だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

言葉

今は何事もなかったように普通に声を出して喋っているが、年末は風邪でほとんど声が出なかったのを思い出した。というか、そのことをブログに載せようとして途中まで書いたことを思い出したのだが。あのときは熱こそ出なかったものののどが痛く、2、3 日声が出なかった。声が出ないということは意外とストレスになった。早く治んないかなあと思っていたのに、いざ治ってみると喜んだのは一瞬で、今じゃ声が出るのが当たり前になっている。インフルエンザが流行りそうだとかいうニュースを見て、そういえば風邪引いてたなあと思い出し、そういえばそれについてなんか書いたなあとさらに思い出して、こんなことを書いている。

当時は家でゲボゲボ咳してて顰蹙をかった。ジーサンといるみたいだとかいわれた。おまけに声がかすれて出ないから、キモいから喋るなともいわれた。新宿ゴールデン街では、その声のほうがセクシーでいいわよ、といわれてたのにだ。

声は、遺伝では一番似るということを聞いたことがある。そういわれてみると、子どものころ友だちの〇〇くんや〇〇ちゃんちに電話をかけて本人のつもりで話してると、実はお父さんだったりお母さんだったり弟だったりすることがよくあった。今でも自宅に電話してカミさんが出たのか娘が出たのかわからないときがある。一瞬ひるむのだが、カミさんのつもりで話していると、しばらく経って娘がケラケラ笑ったりする。逆の場合もある。DNA 的になにか強力に根拠のあることなのかもしれない。まして電話だから相手の顔も見えないし、本人だと思い込んでいる場合はまず信じてしまうのではないか。振り込めサギがなくならないのもよくわかる気がする。電話じゃなくても、玄関越しとか、相手の姿が見えないときは声だけで判断するのは危険な場合もありそうだ。我が家でも「山」「川」くらいの合言葉は作っておこうか。

声ものどから発せられて空気を震わせて人の耳に届くのだから波動の一種だろう。同じ人の声でも、そのときの喜怒哀楽によって声の調子というか振動が微妙に変わるのか、あ、この人怒ってるなとか、喜んでるってことがわかったりするから不思議だ。いくら抑えても想いというのは声に出てしまうものなのだろうか。また、人それぞれ、声自体に好き嫌いがあるようだ。私もポール・マッカートニーよりはジョン・レノンの声のほうが好みだ。好みというとちょっと違うな、ジョンのほうがかっこいい声だと思う。女のボーカルでも、ユーミンも中島みゆきも曲は好きだし、彼女たちが歌ったほうが合うとも思うが、声はあまり好きではない。倍賞千恵子や中山千夏や若いころの森山良子のほうがそれこそ好みだ(古いなあどうも)。

でも、この好みというのは本当に生理的なものだ。セクシャルなものかもしれない。惹かれるというか。でも、嫌いな声の異性とつき合えますか? ましてや結婚となれば基本的に一生一緒にいるわけで、相手の声は重要だと思う。あるいは、人は自分と相性のいい声の人を無意識に選んでるのかもしれない。それは波動が合うということにもつながる。だいたい嫌なヤツ系の声は感じが悪い場合が多い。大声で相手を威嚇したり押えつけたりすることに慣れてるヤツの声とか、普段から人を見下したり軽蔑したりしてる傲慢なヤツの声とか、初対面だとしてもなんとなくわかるものだ。

言霊(ことだま)とはよくいうが、その言葉自体の意味とか、言葉に籠められてる想いのようなものが、その言葉を発することによって一緒に出てくるということだろうか。以前も書いた江本勝氏は、水の結晶の実験で、まさに言葉の力を実証してみせた。水に、ありがとう、のような感謝の言葉をかけた場合と、バカヤロー!のような言葉をかけた場合とは結晶の形が違う。全然違う。

江本氏の本には結晶の写真がたくさん載っている。琵琶湖の水の結晶、それも水の汚れを浄化する祈りを捧げる前と後の結晶の写真とか、大日如来だったかな、神様の名前や「666」のような数字を水に見せた?後の結晶とか、いろいろと興味深い写真がてんこ盛りだ。一番きれいな結晶は、やはり感謝系の言葉だった。

