あっという間に霜月ももう末である。

いくら仕事が忙しいとはいえ、ちょっと間を空けすぎた。忙しいとは心を亡くすこととはよくいったものだ。あんま関係ないか。

しかし、今朝は妙に生暖かった。まるで夏の日の朝のようだとゴミ出しのときにふと思って空を見上げたわけだが、どうにもしまらない図ではある。

まあ、何とか前線がどうしたとか、私の知らない理由があるのだろう。

それにしても日々、仕事をこなし続けるも個人的な感触としては遅々としており、クライアントへの申し訳なさに忸怩たらざるをえないが、ひたすら鋭意努力し続けるしかない。

もちろん本業の書籍の編集や制作のことをいってるわけだが、アウトソーシングなど気の利いたことができるはずもなく、細腕繁盛記ならまだしも足細零細事務所の綱渡りであり、最近では近所の立ち飲み屋は実は閉店してしまったので、もうひとつ行きつけの昔ながらの中華そばじゃなかった居酒屋で同好の士と飲んで話しているうちに、見てらんなくなったのか何か手伝おうかとまで言われてしまった。

実際、ここらへんに話せば長くもなる涙涙の物語があるのだが、早い話がいわゆる精神世界だスピリチュアルだといった探究にともなうある種のカベのようなものが歴然とあって、まかり間違えばとんでもない方向へと歩かされてしまう陥穽が仕掛けられていることがわかっているので、慎重にならざるをえないぶん手許も不如意になるということだ。

私は人生の後半があるとして、その後半の仕事は前半最初期に決意していた精神世界の探究にあてていたから、ほぼすべてのことに対して特に仕事絡みならなおさらだが、自分の探究者という立場をこれまで以上に意識している。

だからこそ断言できるが、精神世界やスピリチュアルといわれるジャンルに関わって日々のタツキを得ている人々は例外なく、そうしたジャンルとは無関係な人々に比べて頻繁に妙なヤカラの関与を受けている。

そして精神世界の探究とは、そうしたヤカラに対する知識とヤカラに対処していく知恵の探究にほかならないのだ。

毎度のことながら言葉による表現の難しさがあるが、妙なヤカラなどと一応擬人化してはいるものの、妙なエネルギーとか妙な存在といってもいいし、善とか生命とか愛の反対物といってもいいわけだが、もとよりその “妙な” とか “ヤカラ” という表現も含めて、そもそも表現自体が探究に含まれるといった始末だから、なかなか言葉にするのには骨が折れる。

また、ヤカラに対処していくなんていうと、やれ善と悪との対立構図といった話にもなり、二元性云々の議論に発展していくが実際、二元性の話なのである。

善はあるし、悪もある。

悪ってのはこの場合、王仁三郎でいえば “副守護神” とか “悪霊” のことであり、イエスでいえば、荒野で「サタンよ、退け!」といったあのサタンのことだ。

もちろん、すべては一つであり、本来は善も悪もないが、そういっている私たちのこの世には善も悪もあって、つまり二元性で成り立っているのがこの世界であり、この世界の外部に視点を置いてこの世界を語るということはある種のフィクションなのである。

そして悪はこのフィクションを利用する。いや、ワナに使う。

今、思い出したが、森敦がって、あの『月山』を書いた森敦だが、紙に円を描いて、その円の中は内部で外は外部だとすると、円の輪郭つまり円を描いた線だが、その輪郭というか円周は内部と外部のどちらに属するのかってな話をどこかで書いていた。

そして言下に、外部に属するというわけだ。

これも当たり前のことで、私たちは世界の内部というか世界そのものにいるのであり、その “外部” というものは観念的なフィクションである。

塀かなんかに囲まれた世界に私たちが住んでいて、塀の外には巨人だか巨神兵がうろついているっても、当たり前だが巨人も巨神兵も私たちと一緒に内部にいるわけで、どんなに塀が高かろうとそうである。

だから、“二元性” というのは、私たちの思考というか思念というか、マインドにただ “分裂” という概念が入り込んでいるだけであって、もっとちゃんとした言い方でいえば、分裂した極性が在るのではなく、“一” と “多” が在るのであり、“多” は分裂ではなく “一” の “顕われ” であるということだ。

天に昇ることは “一” となることの象徴であり、地に降ることは “多” と現われることの象徴だ。

ちなみに『ラー文書』のラーによれば、私たちはことごとく “一なるもの” へと帰還する存在ということになる。

そのへんの天地の行ったり来たりを聖書では “ヤコブの梯子” として表現しており、やはり聖書とは感謝感激の行ったり来たりなのである。

あんまふざけたことをいうとまた叱られそうだが、この世の善だ悪だをしっかりと理解してからすべては一つとか本来は◯◯だといったところへ行かないと、簡単に甘美な悪のフィクションにつかまって鏡の中のマリオネットとなり、地獄の無限円環劇場のお笑い芸人として日々のタツキを得ることになる。

むろん支配人は悪魔だ。

観客は……?

