だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting vol.10 「現実と論理」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第10回
「現実と論理」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2015年8月30日 東京・中野にて収録

西塚 『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』も、今回で第10回になりました。まずは乾杯しましょう。もう飲んじゃってますが(笑)。カンパーイ。

ヤス はい、カンパーイ。どうもどうも。

西塚 昨日は、ヤスさんの恒例の月例会『ヤスの勉強会』でしたね。いかがでしたか?

ヤス おかげさまで、なかなか盛況でした。

天津の爆発事故の真相とは?

西塚 先日も株価の下落があって、そのあたりのこともお聞きしたいという方々もいらっしゃたんではないかと思いますが、この場はそういうテーマは、僕自身がよくわからないので(笑)、あまり取り上げないのですが、やはり中国ですね、重要な要素は。僕のような素人でもそう思います。天津の爆発事故にしても、習近平と江沢民派の争いが絡んでるといった話もあります。まあ、ヤスさんのメルマガを読めばそのへんのことは詳しく書いてあるわけですが、簡単にかいつまんでお話しいただけますか?

ヤス 結論から言うとですね、今回の天津の爆発は、あれは今いろんなところから情報が出てきて、まず事故ではないと。あれは爆破なんだということです。習近平が進めようとしている腐敗撲滅・汚職撲滅の改革に対する抵抗勢力、すなわち江沢民という前の前の国家主席の一派ですね、それが引き起こしたということです。

なぜ天津で爆破したのかというと、こういうことです。習近平というのは、ある意味でプーチンに似たタイプの男なんですね。エリツィン大統領は、ゴルバチョフの後にソ連が崩壊して初めて大統領になった人です。エリツィン自身は、欧米の利権にぐちゃぐちゃにコントロールされている人物でもあった。だからロシアは、プーチンが首相になる1999年くらいまでは、惨憺たる状態だった。ロシア経済そのものが、海外から入ってきた、特にアメリカ系の資本の息がかかったロシア内部の「オリガルヒ」と言われるマフィアに、ほとんど国富が独占されたような状態で、言ってみればアメリカの植民地に近いような状態になり果てたんですよ。その中でプーチンは、まずエリツィンの子飼いとして出てきた。

プーチンは本当にイエスマンだったんですね。元KGBの中佐だったので、FSBという国家の安全保障を担うような部局の長官に抜擢された。その権力をベースにして、エリツィン政権とつるんで当時のロシア経済を食い物にしてるような悪い連中を、逆に守ってた立場なんですね。完全にイエスマンだった。それで、我々の既得権益を維持するにはあいつが一番いいだろうということで、大統領になった。でも大統領になったら、手の平を返したんです。

今までプーチンを大統領に押し上げていたオリガルヒと言われるロシア内部の既得権益層、または外資と結びついたどちらかと言うとマフィアに近い層を、まあ逮捕はするわ、資産没収はするわ、彼らの持っているエネルギー系の企業を国営に戻して、そして信頼できる人たちに全部預けるといった形で、どんどん国富を取り戻してったんですね。それがプーチンです。

どうも習近平も似たような人だという感じですね。習近平は、太子党と言われてますが、本当に意見を言わない。全部イエスマンで、まわりとの人間関係で摩擦を起こすということが、まずないというタイプの人だった。鄧小平が牛耳る前の1970年代の文化大革命の時代、毛沢東がまだ生きてる時代に、習近平のお父さんは副首相まで務めた人ですから、習近平は既得権益層ということで排撃されるんですね。下放されるんですよ。

文化大革命は何かと言うと、毛沢東原理主義ですね。だから習近平は、毛沢東に関してものすごく強い敵愾意識を持っていてもおかしくないんですけど、おくびにも出さない。毛沢東、および原始共産制みたいなものを賛美するようなことばかり言う。そうやって周囲と摩擦をいっさい起こさないで、イエスマンで上がってきた人なんです。だから、権力を取らせるんだったら、まあアイツが妥当な線だろうという存在だった。コントロールも効くし。

西塚 当時、李克強もいましたよね。どちらが主席になるかわからないという状況だったと思いますが。

ヤス 李克強は初めから胡錦濤派で、鄧小平の流れを汲む生粋の改革派なんですよ。李克強を国家主席にしたら、何をやるかがはっきりわかるわけですね。そうすると、改革に反する旧態依然とした、既得権益を得た共産党の保守派の敵対勢力があって、彼らから睨まれる。ところが習近平の場合は、どちらにも敵がいないという人だった。それがいざ総書記、国家主席になったら、本当に手の平を返した。いきなり変わるんです。

西塚 そうなると、プーチンは今、国民の80%でしたっけ、支持率がある。それに近い感じで、習近平を中心に訴求力は高まりますね。

ヤス 問題はですね、今、習近平がやってる改革です。ひとつの大きな改革は、腐敗撲滅の改革です。共産党から汚職を徹底的に減らす。そして第二としては、国営企業を民営化する、リストラするという、次の改革が待ってると思います。重厚長大な輸出依存型の経済政策ではなく、内需依存型で、民間資本依存型の経済へと変える。それによって国民生活が安定してくるとですね、確かに習近平はプーチンに近い位置にいくんじゃないかと思うんですね。

そういう習近平政権に、やはり江沢民一派はすごく抵抗するわけですね。これはいろいろなところに出てきてる情報ですが、年に2回、北戴河(ほくたいが)会議というのがある。河北省の北戴河という市があって、そこが避暑地になってる。そこにいわゆる7名の政治局長が、まあ中国の最高支配者たちとその家族ですね、それからかつての政治局常務委員のOB、およびその家族が、みんな集結するんです。それで2週間くらいかけて会議をやる。そこで、領導という形で、OBのほうから強い圧力と要求が課せられるわけですね。

