またもやあっという間に 1 週間が過ぎた。ってこればっか。お前は玉置宏か。
この間家で酒飲んでたらカミさんが、♪ 戦争を知らない、子ぉどぉもたちぃさあ~、って歌を知らない子ぉどぉもたちぃさあ ♪ って歌ってて、思わず口から菊正を吹き出した。バカヤロー、おもしれえじゃねぇか!と叫んでから考え込んだ。確かにそうかもしれない。ジローズの「戦争を知らない子供たち」は小学生 5、6 年のころだったかに流行った。70 年代初期。ジローズって杉田二郎がいたフォークグループね。杉田ともうひとりの何とかジロウってのがいて、ふたりでジローズ。杉田二郎といってもある年代以下はわからないんだろうな。あの顔の大きな人だ。「 ANAK 」を歌った人といってもわからないか。ジローズの前はシューベルツにいた。あの『風』の、はしだのりひことシューベルツ。♪ 人は誰もただひとり、旅に出て~ ♪ の「風」だ。はしだのりひこ(端田宣彦)は好きだった。小柄で、フォーククルセダーズの加藤和彦と並ぶとオール阪神巨人かとツッコミたくなる。
はしだのりひこはいろいろとグループを結成したが、クライマックスの『花嫁』はバカヒットした。はずだ。♪ 花嫁は、夜汽車に乗って~ ♪、は 70 年前後に物心ついてる人なら誰でも知ってる。はしだのりひこの歌は、ずべてじゃないが、好きだ。とくに「花嫁」は好きだった。メロディにどこか哀しさというかロマン(という言葉は大嫌いなのだが、こういう言葉がぴったりくることもあるのだな)というか、何かある。「風」はあまり好きじゃなかったのだが、メロディにはやはり「花嫁」と似たオリジナルなものがある。考えてみれば、「戦争を知らない子供たち」も「風」も「花嫁」も作詞は北山修だ。出たぁって感じだが、当時のお兄さんたちには北山修はバカにされてたと記憶する。左翼系の活動家とか。加藤和彦もそうだが、大学出のインテリでどこか軟弱でムカつく的なことだったんじゃないだろうか。ヒットも飛ばしてるし。
まあ、戦後生まれの連中が音楽活動を始めれば、そりゃ、戦争を知らない子供たちくらいの歌詞は出てきてもおかしくはないが、やはり軽薄っぽさを否めない感があるのもわかる気がする。確かに北山修の詞は私もあまり好きではない。なじめないというか、どこかウソっぽい感じ。作りものっぽいというか。なぜだろう。
しかし戦争で苦労した世代にしてみれば、そうか、もう戦争を知らない若者たちが世の中に出てきてるのだなと、複雑ながらも感慨深いものがあっただろうし、同世代の活動家だったら、何が戦争を知らない子供だ!フヌケたことをいってるんじゃない、総括だぁと、ゲバルトかけながら別の戦争を起こしていたわけだ。
そんな「戦争を知らない子供たち」だが、その歌ももう知らない世代がいる。そりゃそうだろう。今から 40 年前のヒット曲だ。ヒットした 72 年の 40 年前といったら 1932 年じゃないか。昭和 7 年。私の親父が生まれた年だ。もう死んだけど。島崎藤村が「夜明け前」を書き、藤山一郎が古賀政男の「影を慕いて」を歌い、5.15 事件で犬飼毅首相が死んだという年だ。歴史の教科書で知るような世界だ。そうか、あの 70 年代って時代はもはやそんな昔の話なのだ。ついこの間って気がするのだがダメでしょうか。
あの時代、60 年代後半から 70 年代初期といえば、もうひとつ流行ったものがある。高倉健の「昭和残侠伝シリーズ」だ。東映の大ヒットヤクザ映画だ。♪ 義理と人情を秤にかけりゃぁ ♪ で始まる高倉健の主題歌「唐獅子牡丹」でも知られる。死んで貰います、ってヤツだ。あれは当時の右翼にも左翼にもウケたらしい。流れ者のヤクザ花田秀次郎(高倉健)とこれまた流れ者のヤクザ風間重吉(池部良)、このふたりを軸に話が展開するのだが、構成的にはほとんど同じ。悪・非道の限りをつくす悪の親分側(河津清三郎や須賀不二男、いい味出すんだよなあ)の仕打ちにじっと耐えに耐えて、最後の最後に堪忍袋の緒が切れて、ドス 1 本持ってひとりでのり込んでいってたたっ切る。親分の屋敷に行く途中で風間重吉と出くわし、一緒にのり込むのも同じ。むしろそのふたりの道行きがこの映画のキモにもなっている。今の俺にゃあ、生まれたときは別々でも死ぬときは一緒の、兄弟ぇ、おめえだけだ、かなんか言って、相手の肩にかかった雨だか雪だかをささっと払い、見つめ合うみたいな。
