だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』vol.43 「国家に取り込まれるスピリチュアリズム」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第43回
「国家に取り込まれるスピリチュアリズム」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2016年4月23日 東京・中野にて収録

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西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の今日は、第43回になります。さっそく飲んじゃってますけど、またヤスさんにおいでいただきました。今日もよろしくお願いします。カンパーイ!

ヤス どうもどうも、カンパーイ!

西塚 今日もいろいろお聞きしたいことがありますが、先日、国連の特別報告者のデイビッド・ケイさんという人がきて、外国特派員クラブで会見を開きました。日本のジャーナリズムにおいて、いわゆる権力側の規制ですね。ちょっとおかしいんじゃないかと。高市(早苗)総務相に会おうとしても断られたとか、実は記者クラブ制度とか、メディア側の特権に絡んだ問題もあって、僕は非常に興味深かったです。

他は知らないんですけど、東京新聞ではかなりのスペース、まず一面と、中面でも大きく扱ってました。朝毎読売は知らないんですが、ヤスさんはご覧になりました?

国民がバカだから官僚が統治する

ヤス 見ました。読売はまったく報道してないみたいですね。朝日がちょこっとかな? やっぱり東京新聞が一番大きく扱ったと聞いてますね。

西塚 東京新聞は大きかったです。これは一大事だ!くらいの。普通、そうだと思うんですね、あそこまで言われたら。まあ、前にも何回かやられてますが、今の安倍政権はよっぽどマスコミを規制したいんでしょうね。この問題は世界的に突つかれても困るし、日本人にも知らせたくないしと。最悪ですね。

今日の新聞だったかな、あの習近平ですら、共産党への批判はOKだと言い出した(笑)。どんどんやってほしいと。正当性がある限りは、それをちゃんと受け入れるキャパはあるよみたいなことを言ってますが、同時にネットの管理は強化するとも言ってるので、そのへんはどうしようもないですが、でも、ちょっとでもそういう発言を習近平がするということ自体、多少緩和したというか、やっぱりこのままじゃまずいぞというのがあったんじゃないですか。一連のジャーナリストたちの拘束や拉致が、世界に報道されてますから。

そういった意味でも、権力側の規制、抑圧に関して、民衆がいろいろ反応してることが功を奏してきてるのかなという。大きな流れで言えば、それはもう隠せないし、結局、抑圧されないような方向に向かってるとしか僕は思えないんですね。甘いかもしれませんけど。そのへんはいかがですか?

ヤス まず、われわれが認識しなければならないのは、安倍政権がなぜマスコミを抑圧するかですね。何で抑圧すると思います?

西塚 ある方向に持っていきたい意図があるからじゃないですか?

ヤス それはどういう方向だと思います?

西塚 これまで何回も話題になってますが、簡単に言えば、戦前の帝国憲法に基づく国体の日本への回帰だと思うんです。そうは言っても、国家神道云々は、敗戦後なかなか持ってこられないから、それにかわって日本国民をひとつにまとめるもの、精神的な支柱として何かを打ち立てて、それでまとめて支配したいと。そういうことだと思うんですけども。

ヤス 基本的にはそれも十分あると思います。われわれがはっきり認識しなくてはならないのは、戦後70年にわたって、日本の大部分を統治してきた自民党というものの体質ですよ。現在の自民党の体質もそうなんだけれども、要するに民主主義を受け入れるフリをしてきたということです、70年間。

現在のわれわれの日本国家は、いかに民主主義を骨抜きにしたいかという勢力によって担われてるということです。民主主義はどういうものかというと、基本的に国家の上に国民が立つということです。その認識の前提は、社会および国家そのものを形成しているものは個人だということ。

西塚 国民主権ですからね。

ヤス 個人を超えた権力とか実体といったものは、存在していないというくらいの徹底したものですよ。だから、国家にしろ社会にしろ、個人がどのように行動するかによって、いかようにでも組み換え、解体が可能であるという考え方です。それが民主主義の基本的な社会認識として存在してると思うんですね。

一方ですね、国家とか政府というのは、国民の頭を越えて独裁化するという方向にいく。それは国民の権利を狭めて、国民を国家の中に組み込んでね、自分たちがコントロールしたいという勢力に担われることもある。

