つい数日前、娘が居間でパソコンに向かいながら、ふとテレビの画面に映った何かのシーンを見て、あ、ウチこの場面見たことある、パソコン打ってるとこも同じだ!と声を上げた。デジャブだ。まったく同じシーンを経験したと言い張る。まあデジャブは誰にでもある。私はこの時期、別の意味でそういうことが増えるだろうと思っているのだが、カミさんは、ただのデジャブよ、とすましていた。
私にはあまりデジャブの記憶はないが、いや、いくつかあったようにも思うが思い出せないくらいのものだ。でもひとつだけ、今でも強烈に覚えているのがある。横須賀の港に面したレストランで打ち合せをしていたのだが、暑かったから夏だろう、海に張り出したテラスのテーブルで皆で椅子に座っていて、ちょっと会話が途切れた瞬間、ものすごい感覚で懐かしさが襲ってきた。強烈なデジャブだった。これと同じことを前に体験しているという確信。一緒に行った編集プロダクションの人間以外は初対面だ。その編プロの担当にしても1、2回会っただけの人。そのときは自分でもウロたえた。何だこれは!という感じ。
デジャブの理屈としては、疲れてたり、ぼーっとしてたりして、目の前の現実に対する脳の認識が一瞬途切れ、その一瞬途切れた間、脳は認識していないにしても五感は働いているわけだから、再度認識が繋がったとき、ちょっと前の現実がどこか遠い昔の体験のような感覚として現われる、といったものだったと思う。私もデジャブはそういうことだろうと思っていたが、そのときの実体験としては、とてもそんなものじゃなく、絶対に昔体験していると感じた。本当はどうなってるのかわからないが、やはり脳のちょっとしたエラーということなのだろうか。
デジャブで思い出すのは、岡潔(おかきよし)だ。岡博士は京大出身で、もう故人だが、多変数複素函数論の三大問題とかいうなんだか私にはわからない難問を解決してしまった日本が誇る世界的数学者だ。芭蕉とか漱石とか道元などに関するエッセイを多く残しているが、博士はことあるごとに過去世が懐かしいと書いている。懐かしくてしょうがないのだと。そしてシンガポールだったかな、砂浜を歩いていたときに強烈な懐かしさに襲われる。大昔にここを通ったことがあると。それから何万年か前の日本人の大陸移動の話になるのだが、詳細は忘れた。
また道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』は座右の書として肌身離さず持っていたらしいが、ある日「生死去来」の四字を凝視していると、突然僧たちにかつぎ込まれる。見ると禅寺の一室で、中央に禅師が立ち、左右に僧が並んでいる。岡博士はその人が道元だと直観したという。畳を踏んで禅師に近づくと、打たれるような威厳で顔を上げられなかった。そして道元の無言の説法を受ける。やがてまた僧たちにかつぎ出され、気がつくと自分の部屋にいたが、足裏には寺の畳を踏んだ感触がありありと残っている。
これはどう考えればいいのか。ただの博士の幻覚なのか。その後、岡博士は『正法眼蔵』のどこを開いても手に取るようにわかったという。うーむ。
大体、岡博士は日本民族をこよなく熱愛していて、日本民族は30万年ほど前に他の星からやって来たと言ってるくらいの人だ。当時のマットウな人たちは、この世界的権威の博士の発言をどうとらえていたのだろう。興味深い。また博士は、「時」とは情緒だともいう。「過去」は懐かしさだ。「現在」はいっさいが明らかで動かしがたい。「未来」は期待もあるが不安もある。人間は赤ん坊から成長して、過去、現在、未来と順番に情緒がわかって「時」がわかるものだという。だから赤ん坊はときどき懐かしそうな目をして笑うのだ。4 歳くらいで現在がわかり、小学校 2 年で未来がわかる。3 歳くらいまでは過去現在未来がチャンポンになっている。時間の概念うんぬんといった難しい話はやっぱり大人になって創り出されものなのか。
私は以前から岡博士の考え方がなんとなく好きだった。数学者だからもっと論理的な思考をするものだろうと思うのだが、どうも博士は違う。直観というのも違う気がする。わかってることを思い出してるというか…。まあ数学上の論理とか直観とか、自分でもよくわかってないことがらなのであまり深入りしないほうがいい。多変数なんとかなんてのも全然わからないし、大体、幾何学と数学の違いもよくわかっていない。あれ、同じだっけ?
