だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

すてきなタイミング♪

おっと、また一週間経ったか。

先週は新規というか、新しい試みの仕事に没頭していたが、何とも頭がクラクラするようなめくるめく世界の存在を知った。

もっと早く知っておけばよかったと思うが、まあそれも時節なのだろう。

って、自分で言って気づくが、“時節” というのは艮の金神の受け売りだ。

艮の金神いわく、時節、つまりタイミングのようなものは、艮の金神でさえ敵わないのである。“時節” とか “時の神” には、この世を創った神でさえも従わなければならない。

早い話が、宇宙には “順序” とか “序列” のようなものがあり、それを守る、従っている限りはみな平等であり、平等とはそういうことを指すのだ。

太陽がいつも照っているから、地球上の生物も命を育むことができるし、地球が健康だから生物の生活も安泰なのである。

一日は日の出ではじまり、日没から夜に入っていく。まあ、緯度にこだわるムキもあるかもしれないが、それでも一年とは地球が太陽を一周したことをいうのだ。

その太陽も太陽系として何かを中心に回っているし、これは原子構造でも同じであり、マクロかミクロかの違いだ。

などと誰もが知ってる当たり前のことをホザいたのは、私たちは何かの術中にハマってしまって、ひとつのところをグルグル回らされていることをつい忘れてしまうことがあると思うからだ。

その忘却を促進させてきたものとしては、授業で習う世界史や日本史や近代科学のほか、マスコミが報じるニュースだったり、意外にも一般に流布する西洋占星術だったりする。

人類の創成なんて大仰なことを言わなくても、昔からの人間の営為の結果として、その地域ごとの現在の経済システムなり一般常識なりがあるわけで、これまでは歴史的に西欧のものが幅を利かせてきたということだが、その大きな流れは一朝一夕には変わらない。

要は、小さな波動の動きが集まって大きな波動を形成していくわけだが、いったん大きな波動の流れができれば、ちょっとした小さな波動ができたとしても、普通は取り込まれてしまう。

それでも、これまでの大きな波動の流れを変えるような小さな波動が連続していけば、大きな波動の流れも変わっていかざるを得ない。

でも、大きな波動で恩恵を受けている連中は、小さな波動ができた瞬間に察知し、消滅させようとする。それは大きな波動の力学に則ってなされるので、小さな波動などはあっという間に蹴散らされてしまうのである。

だから、もし既存の大きな波動が大きく変わるとすれば、既存の大きな波動からは遠い領域で着々と大きくなっていた波動によって取り込まれるか、もしくは波動自体を成り立たせている基盤そのものが大きく揺らいだときである。

規模の大小に関係なく、その法則は変わらない。つまり、世界大戦や世界恐慌のような人類規模の動きから世間の流行やブーム、周囲の人間関係、果ては個人の頭の中までみなそうである。

だからということでもないが、これは前にも書いたと思うが、私は芸能関係のニュースにはわりと敏感であり、それはそうした原稿の仕事もしているからでもあるが、個人的にも重要視している。

なぜなら、日本なら日本の芸能関係のニュースはわりと日本人の頭の中を無防備に反映しており、これから先どこに向っているのか何となくわかるからである。少なくとも今、何が起こっているかはわかる。

たとえば今で言えば、ご承知のように芸人の暴露会見であり、このことはちょっと前にもちょっと書いたが、会見があったことは実は今朝知ったわけで、何が芸能ニュースに敏感だだよと笑われるが、まあいい。

そして会見があったから、私もただ芸人がコソコソしたまま引退しちゃったなあということでは終わらずに、どこぞの政治家や官僚のように、権力を笠に着た成り上がり社長のおそまつなふるまいってな話にもなってくる。

いずれにしろ細かい事実関係はともかく、これはずいぶん前からそうなのだが、起っていることは大手の権力機構が本格的に崩壊しはじめているということだ。

芸能界でいえば、吉本とジャニーズが二大権力であることは、普通にテレビを観ていればわかる。

ジャニーズでは先日、社長の訃報があった。これも私はだいぶ遅れて知ったのだが、だいたいがテレビはあまり観ないし、ニュースもスマホのヤフーしかのぞかないから、仕事などに没頭していると何日も世の中の動きがわからない。

で、ジャニーさんが亡くなったと聞いて思ったのは、これで昭和は終わったなというベタな感想だった。

やはり社長の存在というのは大きくて、ジャニーズにしてもみんなそれぞれは今ふうだとしても、何となく昭和っぽかったでしょ? んなことない?