ヴァジム・ゼランドが教えてくれるだろう。

話を戻せば、精神世界とかスピリチュアルって何度も書くのもめんどくさいが、要するにスピリチュアリティとは “霊性” のことであり、精神世界も “霊的世界” でいいのだが、そういうことに関連しているもろもろのことを指す言葉、つまりエンターテインメントやビジネスの世界からそれなりに深刻な疾患や環境のことなどをひっくるめて総称する言葉がないので、「精神世界のこと」とか「スピ系」としているだけで、実際それ以上に今の世の中の人々にそうしたことをうまく伝える言葉が私にはない。

でも、私が調べる限り、私が “まとも” だと思うスピ系文献が共通してこれまで延々と伝えてきていることは、早い話が「物質的世界と霊的世界があるでよ」ということである。

竹村健一ではないが、本当にこれだけなのだ。

だから、本当はどうでもいいとまではいわないが、本人もよくわかっていないことをわかりにくく説明するようなセミナーとか勉強会などに行く必要はないし、ましてやお金を払うことはない。いや、富裕なディレッタントであれば別にいいのかもしれないが。

いや、それもよくないか。お金がありあまっているのであれば、ほかにもっと使い道はあるだろう。よーく考えよう。

そろそろ仕事に戻らなければならないので、結論めいたことをいっておけば、霊性に関する探究者たちがいちばん気をつけなければならないことは、優越感とお金である。

あえて大雑把な言い方をしたが、どんなに小さなグループであっても、“スピ系” のリーダーやその取り巻きたちがおかしくなっていくのは、そのふたつのことからだ。

あ、高圧的なもの言いとか、恐怖や規則で縛るなんてのはハナから論外だからね。

 

2 thoughts on “天国への階段”

  1.  西塚裕一様

     今回の記事の印象をまとめますと、「天国への階段」というプロセスを旅する旅人たちに、味わいのある「旅情」をプレゼントしてくださる記事のように感じました。もちろん重い課題も残されていますが、記事の全体を貫く著者の意志が(シンボリックな意味で)「いい日旅立ち」と響き合っている、そのような「旅情」を楽しませていただきました。

    「妙なヤカラなどと一応擬人化してはいるものの」と述べておられる文章について。最初に思ったのは、多層宇宙全体を貫く『思い通りになる法則』と「意志エネルギーとしてのベクトル」でした。
     まず私自身、「妙なヤカラ」と響き合うこともあり、それは「思い」を通してなので、『思い通りになる法則』が、私にも「妙なヤカラ」にも作用している以上、そこには共通項があって、それを、ひとまとめにして表現すれば、「意志エネルギーとしてのベクトル」になります。
     なので、「妙なヤカラ」を擬人化しておられるのは、そのものズバリの表現だと思いました。

     今、西塚さんが、「そうしたヤカラに対する知識とヤカラに対処していく知恵の探究」に対し、「自分の探究者という立場をこれまで以上に意識している」ご姿勢を興味深く思います。

    「善と悪との対立構図」を超越した一元論のビジョンは、その対立構図の、紆余曲折を旅している私にとっては、すべて「仮説」になります。
     私にとって一元論という仮説には、二種類あります。
     ひとつは、自分の探究を踏まえてそれを検証し、この仮説は、真理に違いないと信じ、自分の人生を賭けて実証していきたいと感じる仮説です。
     端的に言えば『未完成だった般若心経』と『自分の発見』です。
     もうひとつの仮説は、私が選び取ったビジョンと何らかの共通点を持つ仮説で、こちらには人生を賭ける余裕はありませんが、私のビジョンとの関連性において少しずつ学んでいきたいと感じる仮説です。

     ポアンカレ予想では、三次元レベルの証明よりも、より高次元のレベルでの証明が先に為されたように(「善と悪との対立構図」の根にあるものを、こんがらがっているもの(「苦」の根源)、という意味で「結び目」と呼びますと)三次元で解けない結び目も、座標軸が多い高次元では解けるという視点を一元論に向けて、一元論を別の表現に置き換えれば、「無限元論」になります。
     要するに、座標軸を次元に置き換えて、解けない、あらゆる結び目を解く次元数が無限に存在するのが一元論だと思います。
     学びたいと深く感じるビジョンが綴られた本を、その一元論を体現しておられる方の著書、と仮定して、そのビジョンに私の人生を賭けているのが『未完成だった般若心経』と『自分の発見』です。

