新年あけましておめでとうございます。
あれ、前にも言ったか、っても昨日 2 月 3 日の節分が旧暦の大晦日で、今日が元日だから、おかしかないわな。
と言いつつ、1 ヶ月以上も更新をおろそかにした良心の呵責をごまかそうとしてるのもうなづける。
文までヘンになるな、罪悪感持つと。どこの3流小説だ。
1 月はあっと言う間に過ぎた、と言いたいところなのだが、これが長かったのだ。ワタシ的には。あれ?まだ三が日?まだ松の内?まだ成人式?まだ 1 月なの?といった具合で、なんとも時の歩みがのろかった気がする。まあ、今年は面白いというか、ある種、数年前から待ってた年なので、さてどうしようか?的な策を練る楽しみもあって、ましてや正月だし酒も飲み放題で、フムフムなぞと悦に入って猪口を上げ下げしてたから、自分で時間を無視してたのだろう。あれだね、時間って追われると早いけど、追うとのろくなるんだね、あれ。フムフムなんて酒飲んでて、ある日ふと気づいて、まだいく日も経ってないと、時間がさぼってるような気がして、おせーよ!とっとと先へ進めよ!っても、時間がムクレるのか、やーだよってなもんで、なかなか進まない。
まずいな。旧新年そうそうこれじゃ、ただのバカヤロー日記だな。
ノーテンキに話してますが、私は今とんでもないひどい風邪を引いて三日目なのです。土日はほんと死んでました。けど、どうしてもやらなければというか、進めておかなければ超ヤバイ案件があって、布団の中で砂かけババアのように仕事してました、比喩がよくわからないだろうが。インフルだったのだろうか。だったのだろうかって、今も熱の余韻があり、頭も朦朧とし、めまいもときどきし、朝イチから会社で仕事を一心不乱にし(この不乱を腐乱と書こうかと一瞬でも思う頭がすでにイカレてる)、最悪にならないように最低のことはした、もはや刀折れ矢つきたって感じで帰宅し、体を休ませるべく布団にもぐりこんだのだが、ふと思い出したのだ、ブログのことを。どうせ明日もあさっても書けないんだから、多少アタマがおかしくても今書いちゃえってんで、今にいたる。
でも、インフルだったらどうしよかってのはあったね。だって、娘が受験の真っ最中ですよ、今。私がインフルになったなんてったら、カミさん込みで、なぬ?アンタなに考えてんの?馬鹿じゃないの?今どういう状況かわかってんの?・・・以下、1 万語くらい罵詈雑言が並び、最後に、死ねば?と言われるのがオチだ。まあ、それはともかく(それくらいのことは日常茶飯事なので、とくになんとも思わない)、私は医者に行かないし、熱も計らないから、風邪なのかインフルなのかよくわからない。だが、どんだけ厚着しても体がガクブルだったから熱はあったと思うし、昨夜から今日あたりは味覚がまったくない。あ、そうそう、私は風邪で熱を出したあとの、この味覚がないという状態を心から恐れるというか憎むというか、とにかく嫌いだ。何を食っても味がしないんだから。これは、子供の頃から一貫として変わってない。風邪を引いて熱まで出ると、ああ、また味がなくなるのかって恐れたもんだ。でも、熱による。37、8 度だったらそうでもないときもある。38 度を超えてくるとかなりやばい。味がなくなる。だから、今回は 38 度以上はあったのだろうと思うがよくわからない。医者には行かない。ヘタすりゃ、インフルエンザをうつされる。
まあいい。私の風邪話をしててもしょうがない。
さすがに 1 ヶ月も経つと書きたいことが溜まって収拾がつかないのだが、またさきも申し上げましたようにちょっとお加減もおよろしくないものですから、長くは書けないんだが、ちょっとびっくりしたことをひとつ。
川田薫氏の『いのちのエネルギー』に書かれてたことで、ほんの一部分なのだが、私は本当にびっくりしたので紹介する。ちなみに、この本自体とてもすばらしいもので、短いながらも、とにかく大切なことがしっかりと書かれている。
鉱物です。花崗岩とか玄武岩ね、ちなみに地球は陸の表面を覆っている花崗岩、海底から陸の下に潜り込んでいるプレートの玄武岩、もっと下のマントルにある橄欖岩(かんらんがん)の 3 種類が基本らしい。その鉱物をどろどろにすりおろして、溶液にすると、その超微粒子の直径はだいたい 2 ナノメートル。 2 ナノメートルだから、えーとナノだから、10 億分の 1 だから、1000 万分の 1 センチだから、100 万分の2ミリ? つまり 1 ミリの 50 万分の 1 くらいの大きさなわけだ。粒子がね。その鉱物の元素となると、それは正四面体(あの 4 つの三角形で面ができてるヤツ)で、ケイ素が真ん中つまり正四面体の中心に 1 個あって、正四面体の 4 つの頂点に酸素がある。だから SiO4 だ。これが基本。で、こういった元素が複数集まったとき、酸素をいくつ共有してくっつくか、たとえば酸素を 2 つ共有してくっついたり、3 つ共有したりとか、そのくっつき方の違いがその鉱物の性質になるわけだ。簡単に言うと、正四面体の中心にケイ素がきて、四隅に全部酸素がくる。この SiO4 の正四面体が骨格になり、いろんな元素を身にまとい、2 次元、3 次元、つまり平面に立体になっていくわけだ。それで、さきの鉱物の超微粒子、2ナノメートルの粒子に、この正四面体の骨格がいくつ入ってるのかというと、240 ~ 250 個くらいらしい。1 ミリの 50 万分の 1 の大きさの粒子の中に 240 ~ 250 個の正四面体が詰まってる。元素の数でいうと 71 種類もあるらしい。