西塚 要するに、既得権益側に有利なように、こうせい!という話ですね。

ヤス こうせい!という話。それを利用して今回、習近平は北戴河会議で、江沢民に対して宣戦布告をする予定だった。まず、我々は腐敗はいっさい許さないんだと。それから、江沢民一味でも、逮捕するにやぶさかではない、ということを宣言する。それを江沢民一派が早いうちに北戴河に入って根回しをし、そういう情報を掴んだので、それを引っ繰り返す計画を練っていた。

さらに、もうひとつ大きなことをやろうとしていた。天津から北戴河まで移動する列車がある。中国の政治局長メインの最高幹部クラスは、列車で移動してくるつもりだったんですが、それを爆破して、習近平もろとも暗殺しようという計画があったというんですね。

西塚 本当に映画みたいな話ですね(笑)。

ヤス それを習近平のほうは事前に察知したと。察知したんで、北戴河会議を中止してしまったんですね。中止したので、あわてたのは江沢民派ですね。列車を爆破しようとしてたので、膨大な証拠がある。その証拠を隠ぺいするために、列車の鉄道路線および近隣にある天津もろとも爆破した、というのが今回の真相だということらしいです。

西塚 だとすれば、前に中国の列車事故で、車両ごと埋めて事故を隠ぺいしちゃったという事件がありましたが、それに通じるムチャクチャな発想ですね。

ヤス ムチャクチャな発想ですよ(笑)。

西塚 また、北京では世界陸上をやってましたね。北戴河で離れてたからよかったですが、近かったら、危なかったと言うか、何があったかわからない。やることのスケールがでかいと言うか、別に褒めてるわけはじゃありませんが、かなりムチャクチャです。でも、ヤスさんが紹介してくれたビデオとか、メルマガでもそうですが、中国内部からの報道として、そういう情報が外部に出始めてるというのは興味深いですね。押さえきれなくなってるのか、うがったことを言えば、習近平に利するような内容なので、あえてそのままリークさせてるのかわかりませんけれども…

ヤス これね、ふたつの見方があるんですね。ひとつの見方は、今回の天津の大爆発というのは、習近平政権にとってすごく大きな痛手だろうという見方です。今回ほら、戦勝70周年記念ってやってますでしょ。

西塚 安倍が断った。

ヤス オバマも断った。ただ、プーチンとかパク・クネとかね、周辺諸国の首脳は出るわけです。北京で行なわれるんですけど、セキュリティ上、北京空港は使わないということになってた。どこの空港を使って要人が移動するかと言うと、実は天津空港を使うことになっていた。だから、天津は、北京で行なわれる70周年記念行事を支える重要なバックボーンのひとつとして考えられていたんですね。そこをやられたということは、記念行事をね、習近平は十分に指導する力がないのではないかという政治力の弱さを露呈させた。習近平が赤っ恥をかいたんだと。だからこれは、習近平政権にとって極めて大きな痛手であると。これからは、習近平は中国の指導部内部で求心力をなくして、どんどんダメになっていくという見方があるわけです。

もうひとつの見方はまったく逆で、習近平はこれを機に権力の集中を進めて、今まで鄧小平以降は集団指導体制だったんだけれども、鄧小平時代の一極集中型の体制に戻す、その過程をどんどん加速させるというね、習近平にとっては最終的には有利に作用するのではないかという見方があるんです。その証拠に、江沢民父子と側近中の側近といわれる人物が今、軟禁状態にある。

それともうひとつ。中国の権力構造というのはこうなんですね。13億5000万人の人口がいて、8660万人の共産党員がいる。その上に幹部になる中央委員がいるんです。中央委員になってくると、地方都市の支配層になる。たとえば、四川省共産党書記長みたいになる。そのような地方都市および中央の政界の幹部になるような人たちというのが、216人いる。その中央委員を養成する学校があるんですね。要するに共産党幹部候補生学校ですよね。中央校と言いますが、これは北京にあります。その中央校の入り口に、江沢民が書いた毛筆のサインを模した石碑があるんです。それが最近、撤去された。

西塚 それは、もう象徴的ですね。

ヤス そうなんですよ。江沢民一派というのは、どうもいなくなりつつある。そうなることによって、やはり習近平政権の権力はどんどん増してくるだろうと。

中国頼みの世界経済

西塚 話がずれてはいけませんが、中国は多民族国家なので、内部問題があるといろいろ困ったことが起こるわけですが、日本にとって一番困るのは、中国の経済もそうなんですが、難民だと。中国が内乱状態になったときに、とてつもない数の難民が発生する。そうすると、間違いなく日本に押し寄せてくる。しかし日本の政府はおそらく抑えられない。そうした恐怖が一部にあります。

だから、むしろ中国は習近平が権力を集中的に把握して抑えてくれているほうが、実は世界、特に東アジアにとっては安全なんじゃないかという話があります。習近平が取りあえず睨みを利かせている間は、隅々まで一応コントロールできるので、あのような巨大なわけのわからない国は、そのほうがまだ安心だという言い方はできませんか?