でもいくら左脳偏重気味の私でも論理の怪しさについては前から気づいていた。文法的に整合性がとれていれば、黒は白い、といったことでも正しくなっちゃう。同じテーマでも、結論を正反対に持っていくことができるのが論理だ。理屈だ。だとすれば、目的が違う者同士でいくら話し合ってもラチがあかないのは当たり前だ。せめてどこかで妥協し合って着地点を探る。それが民主主義だという話もあるが、東浩紀の『一般意志 2.0 』ではそういった民主主主義ではなく、SNSを駆使して大衆の集合無意識を抽出し、代表者による討議の果ての結論にある種の制約をつけるという新しい視点というかシステムを提案しているが、これはこれで大変興味深い内容だった。私ごときが思い描いている今後の社会や共同体像にも貴重なヒントを与えてくれる。ってまた話がズレる。でも、東氏はクリフ・ハイの『WEB BOT』やゼランドのトランサーフィンなんかについてはどう思ってんのかな。やっぱり対象外か。
いずれにしろ「論理」はなんとなく怪しい。ときもある。先の岡博士のエッセイにもあったが、寺田寅彦が師匠の夏目漱石に、先生、俳句とはどういったものですか?と質問したとき、漱石は言下に、俳句とは「時雨るるや黒木積む家の窓明かり(しぐるるや くろきつむやの まどあかり)」というようなものだといった。さすがは漱石と博士はほめているが、私もそう思う。こーだあーだといわず、さっと凡兆の句を引く。夕方かなんかで雨がしとしと降っていて、露地の奥の家に薪かなんかが積んであって、窓からぼっと明かりがもれている…家の中の団らんまで伝わってくるようではないか。俳句とはこういうものだと確かに思う。漱石はほとんど読んでいるが、また読み直してみようかと思う。芭蕉とかも。
芭蕉といえば、やはり唐木順三(からきじゅんぞう)が岡博士と似たようなことをどこかに書いていた。唐木順三も芭蕉や漱石を研究した哲学者だが、ある日机に向かっていると、芭蕉が越後あたりの日本海沿いを弟子の曽良と歩いている光景がありありと眼前に広がった。芭蕉は体調が悪いせいもあり、また精神的なものか思想的なことか、何か鬱屈しているものもあり、機嫌が悪く、冷たい雨の中をさっさと前を歩いていく。曽良は、どうして師匠が機嫌が悪いのかわからないが、機嫌が悪いことだけは確かにわかる、といった状態で、黙ってあとをついていくしかない。そんなふたりの光景がはっきりと見えたそうだ。岡博士と同じだ。深く深く研究する学者のような人は、そのような幻覚を見るものなのだろうか。それとも…。
そういえば岡潔も唐木順三も 3 つ違いの同世代、ふたりとも京大だし、なんとも宇宙人のような顔をしてる。とくに岡博士は。
ほかにジャンプして宙に浮かんでいるような有名な写真もある。とにかくなんだかすごいオッサンだ。
余談になるが、おとといの晩、寝ていたら久しぶりに体が抜けた。幽体離脱? 前回のブログにそんなことを書いたからまた夢でも見たのだろう。飛んでる間は気持ちがいいが、今回は覚えのない場所だった。どこか田舎の駅の近くのようで、線路があり、草の繁った空き地があり、土木機械の重機が放置されている。その黄色い機体に会社だかなんかの文字が書いてある。これはあとでなにか検証できるかもしれないと思って暗記しようとしたが、忘れてしまった。そのうち頭の後ろの左側がなにかチクチクする。痛いというほどではない。それから右側。今度は鼻の穴からなにか突っ込まれるような感覚で、ちょっと恐怖心も芽生え、フガフガ抵抗してたら、両耳にもなにか突っ込まれたところで目が覚めた。おいおい、アブダクションじゃないだろうなと思いながら、いろいろまさぐったが異常はないから大丈夫だろう。前の日に知り合いの事務所のワインパーティーでガイキチ系の話をしていたからそんな夢を見たのだろう、って子供か!
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