まあ、少なくとも私は昭和っぽいなと思っていたが、それもやっぱジャニーさんのオーラだと思うわけだ。思いきり昭和の人だし、昭和の男性アイドル像を作ってきた人だ。

だから、おそらくジャニーズもこれからは変わるだろう。所属してるアーティストにしてももっと自由に、たとえば YouTube でチャンネルを持つかもしれないし、発言も人づき合いも本来の “今ふう” にのびのびとしてくるだろう。

吉本にしても、これまでもヤクザが絡む問題は多かったが、昭和の “興行” の世界であり、寅さんの世界だからそういうこともあるだろう。

吉本に限らないが、それでも昔は人気歌手や芸人や役者の興行を仕切っていた事務所が、テレビを通じたお笑いブームによってでかくなり、吉本なども東京に進出しはじめ、テレビ界は何だか芸能プロダクションの縄張り争いみたいなことになってしまったかのようだ。

となると、本人の実力よりはプロダクションの実力がものをいうということにもなり、ということはメディア側の人間の審美眼というか査定力も鈍って、芸人でもいつからかテレビには今までだったら出てこられないようなタイプが目立ってきた。

誰それってことは控えるにしても、ダウンタウン以降そうなったと思う。

でも、基本的には “芸人” ってなくらいで、本人の “芸” つまり実力が大事なわけであり、事務所のマネージメント力も大事だが、事務所は芸人を育成していく立場が本来であり、もっと何というか、人間と人間の話し合いがあってしかるべきなのにあんな顛末になったということは、“人間味” みたいものが試されるような “芸” 能界ですらおかしくなっているわけで、そんなことを続けていれば、そりゃあいずれ崩壊するだろう。

要はどこかで本末転倒的なことが起きており、“崩壊” というとアレだが、言い方を換えれば元に戻るのである。

また、脱線したかもしれないが、要は順序とか序列というものがあり、これは誰も逆らえないというか、逆らうということ自体がおかしく、おそらく根本には、逆らえるものとしてまともな人々に信じ込ませたという流れがありそうだ。

それはたとえば自由・平等・博愛というスローガンのもと、“悪しき” 横並びを喧伝したようなことであり、私たちはまんまとのせられ、小学校の徒競走でさえ一部ではみんな一緒におててつないでゴールするという、何ともやりきれない光景まで現実化させるにいたったのである。

順序とか序列とかいうと古くさいおっさんのようだが、実際そうだが、“あとさき” がなければそもそも時空間すら成り立たないだろう。

そうした絶対的な “法” というか “原理” のようなものへの知識を歪め、別のロクでもないことを崇めるように仕向けてきた流れがあるわけだが、ものごとの順序や序列を根本から無視したような人間の言動はやがては根本から覆るのが道理である。

個人的には、むしろ絶対的な法のようなものを探究することによって、新しく世界を紡いでいくことになる発見や、ちょっと気恥ずかしい言い方ではあるが、生きていく幸せのようなものを見つけることにつながると思うわけである。

艮の金神ではないが、自分たちの世界観だけによって永遠に夢見ていたい流れ、つまり人々に永遠に同じところをグルグル回らせておきたい流れというか連中は、人間の “快楽” についてよく知っている。

それは衣・食・住それぞれに細かく張りめぐらされているし、大もととしては肉体の “快感” に根差しており、簡単に言えば食欲と性欲であり、それを容易に満たしてくれる “金銭欲” である。

だから、それらを操作することによって、たいがいは人を操作できる。

でも、花田秀次郎ではないが、人が大いに意気に感じたり、たとえばだが、もし本当に命を賭けることがあるとするならば、おそらくそうした “欲” とはまったく無関係のことに違いないだろう。そんなことくらいは普通にわかるはずだ。

そうした “欲” は生きていく上ではもちろん必要であり、肉体を使用して何ごとかをなすためにも重要なものだが、何というか、それはなすことをなすための燃料のようなものであり、燃料自体を獲得することのみを目的としたり、獲得した際の “快楽” 自体を賛美することには、どこかしら “人” っぽくないものの影響を感じる。

んなことを言うと、レプタリアンとか邪悪な宇宙人てな話になりそうだが、そうではなく、人を人たらしめているものを損なう力ってくらいでいい。

なぜなら、当たり前だが、そういうマインドでは人は滅びるだろうし、人が滅びていいというものは、人ではないと私は思うからだ。

しかし、この “滅びる” という言い方も問題があるというか、特にありきたりなことをいえば、地球にとっては人類がいちばん不要であり、滅びたほうがいいのだという言い方もあるから、別に滅びるなら滅びたでいいじゃんという考え方もあり得る。

でも、“人類” というふうに大きく括ると抽象度も増す気がするから “人” とするが、この “人” っていったい何?という探究は昔からされており、それはそれで興味深く、ひょっとしたらものすごく重要かもしれず、問題は、そういう探究が私たちの目には簡単には触れられないようにされてきたのかもしれないということだ。

私たちが知らないことや知らされていないことというのは、まだまだあるのである。

“未知” ではない。

未知というと、いろいろ探究されつくされてきた果てに、いまだある探究対象というか未踏の領域といったニュアンスがあるが、そうではなく単純に隠されてきたり、たわいもないこととして歴史の外で始末されてきたもののことであり、先の話でいえば、大きな波動の流れに取り込まれて、なかったことにされきたもののことである。

だから、今となってはなかなか信じられないようなことでも、よくよく吟味していけばよくわかるようなこともあるのだが、それでもこれまでの大きな流れの中で、その人がどういうふうに自分の考えを培ってきたのかについては人によって違うので、みながいっせいにそうした “知識” を得ればいいという単純なことでもない。