そのような国家とか政府に自分たちがコントロールされないように国民を守っていく、それが主権在民の憲法の精神だと思うんですね。

現在の、特に安倍を中心とした自民党の勢力は、それは絶対に受け入れられない。彼らは、国民というのはもともとバカなんだという考え方ですね。

西塚 そうですね。官僚を中心としてそう考える。

ヤス 官僚を中心に。国民はもともとバカだから、誰かがコントロールしない限りは、国家そのものがバラバラになってしまうんだと。国民に権力をまかせるなんてとんでもないと思ってるような集団が、今の日本の権力の中枢を握ってるわけですよ。

西塚 僕はいつも卑近な例を持ち出しちゃって申しわけないんですが、僕はすべては相似形だと思っていてですね、構造はそんなに変わらないと思うので、わざとこういう言い方をするんですが、お聞きしたいのは人間の感情なんですね。

前々回も官僚の話が出ました。明治維新以降、要するに欧米が怖いと。怖いから、欧米に学ばなければならないし、敵対心も出てくるから、それに連動したアジアに対する優越感というものも出てきて、まあ戦争までいくわけですね。

その発端は感情だと思うんですよ。ルサンチマンだったりとか、恨みですね、あと恐怖感とか、そういうことからはじまってると思うんですけども、今おっしゃった国民はバカなんだから、支配せねばならないとか、自分たちで進めていきたいというのは、僕に言わせると、既得権益があってですね、それを脅かされたくないからです。

自分たちが優位に立った流れがあるんだから、市民にいろいろルールを変えられて、また一からやるのはたまらないと。このままやりたいんだよ、オレたちは!というようなものだと思うんですよ。

それが官僚たちの考えであって、よく言えばコンサバティブな考え方だけど、悪く言えば、ただの惰性であり、物事が変化することへの怖れであり、面倒くささですね。自分は相当な利益をその構図から受けているにも関わらず、しかも税金ですからね。自分たちが民間で競争して勝ち取った収入でもないクセに、要するに搾取して、しかも天下りまで確保する。そういう延々とした官僚の既得権益の流れができていて、そこから離れたくないというだけの話。

だからこそ、政治家もそうですけども、二世三世ということになるわけです。政治家の二世三世というのは、本当は考えられないわけであって、世の中に対する自分の何がしかの理想があるから政治家を志すのであって、それがオヤジと同じならいいですよ。でも、基本的にはそういうことはあり得ないと思うので、あるいは民間で会社を興すなりということがあってもいいはずなんですが、だいたい地盤を継ぐじゃないですか。

あるいは官僚だったら、最初から親が高等教育を受けさせてですね。また官僚の道を行くという。だいたいパターンですね。僕に言わせれば、ロボットです。ベルトコンベアーみたいなもので、ゾンビ製造機に近い。彼らが作る全体のシステムが日本を劣化させ、おもしろいワクワクしたものをことごとく排除してですね、特に若い連中たちの希望を損なっている。そういう構図になってるのではないかと思います。それを安倍政権は今、強化しようとしているというふうに見えるんですね。

ヤス おそらくそうなんですね。ただ、それだけではない。要するに、既得権益を守りたい、または守ることによって自分の出世を確保したい。自分が日本をコントロールできる位置を確保したい。そういう、ある意味で欲望に根差してるということではないんですね。おそらくね。そうではない。

その背後にはですね、彼らには彼らなりの理のとおった理屈があると思います。それはさっき僕が言ったことに戻るんですけど、要するに国民に国家をコントロールされると、この国は大変な危機に陥るということですね。

西塚 そういった意味では、本当に真面目な危機感なわけですか?

日本の国益か? 自分の欲望か?