まあ、ある種の勧善懲悪、ヒロイズムの映画ともいえるのだが、私はこの映画の世界感がウケたのだと思う。世界観じゃないよ。世界感。このシリーズは 9 作あって、私はすべて数限りなく観ていてセリフも覚えているくらいだが(もちろんビデオ。家で観まくって家族に顰蹙を買うことがある)、特に 7 作まではどれも好きだ。最後の 2 作は主題歌の伴奏も変わって妙にメロドラマっぽい感じであまり好きではない。でも、この間某カリスマAV監督と飲んでたら、監督も昭和残侠伝シリーズが大好きで大いに盛り上がったのだが、一番好きなのは 8 作目の『吼えろ唐獅子』だという。今度、もう一回ちゃんと観てみよう。
シリーズの監督はほとんどがマキノ雅弘と佐伯清が撮っているが、1 本山下耕作もある。何といってもマキノ雅弘監督作品はセリフの言い回しといい、シチュエーションといい、活劇っぽさが残ってて、下町人情を描かせたら天下一品だ。落語的というか、登場人物に腹蔵がなく、陰隠滅滅としたところがない。実にカラっとしていてわかりやすく、裏表がない。悪は悪だし。それも時代設定が戦後すぐとか、大正の初めだとかいろいろあるが、悪にとっては金がすべてで、善側は金よりも義理とか人情とか粋(イキ)が優先する。悪側も、今はなあ、自由主義の時代なんだよ、食うか食われるかなんだ、などとスゴみ、ワイロを使って市議会議員と癒着したり警察と組んだりしていて、なんだか今とあまり変わってないのもおかしい。悪の考えることってのはいつの日も変わんないのかね。ちょっと高度に複雑化するだけで。日本人というか、やっぱり人間は金の亡者、金の奴隷、金に支配されてるような連中にはいつの日も嫌悪を覚えるものなのだろうか。だから、義理だ人情だといってる連中のイキっぷりのほうに溜飲を下げる。そういった世界の感じ、雰囲気、ひょっとしたら真実に、無意識に憧れ、賛同してるんじゃないだろうか。だから当時も右も左も関係なく拍手喝采を贈った。そう思いたい。
第 1 作目の『昭和残侠伝』が 1965 年、ちなみにこの作品には六代目三遊亭円生が出ている。あ、それで思い出したが、このときの高倉健はいただけない。いやいいのだが、一点だけ気に食わないところがある。このときはヤクザではなく、庭場(ニワバ。テキヤが商売する場所、シマのこと)を仕切る関東神津組の五代目親分って役なのだが、テキ屋連中に対して「亡き四代目、川田源之助に代わって・・・」と話す場面があるのだが、これをヨンダイメと言ったのだ。四代目はヨダイメといわなきゃいけない。さすが円生はヨダイメと言ってた。昔、新宿のゴールデン街の将棋の棋士たちが集まる店で 9 段の棋士に向かってキュウダンと言って、一緒に行った先輩からハタかれたことがある。バカヤロウ、キュウダンってなんだ!クダンだろクダン!だって。これには恥かいた。まあ私もイキがっててもこの程度ですがね。それはともかく、最終作 9 作目『破れ傘』が 1972 年。本当にある種フォークソングが広まる時代ともリンクしているのがわかる。
実は昭和残侠伝が好きだなんて誰にも言わなかった。なんとなく恥ずかしかったのだ。でもいつだったか、ずいぶん前に蓮實重彦が好きな映画ベスト 3 だか 5 をどこかの雑誌に披露していて、洋画では 1 位が確かドライヤーの『奇跡』だったと思うが、邦画ではなんと 1 位に昭和残侠伝シリーズ 7 作目『死んで貰います』をあげていたのだ。なぬ!あのハスミ大先生が? それから胸張って昭和残侠伝が好きだなどと公言してはばからないようになったわけだから私もなんとも情けない。そういうほうが恥ずかしい。いやそれはどうでもいいのだが、ウチの娘が、ときどき呟くのだ。生まれたときは別々でも死ぬときは一緒・・・。おいおい・・・。
戦争を知らない子供たちって歌を知らない子供たちも増えてるかもしれないが、その親によってはそれと同時代の別ジャンルに意外と通じてたりして。
Commentコメント
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>あの70年代って時代はもはやそんな昔の話なのだ。ついこの間って気がするのだがダメでしょうか。
いえいえついこの間ですよ。
これっぱっちのジェネレーションギャップ、ギャップの内じゃないと思うんじゃが。
普遍的という言葉はそのためにあるんじゃなかろうか?
古くも新しくも良いものはいい。
だから文化的時代感はもっと大きな流れで、そうして見ると40年前はついこの間だと思うのです。
ちなみに、娘のDVD借りるついでに、「夕陽のガンマン」借りてきました。
悪役のリー・ヴァン・クリーフがカッコイイんだよねー。
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山田様
コメントありがとうございます。
さすが音楽家、いよっ!、よー、よー!