ヤス まさに、そうですね。それ以上にですね、今回の株価の下落でわかったのは、中国なしで世界経済は成り立たないということが、はっきりしたことです。あの国に頑張ってもらわないと、どうしようもないところまできてるってことなんですね。

西塚 よく日本のネトウヨも含めて、中国と戦争になる云々と言ってますが、あり得ないということですね。中国もよくわかっているわけです。今、戦争して、どれだけの不利益を被るか、お互いにですね。おそらくあり得ないと思うんです。極端に言えば、いかに戦争を回避するかということしかなくて、米中にしても、その間のいろいろな駆け引きなり、民衆に対する何かアピールはあるかもしれませんが、基本的には戦争しない方向にいくんじゃないかなと思います。甘いですかね。それこそ、想定外の「ブラックスワン」が起きるとすれば、僕はやはり中国だと思うのですが、抑えが効かなくなるという、ヤスさんが言う「ツナミ」ですが…

ヤス そうです。日本にも中国にもアメリカにも、やはり好戦的なアホがいるんですね。

西塚 ああ、アホ(笑)。

ヤス もう、イデオロギーの中でしか生きていないというタイプの人たちがいるわけですよ。そういう人たちって、日本の指導層の中にもかなり入り込んでますから。

西塚 あ、指導層にもいますかね?

ヤス いますよ! 今の安倍政権はどうなのか。現実が見えているのかってことです。すごく怖いものがありますね、今。だから、コントロール不能な戦争に入ってくるという可能性は排除できないと思うんですよ。

ちょっと株価の問題でいきますとね、やはり世界経済は中国経済なしでは成り立たなくなってきたということがはっきりした。僕は内外の経済記事や海外レポートを読むんですが、意外に楽観的なことが言われている。たとえば、いわゆるアベノミクスというのは、これからどんどん成功して、中国とか他の国とは関係なく独自の成長軌道に乗るんではないかと。アメリカの失業率にしてもどんどん下がっている。FRBのイエレン議長が利上げということを語るぐらいに、アメリカの景気がよくなっている。シェールオイル革命によって、エネルギーの自給も達成できるようになってるし。とういうことでは、アメリカ自身もね、中国とか世界経済に依存せずに、世界を牽引できるような経済へとまた成長しつつあるんではないか。

ユーロ圏に関しても今、ギリシャで相当もめてるけども、ユーロ圏の中心になってるドイツを見ろと。毎年、4%くらいの経済成長をずっと続けていて、成熟した経済なんて言われながらもね、まだまだ伸びしろがあるではないかと。そうすると、ギリシャ問題みたいな問題を解決していくと、今後はユーロの盟主としてのドイツがユーロ圏を引っ張っていって、また成長軌道に乗るんではないかと。そういう楽観的なシナリオが、思っていた以上に強いなという感じがしてたんです、今まで。

つまり先進国経済は、ヨーロッパもアメリカも日本もそうですけど、中国に対して依存なんかしてないんだと。中国というのは当然いいお客さんなんだけど、中国なしではダメかというとそうではない。我々はもう復活して、いわゆる新たな成長軌道に乗る準備段階にある。また国によっては、もうすでに成長軌道に乗ってるんだという楽観的な認識があったんですね。今回の株価の暴落というのは、それを打ち砕いたんですよ。

株価の暴落そのものは、大したイベントではないなと思うんですね。中国は元を切り下げたわけですね。その切り下げが、中国政府がいかに経済を悲観してるかということのサインではないか、兆候ではないか、ということを世界のマーケットは感じてね、それで過剰反応した。みんな売りにまわった。

西塚 昔の言い方をすれば、中国がくしゃみすると世界が風邪をひくと、今。

ヤス そうです。だから、あれほど大きな暴落を演出した市場そのものが、自分たちがいかに中国マーケットのちょっとした動きに反応せざるを得ないか、ということを再発見したということです。

西塚 そうですよね。みんな資本家が、投資家も含めて、自らが動くわけですから、語るに落ちると言うか、みんな反応したわけですからね。いかに重要視してるかという証拠ですよね。

ヤス そうなんですよ。その反応した本人が、エーッ!とびっくりしてる。やはりこんなに依存度が高いのかと。その結果、市場のみならず世界経済に対する認識が大きく変わってきたと思うんです。今までだったら、先のような楽観的なシナリオも成り立ってたんだけども、実は完璧に中国頼りなんだと。アメリカにしろドイツにしろ日本にしろ、自ら成長を作り出して牽引するだけのモメンタムがもうなくなっている。先進国というのは、どうも成長限界にぶち当たったらしい。だから外部の中国という力に牽引されて、やっとの経済なんだと。

じゃあ、なんで先進国の経済がもってるかと言うと、巨大な金融緩和という方法で通貨を刷ることによって、需要を無理矢理に金融的に嵩上げすることによって何とかかもってるんだと。

西塚 数字合わせですよね、単純に。実体ではないですよね。

ヤス 実体じゃない。だから実体経済の成長って実はないんではないか。実体経済の成長のように見えてたけども、中国によって牽引されてただけで、あとは金融緩和とか、政策によってパンパンに風船が膨らまされた状態。だとすれば、ちょっとした何かがあった場合にね、要するに先進国経済がいかに成長限界で立ちいかなくなっているかということを露呈するような事件がひとつでもあれば、もう市場はボーン!と破裂する。一気にまた大暴落を起こす。そうした認識が、どうも僕は一般化してきてるのではないかと思いますね。

アメリカの凶暴性を日本人は知らない

西塚 おうかがいしたいのですが、たとえば日本のGDPは下がってるにもかかわらず、企業の利益が上がってる。

ヤス ええ、ええ。

西塚 あれは株主が不当に利益を得ていると。本来は働いている人に還元されなければいけないものを、不当に搾取していると。今、アメリカはどうなってるのかなあ。普通に働いている人たちの意識として、今どんな感じなんですか?

