人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、
1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」
について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。
〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第54回
「マイヤーの不在と〝選択″問題」
ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2016年7月9日 東京・中野にて収録
西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の今回は、この間はイベントで53回目でしたので、今日は54回になります。またヤスさんにおいでいただきました。よろしくお願いします。カンパーイ!
ヤス どうもどうも、よろしくお願いします。
西塚 前回は53回目で、一周年記念イベントとして新宿の「ロフトプラスワン」でイベントをやりました。ヤスさん、どうもお疲れさまでした。お忙しいのにわざわざありがとうございます。
ヤス いえいえ、こちらこそ、どうもどうも。
西塚 手ごたえということでもないんですが、どのようにお感じになりましたか? イベント自体は。
ヤス イベント自体はおもしろかったと思います。ああいう怪しいところで怪しい話をするというのは、ちょうどいいんじゃないかと思って(笑)。僕も毎月勉強会をやってますけど、それは政治経済系のハードコアのネタが多いんですが、そうではなくて、やっぱり“ディスクロージャー”というかなり怪しいネタ中心のものだったので、僕はすごくよかったと思います。
西塚 一部、難しかったという意見もあるんですが、ヤスさんの勉強会のことを知らない方もいらっしゃってましたし、いろいろ知らないこともあったので興味深かったという人もおりましたが、おおむね好意的に見ていただいたように思います。
もっとも、あのような場所に来ようという方たちなので、もともとテーマに関心のある方たちでもあって、そもそも興味のないことではなかったのかもしれません。ただ、今後広げていく場合、単語の説明とか、もうちょっとわかりやすい資料などが必要かなとは思いました。
しかも、ビリー・マイヤーまで話がいかなくて(笑)、僕の進行がわるかったんですが、やっぱり3時間というのは意外と短いですね。
ヤス いや、短いですよ、やってると。
西塚 長いようで短いですね。ディスクロージャーを紹介するだけで、あれだけの時間になっちゃうわけですが、それが第一の目的だったので、最低限の情報発信はできたかなと思います。そこにビリー・マイヤーにつなげるというのは、もう一回やらなければならないレベルですね。
ヤス そうですね。すごい情報量ですから。ディスクロージャーはあまりにも情報が堆積してるので、言ってみれば理論物理学の基礎から最前線まで全部、3時間でわかりやすく説明すると言ってるようなものですよ。そのくらい膨大な情報量です。
西塚 表面的なものだけでも足りませんものね。僕もようやくコーリー・グッドのディスクロージャーを全部読みましたが、ただそれは訳されてるものだけなので、実際の番組は今どこらへんまできてますか? シーズン5の…
ヤス シーズン5の7。
コーリー・グッドが拉致された!?
西塚 エピソード7まできてるんですね。今、どんな状況ですか?
ヤス コーリー・グッドの身に何かあったようなんですね。
西塚 黒いヘリコプターが自宅の上をパタパタ飛んでるとか言ってましたが…
ヤス そうそう。何かあったようで、離脱グループがあったじゃないですか、地球同盟というか、コーリー・グッドがリクルートされたという、ブルー・エイビアンズにバックアップされてるグループですね。
はっきり言って、組織名があまりにも複雑で(笑)、言葉の重複も多いので、どの組織がどうなのかというのは、かなりわかりにくいんです。あのインタビューだけ聞いても。コーリー・グッドが所属してる組織は、地球同盟というふうに呼んだり、ときどきSSP(秘密宇宙プログラム)という名前に変わったりね(笑)。いずれにしろ彼が所属してるのは、SSPの離脱グループですね。
ICC(惑星間企業複合体)とか、ダーク・フリート(闇の艦隊)であるとか、そういうところから離脱してきた人たちが、全面的なディスクロージャーをするべきだという。そのグループに彼はリクルートされて、ブルー・エイビアンズにバックアップされている。
そして彼は、ブルー・エイビアンズに指名された重要なスポークスマンだということですが、最近、彼に与えられる情報の質がガクンと低下したらしいんですね。
西塚 ええ、言ってましたね。
ヤス 本当に基本的なアウトラインしか与えられなくなったと。どうしてそうなったのか、コーリー・グッド自身よくわからない。まず、彼の仲介役をやっていたゴンザレス中佐という人がいて…あれはですね、日本語訳では中尉になってますが、中佐なんです、本来は。そのゴンザレス中佐のですね、コーリー・グッドに対する態度が豹変する。非常に冷たくなる。
西塚 いわゆる軍産複合体に近いような連中がコーリー・グッドを嫌っていて、われわれとブルー・エイビアンズとの仲介役としては、ゴンザレスのほうがふさわしいと言っていた。それはもともとありましたね。
ヤス もともとあったんですが、ブルー・エイビアンズがコーリー・グッドを指名したので、彼はずっと留まっていたわけです。ブルー・エイビアンズのバックアップがあるので、その離脱グループの人たちも、しぶしぶコーリー・グッドを自分たちの代表者であると受け入れている状態だった。ただ今回は、コーリーのことを気に食わないといった感情的な諍いではないようです。何かミスを犯したようだと。
西塚 コーリー・グッドがですか? 何をやったんですかね。
ヤス わからない、自分でも。
西塚 何か言っちゃったとか、そういうことかな…
ヤス タイミング的にはどうかというと、前にも話しましたが、地球同盟、まあSSPといってもいいんですが、いわゆる離脱グループの内部で分裂があったようなんですね。何かというと、低いテクノロジーを持ってるグループがある。このグループが自分たちだけでディスクロージャーを行なうと言って、分離していった。言ってみれば、分離グループからさらに分離したという状態。そのグループは全面的なディスクロージャーではなく、部分的にディスクロージャーをするという立場なんだと。
西塚 そうでしたね。セキュリティー部門でしたか、限定開示するというグループが組織を出ていってしまった。
ヤス そう。限定開示といって勝手に分離していったグループがある。コーリー・グッドは彼らに拉致されたようなんです。
西塚 へえ…
ヤス それがですね、コーリー・グッドはどのように拉致されたのか、よく覚えていないというんです。記憶の一部が消されて。自宅の裏庭に大きなスタジアムがある。そこの駐車場が自宅に面しているらしいんですが、その駐車場に巨大な宇宙船がバッと降り立った(笑)。数名の男に囲まれながら、裸足でその宇宙船に向って歩いているという記憶はある。それで宇宙船の中に乗っていったら、尋問室のようになっていて、そこから記憶があるんですが、ふたりの男性に尋問される。あきらかにふたりとも軍人で、それぞれ違った軍の組織に所属してるようだった。
ひとりがiPadのようなものを見ながら、お前は何を知っているのかと尋問するという形だったらしいですが、尋問内容はよく覚えてないと。そして、機体の下のほうではローターが回転していて、グーッと上昇する音が聞こえる。それは自分の知識からいうと、かなり低いテクノロジーなので、ふたりの軍人に向ってコーリー・グッドが、この宇宙船はかなり古いモデルですねと言うと、向こうがびっくりして、何のことだかわからないという顔をしてたらしいんですね(笑)。その離脱グループは、自分たちこそが最先端のテクノロジーを持っていると思い込んでいるわけです。
その後、ちゃんと自分は帰されたんだけど、記憶が定かではない。そしてその後に、今度は地底人、カーリーとサイキックにコミュミケーションを行なう。それは幽体離脱をするような状態だと言います。今までだと、サイキックな幽体離脱をするとある空間にいく。そこにいくと、ひとつの椅子にカーリーがいて、もうひとつにゴンザレスがいる。ゴンザレスは長期間にわたってアンシャール(カーリーたちがいる地底人グループ)と一緒に滞在していた。