ヤス 真面目な危機感です。高級官僚の友人たちが何人かいるんですけど、やっぱりどの友人たちと話しても、最後に出てくるのはその危機感ですね。何を言われたかというと、高島ね、お前ね、国民主権と言って、全部の権限を明けわたしたらどうなるのか、わかってないのか?と。日本国民の現状を見てみろと。たとえば、欧米の国民のように自己決定できるような国民なのか。根本的に違うだろと。国そのものが危機的な状態に陥るぞと。

彼らの理屈ってこうなんです。たとえば明治維新直後の日本は、強い中央集権的な国家を形成することに失敗したら、欧米の植民地にならざるを得ないという危機的な状態にあった。したがって、欧米の圧力をはね返すことができるくらいの、強烈な国家の統合性を維持する必要があった。その重要な柱のひとつが、まさに官僚制だったということです。

現在でもその構造は変わってないと言うわけですよ。たとえば、今アメリカからどのくらいの強い圧力があるのか、わかってるだろうと。それはアメリカのみならず、国際関係の中でどれだけ日本が強い圧力下にあるのか、わかってるだろう、お前は、と言うんですね。

いわゆる国際関係は、基本的に弱肉強食だと。その弱肉強食の中で、日本が自らの国益を守って、なおかつ国民が安定した生活を維持できるような社会機構を維持することは、大変なことなんだと。それをこの国の国民に預けて、それができると思うか?と聞くわけです。それで、「思う」という人間がいるとしたら、よほど現状を認識してないと。

西塚 それはよくわかります。国民にまかせてどうすんだ!ということを言う知識人はいますね。でも、同時に指導者たるものですね、それなりに優秀なのかもしれませんけども、国民をいろんな意味でですね、リテラシーを高めたりとか、そういうことも含めて何かやってるのかというと、やってないですね。要するに、個を強める、あるいは自立するという方向で、国の政策なり、教育も含めて、やってるのかということです。

それをやらないのは、既存のものの上にあぐらをかいてるのか、欧米からの何かしらの圧力があってそれができないのか、僕はわからないけども、そこは官僚も国民も、同時に見ないといけないのではないかと思います。

でも、そういったことをおいといて、われわれが決めたほうが早いし、トップダウンの形で自分たちが主導していったほうが、結局は国民のためになるんだというふうに、本気で思ってるのかもしれないんだけども、だとしたら日本は延々と変わらないということになるじゃないですか。

ヤス いや、そうです。延々と変わらないのが、この国の国益だと思ってるということですよ。

西塚 そういうことですね。ということは、たとえば属国でいいということですね。世界情勢に支配されて、以前にも話が出ましたが、今はアメリカが強くて日米同盟もありますから、ある種アメリカの属国のようになってますが、アメリカの力が落ちていった場合、たとえば中国の覇権が大きくなってきたときに、そこでまた安保条約を中国と結んで、またなびいていくということも含めて、そういうおもねるということしかできないということです。今の官僚にまかせた場合は。どこの強いところにつくかという。それを延々とやっていくということが、日本にとってはいいことだと。

ヤス だから、いいか悪いかという倫理観で考えてないんですね。彼らは属国だとは思ってないんですよ。いわゆる日本人の国民生活の安定と安寧と、それなりの経済成長と、そして日本が戦争に巻き込まれないで、安定してサバイバルして存続できるということね。そういう体制を確保してきたのはわれわれだし、日本にとって何が一番有利だったかというと、日米同盟を強化することだった。

アメリカの核の傘、軍事力の傘の中に入ることによって、アメリカにもおいしいものを十分に与えると。しかしながら、アメリカの核の傘に入ることによって、われわれは十分、日本国家としてね、国益を得てきたんだと。その体制をいかに今後、永続化するかが一番重要なんだという考えですね。

そうすると、それに対するアンチテーゼを作るのが、かなり難しいということです。難しいってどういうことかというと、官僚が納得する。なるほど、こういうことであるなら、むしろ国民主権のほうが国益の維持に有利であるとはっきり納得できるようなモデルがあればね、いろんな官僚が場合によってはなびくかもしれない。

西塚 それは未来で、歴史からひもとくしかないかもしれません。何か目に見えてますね、提案しても、それは現実的ではないとか言われて、現状維持の延長で改革していく。微調整しかできないんじゃないのかなあ。

ヤス 言ってみれば、ちょっと落とし穴があって、官僚が自分たちの既得権益を維持したいという欲望に基づいてやってると見た場合ね、どういう議論になるかというと、既得権益を維持するとんでもないヤツらだ、打破せねばならない!というような議論になってくるわけです。でも、欲望で動いてないってことなんですよ。

