昨日は端午(たんご)の節句、菖蒲(しょうぶ)の節句だった。

まあ、3 月 3 日は桃の節句だし、7 月 7 日は七夕で、9 月 9 日は菊の節句と日本には節句がある。

それぞれの節句に意味づけがされるが、その日付だけではなく、3 月 3 日なら 3 月 3 日、5 月 5 日なら 5 月 5 日の “言葉” の意味、“言霊” (ことだま)的なこと、言霊学(げんれいがく)的なことも加味して解釈されることもあり、たとえば大本系では、3 は女に関係があって、女は “瑞” (みず)つまり水で、3 は “三つ” だから、3 月 3 日は女の節句であり、男は “厳” (いづ)で火とされ、5 は “いつつ” だから、5 月 5 日は男の節句といわれたりする。

また、5 は “音” (おん)でいえば “出” (いづ=いつ)にも通じるから、5 月 5 日は “出月出日=いつつきいつか” ともなり、いわゆる神の教示が明らかになるとか、神徳が出現することを祝う日ということにもなるわけだ。

さらにカタカムナの世界になると、その人の「今」の世界を創るのはその人の「過去」から来る「想い」であり、カタカムナの言霊でいうと言霊は振動なので、同じ響きを持つ言葉はすべて源を同じにし、「想い」=「重い」だから、つまりこの世界は「重力」の影響によって創られることになり、もともと “稲” のことを指す「禾偏(のぎへん)がつく「重い」は “種” (たね)ということだが、「禾偏」は “時間をかける” という意味だから、つまることろ時間をかけた “想い” が “種” となって世界を創ることになり、「重力」=「重いの力」の「力」(ちから=カタカナでいえば “カ” ともなる)は、カタカムナの思念番号でいうと「 25 」で、25 = 5 × 5 だから、ある意味で創造の「種子」を持っている男の子の日として、5 月 5 日が祝われることになったということにもなるのである。

非常にまどろっこしい言い方になったが、要するにこの世の事象にはことごとく “いろいろな” 意味づけをすることができるのだなあ、ということを言いたかったのである。

で、その意味づけの根拠としては、それこそ各宗教の教義やさまざまな哲学者の思想、諸説ある科学的な学説、各人の浅かったり深かったりする個人的な経験による “思い込み” 等々、いろいろあり得るわけだ。

数字の “語呂合わせ” のようなことはよくあることで、ちょっと前にも取り上げたが、今回のコロナ騒動にしてもコロナを「 567 」と読み替えて、567 円の定食メニューを考案するとか、前回の 1964 年の東京オリンピックのときには、ヒット商品(大衆自家用車)としてトヨタの「新型コロナ」が流行ったとか、それを受けて私の地元の同好の士などは、「これからコロナマークⅡが来るんじゃね?」的なことを言ったりするとか、何とも言葉の持つ “型” としてのパワーのようなものを感じてしまうわけだ。

また、今回の「 3 密」にしても、小池百合子東京都知事がゲームのキャラ化し、「密です! 密です!」と指さして歩き回る動画が拡散され、コロナ騒動の中でそれはそれで私たちもなごんだわけだが、その「 3 密」にしても本来は密教の言葉であり、要は「身・口・意」(しん・く・い)を指し、簡単にいえば「行ない・言葉・思い」の重要性やその影響力について説いたものであり、国常立尊(くにとこたちのみこと)の啓示で散々いわれている「口・心・行」(く・しん・ぎょう)と語句の順番は違うがまったく同じことなのである。

だから私なんかは、世間でこれだけ「 3 密」が叫ばれているとついつい、

 

大変 起こるそれまでに 『あやま知』捨つるミチのれよ。
大変 起きしその後は 『マコト』貫くミチのれよ。
ふたミチ貫く大切は 『口・心・行』とぞ知れぞかし。
三真釣り(みまつり)合わぬミチのりは、
神も仏も無きものと思う世界へ向かうなり。
三真釣り合わせしミチのりは、
意乗り(祈り)神来るミロク世へ 生くる唯一のミチなるぞ。
汝等(なんじら)これまで言うてる事、心に思うている事、
行うてる事 皆ばらばらでありたであろうが。
そは『あやま知』の世に合わせ生くるためでありたと申すも、
最早(もはや)ならぬぞ。
生きて地獄、死にて地獄。益々(ますます)その身さいなむだけぞ。
後いくばくも無き年月、ちいとはご苦労して見なされよ。
今この時一つのご苦労 百の安らぎぞ。

 

などという『火水伝文』の言葉を思い出し、ああ、これは国常立尊からの言葉なのだなあと思ってみたりする。

上記の「あやま知」とか「三真釣り」といった言葉にも、それはそれは見事な意味が宿っており、一般の “陰謀論” がふっ飛ぶような「仕組み」の上に明かされている概念なのだが、それはまた別の機会で述べるかもしれない。

