって『パリの憂鬱』の冒頭で、お前は何を愛するのかと悪魔に聞かれて、“雲” と答えるわけだ。

あの流れゆく雲を愛する、なんてことを言う。

私は学生時代、わりとボードレールは好きで、特に「異邦人」は好きだった。

ガキのころから “空” とか “雲” をボーッと見上げてるようなボーッと生きてる男だったし、高校の習字の授業でも好きな短歌を色紙に書きましょう♡と言われて、家持の「うらうらに 照れる春日に雲雀(ひばり)上がり 情(こころ)かなしもひとりし思へば」って書いたくらいだから、今から思えば好きだったんだね、空とか雲が。

あ、あとテレビアニメでもガキのころは『悟空の大冒険』が好きで、あのキント雲にあこがれまくったというか、本気で乗りたいと思ったし、乗れると思ってたね、マジで。

それで、これは前にも同じことを書いた気がするが、あのアニメのエンディングの歌では、悟空がひたすらテクテクと歩いているだけなのだが、アニメーションのコストのかげんか “味” なのかはわからないが、悟空はただその場で足踏みしているようにしか見えず、周りの景色だけがロールプレイングゲームのように通り過ぎていくのである。

これね。YouTube にあった。

 

 

私はガキ心に、これは世界の真実の一端を見せているのかもしれぬと気づき、不思議な気持ちになった。

のちにダグラス・ハーディングを知り、例の「頭のない男」ってな話になるがってこれも前に書いたか。

まあいいや、知らない人がいたら、これを ↓ 見て興味を持てば、探究してみればいい。

 

 

また話が飛んだ。

雲だった。

ボードレールの「異邦人」も雲だったが、『異邦人』ってばやはりカミュだ。あの「今日、ママンが死んだ」ってヤツだが、私は最初、ママンてヤツが死んだと思ったから、母親のことだとわかって、せめて “ママ” と書けって自分の読解力のなさをごまかしたが、以来、実は秘かにカミュにハマったってことがある。

いやな高校生だが、『異邦人』はヴィスコンティが映画に撮っていて、ムルソーはマストロヤンニが演じた。

ハマリ役だと思った。最後のシーンでムルソーは刑務所の窓から空を見上げるのだが、あれは死刑執行前の夜明けの晩の空だ。

連想ゲームじゃないんだからと自分でも思うが、「異邦人」と言うと久保田早紀のヒット曲も思い出す。あれにも “空” や “雲” が出てきた。

“異邦人” と空と雲は仲よしなのだろうか。

ってなアホな疑問はおいといても、“異邦人” なんて言葉は、おそらく今どき使わないだろう。

ボードレールもカミュも原題は「エトランジェ」だが、ものによっては訳も「よそ者」ってことになるが、やはり「異邦人」のほうが “文学的” ではある。

英語ではビリー・ジョエルじゃないが「ストレンジャー」になるだろうし、もともとの意味としては「フォリナー」と「エイリアン」の意味も含む。

でも、日本語の「異邦人」という言葉は、もともとは “異国人” の意味が強く、だいたいが旧約聖書でユダヤ教以外の神を信じる人間を指した “異国人” という言葉を日本では “異邦人” と訳したから、「異邦人」にはどこか宗教めいたというか、ヘンに時代がかったニュアンスがあることもたしかだ。

だから、ボードレールやカミュの「エトランジェ」は、きっと “よそ者” みたいな感じのほうが本来なのだろう。

それでも、ボードレールにも悪魔らしきヤツが出てくるわけだし、カミュでも最後は牧師と神の話になるから、まんざら “異邦人” がおかしいわけでもないが、なぜこういう話になっているのだろうか。

雲だ。

前に “雲消し” の話も書いたが、雲は消えるわけだ。あの雲消すぞってなことで、ピピっとやるとなぜか雲が徐々に消えていく。あの “水の博士” の江本勝氏も書いているが、検索すればやり方も出てくるだろうし、理屈もあるのだろう。