西塚 僕は20代から出版関係の会社で働いてますけども、そうでもないんですね。僕は高級官僚は知らないですが、公務に就く人たちで、本当にそういう人たちがいるんですよ。自分の損得勘定、自分の仕事の範囲、守備範囲外で脅かされたくないとか、ちょっとみやげ物を持ってこいとかですね、本当にそういうつまらないところで生きてる人たちがいてですね、僕は、ああ、こういう人たちの連なりというか、こういう人たちの集りなんだなという認識しかないわけです。もちろん、そうじゃない人もいます。そういう人を諌める人もいることはいた。

ヤス いやいや、末端にいくとそうです、本当に。ただ、上は違う。

西塚 上は違うのか…

ヤス それだけでは動けないんですよ。われわれがいないと日本国がバラバラになるから、やっぱり官僚の統制はずっと維持せねばならない。それは彼らの理屈です。その理屈の背後にあるものは、その理屈を利用しながら自分たちの既得権益を最大化することですね。その最大化はまさに自分の欲望の満足なんですけども、だから基本的には自分の欲望の満足に結びついてはいる。

西塚 そこなんです、僕が一番気になるのは。第二次世界大戦でも何でもですね、やっぱり官僚のそういった、ひょっとしたらみんなが普通に持ってる感情と結びついて、ただ単に権力を持ってるから、あと声がでかいとか、気が強いとかといったくらいの差で、実は国民全部を戦争に突入させてしまうという力を持つことが、僕は恐ろしいんですね。

ヤス ここで重要なのは、だからと言って、その欲望はあるんだけどもね、ただその欲望のみならずなんです。感情的な現在の日本の社会認識があって、その官僚の日本社会に対する認識が、日本国民によっても受け入れられている。通用しているということなんですよ。

西塚 そこですね。それをゼランドだと「振り子」と呼ぶんです。自分たちでは意識してないんだけども、構造体ができてしまう。そこにみんな従わざるを得ないような構造ができちゃう。それは崩さなければいけない。そうじゃないと、いろいろな正当性がそこから生まれてくるし、みんなそれで動かされてしまう。これはもう止められないんですね。止められるのは、やっぱり個人しかないんですよ。

ヤス そうですね。

共依存関係の官僚と国民

西塚 イチ抜けた!というヤツが出れば、それから何人も出れば、そんなものはなくなっちゃうんです。そのために、今“個”ということで、何回もこの対談のテーマでも出てきてると思うんですけども、そうなると今おっしゃったように、官僚がいくら本気でそう思ってるとしても、それはいわゆる自分の個ではないわけです。

その構造体、延々と引き継いできて、脈々と培ってきて、でき上がってきたその構造体にしか動かされていない、ということに気づいてないということなんですね。

僕はそれを突き崩すのは、ひょっとしたら民間、民間でなくてもいいんだけども、あるバカでもいいけど、個の力であって、初めてそこに気がついた個にしか、僕はそこは崩せないと思うわけです。

ヤス いや、おっしゃるとおりなんですけど、今の日本人の多くは、官僚なしで日本が国として統合する、日本が国としてまとまるということは、おそらく不可能であると思っているだろうと。ということは、官僚と同じような認識を、多くの日本国民はヘタしたら共有してると思う。

しかしながら、日本国家は官僚なしで統合することができないということを言いわけにしながら、既得権益をそれと結びつけて食んでる体制は許せないと。だから日本国民は何を一番求めるかというと、いわゆる清廉潔白な官僚なんです。

既得権益を食むことなくね、国家を統合して、国益を実現できるようにまとめ上げる。本当にそれだけをやってくれるような、清廉潔白な官僚を望むんだと言うわけです。でも、それはある意味で無理なわけですよ。

西塚 無理と言いますか、それは信仰ですね。神様信仰と同じですよ。

ヤス もともとその土台にあるメンタリティーな何かというと、永遠にオレたちの面倒を見てくれよということです。

西塚 いわゆる依存ですよね。

ヤス 依存です。

西塚 アンタらはオレたちの面倒を見てくれればいいし、ズルいこともするなよという、それだけですよ。

ヤス そうそう。それだけです。

西塚 だから田中角栄はやられちゃうし、どれだけ田中角栄が日本国民に貢献したかはおいといたとしても。

ヤス 今でも、ずっと明治以来そのメンタリティーは続いてるということです。それが根本的にどこかで変化しない限りは、日本の国民主権を本当に実行するような段階には到達しないでしょうね。