ヤス アメリカ経済は、数値そのものから見るといいんですよ。3%から4%に達するという成長率で、失業率もどんどん下がってはいるんですね。今までアメリカの失業率は一番高いときで10%近かった。オバマ政権になってどんどん下がって、今は4%台になってる。見かけの数値は景気がいいという状態。ただ、現場のアメリカ人の書いたレポートとか、僕の友だちの現地のアメリカ人に聞くと、景気がいいなんてまったくのウソだと。我々はいかに苦しんでいるかということしか聞かない。

そのように格差が生まれてる。格差が生まれている根源にあるのは、労働分配率という概念なんですけど、いわゆる経営者がいくら取って、労働者がいくら取るという、労働分配率の悪さですね。

西塚 そうですね。ほとんどが不労所得に近い形で株主がみんな持ってっちゃいますからね、ごっそり。韓国でも、サムソンだろうが現代だろうが、97年に国が破綻して以降、株主がほとんど外資のなって、売り上げをごっそり持っていく。そうした配当がある月は、だから赤字になったりする。かなり悲惨な状態だというふうに聞きます。

ヤス ただね、日本の大企業もそうなんですよ。たとえば、キャノンというのは日本の企業なのかということですね。80%以上は外人投資家ですよ。日本の市場の企業はほとんどそういう状態ですから。

西塚 日本もそうですか。

ヤス サムソンと同じ状態ですよ、今。だってね、日本の株式市場の80何%だったかな、外国の投資家ですから。

西塚 それで今回ですね、教えていただきたいのですが、改正農地法が参議院を通過して可決しました。今までは、農地を所有する法人は、まず日本人じゃなきゃいけないし、役員の過半数は農業従事者だと。それが緩和された。農業従事者以外の議決権要件も4分の1以下から2分の1未満になった。しかも外資への規制がありません。そして、農業新聞などを除いてほとんど内容が報道されません。僕は、これはかなりヤバイのではないかと思いますが。そのへんは、いかがですか?

ヤス それは、やはりここがキモだとしてTPPあたりでも改革が迫られていた部分なんです。かなり前からそうですね。いわゆる外資系企業ないしは外国の投資家による、農地の取得の権利を与えろということです。

西塚 集団的自衛権とか安保法制案がどうのこうのでごちゃごちゃしてましたが、影で法律が通っちゃった。僕は右翼でも何でもないですが、右翼的に言えば「亡国の道」といったような法律が裏で進んでいると感じましたね。

ヤス 完全に亡国ですよ、本当に。それによって何がやってくるかと言うと、モンサントなどのいわゆる外資系の大手農業資本がやってくる。アメリカ系ですよ。

西塚 中国を見てると、どさくさで大金持ちになって、共産党幹部なんか何十億、何百億儲けてるじゃないですか。それでいい水がほしいと言って、日本で買いあさったりするという。でも、それはなんか可愛いというか、まだわかるんだけれども、もっと着実に、虎視眈々とやってるグローバル企業のほうが、ちょっと恐ろしいですね。

ヤス 怖いですよ。だからね、僕は深刻に日本人に危機を感じるのは、アメリカに対する認識の甘さですよね。やはり、多くの日本の人たちの意識というのは、まだ冷戦構造のときのアメリカなんですね。冷戦構造のときは、確かにアメリカには親としての側面があった。ソビエトというのはすごく巨大な脅威で、大国でしたから。アメリカ自身がすごい脅威を感じてた。そのために同盟国との結束を固めて、えらい妥協をしてきた。日本に対しても相当な自由が与えられた。

ただ、それはアメリカの本来の姿ではない。いみじくもプーチン大統領が4月16日にね、ロシア国民に向けて声明で言いましけどね、アメリカは同盟国を求めていないと。アメリカが求めている外国勢力は家来だと言ったんですね。その通りなんですよ。だから、アメリカがいかに凶暴な国であるかという認識を、我々ははっきりと持たなければならない。

僕が非常に残念なのは、日本で英語の読み書き、および英会話ができる人が少ないということなんですね。日本国内で報道されてる、特に新聞・テレビのレベルの報道では、アメリカの実体は絶対にわからない。いかに凶暴な国なのかということは、現地のメディアのしっかりとした情報を掴まないとわからないわけですね。

西塚 さらに言うと、アメリカのメディアには、ガンガン報道するメディアがいっぱいあるんですね。

ヤス いっぱいある。アメリカは、それこそインターネット大国であるというのは事実で、代替メディア、英語ではオルタナティヴ・メディア(Alternative Media)と言うんですが、それがすごく豊かなんですね。それじゃ、そのオルタナティヴ・メディアはチンケなものかと言うと、そうじゃないんですよ。地上波でも流れる。

西塚 たとえば、ちょっとスピリチュアル系に寄っちゃうと、『Coast to Coast AM』なんかは、3000万人の聴取者がいるというじゃないですか。あれはちょっと驚きましたね。

ヤス そうそう。それからですね、僕もよく見る『Gaiam TV』ってあるんですけど、これはアメリカで出ている英語圏のスピリチュアル系の番組で、ビデオから何でも一定料金を払えば見られるんですが、あれなんかもすごいクオリティが高いしね。それから、僕もけっこう好きで見てるアレックス・ジョーンズの『INFOWARS.COM』ですけど、陰謀系などと言うんですが、逆に見るとですね、主流じゃなければないほど、やはり実証にこだわる。いかに事実があってというふうに、細かい実証にこだわる。

西塚 そうですよね。誹謗・中傷がくるのがわかってますからね。

ヤス そう。だからむしろね、主流がおかしいんです。実証が非常に危うい。

オルタナティヴ・メディアの持つ可能性

西塚 ヤスさんから教えてもらった『RUSSIA TODAY』(ロシア・トゥデイ、現RT)にしても、アメリカで2番目に視聴率が高いという。あれにもびっくりしました。ロシア政府が後ろ盾になって放送している局なのに、アメリカで2番目の視聴者を持つという…驚きですね。