いや、今回のコロナ騒動に関しては、ウイルスの発生源はどこだとか、新型っても人工的なんじゃないかとか、感染率や死亡者人数の推移などの数字も改ざんがあるんじゃないかとか、いろいろなことがいわれているようなのだが、いわゆるスピ系や精神世界の領域では、あまり “ガチ” では語られていないような気がするわけだ。私の気のせいなのか。

そもそもウイルスとは…とか、今回の人類が遭遇しているこの災難の意味は…とか、ここぞとばかり怪しいスピ系情報が飛び交ってしかるべきのような気もするが、そうでもないところを見るとある意味、社会は健全ということなのかしら。それとも、やはり私が知らないだけで、どこかでガンガン論議されているのだろうか……。

先の陰謀論的な未確認情報以外で私に漏れ伝わってくるのは、「 3 密」を無視してバーベキューパーティーをしたり、飲食店がこっそり営業していたり、PCR 検査で陽性反応が出た人が歩き回ったりしたとかいうことに対して、“良心的国民” を自負している方々が SNS を通じて “違反者” に罵詈雑言を浴びせたり、直接しかるべきところにカチコミを入れたといった、いつの時代のことかしらと思うような報道ばかりである。

人間というものは私も含め、どういういきさつがあったにせよ、時代がキナ臭い方向に傾いていくようなときは、国家総動員法や大政翼賛会のようなものへ通じるモンスター的マインドを生じさせるものなのだろうか。

それでも一定数は、私も含め、“非国民!” と罵倒される側もちゃんと存在するのだろうか。ウーム……

 

 

一応、ここでスピ系っぽく『ラー文書』からいくつか抜粋しておこう。

『ラー文書』は今さら紹介することもないというとアレだが、ざっと確認しておけば、ドン・エルキンズ博士を中心としたアメリカの研究グループ 3 人が 1981 年 1 月 15 日から 106 回にわたり、金星を出自とする「第 6 密度の社会的記憶複合体」( a sixth‐density social memory complex )と称する「ラー」( RA )と、チャネラーを通じて交信を行なった記録である。

ちなみにラーによれば、私たち地球人は「第 3 密度」の人間ということであり、地球自体は当時、「第 4 次元波動」のさなかだということだった。そして、今書いている「ジョン・ウィック」シリーズのバワリー・キングではないが、約 30 年後には地球は第 4 次元に “アセンション” するというのである。

当時からの約 30 年後は 2011~2012 年あたりのことになるが、果たして地球はすでに第 4 次元の惑星となっているのだろうか?

……まあ、それはともかく、ラーは「病気」について、こんなことを言っていた。以下、抜粋する。「質問者」は、ドン・エルキンズ博士である。

 

質問者
私は実は病気が媒介される仕組みというよりも、もっと基本的な病気の原因について伺ったつもりでした。病気になる可能性を生んだ思考の根っこの部分にさかのぼってみたかったのです。

地上での長期にわたる「一なるものの法則」的思考の全体的減退が、私たちの言う病気が発生しうる状況を生み出したと考えるのが正しいのかどうか、簡単にお答えいただけませんでしょうか。私の推測は正しいのでしょうか。

ラー
私はラー。あなたの推測は正しいばかりではなく、洞察力において秀でています。質問者としてのあなたは、今や外面的な教えを見破りはじめています。

この特定の社会における病気の根底的な原因は、さほど好戦的な行為にあるわけではありませんでした。いわゆる好戦的風潮は存在することはしていましたが、それよりむしろ、貨幣制度が成立し、交易が非常に精力的に行われたことによって、富や権力に対する欲望に向かう傾向が発達したこと。そしてそれゆえに、人が人の奴隷になったり個人のなかに「創造者」についての誤解が生まれたりしたことが原因となったのです。

1981 年 2 月 11 日、セッション 23 より

 

「一なるものの法則」( THE LAW OF ONE )とは、それこそ『ラー文書』の核心となる概念だが、今はそれについて述べることはできない。単純に物理的な時間の問題だが。

つまり博士がラーに聞いていることは、「病気」とは、私たち人間の思考が「一なるものの法則」からはずれてくると起きるものなのか?ということだ。

するとラーはその通りだと言い、しかもなんと、人間の社会に「貨幣制度」ができたことにより、人間の「富や権力に対する欲望」が強くなったこと、そして「人が人の奴隷になったり」すること、さらに自分の中の「創造者」に対する誤解、それらが病気になる原因だと言うのである。

別のセッションでは、ラーは「伝染病」に関しても言及している。

 

質問者
私たちが接触伝染病と呼ぶものは、顕在化していない自己に関するこのプロセスでなんらかの役割を果たしますか?