西塚 そうするとインフラから変えるしかなくて、僕もヒーヒー言ってますけどね、サラリーマン根性が染みついちゃってるので。だから、みんなが要するにサラリーマンを辞めて、起業すればいいということになりますね、ひとつは。みんなが食えれば別にそれでいいじゃないですか。オレは税金払ってるんだから、お前ちゃんとやれ!と。一億総社長ですね。

だから僕は、安倍さんが一億総活躍時代と言ったとき、いいことを言ったなあと思ったんです。あれはきっと官僚か何かわかりませんけども、誰かが言ったことなんでしょうけども。安倍さんは、ときどきフレーズとしてはいいことを言うので、期待を愚かにもするんだけども、あの人自体はいろいろ問題あるかもしれませんが(笑)、でもまあ、そういうところで声を上げるのは、ヤスさんのような人たちを含めた民間の人たちといいますか、力を持ってる人たちだと思うので、そこで僕も何とか協力できればと、ささやかながら思ってるだけなんですけども。

やはりおっしゃるように、共依存が働いている。官僚たちは、オレたちがいなければお前たちにはできないんだよと。まあ、そうなんだよね、オレたちもそれはわかってるんだけど、もうちょっとうまくやってねという、共依存関係ができていて、それがある種、かろうじて今の日本を延命させてきたという、そういう構図ですね。

ヤス そうです。

西塚 だからといって、それをドンガラガッタと革命を起こすという、みんな根性もないし、実際に傷も大きいし、リスクもでかいというところで、じゃあどうしようかということじゃないでしょうか。

だから僕はもう、今回の参院選もありますけどね、そういうところからでもちょっとずつこう、突き崩していくという…

ヤス そうですね。だから言ってみれば、安倍政権以前の政権が何をやってきたかというとね、一応憲法の建て前は国民主権になってるので、国民主権のお題目を守りながら、でも最終的には国民に主権を与えない。ギリギリのところで政府が、国家が、最終的には主権を握るといったようなことで、制度の細かなところは改変しながら、きてたわけですね。いわゆる国民主権ということを骨抜きにしてきたという歴史があるわけです。

それでもやっぱり重要になってくるのは、国家および政府といったものが国民の上に立つ場合、その正当性を証明する何かの基盤が必要になってくる。それは、われわれにまかせておけば、お前らは大丈夫なんだというもの。われわれにまかせておかざるを得ないといった根拠を、何に求めるかということだと思うんです。

今までは、経済成長だった。われわれに日本を統治させた場合、これだけの経済成長率が達成されると。これだけ生活が楽になるんだということが、非常に大きな政策の基盤になったと思うんです。それで、われわれの生活を豊かにしてくれるなら、ああいいよと。やってくれよ、面倒みてくれよ、そのかわりズルいことをやるなよといった感じだったと思うんです。

しかしながらここにきて、経済成長もなかなか実現できない。格差社会もどんどん拡大する。そうなったときに、かつて使ってた経済成長という国家・政府の存在を正当化するためのリソースが使えなくなるわけです。それで、どういうリソースがあるかといったときに、安倍政権が出してきたのが、いわゆる国家神道的なスピリチュアリズムです。

西塚 まだそれは、はっきりとは出てないですよね。

ヤス まだ出てない。

安倍政権が現代のスピリチュアリズムを取り込む!?

西塚 僕は思い返すんですが、“日本会議”なんて言葉がですね、週刊プレイボーイの電車の中吊り広告に出ていてびっくらこいたんですけども、その前からそういう話はヤスさんとしてましたが、まさか週刊プレイボーイで出てくるとは思わなかった。あのへんですね。去年、あのあたりからそういうことがどんどん表に出はじめたと思います。

でも、今のところまだ具体的なものがない。日本会議と言ったって、みんな知ってるけども、いわゆるある種の安倍政権を支えてる、神社本庁を中心とした何というか、そういう団体というか、協賛団体みたいなノリになってますが、ここにきて、さっきの冒頭の話じゃないですけど、もっと露骨な形で、特に参院選も控えてますから、出てきそうな気配もあるので、意外と今年の後半からもろに何か出てくるんじゃないでしょうか。