コーリー・グッドはこういうサイキックな形ではなく、ぜひ対面して、直接コミュニケーションをとりたいと言った。すると今度は、カイパー・ベルトにあるSSPの基地で会議が行なわれていたんですが、そこにアンシャールの宇宙船でいく。コーリー・グッドはアンシャールの宇宙船に初めて乗ったとか言ってましたが、その基地にいって久し振りにゴンザレスに会うんです。
あと、もうひとりの軍人ふうの係官がいたんですが、この対面はもうまったく尋問に近いものだった。ゴンザレスも全然自分と目を合わせようとしない。排除して、拒否をする。そして、本当に基礎的な情報しか与えられない。
どんな情報かというと、彼らが言うには、われわれはアメリカのトランプとサンダースがかなり人気があるということに関しては、実にうれしいんだと。なぜなら、彼らはいわゆる支配勢力に所属していない候補たちだからだと。
ただトランプは、大統領候補に近づけば近づくほど、彼は暗殺の脅威が高まる。現在、すでにメキシコ系の暗殺者を用意している。本当に大統領の椅子が待っているという状況になれば、おそらく彼は暗殺されるだろうというわけです。
西塚 あり得るな…
ヤス それから今後ですね、イスラム国、ダーイッシュのシリアの拠点、またはイラクの拠点が壊滅状態になってるので、イスラム国のテロリストは全世界的に拡散したような状態になる。これから世界的にテロの拡散がどんどん続いていくことは間違いないと、こういったような情報なんだといいます。
これは、言って見れば秘密でも何でもないような情報で、どこにでも手に入るようなアウトライン的な情報だと。それしか私には言ってくれなくなったというんですね。これが数日前の会議らしいんです。何が起こったのか自分にはよくわからない(笑)。それで、部分的なディスクロージャーも、全面的なディスクロージャーもうまくいってない。
西塚 その大したことのない情報を言ったのは誰ですか?
ヤス ゴンザレス。
西塚 ああ、僕がこれまで読んだイメージからいっても、やっぱり内部分裂の何かしらの影響がありますね。インナー・アース(内部地球。グッドによれば、古代に遺伝子操作によって野蛮な遺伝子を組み込まれた人類を怖れて、地球の地下に潜んだ文明があるとのこと。古代地球離脱文明ともいう)でさえ、古代地球離脱文明の中の7つのグループがあるうち、もう3つが離脱しちゃってるわけですから。
ヤス そうそう。
西塚 それはおそらく、地上の軍産複合体だか何だかわかりませんけどね、いわゆる地球のシンジケートみたいなものと手を組んだんだろうと。それはもう止められないということで、かなり不穏な状況だったじゃないですか? だから地球上での利益、経済的な利益、支配の構造などもいろいろ複雑なので、部分的にディスクローズしていきたいという連中の思惑とも、やっぱりどこかでぶつかるわけでしょうね。
その流れの話だと思うんですけれども、そこで僕が不思議なのは、ブルー・エイビアンズはそれに対してまだ何もアクションがないんですか?
ヤス いや、それがね、ブルー・エイビアンズが言ってきた。何かというと、君はこれを経験しなくてはならないんだと。要するに、本当にわれわれの目的を実現するためには、このイベントが必要だというわけです。ただ、それが何であるのか、先が見えないので自分にはよくわからないけど、そのように言われたと言ってましたね。
西塚 うーん、なるほどね。
ヤス だからブルー・エイビアンズは、すべてを計画済みで見てるという感じがしますね。
西塚 確かにそういう感じですね。お話を聞いてると。
ヤス ひとつのイベントが起こるための前提として、いくつかのイベントが必要だということだと思う。それをコーリー・グッドに体験させるということみたいですね。
西塚 ある種まあ、甘い見方かもしれませんが、グッドはちょっと守られてる感じがありますね。
ヤス 確かにね。あと、自分と同じような存在がこれまでに3人いたんだけれども、3人とも死んだらしいんですね。
西塚 え(笑)? 死んだんですか、殺されたとか…
ヤス そう、ちらっと言ってました。
西塚 じゃあ、危ないですね、コーリー・グッドも…
ヤス 危ないですね。それで、部分的なディスクロージャーもうまくいってないといいます。どういうことかというと、ネット上でですね、コーリー・グッドも含めて、もう全面的なディスクロージャーに近い、非常にディープな情報がすでに出回ってる。だから、その中で公式な機関が何か名乗ってね、部分的なディスクロージャーを行なったとしても、それに対する信用性はなかなか得にくいという状況になっている。
西塚 インターネットを通じて、かなりコアなディープな情報が出ていてですね、それらとすべて整合性をとる形で部分的に開示するとなると、相当高度な…というか、まず無理ですね。そんなストーリーは作れませんよ。
ヤス そうです。だから部分的というのは難しい。というようなことを言ってましたね。それが、いわゆる今回のシーズン5エピソード7の内容なんですけど、エピソード8がおもしろそうです。デイビッド・ウィルコックが、これから核心にいきますと言ってましたから。
D.ウィルコックのアセンション思想とは?
西塚 『コズミック・ディスクロージャー』は毎週のサイクルですか?
ヤス 毎週です。あと3、4日したら、次のが放送されます。次は、金星に生きてる存在に関するもので、これはある意味で核心部分に迫ると言ってました。
西塚 金星に生物がいるんですか。今はいないと聞いてましたが…
ヤス いや、かつていた生物ですね。
西塚 あ、かつてですね。僕はビリー・マイヤーとかですね、いろいろと僕の中で気になる情報とグッドの情報との整合性をとりはじめてるんですけども、やはりかなりおもしろいですよ。ビリー・マイヤーの情報でも、ヤスさんご指摘のようにですね、宇宙大戦争じゃないですが、火星とマルデクの戦争だったりとか、あれはマローナという言い方をしてるんですけどね、初期のほうの書籍では、確かマローナ(マルデク)となってます。まあ、ビリー・マイヤーのほうではマローナと呼んでるみたいですけど、同じものですね。時期も似てるんです。かなり近い。話としては。
それとやはり、アーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』なんです。あれもかなりシンクロしてる話です。あそこに「上主」というのが出てきますね。原文は「over Lord」なんですけど、それが出てきて、まあ悪魔の形をしてるんですが、あの話なんかもコーリー・グッドにつながる話だと思います。
ヤス ブルー・エイビアンズが悪魔だったりして(笑)。でも、上主そのものは確かあれですね、いわゆる進化できない存在でしたね。
西塚 できないんです。だからひょっとしたら、わかりませんが、ブルー・エイビアンズなんかもその下位にいるのか、それこそ古代ビルダー種族なのかわかりませんけども、やはりクラークは何かしらのインスピレーションを受けてたんじゃないかなと思わせるような内容です。物語としても完成度が高い。あれはすごいと思います。1950年代の作品ですからね。
ヤス 53年ですね。
西塚 よくご存じですね(笑)。そうです、1953年か4年くらいの小説です。ちょうど50年代ってそういう時期だったんじゃないでしょうか。
ヤス そうですね。
西塚 あと70年代にもうひと波きて…何かそのあたりの時期には動きがありますよ、歴史のパースペクティブとして見ると。50年代と70年代には何かあります。情報が集中している。
ヤス そうですね。50年代の場合は特にUFOとか、エイリアンであるということに関するね、一般常識としての拒絶反応がまだ構築できてないという状態です。いろいろごちゃごちゃとノイズみたいな情報もあるけれどもね、やはり真実に近いような情報もあるのではないかということで、かなり許容される見方をされていた。
だから何というか、拒絶反応という、マインドコントロールされたようなフレームワークといったものが、まだ一般化されてない状態だったんじゃないかと思いますね。
西塚 でも何で、毎回繰り返しますが、何でビリー・マイヤーの話は出てこないんですかね?