ラー
私はラー。いわゆる接触伝染病は第二密度の存在で、このタイプの触媒のために機会を提供します。もしこの触媒の必要がなければ、こうした第二密度の、あなたがたのいう生物が影響を及ぼすことはありません。

1981 年 3 月 4 日、セッション 34 より

 

これもちょっとわかりにくい用語、「顕在化していない自己」、「第二密度」、「触媒」といった表現が出てくるが、要はウイルスとは第 2 密度の生物、つまり人間のいる第 3 密度の一つ下の密度、植物や動物、鉱物のいる密度におり、人間が本来「顕在化」させなくてはならない「自己」が顕在化しているなら、ウイルスによる伝染病は起こらないと言っている。

言い換えれば、人間が顕在化させなければならない「自己」をいまだ顕在化させていないとき、ウイルスはそれらの自己を否応なしに顕在化させるために「触媒」として働くということである。

さらに、ラーは「ガン」についても伝えているので紹介しておく。

 

質問者
光子(フォトン)の振動周波数は、現在すでに増加しているのでしょうか?

ラー
私はラー。増加しています。そしてその影響で思考の物質化が起きはじめています。たとえば怒りの思考が物質的身体の複合体の制御不能な細胞に転じ、あなたがたがガンと呼ぶものになるのもその例です。

(中略)

質問者
いまや怒りの思考がガンを起こしているとおっしゃいました。それが触媒あるいはその完全な目的として作用するとして、そのメカニズムを説明していただけますでしょうか?

ラー
私はラー。第四密度は、情報が明らかになる密度の一つであるため、そこでは自己が、自己や他の自己から隠されるようなことはありません。それゆえ有害なアンバランスやゆがみがより明白で理解しやすい方法で表面化しますから、心/身体/霊複合体の乗りものは、自己を明らかにするための教えをもたらす情報資源としての役割を果たします。

ガンのような病気は、ひとたび個人が有害な影響のメカニズムを理解すれば、それに応じるかたちで自己治癒がたいへん起こりやすいものであるといえます。

質問者
それでは、ガンは思考によってきわめて容易に癒すことができ、教育面でもよいツールになる。なぜかというと、思考で簡単に治せるし、存在者が腹を立てている他の自己を赦(ゆる)せば、すぐに消えてしまうからであるという見方は正しいでしょうか。

ラー 
私はラー。正しい部分もあります。さらに、治癒には自分自身を赦すことや、自分自身をもっともっと尊重してあげることが関わる部分があります。手近なところでは、食事に気を配ることもそうした姿勢のあらわれですが、じつはこれが治癒や赦しのプロセスの一部をなすことがかなりひんぱんに起きてくるのです。あなたの基本的な前提は正しいです。

1981 年 3 月 18 日、セッション 40 より

 

ここでも「光子(フォトン)の振動周波数」とか、「心/身体/霊複合体」という耳慣れない言葉があるが、「光子の振動周波数」は単純に「光の周波数」、「心/身体/霊複合体」は普通に「人間」のことと考えればいい。

ここでラーが伝えていることを簡単にいえば、今、周波数が高くなっているので人間の思考が「物質化」(=現実化)しやすくなっており、たとえば「怒り」といった思考がガンとして実際に体に現実化したりする。

地球が向かっている第 4 密度は、情報が明らかになる密度であるため、自己に対する思考や感情の影響はすぐに体に現われてくる。逆にいえば、そのメカニズムを知ることができれば、病気などの不具合も自分で治すことができる、ということである。

そして、ラーは同じセッション内で以下のようなことも言っている。「病気」とは関係のないことだが、かなり重要なことなのであげておく。

 

質問者
今おっしゃったことですが、それではこの緑色光線の振動のせいで極度の精神的困難に直面するのは、振動的序列にしたがって現在転生している、自己への奉仕の道にある人たちでしょうか?

ラー
私はラー。そうではありません。影響を受ける可能性があるのは、むしろ現実から目をそらし、移行に備えていないにもかかわらず、その移行がもたらしうる影響にどこか敏感な人たちです。

 

ここでもまた、「緑色光線」や「振動的序列」、「自己への奉仕」といったなじみのない概念が出てくるが、安易に単純化して説明することは避ける。

ここでラーが言っている要点だけをあえてわかりやすくいえば、今、世界で起きていることの本質をなんとなく感じているけれども、これまでの習慣や常識を手放したくないがために、既存の概念に逃げ込んでいる人たちは、地球の次元移行にともなう激しい精神的困難に直面することを避けることができないだろうということだ。

ラーによれば、これからは “無知” のままでいることは、かなり厳しいことになるようなのである。

そして驚くべきことは、このことはラーに限らずイエスも含め、国常立尊やプレアデス/プレヤール人、その他いくつかの存在たちの言っていることとまったく同じであるということなのだ。

冒頭で菖蒲の節句とか菊の節句と言ったが、「六日の菖蒲」、「十日の菊」という言葉がある。

つまり、菖蒲の節句の 5 月 5 日が過ぎた菖蒲は、5 月 5 日の菖蒲としては役に立たない。9 月 10 日の菊にしても、9 月 9 日の節句の菊としては遅いわな。

つまり、12 月 26 日過ぎのクリスマスケーキのようなもので、役に立たないというか、遅いだろ!ってなときに使う言い回しだが、高次元なり、第◯密度なり、◯◯の神からでもいいのだが、もし何かしら私たちにとって大事な伝言があったとするならば、私たちは “間に合う” うちにことの真意を受け取っておきたいものである。

 

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