ヤス そうですよ、『CNN』を抜くくらい。だからアメリカ人というのは、一方で『RUSSIA TODAY』を見ながら『CNN』を見て、嘘だあ!って言って、こいつら何を嘘言ってんだ、と言うわけです。

西塚 アメリカというのは移民族国家と言ってもいいですから、それぞれの文化を持ってる連中がいっぱいいて、いろいろ声を上げるんだろうけれども、それでも権力にやられちゃう。前にヤスさんから『Atlas Shrugged』みたいなアメリカの映画も見せてもらいましたが、そういう連中だからこそ、ガチッとやらないと逆に潰せないという感じなんでしょうね。

ヤス そうですね。だから、それだけ統制のとれた強権的な体制にならざるを得ない。

西塚 抵抗勢力がデカすぎるんですね。日本の場合はまだ小さいから、適当に押さえつけておけば大丈夫だと甘く見てるかもしれません。さきほどのプーチンや習近平のように手の平返しじゃないですが、日本人も含めて何かに目覚めると言うか、気がついたときに、引っくり返る可能性はありますね。

ヤス ありますよ。アメリカの抵抗勢力は巨大ですよ。本当に政権の中枢が怖がるくらいの抵抗勢力ですから。銃で武装してますし。これは怖い。立ち上がったら何をするかわからない、という人たちの集まりでもありますからね。

そのように、アメリカにはオルタナティヴ・メディアというのがたくさんあって、細かく事実を集めて実証するようなね、クオリティの高いメディアが最近増えてるんです。

西塚 それが、日本にはない。

ヤス ないない。『RUSSIA TODAY』はね、ケーブルテレビの地上波で第2位までになる。それとまた『Democracy Now』というテレビがあって、これもオルタナティヴ・メディアでインターネットで配信されてたんですけど、えらい人気が出て、もう今は地上波ですよ。それから先のアレックス・ジョーンズも、たしか地上波になりつつあるはずです。ケーブルだと思うけど。

というくらいね、主要メディアと接戦するくらいの人気なんですね。だから、アメリカのほうがはるかに情報を得やすい。それに対して日本というのは、オルタナティヴ・メディアがあまりにも小さいんで。

西塚 いまだに、朝毎読売サンケイですもんね。

ヤス そうそう。あんなのさ、なんか子どもの壁新聞の世界じゃないですか。NHKも含めてね。

西塚 本当にそうですね。

ヤス 子どもの壁新聞を読んでて、お前、これが現実だと思ってんのかと。ムチャクチャですよ、ジャーナリストが言うことは。

西塚 逆にフィクションに近いような現実。冗談かと思うような。

ヤス 最近、日本でマスコミにもよく出る中国専門のジャーナリストの本を読んだんですね。2014年に出した本で、中国の内実を詳しく述べている。その人も優秀なジャーナリストで、中国の高官とか政治家とか、いろいろな領域の人にインタビューしてるんです。インタビューして事実を集めるのはいいんですよ。問題は、集めた事実をどういう認識へと収斂させていくかという認識の問題ですね。それがない。ないと同時に、日本のジャーナリストの弱さなんですけど、あまりにも稚拙な「思い込み」の世界に入るんです。

西塚 思い込みは個人的な思いに還元されるから、ものすごく矮小化されて貧弱になりますね。エディットする側もする側で、ある程度、知識とか経験とか、あるいはもっと複数で検証するとか、そういうことが足りないということですか?

ヤス 足りないというよりね、見識がない。

西塚 見識がない。そもそもない…

ヤス ちゃんと取材のツールと技術と人間関係を持ってね、きっちりと取材して、それをデータとして集めてくれるならば、それは解釈をするための基礎データとしては使えます。でも、いろんな事実を取材して、それをどう吸い上げて認識を作るかというね、結果的に現実はこういうことになってますよという判断力がほとんどなくて、もう思い込みの世界なんです。

西塚 今日は、前回の続きでスピリチュアル的な話をしようと思ってましたが、これはこれで現実的で面白いので、このままいきましょうか。

ヤス いいですよ。

「見識」がないジャーナリストたち

西塚 たとえば『IWJ』の岩上(安身)さんなどは、ある発言でテレビを干されてから、独自のメディア、インディペンデントメディアを作って一生懸命やられてますよね。でも、どうしても個人に頼らざるを得ないし、資金的な問題もあるでしょう。『IWJ』はメジャーなほうでしょうが、学生も含めていろいろ芽はあるんですが、それがまだムーブメントにならないというのは、やはり今おっしゃったような思い込みとか、サークル、ミニコミを出ないという、マインドに関係してますか?

ヤス そうです。『IWJ』はすごく優秀なメディアだと思うんですね。僕は岩上さんは尊敬していて、彼はもともとジャーナリスト以前にですね、見識があるんですよ。世の中の全体的なトレンドがどうあって、それが何に向かっているかということをかなり的確に、深いところまで捕まえているんですね。そういう見識が先にあるから、いわゆる事実を審美化しないで、無理なく論理的に至ることができるというタイプの人だと思うんですね。

西塚 そのへんはどうですか。たとえばヤスさんも対談された、まあ一回“ヤラレ”ちゃいましたけど、植草(一秀)さん。僕は最初はちょっと色眼鏡で見てたんですが、どうやらそうじゃないということが、あとからわかってきた。かなり切れる人で、いろんな真実を掴んだからこそ、ヤラレちゃったんでしょう。そういう人たちの見識というのはあると思います。でも、見識がある人ばかりじゃないじゃないですか。先のアメリカの話じゃないですが、普通の学生だろうが、一般人だろうが、個人の能力に還元するような見識ではなくてですね、何と言いますか、知り得るようなメディアがない、ということなんじゃないかと思うんです、日本に。

ヤス ないない。植草さんで言うと、あの人は日本のエコノミストで一番ですね。僕は植草さんのレポートを読んでるし、いろいろ他のレポートも読んでますが、やはりその中でもダントツですね。ダントツに切れる。ただ、切れるということの背景にあるのは、事実からですね、これからどうなるかというトレンドを読み取る能力が傑出してるだけではなくて、本来は物事はこうあるべきだという、彼の価値観があるんですね。僕はその価値観に賛同してます。

西塚 その価値観というのは、もうちょっと具体的に言うとどのようなものですか?