     でも、たとえば岩根先生のセミナーの懇親会の席上で、セミナーに参加された読者の方から「『未完成だった般若心経』のビジョンは、真理ですか?」と尋ねられたら、私は、何のためらいもなく「仮説だと思います」と答えます。ただし、「私の人生を賭けて、初歩的なレベルにおいてですが、それが真理であると信じて実践し、実証中の仮説です」と追加します。

    (このコメント全体も、好本流の仮説です。)

    「観音様とは、どのような存在なのか?」という問いについて。般若心経の文脈で答えれば、次のようになります。「真理の体現に向けた、私の(文字通り)未熟な実践を御指導くださる、(その探究においては)必要不可欠の守護の神霊です」。

     一元論は、「ひとつ」で、それをシンプルに表現し直せば「全ては神の愛の導き」になりますが、それは、無限の次元が、「神の愛の導き」によって「ひとつ」に統一されたビジョンだと思います。
    「ひとつ」に統一された元になっているのは、ひと言でいえば、「意志エネルギーとしてのベクトル」ですが、意識とは(=宇宙とは)多層構造ですから、一元論とは、無数の波動域に位置する多様な「意志エネルギーとしてのベクトル」たちを「ひとつ」に統一する法力を持つビジョンだと思います。

     そして、一元論を生きる、とは、自分の心の中の「統一されていないベクトルたち」を内観を通して統一していただくプロセスを生きる、ということになります。
     観音様とは、一元論を体現しておられる方だと思います。
     一元論を体現するプロセスは、無数に用意されていて、どのプロセスを探究するにも探求者の「思い」が、どこまで一元論を体現した守護の神霊の御指導を求めているのかということが(私個人にとっては)最重要ポイントです。

     しかし、その「求める心」には、自覚のない結び目ができていて、それが「求める心」を邪魔しますので、それを、解きほぐす内観が必要不可欠です。

     意識とは、本質においても、多層的全体においても、「空」そのものでしかありえないのに、結び目という負の側面が、本来の自分のありように背を向けさせて、しかも背を向けた自分を胸張って自己正当化しています。もちろん私自身のことです。

     要するに「善と悪との対立構図」とは、ベクトル・レベルで、外にもあれば、私自身の心の中にもあり、私は自分の課題に向き合う旅を通して、皆様にエールを送らせていただいています。
     そこにおいては、どれほど真剣に守護の神霊を求めても、自分を省みて言えることですが、その心に存在する、自覚のない結び目を直視しない限り、せっかくの真剣さは的外れなものになります。
     その結び目を解きほぐしていくことに、(どのような結び目をも解くことができる次元から)もっとも深く関わってくださるお方が守護の神霊です。

     一番手強い潜在意識の奥の奥にある結び目を直視するには、顕在意識の心眼を自力で可能な限り研ぎ澄ませた上で、その眼差しに守護の神霊の統一ベクトルを注いでいただいて初めて直視するプロセスが開かれると思います。
    (一元論を探究する内観においては「善と悪の二極対立価値観」を超越する方向で行い、その成果は、現実を生きるために必要な「善か、悪かの判断」に応用し、そのつど「善と悪の二極対立価値観」を踏まえた上で、それをシフトさせていく必要があると思います。)

     もちろん、守護の神霊は、観音様だけではなく、複数おられます。
     自分個人にとっての唯一無二の導き手を他に押し売りせず、ほかのベクトル・プロセスを歩む探求者に対しては、その方にとっての唯一無二の導き手が存在することを(検証を踏まえて)積極的に評価する姿勢が、般若心経では「不欠不満」と説かれていて、この「不欠不満」が、これまでも、そして今現在においても、あまりにもなおざりにされてきたのが人類の「善と悪との対立構図」の原因だと思います。
     それを正すために、般若心経は、『未完成だった般若心経』として蘇ったと考えています。
     長くなりましたので、上記のコメント全体を、ひと言で要約します。

    (自分から「優越感」を切り離し、多様な個性を、積極的に評価することを志向して)普遍性を回復する。

    (「お金」について。岩根先生は、守護の神霊に導かれた修行を通して覚醒を体験された後、宗教組織は作らずに、IT系のベンチャー企業(株)岩根研究所を立ち上げられて、現在までに多くの特許を取得されて、今、「クラウドの上に、もう一つの地球を創る」というプラットフォーム・ビジネスを東京からスタートしようとしておられます。)

     私は、「普遍性を回復する」心の姿勢を、西塚さんがプレゼントしてくださった、「いい日旅立ち」へと向かう「旅情」の中で再確認させていただきました。
     ありがとうございます。

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