私にしては早い更新だ。今後は、見知ったアフォリズムめいたものでもいいから毎日でも発信したほうがいいかな。
昨日、いや一昨日か、レイ・ブラッドベリの訃報が入った。ここ数年はときどきだがいつかはそうなるだろうとちょっと恐れてもいた。恐れていたというのは、自分の怠慢ゆえだ。私は過去 2 回、同じような後悔を持ったことがある。大山倍達のときと淀川長治のときだ。両者ともどうにも気なっていた人で、一度は会ってみたい、あるいは文書でも何でも交信してみたいと思っていた。行動に出ればよかったのは言うまでもないが、なぜか、怠けていた。ほかのこと、もっとつまらないことや仕事上のこと、プライベートでのこと、人生上のこと(ちょっと大げさかも)など、ときには人に非難されるくらいアグレッシヴになるのに、なんでだろうと自分でも思ったが、やっぱりただの怠慢なのだろう。そしてブラッドベリだ。
私はブラッドベリがかなり好きで、作品はほぼ持っているし読んでいる。短篇集『 10 月はたそがれの国』や『太陽の黄金(きん)の林檎』などの短篇集が好きだった。『火星年代記』や『華氏 451 度』みたいのもあるけど、やはりブラッドベリは短編だ。小説というよりは詩だ。フィクションというよりはファンタジーだ。そういえば大学の先輩が SF はもはや Space Fiction じゃなく Satisfactory Fantasy だって言ってたっけ。先の『太陽の~』の表題作や『 10 月は~』収録の「下水道」なんか、もう何て言っていいかわからない。繰り返し読むしかない。好きな映画と同じだな。でも、ブラッドベリは火星のことをよく書いたが、今になってハッとさせられるものもある。最先端であるところの量子物理学に基づいたある種の世界観のようなものをすでに短編として詩的に昇華、表現していたんだなみたいな。
ともかく、ぐずぐずしてて大山倍達や淀川さんにコンタクトをとらず、ふたりとも故人になってしまった後悔から、ブラッドベリには手紙を出そうと思っていた。意外と返事をくれるということも調べていたし、住所も知っていた。早くしないと死んじゃうとも思ってたが、あのじいさんなら 100 歳は生きるだろうとも思っていたのだが・・・。ただのミーハーで真剣さが足りなかったからだと言われれば反論できない。真剣さ?ではないな、なんだろう。大山倍達のときも淀川さんのときも、しまった!と思った。そして今回もだ。カミさんみたいにどんなに好きでもファンでも会わなくてもいい、むしろ会わないほうがいいという人もいるが、私はやはり会ってみたいし、なにかしら触れてみたい。っていうとフェチっぽいな。手紙でも電話でもいいんだけど。私は好きな作家の書いた原稿とかわりと好きだ。バカ高いのは無理だが、署名本だと手に入る。
まあ、また後悔しないようにコリン・ウィルソンには手紙を出してみるか。
ブラッドベリのことはほんの一部、以前記事で書いたが(あの言葉は好きなんです)、あれはゼランドの予言に関する記事の流れで出てきたものだが、なんとなくまた予言についてゼランドが言ってることに触れたくなった。と言っても、これから韓国に行かなきゃなんなくてどこまで書けるかわからない。尻切れトンボになったら次回続きを書きます。
まず、「運命」につてはこんなことを言っている。
運命についての問題とは、予め定められた運命を選ぶか、それとも自由な運命を選ぶか、という選択の問題なのである。要するに、選んだものを受け取るとあなたが確信するだけのことである。
このへんはトランサーファーの基本だ。嫌な状況に遭遇し、それが自分のカルマ、あるいはなにかしらの罰だととらえれば、そうなる。そういった想念、思考は無限の可能性が格納されているゼロポイントエネルギー(ゼランドはそれをバリアントの空間と呼ぶ)にあるそういった現実の流れを本当に現実として物質化、現象化させる。世界は基本的に自分の意のままなのだ。ただ意のままにコントロールするにはコツというか法則がある。それは理性と魂を一致させることだ。理性と魂が一致しないと現実化は起こらない。理性が納得し信念を持ってても魂が嫌がってればダメだ。魂が望んでても理性が理屈で否定すればばダメだ。
例えば、今、魂が酒を飲みたいと思ってても(仮にの話です。魂が具体的なものとして酒を求めるはずがない。魂は快、不快の快を求めるだけだ)理性が今は禁酒中だからとか勤務中だからと規制すれば現実には酒を飲むような流れにはならない。これはある種、当たり前か。でも、理性が酒が飲みたいと強烈に思ってて、例えば、仕事のし過ぎでストレスその他、体をリラックスさせる必要があるとかなんとかどうにでも理屈をつけてそう思ってて、魂のほうは、酒はともかく、酒を飲んで超リラックスしているという自分の状況を望んでいるとすると、ここで理性と魂の一致が起きて、ゼロポイントエネルギーの場から酒を飲むような現実のラインを本当に現象化させる。
トランサーフィンのすごいところは、その現実の流れ、方法は考えなくていいことだ。とにかく酒を飲んでリラックスするということで理性と魂が一致さえすれば、あとは勝手にゼロポイントエネルギーフィールドがお膳立てしてくれる。エネルギーは無駄なことはいっさいしない。一番効率のよい、エネルギーのかからない方法で現実化させる。むしろ理性があーだこーだと自分の狭っ苦しい理屈の中で流れを望むと余計な無駄なエネルギーがかかり、せっかくゼロポイントフィールドが自分のために効率よく現実をお膳立てしてくれようとしてるのにぶち壊しになる。だから、まかせればいい。そうすれば、理性が想像もしていなかったような現実、たとえば、勤務中なら社長がいきなりやってきて、そう言えば今日は会社の創立 20 周年だったからみんなでビールでも飲みに行こうと言い出すとか、禁酒中だったら、病院から電話がかかってきて、スミマセン、この間の検査の結果はこちらのミスで他人のものでした、あなたは禁酒する必要はありません、でもお酒はひかえてネ、と言われるとか、そういうことが本当に起きる。
これはバカバカしいくらい極端な話だが、まあそういうことだ。
ああ、時間がない。予言までとうていたどりつけない。いったん切り上げます。10 日に帰ってくるから、10 日の夜にでもまた書きます。
Commentコメント