何事もなく穏やかに2012年の三が日が過ぎようとしている。明日は、玉蔵さんパスヘブジョイント嬉し嬉しコンサートのリハーサルがあるから、朝から会社行ったりデジカメ用意したりで忙しくなりそうだ。が、私はあくまで裏方というか冷やかしというか野次馬なので、皆の邪魔にならないように端っこで酒でも飲んでいようと思うのだが、顰蹙かうかなやっぱり。
のどの調子もだいぶよくなった。こんなに風邪?が長引いたのもかつてない。夜の咳が治まっただけでもよかった。カミさんからは、タバコのせいよ、といわれたのだが、たしかに最近タバコを吸い始めた。もう 10 年以上も吸っていなかった。前はだいたい 2 日に 3 箱くらいマルボロライトを吸っていた。ヘビーというほどでもないが、少なくもない。あるとき風邪をひいて、朝タバコを吸ったらすごくまずかった。うわっまず!と思ってそのまま吸うのをやめた。まあ、15 歳からずっと吸ってたんだからもういいかっていう気持ちもあった。それで 10 年以上も吸わなかったのだが、禁煙していたわけじゃない。ただ吸う気にならなかっただけだ。それがバカボン山田さんと会って、山田さんが吸ってるタバコがすごくうまそうだったので 1 本もらって吸ってみたらこれがうまかった。久しぶりに吸ったからうまかったのか、そのタバコがうまいタバコだったのかはわからないが、私とは相性がいい気がした。どんなタバコだろうと調べたら、無農薬無添加の葉を使ったナチュラルなものだということがわかった。
吸うといっても、今のところ酒を飲んでるときに3~5本吸うくらいだ。タバコを吸うようになって気がついたが、値段が高い。400 円以上は当たり前。私が吸ってたときは 280 円だったように思う。あと喫煙場所が極端に少ない。店内全面禁煙の店もたくさんある。そういえば 2 年くらい前、上野の焼き鳥屋のカウンターで同僚と酒飲んでて、同僚がタバコに火をつけたら隣のオヤジが、ちょっとやめてもらえます!と睨みやがった。私はそのときまだタバコを吸い始めてなかったが、私自身、人が吸うことにはなんの抵抗もない。同僚は、すみません、とぼそっといってタバコを引っ込めたが、おかしいだろと。禁煙の店でもなく、カウンターの上には灰皿がいくつも用意されていて、やめてもらえますだあ? お前が酒飲むのやめろ。禁煙の店行くか、お前自信がタバコを吸わないヤツの隣に行けと。だいたい上野の焼き鳥屋で酒飲んでてタバコがどうのとほざいてんじゃねえ。お前は酒飲みの風上にもおけないオカマ野郎だ。表へ出ろ! といおうとしたら、なじみのマスターが察知して、ごめんね、この人タバコ吸わないから、こっち来て飲まない? 悪いね、というからなんとか収まった。すみません、人間未熟で。
でも、世の中の禁煙、嫌煙はちょっと行き過ぎだ。まるで喫煙者は犯罪者のようだ。前になにかの陰謀論で、それはフィリップモリス系の利益団体とロックフェラー、ロスチャイルド系の金融、エネルギー関係の利益団体との縄張り争いだ的な話を聞いたことがあるが、実際はわからない。それとは別に、タバコはスピリチュアル的にも欠かせないアイテムだという話もあって、タバコ、大麻、線香のような煙が出るものの鎮静作用その他、煙そのものの効用などについてはまだ一般的に知られていない真実がこれからどんどん出てくるかもしれない。隠されていただけかもしれない。
