だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

選択/選別

4人しかいないLINEのグループで既読4と出たり、
長年使っていなかった目覚まし時計のアラームが突然鳴り出したり、
何か、でっかい太陽フレアでもあったのかしら。

舛添知事がようやくというか、泣く泣く(だろう)辞任した。
もっと早く身を引いていればよかったものを。
あの方は強力な自信があるようだから押し切れると思ったのだろう。
でも、とうとう別の力学が働いてしまった。
さすがの舛添さんも従わざるを得ない。
傲りで、読み誤ったのだ。

どうも何か、人心が殺伐としているような気がしてならない。
街を歩いていても、電車に乗っても、そう感じる。
今日なんか中野の早稲田通りのほうに、
お気に入りの「おにぎり3点セット」
(自分で勝手に命名、しかも休みだった)を買いに行ったら、
信号が青になったので横断歩道を渡ろうとしたときに、
車の後ろ半分が横断歩道にかかったまま停まらざるを得ない車があったのだが、
自分の目の前に停まったその車をものすごい形相で睨みつけながら、
向こうから渡ってくるおっさんがいた。

まあ、そのまま渡ろうと信号を待っていたら、
目の前にたまたま車が停まってしまったというだけのことだ。
気持はわからないでもないが、
あそこまで顔から怒気を放たなくてもいいんじゃないかなあ。

ちょっと前にも駅のホームで、総武線が到着してドアが開いたとき、
一番前に並んでいた女の子(大学生かOL)の脇からスルッとおっさんが乗り込もうとした。
そうしたら、女の子の後ろに並んでいた別のおっさんが、
「この人が先だろ! ボケッ!!!!」と怒鳴ったのだ。
横入りしたサラリーマンふうのちょっと小太りのおっさんは、
「ああ、すみません、そんなつもりじゃあ…」とか何とか言ってたが、
ホームレスふうの意外と若そうなおっさんは、
それでもボケッボケッ言いながら、車内に入ってもおっさんを睨みつけていた。

一応、かばわれた形の女の子も、おっさんの迫力にビビッて、
スタコラサッサとどこかの車両に行ってしまった。
これは全然混んでいない昼間だったかの話なので、
微妙になごんだ空気が流れる午後の時間帯だっただけに、
そのおっさんの怒号は一気に場を緊張させた。

私は同じ車両にいたので、しばらく怒りん坊のおっさんを観察していたが、
ブツブツと口を動かしながら、
何やら抑えがたい怒りを湛えた目つきで虚空を睨んでいた。

まあ、これは極端な例かもしれないが、
しかしおっさんだけではなく、おばさんにもこのテの人物がよくいるからね。
街にもよるのかもしれないけど。

たしかに横入りするおっさんはよくない。
特に東京人にとってはこれはよくわかる。
整列しなければいけないとかいうことではなく、
ずるいヤツが許せない性質(たち)なのである。

私の母親にしても昔々、祖母を見送りに上野駅まで行ったとき、
自由席の車両待ちで並んでいて、
新幹線がきてドアが開いて祖母が乗り込もうとしたときに、
やはりどこかのおっさんがズケズケと横入りして、
しかも脇によけた祖母はちょっと転んでしまったのだ。

母は祖母を席につかせてから、横入りおっさんのところにすっ飛んでいき、
顔に人差し指を突きつけて、「あんたは悪いヤツだ!!」と、
発射ギリギリまで衆人環視の中、面罵したのである。
私は子ども心ながら、
しまいにはどちらが悪いのかわからなくなったという経験がある。

先のおっさんも、言ってることにはまあ、正当性があるとしても、
その言い方などがあまりにも周囲の状況から逸脱しすぎると、
本来は正当性を欠いているはずのおっさんより余計、品位を落とし、
あげくの果てには、おっさんの横入りという失礼な態度も忘れさられ、
怒鳴ったおっさんの粗暴な言動だけが残って、逆に非難の対象になる、