鉱物はいいや。いいというか面白くて長くなるとあれだし、今言いたいのはそのことではない。鉱物から入ったほうがイメージしやすいのかなと。
水なのです。水の粒子も平均で2ナノメートル。でも水は正四面体ではなく、ちょっとゆがむらしい。水は H2O だ。水の場合は、四面体の中心に酸素がくる。4 つの頂点には、2 ヶ所に水素( H2 )、残り 2 ヶ所に酸素の電子がくる。水素は+、電子は-だからつりあって四面体全体としては中性になる。そんで、これがやはり 240 ~ 250 個集まって 2 ナノメートルのかたまりになっている。でも水は、この 2 ナノメートルのかたまり単体で安定してるのではなく、すぐに合体して 20 ~ 30 ナノメートルのかたまりになる。そしてさらに合体して 100 ナノメートルのかたまりになる。つまり水というのは、平均粒径 100 ナノメートルのかたまりの中に 20 ~ 30 ナノメートルの 2 次粒子があって、その中にさらに 2 ナノメートルの粒子がつまっている、という構造になっている。かたまりができて大きくなったかと思うと、パッとバラバラになり、またさらにバラバラになる。水は、このように絶えず離合集散している。それが水の実態らしい。
それで、それでですよ、たとえば 300 ミリリットルのペッボトルがあるとして、その中に水をどんどん入れる。そして H2O の粒がどれくらいあるか計測すると、平均 12 ~ 13 %。いくら詰め込んでも 15 %くらいにしかならないらしい。どういうことか。要するに、あとの 87 %は何もない。空間だということだ。われわれが水だと思っているものは、87%の空間の中を絶えず 12 ~ 13 %しかない H2O が離合集散している状態だというわけだ。
これは驚いた。驚かない?
もちろん、素粒子論でも原子核とその周りを回ってるとされた電子との間はスカスカだとかいう話はずっと前からある。物質はミクロで観れば隙間だらけだとね。でも、この水の話はどうにも実感として驚いたわけだ。しかも私の場合、風呂につかりながら読んでたので、ショックのあまり思わず本を風呂ん中に落としそうになった。な、なぬ? この風呂の水じゃないお湯は、87 %はなにもなく、少数精鋭の H2O クンらが動き回っている状態でしかないというわけか。これはびっくりするでしょう。だって水は水で、その中にそれに見合った H2O がびっしりあると思うだろう、ふつう。私は風呂ん中でお湯を手で何度もすくったね。
さらに驚くのは、この 2 ~ 3 ナノメートルレベルのサイズになると人間の意思とコミュニケーションができるということだ。これは水でなくてもいい。だから・・・
限界かもしれない。熱がまた上がりそうな気が・・・。でも、上のことに関しては、私は不思議ではないし、当たり前だと思ってきた。驚くのは、これまでオカルトだとかエセ科学といわれてきたようなことが、最先端ではかなり当たり前に融合されてきているということだ。それは前からあることだが、私のような科学オンチはときどきこういった書籍に出会って驚愕するわけだ。でも、この川田氏は、世界で初めて生命を誕生させたというとんでもない人で、さきの鉱物の粒子観察の件でも、世界初のことだったらしいから、一部ではやっかみも含めて認められてないのかもしれないし、一部どころか物理学の世界では超有名な人なのかもしれない。私には現時点ではわからないが、本を読む限り、その人柄というか、マインドは、んな一連のこたあとっくに超えてるお人であることがよくわかる。
ううっ、体調が悪くなってきたが、まだまだ書きたくなってきた。川田氏のほかに、これまたなんで今まで私が知らなかったのだろうという本山博氏のこととか、こないだのゲリー・ボーネルのこととか、もろもろだ。最近で言えば、前にもこのブログで紹介した映画『ザ・シリウス』がやっと公開されるらしい。内容はスティーブ・グリア氏らによる ET や ETV(最近は専門家は UFO とは言わず、ETV=extraterrestrial vehicleと言う)に関するディスクロージャーだ。その内容は、よく観ないとまだなんとも言えないが、この井口博士のブログ(長いインタビュー記事ですが、時間のあるムキは読まれるとかなり驚くかもしれない。こういう情報を知らない人だったらですが)にもあるインタビューに出てくる、霊能戦士という言葉が気になるわけだ。このあたりは個人的には以前から考えていたことがあって、ブログにも小出しに書いていたのだが、この先かなり重要なキーワードになると思う。それで、『日月神示』の空中を飛ぶ人も出るなどの表現や、キリスト教の空中携挙や、かつて滅んだレムリアやアトランティスや、アブダクションや、御降臨や、もろもろがすべて説明がつくというより、超能力や霊能力自体はどうでもいいといったらあれだが、やはり人間側のことが問題で、はよなんとかせねばヤバイんじゃね的なことだ。
またそのあたりを、今度、復活したら・・・
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