って、都々逸囃してんじゃないんだからって怒られそうだけど、
心強いです。マジで70年代ってついこの間、ですよね。
「夕陽のガンマン」懐かしいです。
当時はいわゆる西部劇も大人気でしたね。
テレビでもしょっちゅうやってました。
ジョン・ウェインにジュリアーノ・ジェンマ、クリント・イーストウッド、
確かにあれらもアメリカの「昭和残侠伝」的なものといえるのかも。
だから、アメリカもいいんですよ、初期のリバータリアニズム的なものは。
ハリウッドも音楽も、憧れた人はいっぱいいたんですから。
いや、お察しの通り酔っぱらってます。
ではまた。
ってブログと普段の日常の兼ね合いがおかしいですよね。たぶん。
パチンコの反対でコンチパって、
いきなりバカボンの親父を思い出しました。
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明らかに同年代です。^^
同じ空気を吸って大きくなったんですね。 多分
昔は、「どうしてこんな映画をわざわざ公開するんだろう・・・」 と、見た事を後悔するような映画も多かったです。
「僕どうして涙が出るの?」 とかいう、心臓病の手術を受ける男の子の話とか、
シンガポールでトラックに引かれて死んでしまう子供の話とか。
お陰で私は、シンガポールというと、いまだにいい感じがしません。
それでも、もう一度見たい と思うのが、
(とっても下らないのですが)、
宇宙からの侵略者みたいな、空いっぱいにクラゲのようなものが浮いている映像。
あのイメージが忘れられません。
題名すら覚えていませんが、もしかsrて、見てらしたかな?と思って。
昔は残酷なシーンもすごく控えめでしたよね。
ウルトラQで、ラドンの話だったかな、
大村今さんも出ていて、
炭鉱夫達が逃げ出すシーンで、血が足元の水に混ざって流れてくるだけで、私はひどくこわかったです。
サンタ対ガイラも怖かった~。
済みません、低級な話で。
昭和任狭伝、見てないので、DVD借りて来ます。 見たくなりました。
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すぼ様
コメントありがとうございます。
確かにご同年のようですね。
宇宙からの侵略者みたいな、空いっぱいにクラゲのようなものが浮いている映像。
> あのイメージが忘れられません。
これは知らないかもしれません。『宇宙大戦争』かなあ?
> ウルトラQで、ラドンの話だったかな、
> 大村今さんも出ていて、
> 炭鉱夫達が逃げ出すシーンで、血が足元の水に混ざって流れてくるだけで、私はひどくこわかったです。
ラドンは東宝の映画だったと思います。
当時の東宝はゴジラにモスラ、キングギドラ、大映にガメラ、ギャオス、東映にサンダ、ガイラ、
いろいろ人気ものがそろってましたね。
でも子供心にちょっと怖い雰囲気もありました。
ウルトラQも怖かったです。
考えてみると、あの時代のTVや映画の映像って、かなり今の自分にとって
原点になってる部分がありますね。ちょっと考えてみます。
ありがとうございました。
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∞酒林∞様、こんばんは。初コメです。
『花嫁』は、よく口ずさんでました。確か、中学卒業くらいだったので∞酒林∞様よりちょっと
年上かも…^^; ウルトラQは小学校低学年から見てましたが、あの不気味な音楽(?)と
絵の具(白黒テレビでしたが)を垂れ流したような“Q”が今でも記憶に残ってます^^
今日は、どういうわけか、他のところでも、高倉健さんのことが話題になってました。
高倉健さんは、高校の先輩であり、私の母とは同期生で、古~い卒業アルバムをみると、
他の男子学生より背が頭ひとつ高く目立ってますね~。顔はレコードジャケットの顔とほぼ
変わりませんよ~(笑) 昭和の学生時代がなつかしく感じた次第です。
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spacelight様
コメントありがとうございます。
> ウルトラQは小学校低学年から見てましたが、あの不気味な音楽(?)と
> 絵の具(白黒テレビでしたが)を垂れ流したような“Q”が今でも記憶に残ってます^^
そりゃもう強烈でしたね。あの頃の円谷プロはある種の時代を創りました。
怖かったけど。
> 今日は、どういうわけか、他のところでも、高倉健さんのことが話題になってました。
へえ。どんな話題か気になるところです。
> 高倉健さんは、高校の先輩であり、私の母とは同期生で、古~い卒業アルバムをみると、
> 他の男子学生より背が頭ひとつ高く目立ってますね~。顔はレコードジャケットの顔とほぼ
> 変わりませんよ~(笑) 昭和の学生時代がなつかしく感じた次第です。
初めは割と三枚目もこなしてたみたいですね。
ヤクザ映画のヒットでああいうキャラになったようです。
周りが期待するのですね。
そういえば、俊藤浩滋(映画『昭和残侠伝』などのプロデューサー)の自伝本で、
高倉健が昭和残侠伝シリーズの最新作の公開で、映画館の舞台挨拶に上がったとき、
モノホンのヤクザがどどっと前に出てきて、自慢の刺青を突き出しながら、
兄弟ぇ!兄弟ぇ!と叫び始め、さすがの健さんも気圧されて、
その後に歌った「唐獅子牡丹」がボロボロだったというエピソードがありました。
ちょっとおかしかったです。