ヤス 出てくるでしょう。だから安倍政権では、前面化はしてないんだけども、日本的なスピリチュアリズム、いわゆるこの日本という国がね、八百万の神ではないけれども、万世一系の天皇、天皇というのは基本的に神だと。その神によって作られた神聖国家なんだと。

その神聖性というのはまさにね、ひとりひとりの国民のはるか上に立つ存在だと。そのような神聖な国家の一員として生きたければ、義務を果たせ。その義務を果たした場合にのみ、少しの権利を与えてやるという関係ですね。それがやっぱり自民党の憲法の改正の中身だと思うんです。

そうしたときに、日本国家の神聖性、スピリチュアリティを証明する何かの土台がなくちゃいけない。それが戦前は、やっぱり天皇制国家の概念、国家神道だった。だからと言って現在、国家神道みたいなものにいきなり戻れるかと言えば、戻れないわけです。なぜかというと、多くの国民はそんなものを信じてないからですね。でも、国家神道に似たというかな、そういうスピリチュアリズムに似たようなものがない限りは、国民を超えた国家というものを正当化する根拠がない。

逆に、本来の民主主義というのは、国家を形成するのは個人しかないと。社会をどんどん分解していくと個人にいく。そのような個人のネットワークと契約によって、社会や国家を作るしかないんだというほうがわかりやすいわけですね。なぜかというと、個人というのは実在してるからです。

一方ですね、国民を超えた国家とか政府を措定した場合、それは実在してないわけです、そのスピリチュアリズムの根拠という意味では。国家は実在してるかもしれないけども、国民の契約を超えて、本来の神聖な実体として国家が存在しているということを主張するためには、その神聖な実体を証明する何かの根拠がなくちゃいけない。それは何なのかというと、個人ではないわけです。それは何かの超越性になると思うんですけど、超越性というものはやっぱり証明できないわけですね。

西塚 そこですね。そこが一番難しいところで、それもひとつの同じ構図になると思うんです。ちょっと前にも話したましたね、われわれは日常生活の中の感情というものを基盤において、いろいろなことを測るんだけれども、その感情のレベルを超えた場合は、それは論理でしか測れないということをおっしゃってました。

要するに、それ以上のものは実体験できないわけです。類推であり、論理的な帰結でしかない。そのようなものでも土台はしっかりさせなければいけないんだけども、基本的にはやっぱり実体はないという世界に入っていくわけです。

今おっしゃったように国家の正当性と言った場合にも、国はあるからわかるし、個人もあるからわかるんだけども、神聖な国家といった場合の神聖性には、確かに実体はないから、何かしらに仮託してですね、それをほのめかすしかなくなる世界になってくる。

すると、個人が自分で正しい方向にいこうとしてもですね、実体がないある種の理念の場合、国が個人を抑圧するために正しいものを持ってこようとするその理念と、ある種同じ方向に向かうわけですよ、僕に言わせれば。

同じ方向というのは、実体じゃないもの、論理的なものに与からざるを得ないというか、頼らざるを得ないという方向にやっぱりいく。そこが曖昧になって、お互いが結びつくと、これはとんでもないことになるわけです。

個人が国と一体化してですよ、国の、それこそ八百万の神じゃないですけども、これが国体なんだ、これが神なんだといったときに、自分たちの個人の日常生活の感情を超えたものと合体した場合に、これがガッチリとしたスクラムを組んでしまったら、それは支配もしやすいだろうし、なかなかこれははずれませんね。

たぶん、それを目指してるのかもしれませんが、だからこそそこが一番、腑分けされなければいけないところであり、その論理のひとつひとつを検証しなければいけない。しつこいくらいにやらなければならないと思うんです。同じところに行き着くだけに、非常に危うさがある。

ヤス 危うさはあります。だから安倍政権を見てると、やっぱりかつての国家神道みたいなイデオロギーには戻れない。国を神聖化するための基盤としては。なぜかというと、多くの日本国民は信仰してないわけです。日本会議とか神社本庁に結集してるような人たちだけでしょう、おそらく。

