だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

世情

さても怠け者の本領発揮で、あっと言う間に日曜日。お盆進行の本業のほうもケツに火が点きはじめた。でも連日の猛暑、誰が仕事するんだろう。半日仕事できればかなりの精神力の持ち主なんじゃないか。思うにこれは、いいかげん人間に仕事をやめさせようとする太陽の意志なんじゃないだろうか。

労働意欲がまったく失せるもんね。みんなでとりあえずもうやめたって言いいませんか? だって暑いんだから。落語だったらありなんだけどなあ。せめてお金のために働くのをやめるってのはどうかしら。世界中で今いっせいにお金を捨てても実は誰も困らないんじゃないか。インフラはそのまま。電車はそのまま動くし、食い物屋もそのまま。コンサートも開かれるし、だいこんもギターも今までのように作られる。原材料も同じように調達される。ただお金との交換はない。そうすれば今まではやりたくもないのに、あるいは適職でもないのにコネや金のためにだけやってたヤツがやめて、逆に才能があって適職だったにもかかわらずコネもなく、くだらない試験に落ちたためにその仕事ができなかったヤツが喜んでやりはじめる。やめたヤツだって、しばらくすりゃ本来やりかったことを見つけて何かやるよ。みんな働かなくなるってな話もあるが、人間そんなに強くないって。何にもしないで楽しいわけがない。金のためにやりたくもない仕事をしてるからおかしくなるんであって、何の心配もなけりゃ自分が楽しいことを探して一生懸命やるって。

なんだか怠け者の屁理屈のようだが、とにかく暑かった。今も暑いが多少和らいだ。さっき生ビール飲んで帰ってきたばかりだから文章がへんだ。

前回は 24 日に地震の啓示の記事を書いた。地震はこなかった。祈りの力で本当に新しい島生みのエネルギーに転換されたのだろうか。ネタもとのこのブログにもいきさつが記してあるが、私も記事にした手前、追ってことのなりゆきをその都度記事にするつもり。前にも書いたが、私は予言のようなものはある種の警告としてとらえていて、基本的に未来は創造できると考えているのだが、今回のことは個人的に気になっているのです。

ロンドンオリンピックの開会式を後半だけ録画でみた。ポール・マッカートニーが歌ってたね。セレモニーの終わり、ビートルズ『アビーロード』の「The End」を歌うのは流れからいってわかる。でもいきなり「 Hey Jude 」は、おろ?っと違和感があった。なんで Hey Jude なのって感じ。世界的なビッグイベントの終わりの歌にしちゃあ、ずいぶん私的な歌を持ってきたなあみたいな。あれはジョンが前の奥さんと離婚したときに、5 歳の息子のジュリアンが悲しんでるのを見てポールが慰めようとして作った歌だ。なあジュリアン、くよくよすんなよと。どんなに悲しいことでもそれを手放して、また受け入れればそのうちいい方向に持っていけるさみたいな。でも、それは他人に頼るんじゃなくて自分でやらきゃだめなんだみたいな歌だ。あれ? でもけっこう普遍的な意味合いにもなるじゃん、ってふと気づいたわけだ。ビートルズなんだから誰でも知ってる「 Let It Be 」くらいでいいんじゃね?と単純に思ってたが、よく考えたら、ありのままでいいんだってのは今の世界情勢を鑑みればあまりふさわしくないわな。ふーむ、考えてるねえ演出者も。ってうがちすぎかしら。

でも、歌詞の、The movement you need is on your shoulder.ってのはその通りだ。自分に必要なことは自分でやるしかない。だいたいが我々は他人にあるいは外部に依存しがちだ。自分がうまくいかないのは他人のせい、会社のせい、世の中のせい。それらに自分は正当に評価されていないと思う。外部の評価に依存してるわけだ。たまたま自分が気分よくなる評価を受けるとそれはそれでうれしいのだが、たとえば人との議論でも自分が認められたと感じられればその間は人にも寛大でいられるのだが、ちょっとまた低く見積もられればすぐにムカついたりする。ゼランドも言ってたが、感情は外部との関係の結果にすぎない。ロボットじゃないんだから感情をなくすことはできないが、対象との関係性を変えることで感情は変わる。