ヤス うん、これは…本当に出てこない。
西塚 不思議でしょうがない。
ヤス 線でつながらないんですよ、ビリー・マイヤーだけ。
西塚 でも、あれだけグッドの話には、ナチスのUFOの製造の話があったりですよ、いろいろある中で、これだけみんなが知ってるビリー・マイヤーなわけです。特にUFO研究家とか、ウィルコックだってそうじゃないですか? 何か、あえて触れてないんですかね?
ヤス いや、そうじゃなくて、たとえばディスクロージャーの情報があるじゃないですか? 言ってみれば、芋づる式に出てくるわけです。あるひとりのディスクロージャーをしてる人物がいると。その人物の言ってる内容が別の人物につながる。その人の言ってる内容が、また複数の人物につながってくる。そういうふうに芋づる式にブワーッと、ある一連の系列の情報として出てくるんですね。
そうすると、そうした一連の系列の情報のまとめ役になってるような、スティーブン・グリア博士のような、これが全体像だと解説する存在が出てくるわけです。そして今回のように、さらにもっとその上をいくコーリー・グッドのような、全体的な俯瞰象を提供する人たちが出てくる。言ってみれば、芋づる式に出てきた情報のハブですね、そういう人たちは。
そのハブの情報も全部、その芋づる式に出てきたいわゆる下位の情報とだいたい整合性のある形で出てくる。それらは全部、ひと系列の情報なんです。
ビリー・マイヤーだけが、全然違う(笑)。
西塚 だからそこで、デイビッド・ウィルコックがマイヤーに興味がいかないはずはないと思うんですよね…
ヤス あのですね、デイビッド・ウィルコックというのは、ちょっと僕の言い方は語弊があるかもしれませんが、ある意味でイデオロギーですね。アセンション・イデオロギー。
西塚 あ、そうなんですか? 彼はいろいろと造詣も深いじゃないですか、こうしたことに関連して、日本なんかのこともよく知ってるわけですね。だから、ビリー・マイヤーだけを知らないというはずはありません。知ってるはずですよ。そこで結びつかないというのは、僕は…おかしいと思うんです。
ヤス ただね、このひと系列になってる情報の中で、ある意味で核心部分みたいなものがあるんですね。それは第1に、人間というものは進化の過程にあると、それは間違いない。第2に、進化の刺激というのは外部からやってくる、という形なんですね。外部からやってくるとはどういうことかというと、コーリー・グッドが言ったように、非常にエネルギーが密集した銀河宇宙のあるエリアの中に、太陽系全体が今突入しつつある。そこからものすごいプラズマのエネルギーが、ガンマ線もそうでしょうが、太陽系の中に照射されて、それがひとつの引き金となって人間が進化する過程にあるというわけです。だいたいそのような図式に納まる。この図式とは何かというと、言ってみればアセンションの図式なんです。
西塚 コーリー・グッドが口をすっぱくして言ってるというか、ブルー・エイビアンズから言われてることは、むしろここで話題になってるようなこと、要するにサンタクロースはいないし、救世主も来たりしないんだから、自分たちでいろいろと学んで目覚めてですね、自己責任において自分で成し遂げていくんだという、そういうことしか言わないわけです。
だから、マイヤーとも十分親和性がある。デイビッド・ウィルコックはそこに賛同してないか…あるいは、デイビッド・ウィルコックはそういうことよりも、イデオロギー的なアセンションのフレームワークで、自分が今まで培ってきたものだけでコーリー・グッドの情報を捉えていて、あまりマイヤー的なもののほうへは関心がいってないということですかね、ひょっとして。
ヤス 関心というか、たとえばアセンションってどういうものかというと、実際にアセンションするかどうかのチョイスは、あなた自身がするんだということなんです。でも、アセンションできるような客観的な条件は外部からやってくると。
西塚 ああ、なるほど…
ヤス それが言ってみれば、ビリー・マイヤー的な思考と決定的に違うところですね。
西塚 違いますね。でも、コーリー・グッドはそういう言い方をしてると思います。むしろビリー・マイヤーと近いと思うんですね。もっと素直な人で、だいたい6歳からですからね、直感エンパスということでわけもわからず軍に鍛えられて、まあ、ああなっちゃったわけじゃないですか。
だから、むしろ純粋なところがあるような気がするんです。その過程で学んだことによれば、そんなアセンションとか救世主とか、もちろんハルマゲドンとかそんなものではなくて、自分の中に眠っているもののことを訴えています。
僕はそこは、ビリー・マイヤーの書籍にすごく結びつくと思うわけです。だから、デイビッド・ウィルコックはそこは見逃さないと僕は思ってたんだけれども、今おっしゃったようにそうじゃないとすれば、相当バイアスがかかってるというか、イデオロギーに染まってるということになりますね、ウィルコック自体が。
ヤス そうです。デイビッド・ウィルコックの場合は、そのアセンションというフレームワークの中にコーリー・グッドを埋め込んでいくという形だと思いますよ。
西塚 そういうことになっちゃいますね。それって、いいんですかねえ…
ヤス いや、それは実はね、コーリー・グッドというのは、インタビューを受けてるのはウィルコックだけではないんですね。全然、違う人たちからもインタビューされている。アセンション主義じゃないような人たちですね。だから、どちらかと言えば、ビリー・マイヤー的な思想に近いというか、人間の内面にどのような可能性が眠っているのか、人間の意識によってさまざまな現実の構成が可能なんだというような、人間の内面に眠っている力に焦点をおいている人たちのインタビューにも応えています。むしろコーリー・グッドを見てると、そっちのほうが生き生きとしてます。
西塚 ああ…やっぱりコーリー・グッドは自分のもたらす情報の重要性を考えているのかもしれません。デイビッド・ウィルコックというのは、相当な影響力があるでしょうから。
ヤス そうそう、一番有名ですからね。
西塚 そこに出演することに意味があるという、そういう捉え方かもしれません。
ヤス そうですね。ただ、コーリー・グッドのもたらしている情報のかなりの部分は、ウィルコックの持ってるアセンションのフレームワークに、ハマると言えばハマるんです。
西塚 アセンション自体は、僕も無視できないとは思います。
ヤス それで『ラー文書』に関しては、デイビッド・ウィルコックがブルー・エイビアンズは実はラー文書を語ってる人たちとそっくりなんだと言ってるんだけど、コーリー・グッドは読まないんですよね(笑)。
西塚 読んでないですね。
ヤス 何度も読めと言ってるのに、読んでないと言う(笑)。
西塚 あれは、何なんですかね。
ヤス 時間がないとかどうのこうの言って、読んでない。
西塚 よっぽど興味があれば読むはずですからね、普通は。そこもちょっと違和感を覚えたんですよね。
ヤス 確かにね。
ビリー・マイヤーの書籍が説く“厳しさ”
