この言葉は、作家・小島信夫が色紙に書いたものだ。
私の書斎の書架に飾ってある。
(原文:オレのボロマンションの仕事場の本棚に置いてある)
『シン・ゴジラ』の評判がいいようだ。
娘ですら昨日、新宿に出かけて友人と観たらしい。
で、ひと言、私のLINEに「やばい」と来た。
ったく、昨今の若者は言葉を端折る。
夜の18時過ぎに、原稿書いてるところへいきなりこんなLINEが来ても、
何だかわからないのがフツーだろうと思うが、
不思議なもので、これがすぐわかるのだ。
ああ、シン・ゴジラが面白かったのネと。
ま、庵野さんが作ったんだから、
エヴァっぽいのか、小難しいのかわからないが、
面白くないわけはないと思う。
観てみようかな、やっぱり。
高島氏との対談インタビューとして、
『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』(おやすぴ)を毎週行なっているが、
あ、次はこないだの翌週のぶんを載せます。第55回ですね。
それで今はコーリー・グッドを中心に話してるわけだが、
ちょっとこれは本当に真剣に受け止めたほうがよさそうだ。
『おやすぴ』は当初は、
ビリー・マイヤーを語るべくしてスタートした部分があるのだが、
何ぶん、内容がUFOだプレアデスだということで、一応慎重を期し、
今思えばずいぶんと歯切れのわるい、あるいはまわりくどい言い方をしながら、
核心に近づいていったように思う。
なつかしいくらいだ。
しかしここにきて、そんなことは言ってられなくなった感がある。
だからこそ7月2日にロフトプラスワンでイベントを行なったわけで、
アクションが必要だと感じたのだ。
いや、私が起こすアクションなどは大したことがない。
すでに地球外生命、UFO、最新テクノロジーに関するディスクロージャーは、
ウィリアム・クーパーを皮切りにインターネットによって世に出はじめ、
その情報量もイベント量も加速度的に増えている。
有名なところで言えば、
1947年のいわゆるケネス・アーノルド事件に始まるUFO目撃事件だが、
世の中には、古代・中世まで遡ってさまざまな文献、古文書から哲学書、
考古学的な文献から何まで可能な限り渉猟して、
UFOや地球外生命との関連を探究してきた人物が数人いるのである。
文献資料のみならず、目撃談があればその人物に直接会いにいき、話を聞く。
文献は万単位、目撃談取材は数千件、そして本を書き、できるだけ客観的に、
科学的に考察し、その段階での仮設を立てる。
そんなリサーチャーのひとりジョン・キールの1970前後時点での仮説はこうだ。
(略)
飛行物体の目的はなんらかの情報収集の一環だったのだ、
そしてわれわれを騙し、
人類の先端技術の一成果だにすぎないと思いこませようとしたのだ、
とそう彼は考えた。
空飛ぶ円盤にはなにか裏がある。
(略)
宗教時代には宗教起源の現象だと思わせておく。
十九世紀になって人類が科学技術面で成熟すると、
こんどは気球や飛行機に見せかける。
第二次世界大戦中は“フー・ファイター”の仮面をかぶり、
両陣営ともに相手方の秘密兵器だと思い込ませるようにしたというわけだ。
コリン・ウィルソン『エイリアンの夜明け』より
つまり、古代からある神話や文献、日本にももちろんあるが、
そうした時代には、空から“火車”が降りてきたり、
巨人や怪獣が目撃されたりする話として記録されたり、
あるいは神や、悪魔、妖精や天使として現われたりする。
今では隕石や星の移動、気象現象や発光現象、
単なる車のヘドライトの反射にされたりするわけである。
まるで、その時代時代の「常識」「理屈」「科学的根拠」に、
むりやり押し込めようとしてるみたいではないだろうか。
私が思うにもっともバカバカしく、虚しく響く類いの言い方に、
「前例がない」「あり得ない」「見たことも聞いたこともない」
というものがある。
いや、言葉自体はいいのだが、そう言って、
“実際にあること”を否定する態度のことである。
それはいいか、今は。
で、さきのキールがまたある結論に達する。
UFO生物には“いい奴”と“悪い奴”の二種類がいて、
悪い奴のほうは危険かもしれない
1970年時点の話だ。
そして今、われわれはスティーブン・グリアやマーク・リチャーズ、
コーリー・グッドのディスクロジャーを目にしている。
そして今、いわゆる心霊現象その他、あらゆる超常現象が、
ひとつの観点から説明できそうなところまできてるのである。
しかしそれがまた堂々巡りのように、
現在の人間の思考パラダイムに準じたものでしかない、
ということを念頭におきながら、
これまでの似た現象やそれに対する決着のつけ方を再度通観し、
冷静かつ合理的な判断をしなければならない。
キールがチベットのラマ僧ニャン・パに会いに行き、
本物の千里眼(キンガ・シャリラ)に触れ、
精神的物体(トゥルパ。観想したものを実際に物質化すること)の話などを聞いて、
彼のもとを辞去するときに、そのラマ僧はキールにこう言った。
質問を発することやめてはならないよ
酒呑もうかな…
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