私なんかも、よし見てな、あの雲消すからとか言ってやったら、けっこうでかい雲が消えていって娘がびっくらこいてたもんね、ベルサイユ宮殿に行った帰りに。

実際、飛行機に乗っていても、雲が一定の層をなしているのがわかったりして、何だか人間の想念が浮かび上がって、地球のあっちゃこっちゃを覆っているようにも見える。

『マトリックス』シリーズの最後の作品にもあったね。ネオとトリニティがマシンシティでセンチネルと空中戦をするわけだが、途中、雲の上に突き抜けて逃れると、そこにはしんとした太陽の光しかないわけだ。

下界は黒雲で覆われ、その下では死闘が繰り広げられる。

飛行機にとってもやはり雲はヤバく、『風の谷のナウシカ』じゃないが、うっかり積乱雲の中にでも入ったら大変なことになるわけだ。

どうも雲の中は荒れるらしい。

たしかに雲というか、“もや” のようなものとか、霞とか、煙のようなモクモクしたものには、何か警戒したくなるものがある。

光化学スモッグってのもヤバめだし、“スモッグ” と言えば、高橋信次は憑依霊はスモッグのように見えると言っていた。

肩や足にスモッグのようにまとわりついているものがあって、あなた肩が痛いでしょうとか、子どものころから右足が不便でしたね、なんてことを言って相手が驚くわけだが、そこにスモッグが見えるのである。

どこの誰が憑いているのかを知るには、また別のしかるべき手続きがあるそうだが、そのスモッグのようなものはわりと普通の人にでも見える場合が多い。気がついてないだけだ。

だから、何か物質化する前の段階のようなものなのか状態なのかわからないが、そういうふうに見える段階というか状況があって、わかる人にはわかるということだろう。

『マトリックス・エナジェティクス』のリチャード・バートレットも、想念を物質化する方法を述べているが、そのときもやはり最初に “雲” のようなものを創り出していく。

だいたいが量子力学では電子は “電子雲” として “雲” ととらえているわけだから、物質化の過程に “雲” はつきものだとも言える。

また、“煙(けむ)に巻く” とか “雲隠れ” とか、いいかげんな知識で相手をだましたり、都合がわるくなってどこかに逃げちゃうなんて場合にも “雲” っぽい言葉を使うから、何か “雲” ってのは、よくもあしくもものごとを生み出したり、姿を現わしたり消えたりという、“創造” とか “現実化” に関与していそうである。

そもそも『古事記』で言えば、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)などの造化三神が独り神になり、五神となって、さらに神代に国常立神(くにとこたちのかみ)と豊雲野神(とよくもぬのかみ)となって現われてくるってんだから、世の初めに “雲” があったわけだ。

国常立神は艮の金神(うしとらのこんじん)、豊雲野神は坤(ひつじさる)の金神でそれぞれ「火」と「水」であり、「霊」と「体」だから、豊雲野神はいわば “物質” を表わしており、早い話が “雲” は “物質化” や “現象化” の働きを象徴していると言ってもいいだろう。

だから、いわゆる善悪とは別に、ただただ現象化、創造に関係しているわけであり、先にも言ったように、“雲” がなければこの世はつまらないんじゃないだろうか。

いや、つまるから(こういう言い方ありか?)、やはり “雲” なんていらんと言ったって、そもそも “雲” は物質化のみならず “認識” のスプリングボードのようなものでもあるから、“雲” 自体は否定できないし、言い方を替えれば、否定している間は否定できない。

矛盾するからだ。

でも、矛盾を生きる、ってなことになると話は違う。

“生きる” ってどういうことだ? ということを考えざるを得なくなるからだ。

自分ひとりで考えるのか、人と一緒に考えるのかは、この場合は関係がないのである。

いったん、終わる。

てか、今また思い出したが、ユーミンの最初のアルバムも『ひこうき雲』だった。ホント、しょうもない話で申しわけないが。

 

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