西塚 デイビッド・ウィルコックはけっこう『ラー文書』のことを言いますね。「一なるものの法則」の例をよく出す。確かに近い部分もありますね、ビリー・マイヤーと。上っ面とか、冒頭だけは読みましたが、確かに近いなと思いました。ただ僕の場合は、バーバラ・マーシニアックの情報もマイヤーのプレアデス情報と近いと思った過去がありますから、ちゃんと読み込んでから判断したいと思います。
けっこう巧みですからねえ。というのは、たとえばビリー・マイヤー的な情報を加工して、自分の妄想とかイデオロギーにうまくアレンジしてですね、それなりの物語に仕上げたり、哲学的な思想体系を作り上げることは、できる人はできますから。けっこうその見極めは難しいかもしれません。よっぽどちゃんと読まないと。
ヤス 確かに。ビリー・マイヤーの本がいっぱいありますね、『瞑想入門』もそうだし、本をたくさん読んで、やっぱり圧倒的に違うポイントは何か。それは、たとえば『ラー文書』にしろ、バーバラ・マーシニアックの本にしろ、心地いいということです。
西塚 ああ、なるほど。
ヤス 心地よくて、何かね、自分が気づいたような感覚になっちゃうんですね。それに対してビリー・マイヤーの多くの書籍は、こちらに対して非常に挑戦的です。
西塚 厳しいですよね。
ヤス 厳しい。変われよ!と言ってくるわけですね。どう、お前は変わるんだ!と。
西塚 厳しい内容ですね。それで思い出しましたけど、よくマイヤーの書籍に出てくるフレーズとして、「創造と自然の法則と掟」というのがありますね。僕はずっと違和感があったんですね。あの日本語訳が途中から「勧告」になるじゃないですか。「創造と自然の法則と勧告」になるわけです。FIGU JAPAN(正式にはFIGU Landesgruppe JAPAN。スイスにあるビリー・マイヤーの活動拠点FIGUの公式日本支部)などの冊子を見てると。
何で「掟」から「勧告」になったのかなと思っていて、僕は「掟」のほうが基本的にはぴったりときてたわけですね、厳しい意味として。たとえば「戒律」とか。それがいきなり「勧告」になったので、これは何となく英文からの訳っぽいと思って、マイケル・ホーン(『TheyFly.com』主宰者)のサイトに飛んで調べたんです。そうしたら、確かに英訳は「recommendations」だったんです。「Creation and its laws and recommendations」
ヤス ああ、そうなんだ。
西塚 それで僕はドイツ語の原典をあたった。そうしたら、「創造」と「法則」はいいんですが、その「勧告」の部分ですが、ドイツ語では「Gebote」という単語で、これは「命令」とかですね、とにかく遵守しなければいけない、本当に厳しいものなんじゃないかと思うんです。専門家に聞いたわけではありませんが。だから日本語訳は、僕は「掟」のほうがいいと思う。
ヤス そうですね、「掟」に近いですね、そうするとね。
西塚 「掟」とか「戒律」に近い気がします。たぶん、マイケル・ホーンとかが英訳するときに、「掟」といったニュアンスだとちょっと厳しすぎると思ったのかもしれません。それで「勧告」くらいにして、法則を守りなさいよと。でも、あそこで意図されてることは、そんな甘いもんじゃない気がしますね、僕に言わせれば。
ヤス 僕は読んでて、万有引力の法則のような法則性だと思いましたよ。
西塚 われわれはもう従わざるを得ない、遵守しなければいけないという意味に近い言葉だと思います。だから「Gebote」というのは、「recommendations」ではなくて、もっと「orders」とかですね、「obediences」とか、まあ自信はないですが、もっと厳しい感じじゃないかと。
そういう言葉ひとつとっても、何と言いますか、危ういというか、収録前の話ではないですが、言葉、単語ひとつとってもかなり誤解が生じたりする可能性があるということですね。まあ、ひとつのエピソードとして話したわけですが、そのへんも気をつけて読んでいかないと、訳されてるものをそのまま額面どおりには受け取れないということです。
だから本当は、ビリー・マイヤーはスイスドイツ語を勉強して読まなければいけないと言われるわけですが、それはちょっと、とてもじゃないけどしんどいので(笑)。
ヤス 確かに。ただ、いずれにしろはっきりしてるのは、そのビリー・マイヤー的な厳しさというのがあるわけです。それは、ある客観的な法則性が存在してると。創造の法則性とか創造の掟が存在していて、それに準じて生きねばならないんだと。それに向って、自分で自分自身をどうやって変革していくのか。それが人間の進化ということの内実なんだと、挑戦的に語ってくるわけですね。
西塚 そうなんです。だからそこはですね、反発する人が相当いるのはわかるんです。
ヤス いるいる。
西塚 僕もそうです。だいたい僕は、服従とかですね、命令がイヤでこうなってる部分があるじゃないですか。
ヤス (笑)。
西塚 そんな話、もう聞きたくもないよ!というね…
ヤス 僕だってそうだからね(笑)。
西塚 でも、そうしたことを超えた大もとの話になってくるので、それはちょっと僕は僕なりに見極めていきたいなと思います。まあ、何でもかんでも反抗すればいいってもんでもないでしょうし、かといって服従というのも気に食わないんだけれども…要するに厳しいわけですよ。
ヤス 厳しいです。だから、鎌倉期の大仏教者っているじゃないですか。親鸞にしろ、道元にしろ、日蓮にしろね。特に道元とか日蓮とかの経文を見ると厳しいんですよ。
西塚 特に日蓮は厳しいですね。
ヤス 厳しいですよね。無茶苦茶、厳しいです。だからある意味で、マイヤーの書籍にも道士の厳しさを感じます。これは客観的な法則性のものだ。これに、お前は従って生きるのか、そうじゃないのか、どっちかにしろ!と。従うんだったら、これをやれ!と言って、バーンと出す。すごい厳しいですね。
西塚 問題はその中身なんだと思います。たとえばアラーの神でも、イスラムでも厳しいと言えば厳しいですから。戒律も相当厳しいわけですね。われわれから見ればすごく理不尽であったり、反近代的、前時代的な厳しい戒律があります。そういう厳しさはどんなものにもきっとあるんでしょうけど、その中身を徹底的に検証していくということがやっぱり必要なのかなと思います。
ヤス 何の厳しさかというと、単純な服従の厳しさ、自我を抑える厳しさというタイプのものではなくて、いわゆる創造の掟といったものをベースにして、自己変革をしていくという厳しさですね。自我を乗り越えて、向こう側にある広大な意識というものを手に入れる。そうすることによって、現実を変えていく。そして本来、人間が持っている偉大な可能性に目覚めていくというようなもの。その一歩一歩のステップというものは、厳しいものだよと。その厳しいステップを、お前自身が上がっていくしかないんだぞといったタイプの厳しさですね。
西塚 僕はそれについて最近思うんですが、おそらくいろんなタイプがあって、ある人に言わせればそれは8種類ということですが、それはおいといて、全員に当てはまるもの、全員を満たすものはないという気がし出してるんです。