そうすると、使えるリソースとして現在あるものは何かというと、スピリチュアリズムなんですね。日本のスピリチュアリズムというのは、相当なマーケットとして拡散してるわけです。占いとかも含めてね。そういうスピリチュアリズムの世界にも、いろんなスターもたくさんいる。予言であるとか、霊視であるとか、前世を見るんだとかね。

そのようなスターたちを全部、それこそ政権に近いところに取り込んで、現代の人間でも簡単に作り上げられるようなスピリチュアリズムを、もう一度作っていくという方向に必ずいくだろうと僕は思う。

西塚 僕もそこが一番怖いところですね。必ずかどうかは、僕はわかりませんけども、前にも言いましたが、アニメでも何でも使うと思います。ヒーローを作っちゃう。そういうところに取り込まれていく、カッコ付きのスピリチュアリスト、似非スピリチュアリストもいると思う。

お金がもらえればいいだろうし、ガンガン金も出すだろうし、じゃあと手をあげる人が出てきてもおかしくないですね。そういうシーンができちゃった場合、これはけっこうキツいかもしれない。

ヤス 今、もうはじまってると思うんです。この参院選挙、衆参同時選挙になるかもしれませんけど、それが大きなメルクマールというか、そういったタイプの人たちがどんどん出てくるかもしれない。

西塚 可能性は高いですね。それは、これまでのいわゆる泡沫候補というか、UFO党とか、幸福の科学でも何でもいいんですが、そういったものではなく、かなりシビアな形で、戦略的に矢継ぎ早に出されてくるかもしれないですね。そのへん、きっちりと見ておいたほうがいいかもしれない。

ヤス だからね、逆にいうと、スピリチュアリズムに拘泥してるような人たちは、けっこう多いわけです。たとえば、いろんなスピリチュアル系の雑誌がありますけどね、雑誌の発行数もそれなりにありますから、潜在的に何かちょっとスピリチュアリズムに興味を持つような人の数は多い。

極端に言うと、彼らをある意味で選挙の基盤として動員できないかということです。スピリチュアリズムのスター化した人たちをどんどん政権側に引っ張り込んで、政権側のスピリチュアリズム的な主張を前面に打ち出すのであれば、本当にそうなるかもしれないと。

西塚 やりかねませんね。というか、やるでしょう。だって、いつでしたっけ? ホリエモンですら、私の息子ですとか言ったヤツがいた。

ヤス いたいた(笑)。

西塚 誰でしたっけ? 自民党の幹事長でしたよね、武部(勤)か、何でも利用するわけですから。

ヤス 今回の利用というのは、ホリエモンという個人の利用ではなくて、日本国家の神聖性を担保するための土台として、現在流通しているスピリチュアリズムをとことん活用するという方向。その動きが、かなり急速にはじまるだろうなと思うんですね。それに本来のスピリチュアリズムの信奉者が、けっこう簡単に引っかかってくるという。

西塚 そう思います。僕も危ないかもしれませんよ。

ヤス 危ないね(笑)。

西塚 よっぽど自覚しておかないと、危ないものがあるかもしれません。

直感のリスク、思考の必要性

ヤス 何で危ないかというと、だいたいスピリチュアリズムの人たちは、ほとんど直感で動く人なんですね。理屈ではないんですよ。自分が感性的に響くようなメッセージを出すような、そういうスピリチュアリズムのリーダーがパッと目の前にいたときに、昨日まで思っていたのと全部別な結論でバーンといっちゃうんですね

西塚 それはありますね。だから両方ですね。その両方を見なくてはいけない。その真ん中をいくといいますか、それが必要な態度であって、理屈ばかりでもダメだし、そこなんですね。僕の場合は、両極端にいく自覚があるので…。

ヤス 直感のほうに流されると理屈が自分を救うしね、理屈の中で抜けられなくなったら、直感が自分を救う。これから、日本でかなり危ういスピリチュアリズムが台頭してくる。そうしたスピリチュアリズムを新たなリソースとして使って、基本的に新たな国家神道を再構築できるようなところまでいくかもしれない。