そのへんのことは、たとえばプレアデス/プレヤール人のセミヤーゼもビリー・マイヤーにこんなふうに伝えている。

 

もし私たちやあなたが霊の教えを伝授するに際して、関心を寄せる個々人が処理できる範囲以上のものを伝えたとしたら、それは無意味なだけでなく無責任でもあるでしょう。それにまた、伝授された知識の宝庫を前にした者たちが、それに相応の注意を払って必要な理解を見出すためには、多かれ少なかれ時間を置く必要があります。

だから、多くの説明や膨大な知識をむやみに与えて、ただそれらを説明とか知識とか呼ぶのは理不尽なことです。まことに、何かが与えられたら、まず最初に実を付けねばなりません。そうして初めて次の種がもたらされ、種蒔きができるようになるのです。

( 1975 年 11 月 13 日 9 時 36 分第 38 回会見
『プレアデス/プレヤール人とのコンタクト記録(5)』より)

 

ここにある “種” とか “種蒔き” とは、『ラー文書』や半田広宣氏と交信したオコツト情報、また『聖書』でいうところの “収穫” という概念にも関連してくるのだが、それは『盤』レポート 0 号で考察しているのでここでは述べない。

って何だか話が硬くなったな。まずい。

要は、人には誰でもそれぞれの段階ってのがあって、それを無視して自分の思うようにしようとしても無理というか、あまりに強引なことをすると、自分の本来の流れまでもおかしくしてしまうことになるようだということだ。

それは、一杯ひっかけて仕事を一気に片づけようとしたのに、酒に飲まれてぐだぐだになっていくような私みたいなことである。酒はわるくはない。酒を飲む人間の中におそらくよくない “欲” があるわけだ。

その “欲” って何だ?って話もあるが、それはまたそのうち記事でも書くというか、次号以降の『盤』レポートのテーマとしても出てくる。

それはともかく談志のジョークで、肝臓をわるくした患者が医者に、「先生、何がわるかったんでしょかね?」とたずねて、医者が「そりゃ、酒だよ。酒がわるい」というと、患者が「何だ、酒か。オレがわるいんじゃないのか」ってのがあるんだが、私はこの患者よりは謙虚であり、ちゃんと自分がわるいとわかっているからまだマシだろうと思っているのだが、どうにもセコい話ではある。

だから結局は、人はそれぞれがそれぞれに応じてものごとを知っていくことになるが、どうも冬がくれば次に春がくるように、夕方になれば日が沈んで夜になるように、太陽とか太陽系などにもサイクルがあるようなのだ。

そして、河はやがて海に流れ込んで、河の水が海の水になるといったようなことがあり、そこらへんにまつわる話が人類には大昔から伝えられてきており、ほかにもいろいろと面白い話がある中でも、まずは先に知っておいたほうがいいかもしれない話もあるようだということである。

先に芸能界がうんたらと述べたが、大手の権力機構が崩壊していくということであれば、大手流通関係や金融関係の企業が浮かぶが、まずは金融関係だろう。となれば、新札発行予定の 2024 年というのは、ひとつ頭に入れておかなければならない。

でも、権力機構といえばやはり国体・政体関係だが、今回の参院選を見て思うのは、何だかんだいっても個人的にはいいところで落ち着いたと思う。

安倍憎し的な人にとっては何とも歯がゆい結果かもしれないが、日本の外交大丈夫かあ?という人は、まずは自民しかないから自民に投票したり、あまり調子にのらせないようにと野党に投票したりするから、その結果として与党が微妙に議席数を減らし、改憲の 3 分の 2 にはとどかないということで終わったというか、それが今の日本国民の頭の中の公約数だ。

実際、中東や極東がキナ臭いわけだが、やはり北のミサイルは日本海ポチャンはあるかもしれないけれども、それ以上はなく、中国にしても内部は 7 つにブロック化されており、習近平の求心力はすでに落ちているから、対日的にも強気には出られないようだ。

といった、日本のモノホンのインテリジェンスのダイレクトな情報もあるが、私のような政治オンチというと何の自慢にもならずアホ丸出しだが、ともかく出せる範囲の情報をまんま流せばそうなる。

私としては、スピ系の話としてもいいが、いちばん気になるというか関心があるのは、来年の東京オリンピックが本当に開催されるかどうかということと、1989 年のベルリンの壁の崩壊のようなことがいつ起きるのかだ。

ベルリンの壁の崩壊はまさに人類が東西統一へと移行した象徴的なことであり、これはいろいろなスピ系文献からもいえることだが、次は言うまでもなく南北統一であり、これも言うまでもなくその象徴としては朝鮮半島の統一である。

半島の統一をもって地球というか人類はひとまず転換点を迎えるのだろうが、『盤』レポート 0 号にも掲載した、バカみたいに言えば “スピ系” のタイムスケジュールにしても、今後はいろいろと微調整をしながら作成していくが、いずれ “時節” がくればこのサイトでも普通に公表していくことにもなろう。もちろん、そんな大そうなシロモノでもないのだが。

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