煙が宙を漂っているところはどこか神秘的だ。タバコをくゆらして大きく吐き出すと、煙それ自体の重みなのか、空間にあるなにかエネルギー的な圧の分布によるものなのか、煙が独特の動きを見せて流れていく。映画なんかでもタバコの煙の印象的なシーンがある。ルキノ・ヴィスコンティの『家族の肖像』で、ヘルムート・バーガーたちが裸で抱き合うシーンもそうだ。例のイヴァ・ザニッキの『心遥かに』が流れる場面ね。シーン冒頭で画面の暗闇にタバコ(たぶんマリファナだ)の煙がふわぁと流れてくる。ザニッキの挿入歌ともあいまってなんとも抒情的なシーンだった。タバコではないが、スタンリー・キューブリックの遺作『アイズ・ワイズ・シャット』でも、フリーメーソンの儀式を暴露したといわれているシーンで、トム・クルーズが館に潜入すると、円陣を組んだ裸の女性の前を司祭がゆっくりと練り歩いている。司祭は鎖のついた香炉を振り子のように回転させている。香炉からは煙がくゆっていて回転するたびにあたり一面に煙を漂わせていく。ホールではラテン語だかアラム語だかなにか呪文のようなお経のような声明が流れていて、いやがうえにも陶酔を誘う。見ているこちら側にまで香炉の煙が匂いとともに漂ってくるようだった。
『アイズ・ワイド・シャット』はキューブリックが編集段階で急死したせいもあり、いろいろな憶測を呼んだ。フリーメーソンの儀式を暴露しようとして暗殺されたともいわれた。たしかにキューブリックは徹底して秘密裏に撮影をおこなったようだし、だいたい例のアポロ 11 号の月面着陸の映像もキューブリックの特殊撮影だといわれてるくらいだから、憶測のネタとしてはキューブリックにはいくらでも材料がありそうだ。アポロといえば副島隆彦氏の『人類の月面着陸は無かったろう論』は一読に値する。これを読んでなお月面着陸が本当にあったと主張できる人はあまりいないのではないか。副島氏の主張によれば、人類はまだ宇宙に行けるほどの技術を持っていないということだ。宇宙飛行士がしょっちゅう宇宙に行ってるじゃんといっても、国際宇宙ステーションは地上 400 km くらいのところだ。月までは 38 万 km だからなあ。そこまで人類が行って戻ってくる。うーむ。でも、副島氏のいうように、世界中が釘づけになったあの月面着陸の映像はおかしい、という主張もその根拠もよくわかるが、だからといって人類が月に行ってないということにはならないんじゃないかと思う。別の解釈というか情報によれば、月に行ったはいいが、やはり UFO に遭遇しちゃったので、あわてて NASA は前もって準備しておいたあのキューブリック(といわれている)の映像に急きょ切り替えたということだ。たしかにアポロ計画はその後尻つぼみになり、結局アメリカは宇宙開発をあきらめたかのような感じになる。これは、やはり人類には無理だからなのか、軍事的に知られたくない事実を隠しておくためなのかはわからない。ネットや書籍でも両方の見方がある。
話が飛んだが、キューブリックが最高傑作と自画自賛したという『アイズ・ワイド・シャット』は、そのタイトルからして意味深だ。目を、大きく、閉じよ、とは形容矛盾だ。これもいろいろ解釈があるようで、手で顔を被って見ないようにするのだが、指の隙間からちゃんと見る、という意味から、真実を目でちゃんと見たあと、やはりそれを忘れるために目を閉じる、人には知らなくてもいいことがある、といったような解釈まで、さまざまだ。それでも、キューブリックはなにかしらの真実というか事実を公開したかったのではないか。編集途中で急死したので公開された映像が本当にキューブリックが望んだものだったかどうかはわからない。噂によれば、映画では公開されていない儀式のシーンもあるということらしいが、まあ、この手の話になるといろいろ面白おかしく取りざたされるのが常だから、そのへんは個人的にもエンターテインメントにとどめておきます。あまりマジで突っ込むとドツボにはまるからねえ。
とにかく、タバコを吸い始めた私ですが、まわりのスモーカーたちが次々と禁煙に取り組んだり、実際に禁煙したりしている中、私はまったく逆行してるということではあります。だからというわけではないが、私はタバコ飲みの味方です。どだい、禁止するとか規制するとかっていうような方向のキャンペーンみたいなものはどこか信用できない。そう思いません?
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