でも、いったとしても、これはある意味、救いかどうか危ういところなんですが、それはアメリカが許さないです。

西塚 ああ、そうですか。

ヤス そこまでの右傾化は許さない。現在のワシントン・ポストの社説であるとかね、やっぱりアメリカのほうから相当、安倍政権というのは疑いを持って見られてる。信頼されてないですね。極端に右傾化するのではないかと、ある意味で警戒されてる政権です。

西塚 さきほどの冒頭のデイビッド・ケイという特別報道者がきたということも、あちこち行けたはずなのに、わざわざ日本にきたということは、それは警告もあるんでしょうね。

ヤス 警告もあります。現在のオバマ政権が、行ってこいとまではっきり言ったかどうかはわからないけども、それを阻止しなかったわけです。それはGOサインだということですね。だから言ってみれば、そう簡単にいわゆる国家神道に代わるようなスピリチュアリズムを前面に出してね、これが日本国家だと言うような自由は、許されてないということです。おそらくね。

ただ、それをちょっと押し出すことによってね、自衛隊を米軍に一体化できたり、アメリカの国益を充足するための材料として利用できるのであれば、ちょっとは許すという程度ですね。そういう方向だと思う。

ただ危ういのは、日本国民のメンタリティーの変化ですね。それもスピリチュアリズムというものがついてくると、何となくそれもそうかなと思って、何の論理的な思考もなく、ある程度までいくといきなりボーンといきますからね、日本は。

西塚 またそれも、そのスピリチュアルな、たとえばUFOとかエイリアンとか言っても、信じない日本人はいっぱいいると思うんです。僕はそれだけに実は怖くてですね、僕のように小さいころからスピリチュアリズムに興味のある人間はともかく、あるいはもうちょっとヘビーなビリーバーもともかくですね、まったくそんなものはハナからないと思ってる人たちが、何かのきっかけでそっちにいったときに、検証がきかないわけですよ、僕に言わせると。もう180度変わって、信仰になっちゃうわけですね。

だったらまだですね、最近知ったというか、アメリカのあの裾野の広さのほうが信頼できます。もう有象無象、インチキから本格的なリサーチャーまで、あれだけ膨大なマーケットもある中で、ある種鍛えられてるアメリカのほうがまだ信頼できるのかもしれない。

もちろん日本の2倍以上の国民がいるし、テキサスとかミシシッピーの一角とか片田舎で、それこそかたくなにカルトなキリスト教を信じる人も僕も怖いですけども、いわゆる普通の都市部の人たちというのは、それなりに情報を精査できるというか、日本人に比べれば、まだそういう力があるんじゃないかと思いたくなるくらい、あの情報量やバリエーションの多さというのは、ある種の救いだと思います。

ヤス そうそう。だからやっぱり、われわれは直感とか感情というのは信じないほうがいいんですよ。基本的には。なぜかというと、一気に流されますから。本当に。だから、できるだけ理屈で、思考というようなフィルターを絶対にとおるべきです。

それは、理屈は絶対じゃないですよ、理性は全然絶対ではない。絶対ではないんだけども、直感で流されるというか、感情的に流されるよりはマシな部分があるので

西塚 一歩引くとか、いきなり食いつかないとか、ちょっと一日考えるとかでもいいですけど、そういうことですね。客観視するという。

ヤス そうです。これからですね、参議院選挙をひとつの起点としながら、安倍政権のスピリチュアリズムの思い入れというのは、どんどんこれから激しくなってくると思う。だから、それに対する抵抗線というもの、それに対してわれわれが心情的に、直感的に流されないようにするということがすごく大事です。

西塚 そうですね。やっぱり去年の安保法案の際の、ヒゲの隊長のビデオの、あのアカリちゃんですね。あのユーモア、諧謔というもの。あれは余裕がないとできないことで、あれくらいのスタンスというんですかね。

ヤス そうなんです。

西塚 今日は本当に、例のUFO情報を含めたディスクロージャーの話もお聞きしたかったのですが、それはヤスさんのメルマガでも、次回ですね、出される予定だと聞いてますし、また残りは次回やりたいと思います。今日はギャラリーもいまして、ちょっと早めですけども、このへんで〆て、また飲みたいと思います(笑)。

今日はありがとうごさいます。お疲れ様でした。

ヤス いえいえ、このへんで。どうもどうも。

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