それぞれが仮にだらしないとか、僕みたいにですね、いろんな人間がいるとしても、それはそれで意味があって、誰かを刺激するということもあるだろうし、みんながみんなこうせねばならないといったものは、おそらくないだろうという気がします。
いろんな多様性がある中で、それぞれの役割があるという感じがしはじめてるんです。どれにも当てはまらなくて、ただの自分の怠慢とかある種の現実逃避というところで、本来のというか、自分が輝くべき道を踏み外している人は違うかもしれませんが、そうではない人たちに対しては、それぞれの道において徹底的に厳しいものを突きつけられるということがあって、自分でそれがおそらくわかると思うんですよ。
そこで目覚めていって、何事かを自分で成し遂げていくんでしょう。目覚めるという言葉はあまり使いたくないんですが、気がついていくというくらいでいいと思いますが、そこがまず大前提ではないかなと。
ヤス ただ、マイヤーの本を読んで僕が感じるのは、ちょっと今の西塚さんの感覚と違っていて、本来人間は多様的なんだと。個性を持っている。ただ、その多様的な個性を輝かすためにはね、この普遍的な掟に従うしかないんだぞという形ですね。そうじゃないと、お前自身の多様性がなくなるぞと。自我の垢の中に埋没して、なくなるみたいな感じですね。
西塚 僕もですね、それはよく庶民のというか、そのへんの田舎のおばちゃんという言い方をしちゃうんだけども、おそらくそういう難しいことはわからなくても、感じてるというとまたややこしい言葉ですが、感覚的につかんでる人は、おそらく僕はたくさんいると思うんです。
ヤス そうそう。いや、マイヤーの場合は、厳しいんだけど難しくはないんですよ。
西塚 本当はそうですね。シンプルですからね。
ヤス シンプル。徹底的にシンプルなんですね。だから厳しいけども、難しくはない。
西塚 そうですね。僕は読んでて難しく感じることが多いですが、たぶん僕に問題があるんでしょう。それはおいといても、シンプルなものだからこそ、普通のシンプルな人はやってると思うんですね。
ヤス いや、そうですよ。言ってみれば、何の教育もなくて、普通に生きててね、自分に与えられた仕事に専念して、本当に素朴に生きてる人であるとか、むしろそういう人たちのほうがはるかに、われわれよりもその意味では…
西塚 いや、われわれというか、少なくとも僕なんかよりは立派だと思うし…
ヤス いや、われわれで十分ですよ。だから立派で、真実に近い。
西塚 いろいろ人類なりの、少なくともいろんな調和のひとつのですね、歯車と言えば語弊がありますが、ちゃんと調和をもたらしてると僕は思うわけです。それがおかしくなるのは、やっぱり余計なことをやる支配連中とか、小難しいことを言ってお金になびいちゃうヤツとか、要するにヘンなヤツらなんであって…
ヤス だから、自我ですよね。我と欲望。
西塚 それが問題なんであって、まっとうな人たちがそれに巻き込まれることが往々にしてある、ということに気づいているまっとうな知識人もいるので、その人たちが勇気を持っていろいろやれ!という話だと、僕は思うんですけども。
ヤス ただ、本当に素直に生きるという知識人というのは、難しいですよね。ある意味で知識が邪魔をして、その知識がやっぱり自分の自我と欲望を満足させる手段になりますから。
西塚 なりますね。だからまあ、あるサイキックとか霊能者に言わせると、そこが一番問題で、そこの欲をとってあげるだけで、たとえば病気は治っちゃうという言い方をしたりするわけです。だから、知識は必要ないと。
僕の考えでは、それはそれで一理あるんだけれども、僕はやっぱり知識は必要であるという考えなので…
ヤス いや、僕もそうですよ。
西塚 少なくとも僕が今思ってるのは、さきほど申し上げたように役割という、それぞれの本当に合った道があるということくらいです。
ヤス まあ、そうですよね。
西塚 それに気がつけば、みんな何の問題もない。
ヤス だから何というか、何に喜びを感じるかですね。
西塚 そこですね。
ヤス 欲望というんじゃなくて。何に自分がときめきと喜びを感じるのか。
西塚 そうなんです。そうなると僕はゼランドとかの話をしたくなりますが、それはおいといて、そこがみんな、たとえば親に小さいころから言われて、いい大学にいかないといけないとか、いいところに就職しなければいけない、年収はいくらいくら、妻はこうじゃなきゃいけない、子どもは何人でとか、そういう余計な知識で洗脳されちゃってですね、本来自分がときめくこと、わくわくすることをもう見失っちゃってるという状態ですね。
ヤス そうそう。そうです。
西塚 そこである種、またもうひとつの核心にもなるんだけども、だからこそですね、エセ宗教があぶないわけです。バーバラ・マーシニアックじゃなくてもいいですが、バシャールとか、僕はわかりません、バシャールがいいのかどうか、でもわくわくしなさいとか、自分がわくわくすることだけをやればいいという…あれもちょっとヤバい気がします。気持ちいいことをすればいいのよ、悩まなくていいのよと言いますね。
ヤス だからですね、ある意味マイヤーと違うのは、挑戦というか、まず第1にこれが客観的な法則だと提示する。第2に、その客観的な法則から見て、これに従って生きるためには、これとこれを乗り越えよと、もう一度提示するわけです。
西塚 ある種の試練です。
ヤス 試練です。試練を与えるわけですね。そういうことに関して、バーバラ・マーシニアックのような書物とか、『ラー文書』もちらっと読んだけど同じで…
西塚 あ、そうなんですか、ラー文書も。
ヤス やっぱり、お花畑だと思いますね。ちょっと僕はそんな印象を持ちましたけどね。だから、読んでると何かを知った感じになるという(笑)。
西塚 試練なんか乗り越えなくていいし、試練にぶち当たる必要もないんだよという言い方についてですが、また僕はゼランドを持ち出しちゃうんですが、ゼランドも同じことを言うんだけども意味がまったく違うんです。
本来の自分を生きていくということがわかると、試練も試練と思わないということなんです。ほかからは試練と見えても。だから、試練という言葉ひとつとっても、みんな捉え方が違うわけです。
ヤス 試練というのは、自分を乗り越えるということは、何でも試練だと思うんですね。だからその試練を試練と思うか思わないかというのは、主観的な問題であって。何か自分が、今の自分で達成できるような目標を努力して達成していくと。これ自体がひとつの試練だしね。ただ、それを試練と思うか思わないかは、こちらの主観的な判断であって。
西塚 そこがまた難しくてですね、試練というのはやっぱり厳しいもののことですよ。辛いもの。できれば避けたいもの。でも、それを乗り越えること自体が喜びの場合は…
ヤス 基本的にはね。だから言ってみれば、その厳しさは共通のクオリティは僕はあると思う。
西塚 それはおっしゃるように、ビリー・マイヤーの書籍には一貫してあると思います。バーバラ・マーシニアックその他にはないなと。そこが決定的な差かもしれませんね。
ヤス 僕はスピ系、特に日本のスピ系はすごく警戒しなくてはならないと思います。完璧なお花畑系ですよね。
西塚 日本のスピ系というのは、外国とは違うということですか?