ヤス やはり弱者に優しいバランスを持った経済じゃないと伸びないということです。歴史的に見てもそうだし。弱者に優しいバランスのある経済を創っていかないと、国というのは長続きしませんよ、という認識です。だから小泉政権のときもですね、ただ社会保障費を削減するのではなく、セイフティネットを豊かにした上でやるべきだと主張したんですね。僕は、その植草さんが持ってるような社会認識に、すごく賛同する立場ですね。

西塚 僕も賛同しますね。

ヤス 『IWJ』の岩上さんもそうなんですよ、基本的には。すごくバランスのある見識の持ち主だと、僕は思います。

西塚 なるほど、見識というのはそういうことですね。

ヤス 価値観というのは、やはりはずせないかなと思いますね。多くの人と共感できる、ひとつの価値観に基づいてでき上がった世界認識ですよ、見識というのはね。その世界認識がいろいろ取材した事実と整合性があるということ、これがすごく重要だと思います。

さっきの話に戻りますが、中国の専門家の人の2014年の本を読んでびっくりしたのは、アベノミクスでね、日本はこれから自立的な経済成長に向かうんだと。歴史的に見ると、中国が下がったときに日本は伸びて、日本が下がったときに中国が伸びるという、逆相関の関係にあるんだと。だから、これからの習近平の中国がどんどんダメなって、それとは関係なく、日本は勝手に自立的に経済成長していくのだと。日本は勝った、という本なんですよ。

今読むとね、頭大丈夫かと思う(笑)…

西塚 ちょっとびっくりする話ですね…

ヤス 今回の株価の暴落でわかったのは、日本がいかに中国に依存してるかということですよ。どんどん赤裸々になりつつある。今、市場が一番恐怖してるのは、中国の本格的なバブルの破綻なんですね。まだ破綻してない。破綻したら、こんなに依存度が高いのにどうなるのかと脅えてるわけですよ、みんなね。だから、中国が下がったらどうなるかと言えば、日本も一緒に下がるんですよ。それを無視して、やはり日本はナンバーワンだと言い得る根拠は何のか。それをきっちりと言えるのかどうか。

西塚 思い込みですね…

ヤス 思い込み。だからそれが怖い。

西塚 カルトに近くなってきますね(笑)。

ヤス たとえば、従軍慰安婦を否定するような人たちもいる。その中にはジャーナリストもいて、私はいろんな韓国の村を回って、あなたの家で従軍慰安婦を出しましたかと聞きまくったけど、誰も出したって言わないから、あれは嘘だと言うんですね。

お前さ(笑)、たとえ出したとしても、出したと言うのかと。それに具体的に誰に聞いたのかと。それは南京大虐殺に関しても、日本軍の兵士が首を斬ろうとしている写真があってね、あれは逆光で影のでき方がおかしいから、あの写真は嘘だ、だから南京大虐殺は嘘だと言ってる。これは3歳児の論理でしょ? 恥ずかしくて言えないというくらいの論理のレベルですね。それを支持してる人が多いということが、いかに我々の知的レベルが劣化したかということですよね。

西塚 そうですね。検証レベルというのか、中立化する能力というか、客観視する能力…

ヤス 一度ね、CNNの取材で、だいぶ前ですけど、5歳か6歳くらいの子どもがいてね、彼がエイズだったんですね。で、エイズと告げられるわけですよ。キミはエイズだよと。そうしたら、何も驚かない。じゃあ、エイズでなかったことにすればいいじゃん、と言うんですね。

西塚 ほお。

ヤス だったら、僕は大丈夫だよ。エイズじゃなかったことにしようよと。はっきり言って、それは幼児の論理でしょ? 現実というのは、我々の思い込みによっていかにでも否定できる。その論理と同じじゃないですか。だから5歳児とか3歳児のレベルなんだってことです。よく若い女性でいるじゃないですか、気持ち悪いものを見て、イヤッ!って。あれですよ。嫌だから、どうなんだ?(笑)。だからジャーナリストっていうのは、怖い人たちだってことです。

西塚 ジャーナリストと言った場合ですね、映像でもいいんですが、僕はやはり活字なんですね。話がずれちゃうかもしれませんが、レポートの活字というのは絶対に残る。そこから何かを汲み取る人間が昔からもこれからもずっといて、売れれば何万人、何十万人いて、そこの可能性を信じると言いますか、それが唯一のものと考えているんですね。

言葉と言ってもいいです。ヤスさんがやられてる講演でもいいですが、そういう言葉を通じた、活字を通じたメディアというものに、原始的かもしれませんが僕は期待をします。確かなものがあるような気がするんですね。エビデンスとして、証拠写真がどうのと言うよりも…文学的すぎますか?