人間の 70 %は水だ。骨を除けば 90 %が水だ。言葉が水にこのような影響を与えるのならば、当然人間の体にも影響があるはずだ。慇懃無礼という言葉があるように、もちろん言葉だけがていねいでもしょうがないのは言うまでもない。どんな言葉であれ、その言葉にどんな想いがのっているのか、人は無意識でも感知しているのだろう。人間に対してだけではなく、言葉とは、きっと思っている以上に今自分が置かれている状況(現実が継起していく起点)に影響力を持っているのかもしれない。言葉ひとつで現実が変わるかもしれないのだ。

言葉ではないが、私は舌打ちというのがどうも昔から好きじゃなかった。なんかイヤなんだよね。言葉に出して、チェッ、とかいうのはまあいい。女のコがいうとかわいいとすらいえる。でも、思わずというかはからずも出る舌打ちは、なんかイヤなものを見た気がする。だから女の好みでいえば、嫌いな女の筆頭は、舌打ちをする女、ということになる。ちなみに好きな女は、雪女です。雪女ほど美しい女はいないと思っている。色が白く、クールで、清潔だ。クールビューティの権化のような存在だ。だいたいブサイクな雪女なんて聞いたことがない。雪女は美人に決まっている。冷たいキスかなんかして、ヘタすりゃ死んじゃう。なんて命懸けの恋なのだろうか。エロスとタナトスは一緒だとバタイユもいっている。なに興奮してんだか、また話が飛びました。

ともかく言葉は大切だということです。初めに言葉ありき、と聖書にもある。言葉の意味とかコンテクスト以上に言葉自体に力があるという説もある。特に世界でも珍しいというか、どこだっけなあ、どこかの国と日本にしかない母音言語というもの、中でも日本語にはどうも秘密があるらしい。あまり突っこんだ話になると私の手には負えないが、日本語には発音や表記も含めて、まだ解き明かされていない秘密がありそうだ。しずかに注目されている『日月神示』でも、イロハ 48 文字を独特の並びで唱える。

ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほれけ

空海が修めたという密教の秘教中の秘教「虚空蔵求聞持(ぐもんじ)法」にあるマントラもそうだ。「虚空蔵求聞持法」はマントラを 100 万回唱えるというもの。それで自分の能力を高める。一説によると、マントラというマントラの中でも最強だとか。唱えるだけで、マイナス思考がプラスになったり、自分にとって良い現実を引き寄せる力があるともいわれる。ちなみに「虚空蔵」とはアカシックレコードのことだ。そのマントラとは、

のうぼう あきゃしゃ ぎゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか

である。これは、四国でお遍路するときにも唱えるというから、そんなにマイナーなマントラでもないのだろう。言霊言語学は非常に難解な部分もあるので、興味のある方は独自に調べると面白いかもしれない。そういえば、あの出口王仁三郎も言霊のエキスパートだった。ある日、山道かなんかである人が大きな岩だか石をどかそうと奮闘しているとき、王仁三郎が通りかかって、それは「う」の言霊じゃなきゃ動かないよ、みたいなことをいって動かしちゃったという逸話がある。どうやったのかね? 古代遺跡には、それこそどうやって移動させたのかわからない巨石の話というのがたくさんある。一生懸命現代ふうに解釈して、いろんな専門家が、こうやったのだ、ああやったのだと説明はするが、意外と言霊の力だったりして。

そんな大げさなことでもなく、単に言葉の使い方、いい回しだけで気分というか状況が一変するようなこともある。前に、四谷荒木町のオツな小料理屋である先輩と待ち合わせをした。先に私が着いて、ちびちびやっていたのだが、約束の時間を過ぎてもなかなか現れない。お互い同業者だから、忙しいのはわかる。でもちょっとこれはないんじゃないかというくらい遅れてる。自分でもイライラしてくるのがわかる。そこに先輩から電話が入った。「ごめんごめん、ちょっと出がけに用が入っちゃって。今もう車に乗ってるから、ほどなく・・・」そういって先輩は電話を切った。それだけでスーッとなにかがヌケていくのがわかった。とたんに気分がよくなり、酒を追加したりした。ほどなく・・・なんていい言葉だろうと。これはわかりにくいかもしれないが、私にとってはなんというか、いい感じに響いたのだった。あまりのうれしさに、店の女将をつかまえて、とうとうと今の心境というかいきさつを語って聞かせた。女将は、ニコニコしながら、そうそう言葉なのよ、といったのだった。

腹の立つことの多い世の中だが、お互い言葉だけは気をつけたいものですね。なかなか簡単にはいきそうもないけど。

Commentコメント

お気軽にコメントをお寄せください

メールアドレスが公開されることはありません。