ヤス 外国もやっぱりそうですけども、基本的には。あなたたちは何も変わらなくていいのよと。特定の時期がくればアセンションがくるから、次元上昇が勝手にくるんだからね、その流れに乗りましょうといったようなメッセージですよ。
そのメッセージを信じることによって、現在の普通に生きてる自分自身の現実と向き合うということをしなくなるわけですね。だから、特にお花畑系のスピ系って飯が食えないしね。
西塚 徹底的にやれば、本が売れたりするんでしょうけども。本を書く人であれば。
ヤス まあ、書く人であればね。でも、その本の読者が完璧に信じ込んでしまって、自分が生きてるスピリチュアル的な世界観の中に閉じこもってしまうという。
西塚 閉じていく世界ですね。
ヤス 閉じこもって生きていく。その結果ですね、いずれこういう時期がきたらアセンションだと。意識が二分化するというような形でね(笑)、現実に普通に生きてる自分自身の足元を見ることを怠っていくという人たちですね。
西塚 僕なんかむしろですね、ある種の願いなんですけども、そういう人は徹底的にお花畑にいてほしくてですね、そこでアセンションしてほしいですよ。消えちゃうとかですね、目の前で(笑)。
ヤス (笑)いやいや、それはいいんだけど…
西塚 あえて冗談っぽく言いましたが、そこまで徹底すれば…
ヤス でも、そうじゃなくて、ある意味でエセ宗教ですよ、ひとつの。
西塚 ごまかしですか。
ヤス ごまかしだと思いますね。僕はマイヤーの本を読んで一番感銘を受けるのは、本来のスピリチュアリズムは何であるかということを、やっぱりちゃんと提示してるということだと思いますね。
西塚 また、彼も望んだことではないので、5歳から…むしろコーリー・グッドと同じようなもので、5、6歳からいきなりくるわけじゃないですか。
ヤス そうそう(笑)。
西塚 何でオレなんだよ!と。相当悩んでるわけですね。だから昔、小学生のときに読んだ偉人の伝記みたいなものですよ。その人物の生き様があるわけですね、歴然と。それで、半分あきらめもあるんでしょうけども、自分の役割だと信じてやっている。そのビリー・マイヤーの心中なんていうのは、たぶん誰にもわかりませんよ。孤独だろうし。でも、感銘を僕は受けるわけですね。
ヤス 僕も感銘を受けますね。
西塚 ある種の芸術家なり、偉大な人間に対する畏怖を覚えますね。そういうような目で本も読み、彼をまあ感じるわけですね。そこのレベルで、もともと僕は文学系なんですが、尊敬できるという。それでいいと思っています。
ビリー・マイヤーは知られていないだけ?
ヤス ちょっと話が戻りますが、何でビリー・マイヤーがディスクロージャー系のところに出てこないか。
西塚 そうそう。
ヤス さっき言ったように、ディスクロージャー系で芋づる式にあがってくる一連の情報があって、そこにいくつかのハブになってる人たちがいる。やっぱりそれを見るとですね、ひとつの世界観みたいなものに内包されてるわけですよ。その世界観に親和的なものとして、アセンションがあったりするわけですね。ビリー・マイヤーというのは、そうしたものとは全然違ったものです。
西塚 でも、もうちょっと関連づけて説明しろよと、僕は言いたいですね。
ヤス そうなんです。だから、ビリー・マイヤーをアメリカに紹介してるさっきのマイケル・ホーンあたりも、どのように感じているのか。
西塚 そうですね。
ヤス われわれが聞くしかないかもしれない。メールでも何でもね。あなたの意見を聞きたいと。
西塚 何か違和感があるんです。
ヤス 違和感がありますよ、それは。何でこんなふうに違うのか。
西塚 お互いに無視してる感じですね。でも一回、コーリー・グッド関係の連中がスイスに行ったんでしたっけ?
ヤス 一回行って、ヴリル協会のマリア・オルシックの写真を見せて、これがセミアーゼかと聞いたら、ああ、そうそう、これこそセミアーゼだと、ビリー・マイヤーが言ったというんですが、ちょっとそれは信じられないですね。
西塚 似てると言ったという。そこを聞きたいですね。こういう話になってるけども、本当に彼らがきてそう言ったのかと。
ヤス 今度スイスに行って聞いてみましょうか?(笑)
西塚 行きたいですね。いや、オレは会ったこともないし、言ったこともないと言えば、それは厳然たる一次情報ですからね。書けますからね、ヤスさんにしても、オレは直接聞いたけど、彼は会ってないと言ってるぞと。そういうのは大事ですね。
ヤス あと、これは事実かどうかわかりませんが、ビリー・マイヤー自身がかなり不幸な扱われ方をしてます。徹底的に批判され、排除される。
西塚 もうインチキ呼ばわり、ある種の詐欺師ですよ。
ヤス さんざん言われてるわけでしょ? だから、そのような目で見られて、特異なカテゴライズをされてしまったので、新しくディスクロージャーを行なってるような人たちは、あまり関わり合いを持ちたくないといった形かもしれませんよ。
西塚 でも、それはちょっと、あまりにも情けない話じゃないでしょうか。
ヤス いや、もしかしたらね。
西塚 もしそうだとすれば、それはむしろ自分たちの確かな目で、インチキ呼ばわりされた彼の話はひょっとしたら本当かもしれないと、アプローチするべきですよ。自分でアプローチして、やっぱりインチキだったらそれはそれでいいわけです。何もないというのはヘンですよね。ものすごく違和感があります。
ヤス 積極的に取り上げられてるのは、『プロジェクト・キャメロット』のみですね。
西塚 ああ、そうですか。もはや老舗のサイトですね。
ヤス 彼女(ケリー・キャシディ)は、ビリー・マイヤーのことを知ってるかと、ディスクロージャーしている人間全員に聞くんですよ、必ず。ほとんど知らない。
西塚 あ、知らないんですか!
ヤス マーク・リチャーズっているじゃないですか? ディスクロージャーしてる。全然、知らない。
西塚 ビリー・マイヤーのことを知らないんですか?