要するに、手前勝手なうっ憤を晴らしているだけなのである。
ことによれば自分でもやりかねないようなことでも、
いわゆる正論を武器にして誰かを叩く。

集団になればなるほど、つまり個でなくなればなくなるほど、
簡単に、安易に、楽に、無責任に、他人を罵倒できるということだ。
罵倒くらいですめばいいが、もっと過激になっていけば…
ご想像のとおりのところまで行ってしまうのである。

その点、街や電車ではなく、飲み屋となると一変する。
と思ってるのは私だけかもしれないが、
人心が乱れてるところか、逆にユルい。
ユルすぎる。
つまみは分け合い、おごりおごられ、バカ話に明け暮れる。
これも決してまともだとは思えないが、まだつき合える。

少なくとも、酒の力なのか、精神的にはそれぞれに余裕が生まれ、
たとえいろいろな問題を抱えていたとしても、ちょっとした相談もでき、
ヘタすれば援助の話まで持ち上がり、新たな仕事にまで発展したりする。

総武線のおっさんみたいなことだと、進展のしようがない。
無理やり酒に誘ってもいいが、たぶん殴られるのがオチだろう。
違うかな。今度やってみようかしら。怖いけど。

話は変わるが、あまりいい話ではないが、
ここのところ、周りで亡くなった人の話を聞く機会が多くなった、
と感じている人はいませんか?

もちろん、年齢のこともあるでしょう。
でも、また違った説を述べる人もいるわけだ。
私は、そういうことを信じるわけでは決してなく、
そういうストーリーもあるなという立ち場だが、
これは私がそうだからといって、
こうしたブログに何でも書いていいというわけではない。
ということが最近になって、よくわかってきた。
だから、今度のイベントとかそういうところでは話すが、
こうしたブログではあまり詳らかにすることは控えることにした。

今の時点では、結局「思い」なのだなということだけはわかった。

いろいろな霊能者、サイキック、文学者でも哲学者でも心理学者でも、
何でもいいのだが、どれだけ、どのような「思い」を持っているか。

「思い」を持っていると思ってはいても、
実はそれは誰かからの借りものであったり、
自分をごまかすために無理に作り上げたフィクションだったり、
単純に恨みだったりなど、さまざまであろうが、
それぞれがその「思い」に準じたものを受け取る。
つまり現実を創出しいていく。

それだけなのである。

だから、その自分の「思い」をよく見つめれば、
寸分たがわず、今の現実に反映されていることがわかるだろう。
何かに依存していれば、依存する対象に振り回される現実がある。

親、夫、妻、子ども、友人、容姿、学歴、会社、霊能者、占い、
資産、環境、社会、国、神、宇宙人などなど

別にそれらが悪いわけではなく、
それらに依存することで、先に進めなくなるのである。
なぜ、依存するのか。

それらのものが絶対的で、強く見えるからだ。
何でもお見通しで、迷いがないように見えるのである。
だから従おうとするし、まかせようとして、自分は楽をする。

いや、楽はいい。
自分が怠け者だから言うわけではないが、楽は悪いことではないと思う。
他人からは相当苦しそうに見えるようなことでも、
自分では楽だったりするでしょう。楽しい。
そういう楽。
当然、逆もある。

自分で自分を頼りにするしかない。
親にもいろいろいるし、友人だってそうだ。
霊能者なんかゴマンといる。
みんな同じです。
私が言ってるんだから間違いない。
って、一番信用できないでしょうが。

今の世の中、たとえば会社にしても、年功序列はとっくに終わった。
能力がない、向いていないとなれば、
今の仕事を辞めさせられるかもしれない。
昔であれば、同じ職種で能力の差があっても、
一方は出世はするかもしれないが、
もう一方にしてもクビにまではならなかったでしょう。
でも、今は違う。

まずは、自分の道を見つけるしかない。
自分の道をいくしかない。
時間がないようである。
会社ですら、社員の選別をしているのだ。

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