ロボットといえば、こんな実験があった。まったくアトランダムに動きまわるロボットがあって、そのロボットと生まれたばかりのヒヨコを同じ部屋に入れる。ヒヨコはロボットを親だと思ってピヨピヨとあとをくっていてまわる。ロボットはもちろんヒヨコを無視して勝手に動きまわる。でもそのうち、ヒヨコがピヨピヨ鳴くとロボットがヒヨコのほうに寄ってくるようになる。これは何度実験しても、統計的に有意な結果になる。ロボットに感情というか意志が芽生えたのか、それともヒヨコがロボットの動きを予測するようになったのか、あるいはヒヨコの意識がロボットの動きを創造しはじめたのかはわからないが、でもこれは先の話とは大きくずれるか。
いかんやっぱ酒飲むと話が飛びはじめる。

酒っても、誤解されるムキもあるかもしれないが、私は酒は強くない。だから酔っぱらうし二日酔いにもなる。本当に強いヤツは酔わないもんね。いや、酔うけど、なんというかえんえんと飲み続ける。松田優作が昔ブルータスかなんかのインタビューで、松田さんってお酒強いんですかあ?ってライターか誰かに聞かれて、強いから飲んでんだよ!と言っててなるほどと思った。そうか、酒は強くなきゃ飲んじゃいけないんだなと。男はタフじゃなくては生きていけないんだなと。だいたいアル中になるってのは酒が強いからなるんであって、弱けりゃゲロ吐くか、寝ちゃうか、すぐに体壊してる。私の同僚にも、アル中で、駅の切符の自販機で指が震えて小銭が入れられないヤツがいるが、ほんとに強いもんな。途中少し寝るんだが、起きてまた飲む。また少し寝て起きてまた飲む。その繰り返し。もうつき合ってらんない。前に一緒に飲んでた先輩なんか、飲んでてぶっ倒れて病院に担ぎ込まれたとき、ガンマ GTP が 4000 以上あって、医者に死体の肝臓だと言われた。そんな人たちに比べれば私なんかかわいいもんだ。

何の話だ。

それはそうと、最近の一連の日本のデモを見ていて、久しぶりに中島みゆきの「世情」を思い出した。まったくもって暗い歌というか音調で、私はあまり好きではなかったが、当時なにかしら心には染みた。言ってることにシンパシーは感じるが、あれをもっと明るくというか快活にできないものか。いや違うな。あれはあれでいいのだが、それこそあの曲調だと、意識や行動が開いていくのではなく、ナルシスティックに内面的に閉じていく危険があるような。音楽はある種怖いね。高揚感のあるリフレインなんかは洗脳まではいかないにしても、どこか囚われてしまうような抗えないような強制力がある。たとえばジョン・レノンの「 Mind Games 」もそうだし、ワグナーの無限旋律もそうだ。ワグナーはナチスに利用もされた。

ともかく今、原発その他でかつての安保や成田とは違ういわゆるフツーであろう市民が動き出したことは気にしたほうがいいと思う。ある種のフォークや「世情」のような曲調のものには嫌悪感をもつムキもあるかもしれないが、それはかつての安保や成田のときの時代や独特のノリによってバイアスをかけられたからしょうがないのだが、今起きてるデモは、また違う流れを創る可能性もある。お祭り気分でも冷やかしでもファッションでもなんでもとりあえずはいいと思う。最悪なのは、わかったような気になって上から目線でシラけたふうに無関心を装う態度だろう。対象との関係性、態度で感情が決まるのだとしたら、本当はそうは思っていなくても、くだらないかっこつけと羞恥心を捨てられないばっかりに本当に世の中に無関心になってしまう。

世界は今や 10 億人が飢えているという。そういう人たちにしてみれば日本人の生活は奇跡だろう。亡き談志師匠に言わせれば日本は世界の一等地だ。悪神にやられてる国々は虎視眈々と日本を狙っている。当たり前だ。私が悪神だったら日本が欲しくてしょうがないもんな。でも最後の最後はグレンと…

ちょっと飲みすぎか。

とりあえず、「世情」です。

やっぱり重い。ここはジョンにも登場願おう。

うーむ。70 年代というのは何か途方もないポテンシャルを孕んでいたのかもしれない。でも我々はこの道を選んだ。

ヨーコが次々と大きな窓を開けていくシーンがいいよね。窓には白い十字架が。そういえば冒頭のジョンの格好というかいでたちは、映画『エルトポ』を観て感動してマネしたんだよな、たしか。それでバイトの子の情報で今、渋谷で『エルトポ』を上映してるとか。マジ?とか思ったんだが、だってあれ DVD ないよね。映画館で観られるんなら行かなきゃまずい。誰か行きませんか?

それにしても先のオリンピックで、ポールもいいが、ジョンが出てきてイマジンを歌ったら、かなりの確率で私は泣くでしょう。どこぞのクソッタレに殺されずに今ジョンが生きていたら…

今日は寝ちまおう。

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