ヤス いや、そんなことないですよ。 活字に残すことは絶対に必要ですね。日本というのは、活字の文化がすごく豊かなところです。ちょっと名前は忘れましたが、「日本の精神史」というのは可能かということに挑戦した人がいたんですね。明治期から大正、昭和と、精神史というカテゴリーで括ることは可能なのかと。それで、その人が言うには、論理的な文献がほとんどないんだと。だから極めてわかりにくい。ただ、感情を吐露した、情緒を表現したような、いわゆる文学的な資料には事欠かない。膨大な量があるって言うんですね。で、それが、おそらく精神史を書くためのいいリソースになるだろうと。

西塚 情緒は流されやすい。それはそれで文学を生むんだろうけど、そこにある種の芯が必要で、それがないとブレていって、背骨のない、クラゲみたいになってしまう。そのひとつが論理性ですね。客観性でもいいです。

ヤス そうなんですよ。客観性とか論理は感情を超越しますから。感情とか情緒でつかまえた、ある意味で色彩感覚のある感情表現、その感情表現の奥にあるもの、基本的に何にそれが反応していたのかという、奥にあるものを端的につかまえるためには、それを理念化せねばならない。その理念化の方法はやはり論輪しかないということなんですね。

西塚 そうですね。直観でもいいんですが、直観で何かを掴むんですが、それを言語化するためにはやはり論理なんですね。

ヤス まさに論理なんです。ただね、その本で残念だったのは、論理化ができてなかった。日本には情緒的な文献は膨大にある。じゃあ、情緒的な文献を並べてみようかで終っちゃった。そうしたら、何を言いたい本かわかんない本になっちゃった。

西塚 ああ、でも提起としては面白いですね。

超越的な視座をどこに設定するか?

ヤス 必死に読んでいくと、キーワードになるようなものはちょっとずつある。当時の精神世界はどういうものだったのか。明治期の人間の精神構造のひとつは何かと言うと、ひとつのことを考えるとずっと同じことを考え続けるんですって。ずっと考え続ける。卑近な例であれば、彼女は僕のことを好きなのかどうかとか。それを人生のテーマとして考え続けるわけです。

西塚 ああ、だから明治期に私小説が生まれるんだ。漱石みたいに。漱石の小説は恋愛小説ですから。

ヤス 思想的なテーマでも、人生いかに生きるべきかであっても、それを延々に考え続けると。考え続けるという一貫性があったし、考え続けるという態度、それが当たり前の時代だったんだと。それが戦後になると、新しい現実に対して、自分がいかに感情的に反応するかというほうをむしろ取る。昔に反応した感情を捨て去っていくわけですね。だから、A子さんに惚れて、B子さんに惚れて、C子さんに惚れて、というふうにいくわけですよ。

西塚 この間の話に結びつけるわけじゃないですが、人は超越的なものを求めるとヤスさんはおっしゃいました。今が楽しければいいというのは、長くは続かないよと。いろいろと衰えるし、そのときどうすんだお前はと。いずれは何かしら向き合わなくていけないものが出てくる。そこで超越的なものとの絡みの話が、前回出てきました。

明治期はものすごい国の変革があって、漱石にしてもイギリスにいって、近代的なものに打ちのめされてくるわけですね。私とは何だろうかとかという自我の問題、もちろん恋愛的なものもあって、それこそおっしゃったように延々と悩むわけです。北村透谷もそうですね。恋愛というのは、人間同士の感情の象徴的なものじゃないですか。なおかつ近代化の問題で、哲学的、経済的なものとも絡めて悩んでしまう。田山花袋の『蒲団』にしても、あれも人間の情緒なんだけど、悶々として悩む。僕なんか、蒲団なんかにまみれないで、ヤッちゃえばいいんじゃないかと思いますが、これは下品な言い方ですが…

ヤス 西塚さんみたいに(笑)。

西塚 いや、そうじゃないですよ! ちょっと待ってください(笑)。

ヤス いいじゃないですか、別に、アハハハハハ。

西塚 僕はそんなタイプじゃないですよ、悩むタイプですから…(笑)。

ヤス ウソだあ(笑)。

西塚 それは違います(笑)。まあ、だから、不文律とか戒律とか、ルールがあってそれに則ってというよりは、わりと日本人は情緒に流される…

ヤス 明治期の悩みってありますよね。北村透谷なり、漱石の持っていた恋愛とか近代に対する悩みであるとか、一貫した私小説の内部に独特な悩みがありますね。自分とは何なのか、自分が恋愛する意味とは何なのか、目の前の女性が自分にとってどんな意味を持ってるのかとかね。そういう意味に関する悩みがあるでしょ。それは、明治維新以前の江戸期にはない悩みですよ。

西塚 ないんですよ。あったとしても異質というか、次元が違うんですね。そこなんです。僕の単純な個人的な意見ですが、インフラが違っただけだと思いますね。社会構造が違っていた。だから逆に言うと、それがいかに人間の感性を規定していくのか、ということでもあります。

ヤス そうね。だから社会構造が違うということで、人間の悩みが説明されるということになると、マルクスにいっちゃうということですね。基本的には、人間というのは社会システムの副産物であって、人間の悩みであるとか、心の状態というのは、実は社会システムによって規定されているんだと。じゃあ、その社会システムのデザインを変えれば、人間は変わるかもしれないと。

西塚 規定されるという言い方がきつければ、影響がでかいという言葉でもいいですよ。

ヤス そうそう。ただね、それがどんどん影響すると、理想的な社会システムを作れば、理想的な人間ができるんじゃないか、じゃあ、その理想的な社会システムのほうを先に作り上げようよということになる。そうすると、スターリニズムとか、もっと言うとポルポトの世界になるんですね。

西塚 そうですね。そこに関して言えば、先日の話にもつながるかもしれませんが、今のスピリチュアリズムブームというのは、ひょっとしたら民衆の無意識かもしれないんですが、何かのアンチを醸し出しているような気もしますよね。