ヤス 知らない。
西塚 それはそれで、おもしろいなあ。
ヤス まったく知らない。聞いたこともないって(笑)。
西塚 まあ、本当かどうかはともかくですね、本当に知らないとしたら、まったくそういうことに興味がない人なんだけど、そういう経験をしてしまったということで、わりとまた信ぴょう性も高まりますね。それはそれでおもしろい。そういうことには無縁の人だったんですね。
ヤス 無縁ですね。『プロジェクト・キャメロット』でディスクロージャーしてくる人は、そういう人たちが多いですね。
西塚 なるほど。そういうことですね。でも、デイビッド・ウィルコックみたいな立場だったら、僕は何というか、彼に不満がありますね(笑)。
ヤス そうですね。デイビッド・ウィルコックの場合もふたつあって、真実を探りたいというのがひとつありますよね。もうひとつは、自分の持っているアセンション的なフレームワークを証明したいという願望もあると思うんですよ。どちらが強いかというと、おそらくアセンションのフレームワークを証明したいということ。
西塚 僕がそのアセンションのフレームワークをあまり知らないからだと思うんですけどね、そこまでの強い願望なり、衝動の強さがわからないですね。
ヤス 彼は、さっきも言ったように、アセンションという言葉そのものを大きくして、一般化したというタイプの人なので、アメリカでね。
西塚 相当、影響力ありそうですね。
ヤス そうです。アメリカのスピリチュアル文化の中では、やっぱり中核的な存在であることは間違いない。だから、ウィルコックは有名な人ではあるんですが、まあ、わるい噂でもないんですけどね、たとえばNESARA(https://ja.wikipedia.org/wiki/NESARA)が実行されて、いわゆる金融機関のカバルの一味がみんな逮捕されるのは時間の問題だと言って…
西塚 ベンジャミン(・フルフォード)さんと一緒にやったという(笑)。
ヤス ふたりでやったんですよ。それで大ハズレになって、あとでさんざん批判された。
西塚 まあ、人間ですからね、間違ってもいいんですが、やっぱりウィルコックさんにとってみれば、ある種の理想的な社会がきてほしいという願いがあって、ちょっとそういうところに引っかかっちゃうことも、ときにはあるという…
ヤス ある時期がくると、人間の意識がいっせいに転換するというのがアセンションなんです。それは、人間が積極的に努力するかしないかということは別にして、いっせいに意識が転換する時期がくるんだと。その意識転換の流れの中に乗るかどうかというのは、お前のチョイスだよと。
“選択”するということとは?
西塚 僕はそれはですね、段階を説明しなければいけないんだけども、ある種当たってると思っていて、意識の変化は一瞬にくると思ってるんですね。どういう意味かというと、他力本願的な意味ではなくて、たとえば何かに目覚めてガンガンやってる人がいるとして、その人がまわりを感化していって、何かの影響を与えて、今まで正反対のことを考えてた人が考えを変えるということはあると思うんですね。そういった意味で、意識は一瞬で変わるということはあると思う。
ただ、巷間言われるような、何かがやってきて全員の気持ちを掬うというのは、ある種のファンタジーであり、そういう物語を持ってもいいわけですが、僕は少なくとも好きではないですね、そういう話は。
ヤス そういうファンタジーに僕はちょっと近いかなという感じがします、ウィルコックは。まあ、彼の本をたくさん読んでるわけじゃないんですけどね。じゃあ、人間の意識の変化はないかといったら、あるんですよ、歴史的にね。必ずある。ただ、それは一瞬じゃない、絶対。やっぱり4、50年間の時間枠の変化ですね。歴史的な時間というところから見ると一瞬に見えるだけど、しかし4、50年、場合によっては1世紀くらいはかかるものですね。
西塚 また、ちょっと誤解を生んだかもしれませんが、一瞬というのは、個人の意識の中では一瞬で変わる場合があるのではないかという意味なんです。
ヤス ああ、個人はありますよ。意識の転換という話とは違うけれども、全然違う方向でものごとを考えるようになるということは、個人史の中ではしょっちゅうですよね。むしろ、一定の固定したパターンの中で築かれた思考方法が、ずっと継続するということのほうが少ないんじゃないかと思います。しょっちゅう変わる。
西塚 問題は、昨日と同じ自分である必要はないんだけども、起きてからその瞬間瞬間、トイレに行こうとか、飯食おうか、風呂を先にしようかとか含めてですね、みんな選択をしてるわけですね。そして、ちょっとしたことで選択が変わるわけです。
それで、それぞれにずっと流れてるトーンがあるわけですよ。そのトーンによって、怠け者になっていくのか、たとえば金持ちになっていくのかということが決定づけられてる気がします。だから、ちょっとした選択を変えるだけで、そのトーンも変わるという意味では、本当に現実は変えられると思うんですね。これは自己啓発の話ではありません。
ヤス ただね、実は選択はしてない、われわれは。
西塚 あ、そうなんですか(笑)。
ヤス みんなそうなんだと思いますよ。トイレに行くって、誰が選択してるのか。飯食うって誰が選択してるのか(笑)。
西塚 いやいや、そうなるとベンジャミン・リベットの話になって、みんな自分で意識してやってると思ってるけど、その0.5秒前に体が反応してるという…
ヤス いや、そういうわけじゃない。意識的な選択じゃないということなんです。選択というのは思考の作業ですよね。AとBとCがあって、これを選択しますよという。そんな意識的な選択をしながら、われわれは生きてるわけじゃないということです。
西塚 それはやはりリベットの話で、意識の判断はすでに遅いという…
ヤス いや、そうじゃなくて、われわれは意識的に選択をして生きてるわけではないということです。
西塚 僕が言いたいのもそこなんですが、無意識ということ…
ヤス もうちょっと具体的にわかりやすく言うならば、たとえば人間の核となるような感情があると思います、必ずね。黙っておくと、だいたいこのような感情のまわりでずっと循環してるということだと思うんです、人間は。
極端に言えば、恨みの感情がやたら強いヤツがいると。それで何の刺激もなくてほっといても、ずっとその否定的な感情の中に留まって生き続けるという人間がいる。ましてやそういう人間が社会に出て、いろんな人間と交流した場合にね、やっぱりその否定的な感情の循環がまた必ずはじまるわけですよ。どういうふうな状態になっても。
そうではなくて、金を儲けたいという強烈な欲望のもとに生きてるという人たちもいるでしょう。どんな人間でも核となるようなひとつの感情の構成ってあると思うんですね。
西塚 僕の中では、その恨みがあるという循環と、金持ちになるという循環が、うまく結びつかないんですが、恨みがあるというのは、その対象は何かわかりませんが、もっと違う茫漠としたものじゃないですか。ある種のエネルギーと言ってもいいんでしょう。でも、お金がほしいというのは、それとは違う欲望であって、お金があればこういうこともしたいし、ないから私はこうなんだとかですね、それと恨みというのは、僕は決定的に違うような気がします。
ヤス まあ、そうですね、決定的に違うといっていいかもしれない。それは欲望、感情という枠でくくることはできないかもしれないですけども、その人間の機動力となるような核があるということです。心理的な構成というもの。
それが茫漠とした恨みの感情という人もいるだろうし、金銭欲もあるだろうし、権力欲もあるだろうし、その人間の心理的なコアの部分を構成してる存在がずっとあるということですね。それが循環して、われわれは生きてるんだという感じです。
西塚 それは無意識とは関係ないですか?