ヤス そうですね。昔、別役実が演出したある劇があるんですが、電信柱が出てくるんですね、ずっと。どこの町にもあるような、電信柱をめぐる人間関係の物語です。それで彼が何を最終的に言いたかったかと言うと、「超越性」、柱ということですね。人間が自分自身の生に対して意味をもたらすということは、必ず自分をね、今の自分ではないような場所から俯瞰するという視点の設定が必要になる。

俯瞰することによって、今生きてる自分自身を相対化する眼差しが必要になってくるんですよ。その視点設定を担保する、保証するための超越的な視座が必要なんですね。それは神であっても仏であっても、何でもいいんですが、そういう視座がどうしても必要になってくるということなんです。

別役実はおそらく、その超越性が解体されてしまって、もはや電信柱程度のものになってしまってる、ということが言いたかったんだと思います。大きな大樹としてね、誰でもそこに依存して、その場所にいけば自分自身を客観的に対象化して俯瞰できるといったような、大いなる場所がなくなった。もはや目指すところがなくなって、わからなくなってしまった。わからないくらいに小さなものになってしまった、ということが言いたかったんだろうと思います。

明治以前というのは何かと言うと、我々が実感できる超越性の場所があったんです。それは神とかではなくて、江戸期の人間がみんな共有している、当たり前の世間の見方ですね。

西塚 それは、日々の生活、日常生活の中に実はあったんじゃないかと思いますね。

ヤス 言ってみれば、日常生活の中に神を感じるということですね。日常生活の中に神や仏が生きてるということを直に感じる。それは、まさに自分以外の超越性の世界とつながってるということ。ひと言で言うと、先祖です。

西塚 そうなると、前にヤスさんと話したときに、いわゆる「お天道様が見てる」というのは、ある種の依存になると言うか、ちょっと僕は否定的にとらえた気がしますが、日常生活に流れてるルールと言うか、それもちょっと違うな、もっと身体感覚的なものに根差したある種の良識とか、慣習とか…

ヤス バランス感覚とか、美学とかね。

西塚 そうですね。僕は「粋(いき)」とはどういうことかと思ったこともありましたが、九鬼周造じゃないけど、あの「粋」も言ってみればバランス感覚、美学ですね。ともかく、江戸期にはそうしたものがあったと思います。

ヤス 江戸期までの日本というのは、「個」というものがあまり成立してなかった。当時の日本人の自己意識は我々の今の自己意識とは全然違う。やはり「家」というのが中心にあるわけですね。ひとりひとりの人生というのは、いわゆる家系というものを維持していくための、長いつながりの輪にしかすぎないという認識ですよ。自分に与えられたことは、祖先から受け継がれた家業に徹底して、世間に恥ずかしくない生活をして、その輪を次の世代に受け継いでいくということ。それが、自分自身の生活の一番満足する姿なんだと。

この輪をたくさん鎖のようにつなぐことによって、この家系の安泰、家の安泰が保たれるのだという理解の仕方。だから自分は家系の一部なんだと。死んだらどうなるかと言うと、先祖代々のひとりとして自分も祀られる対象になるという考え方です。

そのようにして見ていくと、先祖の霊というのは、あらゆるところに生きてるということを実感するわけです。それに取り囲まれて生きている。その先祖の霊、および家系が綿々と続いていくという世界観との関係の中で、ひとりひとりの自己の意味を見出す。それがまさに超越的な視点から俯瞰するという役割を果たしていたということだと思うんですね。

西塚 先祖とのつながりが、特に戦後は核家族化ということもあって、お墓も別々になったり、希薄になっていって、そのへんの認識が変容していった。だから、今おっしゃった「先祖」という言葉に抵抗を示す若い人たちもたくさんいると思います。先祖って何? クロマニョン人?(笑)と言う人もいるくらいの感覚になっているかもしれませんね。我々のように50を過ぎていればわかりますけどね。

ヤス 先祖とのつながり、先祖の目から現在の自分自身を見るということですね。だから先祖とは何かと言うと、あの世とこの世を媒介するための、媒介者の役割を果たすわけですよ。

西塚 視座を先祖に持っていく。

ヤス 死んだ先祖の視座から自分の今を振り返って、自分自身を俯瞰して相対化するという流れですね。明治維新以降にどうなったかと言うと、それを通り越して「個」が出てくるんですね。北村透谷も「個」だったわけだし、夏目漱石も完全に「個」ですよ。先祖とのつながりによって自分自身を相対化して、それで今の自身自身を反省して意味を見出すというね、こうした視座そのものを拒否することで成り立った「個」ですね。

「個」は「個」として、自分自身の人生に意味を見出すための新しい超越性を探すわけです。それが「悩み」だということです。

西塚 となると、いわゆる近代的な「悩み」、あるいは「自我」でもいいですが、やはり明治以降に出てきたということが明らかになりますね。

ヤス そう。自分自身の意味を求めるといったような独特の悩み、新しい超越性の再構築を目指す悩みになる。そうすると、だいたいみんな最初はキリスト教にいく。

西塚 たしかに、北村透谷も内村鑑三もみんないきましたね。

ヤス キリスト教にいって、ある意味で満足できないで幻滅させられる。キリスト教はイデオロギーの側面が強いですから、規律に代替されて自分自身が規定される。それで次にどこへいくかと言えば、マルクス主義にいくんですね。

西塚 なるほど。すみません、ちょっと酔っぱらってきました。今度、そのラインでももっと詰めたいですね。

ヤス そうですね。明治以降の日本の精神史ということを、超越性との関係で見るということですね。

西塚 はい、今にもつながってくると思います。今日はありがとうごさいました。

ヤス いえいえ、こちらこそ。面白かったです。どうもどうも。

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