ヤス やっぱり関係はあると思います。でも、それが無意識・意識と分かれるよりも、無意識とか意識の違いを貫いて存在してるような、ひとつの核みたいなものだろうと思います。
西塚 選択して生きていないということと、今の話はどうつながるんですか?
ヤス そういうような循環の中で生きてる場合にね、何かを選択するときにそれがひとつのベースになってしまう。意識的には、こちらのほうを選択したほうがいいということは間違いないんだけれども、逆のほうを選択してしまうとかね。
西塚 それはあると思います。何かに引っ張られるとかですね。それはあると思うんですが、選択してることには変わりないと思うんですが…
ヤス 僕は選択というのは意識的なものだと思っているので、意識的な選択を絶えず繰り返しながら人間は生きてるということね。果たして、本当にそうなのかということです。
西塚 あ、それはないですね。むしろゼランドが主張するのは、意識的に選択しろということですから。ちょっと僕の言葉が足りなかったかもしれません。要するに、さっきの話に戻れば、トイレに行きたいどうのこうのというときに、やっぱりどっちかをとるわけですよ。本当にトイレに行くのかどうか。そういう意味の選択ですね。
これはトイレに行かないと膀胱が破裂するよという意識が働けば、トイレに行くだろうし、まだ寝ていたいという、そっちの快感が勝てば寝ちゃうだろうしという。でも、いずれにしろ選択をするわけですね、自分の行動に対して。そういう意味なんです。
ヤス だから、意識的な選択というよりも、どちらかを選んでるということ。
西塚 それは選択ということじゃないですか?
ヤス でも、最終的には行くわけでしょう? トイレに(笑)。
西塚 いや、わからないですよ。漏らしちゃう人もいるかもしれません。ああ、オレは、これは漏らしてもいいから寝ていたいという人も…
ヤス (笑)、またわけのわからないことを言って…
西塚 いや本当にですね(笑)、いると思うんですよ…
ヤス それは選択じゃなくて、欲望じゃないですか。
西塚 でも、欲望を選んでるわけですよ。漏らしちゃってもいいからという選択をしたということです。
ヤス ちょっと言うとですね、近代経済学の前提となる合理的なホモ・エコノミクスを思い出したんですよ。
西塚 ああ、僕の言ってるのは、合理的な経済的個人ではないところで…
ヤス 人間の欲望というのは制限がないと。制限がない欲望を実現するための手段というのは、制限があると。だから、その制限がある手段をいかに合理的に結合させて、最大限の欲望を達成するか。それを選択しながら生きているのが人間だというモデルがあったのね。ちょっとそれを想像した。
西塚 僕はむしろ逆の話ですね。それもひとつの理論、仮定ですが、人間は、ヤスさんがおっしゃったような根底にある欲望とか、感情の循環というものに動かされていて、そこの部分は選択をしてもしなくても関係ないことなんですが…
ヤス そうです。
西塚 でも、いずれにしろ行動を起こすというときは、選択をしてやってるわけですよ。意識的かどうかはおいといても。
ヤス そうですね。
西塚 そこは意識的にやったほうがいいよといったのがゼランドなわけですが、僕は何が言いたかったかというと、そこから違う話にしたかったんです。三島由紀夫がそこにこだわってたんですね。三島と安部公房の対談というのがあって、三島は無意識は自分にはないと言ったんですね。安倍公房はあきれて、無意識がない人間なんていないぞと。でも、三島はユングなどにも詳しいわけですが、それでもオレには無意識はないと。全部、意識的だと。
ヤス (笑)。
西塚 最後は仲たがいまではいきませんが平行線で、安倍公房は、キミそんなこと言ったってね、あるんだよ無意識は。キミね、小説書くだろと。オレがね、後ろからずっと見てたら、アンタ一行も書けないよと言うわけです(笑)。それは高校のときに読んだんですが、意識・無意識とは何かと悩んだこともあったので、そこに話をつなげたかったんです。
三島はいろいろ意識的にやってると思っているんだけども、僕は三島は意識的じゃないところで動かされてると思ったし、安倍公房には、やっぱり人間はギリギリまで意識的な選択をするということがあり得るわけであって、全部が無意識ではないということも言いたかったから、そのへんの兼ね合いはどう思いますかと、実はそこをお聞きしたかった。それで「選択」というところに足早にいっちゃったんで、ちょっと誤解を生んだかもしれませんが…
ヤス 無意識ってさほど難しいことではなくて、かなり神秘的なものとして定立させられるべきものではなくて、簡単に言えば、意識でコントロールできない何ものかですよ。自分の内面にある。
西塚 ベンジャミン・リベットの話じゃないですが、科学的に測定されてるわけです、電位として。やろうと思ってみんなやってるけど、意識する0.5秒前に体はすでに反応していることが証明された。ということは、どういうことかということです。
意識じゃない何ものかが反応して、体はすでに動いてる。意識はあとから気がつく。その説になると、人間は意識的に動けないということになるわけです。
ヤス 言ってみれば、他者という存在ですよね、それは。
西塚 他者なのか…そこは、ちょっと言葉はわからないですが…
ヤス いずれにしろ、人間が意識的にコントロールできる部分は、ごくわずかだということ。ただ、意識・無意識という問題を除いたとしてもね、われわれが普通に生きてる中で、心的な構成のコアとなる状態があると思うんですね。
西塚 もうちょっとやわらかく言えば、クセでもいいですよね。
ヤス クセです、本当に。ほっとけばその人間はいつもそのようなことを考えるという状態。
西塚 田舎のおばちゃんでも、母親でもいいですが、アンタはそういうクセがあるから気をつけなさいよ、に近いものだと思うんです(笑)。
ヤス それに近いものです。だから、ほっとくといつもそうした自分の心理的な内容といいますか、同じような想念が湧いてきて、そのもとに循環して生きているということだと思います。
西塚 それはわかります。でも、それは選択によって変わる、変えられるということ。あるいは、変えられないということであって、ヤスさんは変えられないと思ってらっしゃると…
ヤス いや、僕はそれは変えられると思う。ただ、変えられるんだけども、かなり難しいことだと思いますよ。
西塚 厳しいものが要求されますね、相当。
ヤス 厳しいものがある。だから、たとえば僕がビリー・マイヤーをその文脈で読むと、それを変えるための十分な手はず、手段といいますか、たくさん出していると思います。その心のクセというのか、自分の持ってる自分自身に対する執着というか、そういったものをいかに突破して、その向こう側に出るか。意識的にはるかに自由な領域。
西塚 しかもそれは、ビリー・マイヤーさんが幼いころから培ってきて、体験してきたことから醸し出されるようなもの、哲学とかですね、そういうものが十分にありながら、いまだにプターと称するプレアデス/プレヤール人とコンタクトしている。
そのプレアデス/プレヤール人とはいったい何ものなのかということが今、最大のナゾとして残ります。それとコーリー・グッドの話がどうリンクしてくるのかということも含めて、今日はもう時間がきましたが、今後もまたこの話題を追究したいですね。
ヤス そうですね。じゃあ、時事ネタはまたいずれということで(笑)。
西塚 また次回お願いします。今日はありがとうございました。
ヤス いえいえ、どうも。
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